海部陽介「港川人の来た道」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第1節

 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、港川人の特徴、その起源、港川人と縄文人との関係について、研究史を整理しています。日本列島全体では更新世の人骨は少ないのですが、琉球列島ではそれなりの数の人骨が発見されています。それらは断片的ではあるものの、その形態的特徴から、すべて現生人類(ホモ=サピエンス)に分類される、と本論文は指摘しています。

 港川人も現生人類に分類されるのですが、脳頭蓋の骨が厚いことや脳頭蓋の最大幅が低い位置にあることなど、原始的特徴が以前より指摘されています。そうした原始的特徴について、現生人類多地域進化説の立場からは、港川人の祖先がアジアの「原人」だからだ、と説明され、そうではない立場からは、初期現生人類の形質か、現生人類と「旧人」との混血を反映した結果と解釈されています。本論文は、まだ比較研究が不足しているとして、この問題に慎重な姿勢を示しています。

 地質学・考古学的成果から、港川人は海を渡って来た(集団の子孫)と考えられています。その故郷としては、広範な地域の更新世末期~完新世最初期の人骨との比較から、東南アジアにあったとする見解が有力のようです。当時の東南アジアには、現在の住民とは異なり、オーストラリア・ニューギニア集団と類似する人々が住んでいたようです。港川人と後の縄文人との関係については、以前は港川人が縄文人の祖先だと考える見解が有力だったものの、近年では、港川人と縄文人との違いを重視する見解が有力なようです。


参考文献:
海部陽介(2014B)「港川人の来た道」印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(臨川書店)第3章「日本へ」第1節P130-141

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