『週刊新発見!日本の歴史』第49号「旧石器・縄文 日本人はどこから来たか」

 この第49号は、更新世後期のいわゆる後期旧石器時代以降(40000~36000年前頃以降)から縄文時代までを対象としています。日本列島の後期旧石器時代以降の住人は現生人類(ホモ=サピエンス)のみとの見解が有力です。いわゆる旧石器捏造事件の発覚直前には、日本列島にも中期旧石器時代以前が存在するとの見解が有力になりつつありましたが、発覚以降は、わずかな遺跡のみが中期旧石器時代以前のものか否か議論になっているという状況で、日本列島にも確実に中期旧石器時代以前が確認される、との共通認識は存在しません。

 この第49号では中期旧石器時代以前はほとんど言及されておらず、その担い手が現生人類かそれ以外の人類なのか、という問題も取り上げられていません。日本列島では更新世の人骨の発見はあまり期待できそうにありませんから、この問題の決定的な解決は難しそうです。私は、日本列島に中期旧石器時代以前に人類が存在していたとしても、よほど古くなければ(12万~13万年以上前)それは現生人類である可能性が高いのではないか、と考えています。この問題とも関連して、この第49号では後期旧石器時代の日本列島の住民が計画的に行動し、合理的に生きていたことが強調されていますが、現生人類なので当然とも言えます。

 この第49号では、旧石器時代と縄文時代との区分について、早期説と後期説のあることが言及されています。早期説は、日本列島における土器の出現年代がさかのぼったことを根拠とし、土器の出現した16000年前頃に縄文時代が始まった、とします。一方後期説では、生態系・石器組成の変化や竪穴住居の定着などから、縄文時代の開始を13000~11000年前頃とします。最近読んだ論文では早期説が採用されていましたが(関連記事)、後期説の方が妥当だろう、と思います。

 後期旧石器時代と縄文時代の大きな違いとして、遊動生活の前者と定住生活の後者との把握が提示されています。もっとも、後期旧石器時代も、広域移動型の前半と地域内周回型の後半とで異なることも指摘されています。植物資源への依存度が後期旧石器時代より高くなったことも縄文時代の特徴ですが、地域間の違いもあり、縄文時代の北海道では水産資源への依存度が高かったことも取り上げられています。こうした違いを分析するには、同位体比分析が有効であり、この第49号では1ページ割かれて解説されています。また、放射性炭素年代測定法や遺伝人類学についても1ページ割かれて解説されており、自然科学的分析が取り上げられていることもこの第49号の特徴となっています。

 縄文時代については、一時期(今でも?)「縄文文明」や「縄文都市」といった議論が(おもに非専門家の間で)盛んだったように思います。しかしこの第49号では、人類史に照らし合わせると縄文時代を文明と呼ぶのは正しくない、と明言されています。その見解は妥当だろう、と私も思います。この第49号では、縄文人は本格的な農耕や牧畜に依拠することなく定住化を実現した究極の狩猟採集民と位置づけられています。ただ気になるのは、縄文人は限りある資源を有効かつ安定的に利用するため、過度に自然に負担をかけることを避けた、との見解が提示されていることです。正直なところ、考古学的証拠からこれを証明するのは難しいでしょうし、現代人の願望が過剰に投影された解釈になっているのではないか、と思います。

 この第49号で注目されるのは、旧石器捏造事件の解説に1ページ割かれており、その執筆者が岡村道雄氏だということです。捏造を行なった藤村新一氏(現在は再婚して苗字を変えているそうですが)の名前は伏せられており、紹介されている毎日新聞の紙面の名前の箇所にはモザイクがかけられています。この解説では、旧石器捏造事件とその後の検証、さらに今後の展望が簡潔に概観されています。1ページの分量なので仕方のないところもあるのでしょうが、岡村氏の執筆にも関わらず、他人事のような記述になっているのには疑問の残るところです。この解説を「冷静」で「客観的」と評価することも可能なのかもしれませんが、率直に言って、旧石器捏造事件の「共犯」とまでは私も考えていないものの、「当事者」の一人だったことは間違いない岡村氏だけに、少しは自身の責任についても言及してもらいたかったところです。

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