仲野徹『エピジェネティクス―新しい生命像をえがく』

 岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2014年5月に刊行されました。近年大いに注目されているエピジェネティクスについて、一度基礎知識をしっかりと学ぼうと思い、読んでみました。本書によると、近年におけるエピジェネティクスについての最大公約数的な定義は、「エピジェネティックな特性とは、DNAの塩基配列の変化をともなわずに、染色体における変化によって生じる、安定的に受け継がれうる表現型である」とのことです。エピジェネティック修飾による遺伝子発現制御の基礎は、
(1)ヒストンがアセチル化をうけると遺伝子発現が活性化される。
(2)DNAがメチル化されると遺伝子発現が抑制される。
という2点にある、とされています。

 エピジェネティクスは半世紀以上前から認識されていましたが、とくに研究が盛んになったのは1990年代以降です。遺伝子の発現を活性化したり抑制したりするわけですから、生命のほとんどの活動に関わっている可能性が高いでしょう。ただ、エピジェネティクスの影響をどう評価するのかとなると、本書は終始慎重な姿勢を崩しません。本書は様々な具体例を提示し、病気をはじめとして様々な生命現象にエピジェネティクスが関わっていると想定する方が合理的だ、と指摘します。しかし一方で、エピジェネティクスが確実に関係していると断定できる事象は現時点ではさほど多くなく、またエピジェネティクスの影響がそうした事象でどの程度の役割を担っているのかという点についても、断定できる例が少ないことを指摘しています。

 本書ではエピジェネティクスが関わっていると考えられる様々な病気が紹介され、そのうちのいくつかでは、遺伝子発現を抑制するようなエピジェネティックな修飾を、薬剤を用いて阻害するなどして、治療効果があったようです。ただ、そうした事例でも、エピジェネティクスの影響による病気と断定できるわけではなく、可能性は高いにしても、エピジェネティクスが病気にどの程度の影響を及ぼしているのかとなると、不明な点が少なくないようです。また、エピジェネティックな治療において、ある腫瘍を抑えたら別の腫瘍の増加をもたらした、と解釈できるような事例もあったそうで、エピジェネティクスは治療の分野でも期待できそうではあるものの、前途を楽観視はできないようです。

 本書は全体的に、エピジェネティクスに大いなる可能性があることを認めつつも、現時点では不明な点があまりにも多く、実用化についても楽観視できないので、過度に期待することを戒める冷静な論調に終始していると思います。専門家として、一般向け書籍にて華々しく打ち上げ、予算増額への第一歩としたい、との誘惑に駆られても仕方のないところかな、とも思うのですが、著者は研究者としてあくまでも抑制的な姿勢を崩しません。しかしながら、エピジェネティクスの解説や、ミツバチなどの生物の具体的事例の紹介からは、著者のエピジェネティクスへの熱意が伝わってきますし、一般向けに面白い解説にもなっていたと思います。本書は一般向け書籍として当たりで、読んで正解でした。正直なところ、1回読んだだけでは基礎的なことをおおむね把握できたとも言えないので、今後何回も繰り返し読んでみよう、と考えています。

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