佐藤宏之「日本列島の成立と狩猟採集の社会」

 2013年11月に刊行された『岩波講座 日本歴史  第1巻 原始・古代1』(岩波書店)所収の論文です(P27~62)。本論文の特徴は、地理・自然環境を重視していることです。本論文は、日本列島の考古学的時代区分ではおおむね縄文時代早期以降となる完新世以降も扱っていますが、更新世の比重の方が高くなっています。安定した気候の完新世とは異なり、更新世の気候は変動が激しく、現在とはかなり異なっていました。そのため、更新世の日本列島の地形(気温により海水面が上下するため)・植物相・動物相は、現在の日本列島のそれらとは異なっていました。この違いが、生業さらには社会構造にも大きな影響を与えていただろう、というのが本書を貫く基調となっています。

 本論文は、日本列島を北海道と本州・四国・九州と琉球諸島とに区分しています。更新世の寒冷期には、北海道はアジア大陸ともつながっており、本州・四国・九州は陸化していた瀬戸内海とともに一つの島を構成していました。本論文では、前者が古北海道半島、後者が古本州島と呼ばれています。古北海道半島と古本州島は旧石器時代を通じて別個の文化相を示しており、前者がシベリア・極東の旧石器文化と連動していたのに対して、後者は相対的に固有の文化動態を一貫して保存した、との見通しを本論文は提示しています。

 本論文は、日本列島における人類の痕跡の変遷を検証する前に、世界規模での人類の痕跡の変遷についても言及しています。ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)などの先行人類が担ったと考えられる中期旧石器時代(中部旧石器時代)の石器群から、現生人類(ホモ=サピエンス)が担い手の後期旧石器時代(上部旧石器時代)の石器群への変化が、各地で連続的であるとする考古学からの主張が次第に強くなり、21世紀には遺伝学・形質人類学の現生人類アフリカ単一起源説の断絶置換説と鋭く対立するようになった、というのが本論文の認識です。しかし、中部旧石器時代~上部旧石器時代の石器の変化が各地で連続的と言えるのか、疑問も残ります(関連記事)。

 現代的行動(現生人類型行動)を可能とした認知能力こそ、現生人類の世界制覇を可能とした最大の要因だった、といのうが本論文の認識です。しかし、現生人類型行動の現れ方(考古学的に確認できる内容)は、世界各地で少しずつ異なっている、とも本論文は指摘しています。たとえば旧石器時代の日本列島では、石器製作技術が規格化し、その革新速度も飛躍的に増大して、計画的行動も出現しました。しかしながら、現代的行動とされる装飾品や(副葬品を伴うような)墓がきわめて少ないことも、この時期の日本列島の特徴となっている、と本論文は指摘しています。その理由を本論文は、日本列島という自然環境に適応したためではないか、と推測しています。

 本論文は、中期旧石器時代以前の日本列島における人類の痕跡は確実ではなく、その担い手も現生人類かそれ以外の系統の人類なのか明らかではないとし、基本的には後期旧石器時代以降を検証の対象としています。日本列島では、遺跡の急増する4万年前以降が後期旧石器時代となりますが、北海道(古北海道半島)ではやや遅れて35000年前頃に始まります。北海道の後期旧石器時代は、前半が35000~24000年前頃、後半が24000~10000年前頃となります。本州(古本州島)の後期旧石器時代は、前半が40000~28000年前頃、後半が28000~16000年前頃となります。本論文は以上のように時代を区分しており、以下、本論文の内容についてできるだけ簡潔に、自分の関心のあることを中心に備忘録的に述べていくことにします。

 北海道最古の石器は台形様石器群で、これは日本列島全域で後期旧石器時代前半期前葉に見られます。北海道では後期旧石器時代後半に細石刃が出現します。これは北海道の寒冷化にともない、シベリアからマンモス動物群が渡来し、人類集団も移動してきた結果のようです。この時期の北海道は、細分化された石器群が存在するものの、石器に明確な地域差が見られないのが特徴で、人類が中・大型動物の狩猟に特化した広域移動戦略を共有するため、排他的な領域性が発達しなかったのではないか、と本論文は推測しています。後期旧石器時代後半期には北海道も次第に温暖化し、主要な大型動物も絶滅します。この時期、北海道では引き続き細石刃石器群が用いられているものの、それまでの特定の大型動物を対象とした広域移動の狩猟から、各種の中・小型動物を対象とした多角的な資源利用に移行していきました。

 本州の後期旧石器時代前半も台形様石器群が基調となっていましたが、狩猟対象の大小や狩猟システムの違いに応じて異なる石器を使い分けていた、と推測されています。後期旧石器時代後半になると、本州では大型動物が絶滅し、狩猟対象が中・小型動物に移行します。中・小型動物は大型動物と比較して生息範囲が縮小するので、人類の狩猟範囲や資源利用の領域も縮小していき、本州では石器群の地域的分立が顕著になり、地域差が一気に拡大しました。この地域社会の分立状態は、後期旧石器時代後半期前葉(28000~18000年前頃)には基本的に維持されましたが、後葉(18000~16000年前頃)になると一気に崩壊し、北海道の細石刃石器群とは技術的に異なる稜柱形細石刃石器群が古本州島西半部に一様に広がりました。

 この後、完新世が近づくと気候の温暖化により海面が上昇して新たな自然条件が到来し、川・海の水産資源の利用が盛んとなり、それが縄文時代の大きな特徴となっています。ただこの論文は、土器の出現を縄文時代の始まりの指標としているので、本州では16000年前頃に始まるとされる縄文時代の当初はまだ寒冷であり、土器は喧嘩類のあく抜き処理とは別の契機で出現したのではないか、と推測しています。そのこともあってか、縄文時代草創期の土器の出土数は、早期以降と比較してたいへん少なくなっています。本州の縄文時代は、草創期(16000~11500年前頃)・早期(11500~7000年前頃)・前期(7000~5500年前頃)・中期(5500~4400年前頃)・後期(4400~3200年前頃)・晩期(3200~2300年前頃)と区分されています。ただし、縄文時代の終了年代は各地で異なり、北部九州で最も早かった、とされます。縄文時代早期以降が完新世で、基本的に現在の日本列島と同じ自然環境となります。

 縄文時代になると、それまでの遊動性の高い生活から定住性の高い生活へとじょじょに変わっていきます。ただし、縄文時代の定住生活とはいっても、1年中同じ場所にいるのではなく、季節ごとに利用資源を求めて移動していたのではないか、と推測されています。現在の日本列島のような自然環境となった縄文時代早期以降は、本格的な森林性狩猟採集文化へと移行します。縄文文化の成立にさいしては、人間集団の大規模な置換を伴う移住はなかっただろう、と考えられています。北海道が縄文時代に移行するのは本州に遅れて9000年前頃です。琉球諸島では、北琉球がおおむね縄文文化圏に入るのにたいして、中琉球では九州の縄文土器と類似した土器が出現した後、独自に変容するという過程を繰り返しており、南琉球では直接的な縄文文化の影響が希薄で、南方の文化的影響が強くなっています。

 縄文時代には、アサ・ヒョウタン・豆などの植物栽培、クリの選択管理は行なわれたものの、晩期を除いて農耕(焼畑・畠作)は行なわれなかった、と指摘されています。上述したように、縄文時代には自然環境の変動にともない水産資源の利用が盛んになり、漁撈や海獣狩猟に高度に依存した社会は階層化する傾向にあることから、とくに水産資源に依存した北海道では、縄文時代の時点で社会が階層化していた可能性が指摘されています。水産資源への依存は、北海道では近世まで続いたようです。もちろん日本列島内陸部では、動物資源は基本的に陸上動物に依存していました。また、堅果類などの植物資源への依存も一定以上あったようです。全体的に縄文時代は、旧石器時代と比較して、多様な資源を利用していたようです。また、旧石器時代には乏しかった装飾品も多く見られるようになり、広範に流通していました。

 縄文時代は中期~後期の移行期に、寒冷化により大きく変わっていきます。縄文時代を前半と後半に二分する場合、この時期が画期となるようです。この移行期に、居住形態がじゅうらいの大型環状集落への集住から分散して居住する散村へと変化していきました。集落内にあった各種の儀礼施設・装置は集落外へと移動し、集団維持のための大規模祭祀センター(ストーン・木柱サークル)が出現します。縄文社会の典型とされた中心-周縁からなる可視的な空間構成の原理が解体し、現在の集落の構成形態に類似する空間構造になった、というわけです。ただ、縄文時代はあくまでも狩猟採集社会だったので、弥生時代以降とは資源利用の行動戦略が根本的に異なっていただろう、とも指摘されています。

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