『ナショナルジオグラフィック』1996年1月号「ネアンデルタール人の謎」

 古書店で見かけて安かったので、購入して読んでみました。当時、すでに現生人類(ホモ=サピエンス)の起源をめぐる議論では、アフリカ単一起源説が優勢となっていたでしょうが、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)のミトコンドリアDNAの解析結果が発表されたのは1997年ですから、まだ一般では、単一起源説と多地域進化説のどちらが優勢なのか、定まっていなかったのではないか、と思います。ただ、その頃は古人類学に関心を抱く直前だったので、当時の雰囲気について自信があるわけでもなく、その点について何か得るところがありそうだな、との期待からも読んでみました。

 この特集は、全体的に論争を前面に出したものではなく、ネアンデルタール人の特徴とその絶滅について、さまざまな研究者の見解を紹介するものとなっています。ネアンデルタール人が頑丈な体格をしていたとか、骨に傷が多く見られ危険な狩猟を行なっていたとか、傷のなかには重いものもあり治癒している事例もあるので仲間を介護していたのだろうとか、埋葬を行なっていたとか、ネアンデルタール人についての有名な特徴が解説されています。

 この特集は全体的にネアンデルタール人について好意的で、以前想定されていたような野蛮な人類ではなく、石器も高度なものだった、と指摘されています。ネアンデルタール人の言語能力がどの程度のものだったかということや、食人があったか否かということについては、研究者の見解が引用され、議論になっていることが紹介されています。ネアンデルタール人の骨に見られる傷については、何らかの埋葬儀式だった可能性も、肉や骨髄が目的の食人だった可能性も指摘されています。

 ネアンデルタール人の絶滅というか、典型的なネアンデルタール人的特徴を揃って有する人骨が化石記録から消えた理由については、アフリカ単一起源説的な見解も多地域進化説的な見解も取り上げられていました。多地域進化説的な見解では、ネアンデルタール人は絶滅したのではなく、現生人類の遺伝子が浸透し、集団の中身がゆっくりと変わっていったのだ、とされます。その根拠として、クロアチアのヴィンディヤ洞窟で発見された、典型的ネアンデルタール人よりも華奢なネアンデルタール人の骨が挙げられています。

 この特集を読むと、1995年の時点で一般層(一般向け報道機関)では、現生人類の起源に関してアフリカ単一起源説が圧倒的に有利と認識されていたわけではなかったのかな、との印象を受けました。多地域進化説的見解も、とくに否定的な文脈ではなく、それなりの分量で取り上げられています。やはり、現生人類アフリカ単一起源説が圧倒的に優勢だと一般にも認識されるようになった重要な契機は、1997年にネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析結果が発表されたことだったのではないか、と改めて思ったものです。この特集の12年9ヶ月後の『ナショナルジオグラフィック』の特集記事「ネアンデルタール人その絶滅の謎」(関連記事)と比較すると、その間にこの分野での遺伝学の研究成果が目覚ましかったことが、よく分かると思います。

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