ネアンデルタール人の絶滅要因の考古学的検証
ネアンデルタール人の絶滅要因を考古学的に検証した研究(Villa, and Roebroeks., 2014)が報道されました。この研究は、ネアンデルタール人と同時代の現生人類(ホモ=サピエンス、解剖学的現代人)とが、遺伝子型・表現型の双方で異なっていることを前提としつつ、これまでに主張されてきたおもなネアンデルタール人の絶滅要因を考古学的に検証しています。この研究は、これまでに主張されてきたネアンデルタール人の絶滅要因を以下の11仮説にまとめており、これまでの研究を概観するのに有益だと思います。
(1)現生人類が「複雑な象徴的意思伝達システム」を「じゅうぶんに」持っていたのにたいして、ネアンデルタール人はそうではありませんでした。
(2)ネアンデルタール人の技術革新能力は現生人類と比較して限定的でした。
(3)ネアンデルタール人の狩猟は現生人類よりも効率的ではありませんでした。
(4)ネアンデルタール人の武器は現生人類の投射技術も含む武器よりも劣っていました。
(5)ネアンデルタール人の食性の範囲は狭く、より多様な食性の現生人類との競争では不利でした。
(6)動物を捕えるための落し穴も含む罠を使用したのは、もっぱら現生人類でした。
(7)現生人類はネアンデルタール人よりも広大な社会的ネットワークを有していました。
(8)ネアンデルタール人の領域に入った最初の現生人類集団の規模は、ネアンデルタール人集団のそれより顕著に大きかったと推測されます。
(9)現生人類の武器の柄が、装着にさいして現代的認知能力を示唆する複雑な手順を必要とした一方で、ネアンデルタール人の武器の柄は、自然に利用できる接着剤(膠)を用いての単純な手段で装着されました。
(10)ネアンデルタール人の衰退要因として、4万年前頃の寒冷な気候が推測されます。
(11)75000年前のトバ大噴火は、ネアンデルタール人の絶滅に間接的役割を果たしました。
これらの仮説の多くに共通するのは、ネアンデルタール人が同時代の現生人類と比較して、認知能力が劣っていたことを前提としている点です。それが要因となって、さまざまな仮説で推測されているような事象が生じ、ネアンデルタール人は現生人類との競合関係において不利になったため絶滅にいたった、というわけです。ネアンデルタール人の絶滅に、具体的にどの事象がどの程度の影響を及ぼしていたのか、という点については現在でも共通認識が得られていないでしょうが、ネアンデルタール人が現生人類よりも認知能力で劣っていたことが絶滅要因だ、との見解は現代において考古学の分野でも主流になっている、と言ってもよいでしょう。
しかしこの研究は、これまでの考古学的研究の検証の結果、同時代となる中期石器時代の(現生人類の)人工物や行動と中部旧石器時代の(ネアンデルタール人の)それらとの間に決定的な違いはなく、ネアンデルタール人の絶滅に関する単一要因的説明はもはや妥当性を欠いている、と主張します。さらにこの研究は、ネアンデルタール人は同時代の現生人類よりも技術・社会行動・認知能力の点で劣っていたので絶滅した、との主流的見解を証明するには、現時点までの考古学的証拠は不充分であり、これまでの研究は、ネアンデルタール人と同時代の現生人類との間の微妙な生物学的差異を過剰に解釈してきたのではないか、と指摘します。
たとえばこの研究は、中期石器時代のアフリカ南部で発見されている、線刻オーカーなどといった象徴的思考能力を示すとされる人工物から、「充分に構文的な言語」の存在を証明できるのか、と問題提起しています。さらにこの研究は、ネアンデルタール人の作製と推定されている顔料の塗られた貝殻の装飾品がスペイン(関連記事)やイタリア(関連記事)で発見されており(イタリアの事例では、ネアンデルタール人が100km以上離れた場所からこの貝を収集してきたと推測されています)、ヨーロッパでのネアンデルタール人(もしくはその祖先か近縁集団)によるオーカーの使用例が250000±2000年前までさかのぼること(関連記事)を指摘します。
狩猟と食性に関してこの研究は、ネアンデルタール人は大型動物だけではなく兎のような小型動物も水産資源も植物資源も狩猟・採集して食べており、ネアンデルタール人の狩猟効率と食性の範囲は現生人類よりも劣るものではなかった、と指摘しています。さらにこの研究は、中期石器時代のアフリカの現生人類が開発したとされる投槍や弓矢に関しても、それが現生人類にネアンデルタール人にたいする優越性をもたらした、との確実な考古学的証拠がないことを指摘します。
空間利用の在り様も、ネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いを示している、というのが主流的見解でしょう。しかしこの研究は、ケバラ洞窟やアムッド洞窟などのレヴァントのネアンデルタール人遺跡が、機能に基づいて空間的によく区切られていることを指摘しています。この研究は武器の柄の装着についても、海洋酸素同位体ステージ7の20万年前頃に、イタリアのトスカーナ地方のカンピテロ(Campitello)遺跡にて、(おそらくは)ネアンデルタール人が樹皮から火を用いて蒸留のような複雑な手段で松脂を得ていることから、この分野に関して中期石器時代の現生人類と同程度の認知能力をネアンデルタール人が有していた、と指摘しています。
この研究は技術革新についても、ネアンデルタール人が20万年間ずっと同じ道具を作り続けたように停滞していたのにたいして、現生人類の技術革新は速かった、との主流的見解を批判しています。スティルベイやハウイソンズプールトのようなアフリカ南部の(現生人類の所産とされる)革新的なインダストリーの期間がじゅうらい想定されていたよりも長い可能性が指摘され、一方で、プロトオーリナシアンやオーリナシアンの到来前に、(ネアンデルタール人の所産とされる)ムステリアンでは技術的変化が生じた、というわけです。
社会的ネットワークについても、狭かったネアンデルタール人と広かった現生人類との対比がよく指摘されます。その根拠として、石材などの原材料の遠距離移動が挙げられこれが交易として解釈されています。しかしこの研究は、原料の遠距離移動が同一人物・集団による直接的な輸送なのか、それとも交易のような集団間の物資輸送なのか、考古学的証拠から区別するのは難しいし、原材料の移動距離に関して、中期石器時代のアフリカと中部旧石器時代の西ユーラシアとでは考古学的証拠では明らかな違いは見られない、と指摘しています。
こうして、中期石器時代の現生人類と中部旧石器時代のネアンデルタール人との間の技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、と主張するこの研究は、(現代非アフリカ人の主要な遺伝子源になった)現生人類の出アフリカを説明できるかもしれない見解として、現生人類の神経系に変化が生じて象徴的思考・革新的行動が可能になった、とする神経学仮説(大躍進説、創造の爆発説)を挙げています。またこの研究は、ネアンデルタール人と現生人類のゲノム解読・比較のさらなる進展により、神経学仮説の証拠が得られる可能性も指摘しています。
このようにネアンデルタール人と現生人類との技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、と主張するこの研究がネアンデルタール人の絶滅要因として代わりに主張するのは、近年の遺伝学的研究に基づいた、ネアンデルタール人と現生人類との交雑・融合です。この研究では、ネアンデルタール人の遺伝的多様性の低さと、それと比較しての更新世後期~完新世前期の現生人類の遺伝的多様性の高さから、じゅうらいでも推測されてきた、ネアンデルタール人と現生人類との遭遇時には現生人類の人口の方が多かったのではないか、との見解が改めて支持されています。そのため、両者の交雑・融合の複雑な過程が、化石記録からのネアンデルタール人特有の形態特徴の消滅の要因だったかもしれない、とこの研究では指摘されています。ネアンデルタール人は現生人類に同化吸収されてしてしまった、というわけです。
ネアンデルタール人の絶滅年代については、近年のヨーロッパにおける中部旧石器時代末期~上部旧石器時代の年代を見直した諸研究が紹介されています。ネアンデルタール人の終焉地の有力な候補であるイベリア半島では暦年代で37400年前頃のムステリアン(通説ではヨーロッパのムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみとされています)が確認されており、ベルギーで発見されたネアンデルタール人の子供は暦年代で40490~37297年前になりそうです。現時点で信頼できるものとしては、これらが西ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の下限年代になりそうです。一方、イタリアのプロトオーリナシアンの年代がアルゴン-アルゴン法で39280±110年前、いくつかのプロトオーリナシアン遺跡が暦年代で41500~39900年万年前頃であることから、西ヨーロッパにおいてもネアンデルタール人と現生人類は一時共存していたようです。ただ、その共存期間は以前想定されていたよりも短くなりそうです。
以上、この研究についてざっと見てきました。この研究で提示された見解は、10年ほど前からの私の見解と近く、神経学仮説にやや好意的なように思えたこと以外は、心情的にはひじょうに強く支持したいところです。ただ、ネアンデルタール人と現生人類との間にも技術・社会行動・認知能力の点で何らかの潜在的(遺伝的)違いがあった可能性は高いでしょう。(完新世以降と比較して)人口が少なく、厳しい環境下において両者が競合関係にあった場合、その微妙な違いがネアンデルタール人特有の形態特徴を化石記録から消滅させたという可能性も、現時点では充分想定できるように思います。
また、ネアンデルタール人の食性の範囲が現生人類と比較して小さかったわけではない、とするこの研究の指摘にしても、広範な時代・地域のネアンデルタール人を対象とするとそう言えるにしても、特定の時代の個々のネアンデルタール人集団に広く当てはまるのかというと、疑問の残るところです。投槍や弓矢の利点にしても、それを考古学的に証明することは難しいにしても、説得力の高い推測であることは否定できないように思います。技術革新の速度も、スティルベイやハウイソンズプールトの存続期間がじゅうらいの想定より長くなるとしても、技術革新はネアンデルタール人よりも現生人類の方が速い、との見解を根本的に覆すとは思えません。中期石器時代の現生人類による長距離交易にしても、考古学的には確定していないと指摘しているだけであり、その可能性が高いことを否定できていないように思います。
全体的にこの研究は、ネアンデルタール人と現生人類との潜在的(遺伝的)違いを過小評価している危険性があるように思います。もちろん、この研究で提示された見解が妥当である可能性も一定以上あり、上述したように、私としては心情的にはこの研究の見解をひじょうに強く支持したいところです。ネアンデルタール人の絶滅要因については、現在よりもずっと増えるだろうとはいえ、将来も証拠が限定されたままでしょうから、議論はずっと続くでしょう。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅要因は複合的なものであり、各要因がどれだけの比重なのかということも、各地域のネアンデルタール人集団により異なっていた可能性が高いだろう、と現時点では考えています。
参考文献:
Villa P, Roebroeks W (2014) Neandertal Demise: An Archaeological Analysis of the Modern Human Superiority Complex. PLoS ONE 9(4): e96424.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0096424
(1)現生人類が「複雑な象徴的意思伝達システム」を「じゅうぶんに」持っていたのにたいして、ネアンデルタール人はそうではありませんでした。
(2)ネアンデルタール人の技術革新能力は現生人類と比較して限定的でした。
(3)ネアンデルタール人の狩猟は現生人類よりも効率的ではありませんでした。
(4)ネアンデルタール人の武器は現生人類の投射技術も含む武器よりも劣っていました。
(5)ネアンデルタール人の食性の範囲は狭く、より多様な食性の現生人類との競争では不利でした。
(6)動物を捕えるための落し穴も含む罠を使用したのは、もっぱら現生人類でした。
(7)現生人類はネアンデルタール人よりも広大な社会的ネットワークを有していました。
(8)ネアンデルタール人の領域に入った最初の現生人類集団の規模は、ネアンデルタール人集団のそれより顕著に大きかったと推測されます。
(9)現生人類の武器の柄が、装着にさいして現代的認知能力を示唆する複雑な手順を必要とした一方で、ネアンデルタール人の武器の柄は、自然に利用できる接着剤(膠)を用いての単純な手段で装着されました。
(10)ネアンデルタール人の衰退要因として、4万年前頃の寒冷な気候が推測されます。
(11)75000年前のトバ大噴火は、ネアンデルタール人の絶滅に間接的役割を果たしました。
これらの仮説の多くに共通するのは、ネアンデルタール人が同時代の現生人類と比較して、認知能力が劣っていたことを前提としている点です。それが要因となって、さまざまな仮説で推測されているような事象が生じ、ネアンデルタール人は現生人類との競合関係において不利になったため絶滅にいたった、というわけです。ネアンデルタール人の絶滅に、具体的にどの事象がどの程度の影響を及ぼしていたのか、という点については現在でも共通認識が得られていないでしょうが、ネアンデルタール人が現生人類よりも認知能力で劣っていたことが絶滅要因だ、との見解は現代において考古学の分野でも主流になっている、と言ってもよいでしょう。
しかしこの研究は、これまでの考古学的研究の検証の結果、同時代となる中期石器時代の(現生人類の)人工物や行動と中部旧石器時代の(ネアンデルタール人の)それらとの間に決定的な違いはなく、ネアンデルタール人の絶滅に関する単一要因的説明はもはや妥当性を欠いている、と主張します。さらにこの研究は、ネアンデルタール人は同時代の現生人類よりも技術・社会行動・認知能力の点で劣っていたので絶滅した、との主流的見解を証明するには、現時点までの考古学的証拠は不充分であり、これまでの研究は、ネアンデルタール人と同時代の現生人類との間の微妙な生物学的差異を過剰に解釈してきたのではないか、と指摘します。
たとえばこの研究は、中期石器時代のアフリカ南部で発見されている、線刻オーカーなどといった象徴的思考能力を示すとされる人工物から、「充分に構文的な言語」の存在を証明できるのか、と問題提起しています。さらにこの研究は、ネアンデルタール人の作製と推定されている顔料の塗られた貝殻の装飾品がスペイン(関連記事)やイタリア(関連記事)で発見されており(イタリアの事例では、ネアンデルタール人が100km以上離れた場所からこの貝を収集してきたと推測されています)、ヨーロッパでのネアンデルタール人(もしくはその祖先か近縁集団)によるオーカーの使用例が250000±2000年前までさかのぼること(関連記事)を指摘します。
狩猟と食性に関してこの研究は、ネアンデルタール人は大型動物だけではなく兎のような小型動物も水産資源も植物資源も狩猟・採集して食べており、ネアンデルタール人の狩猟効率と食性の範囲は現生人類よりも劣るものではなかった、と指摘しています。さらにこの研究は、中期石器時代のアフリカの現生人類が開発したとされる投槍や弓矢に関しても、それが現生人類にネアンデルタール人にたいする優越性をもたらした、との確実な考古学的証拠がないことを指摘します。
空間利用の在り様も、ネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いを示している、というのが主流的見解でしょう。しかしこの研究は、ケバラ洞窟やアムッド洞窟などのレヴァントのネアンデルタール人遺跡が、機能に基づいて空間的によく区切られていることを指摘しています。この研究は武器の柄の装着についても、海洋酸素同位体ステージ7の20万年前頃に、イタリアのトスカーナ地方のカンピテロ(Campitello)遺跡にて、(おそらくは)ネアンデルタール人が樹皮から火を用いて蒸留のような複雑な手段で松脂を得ていることから、この分野に関して中期石器時代の現生人類と同程度の認知能力をネアンデルタール人が有していた、と指摘しています。
この研究は技術革新についても、ネアンデルタール人が20万年間ずっと同じ道具を作り続けたように停滞していたのにたいして、現生人類の技術革新は速かった、との主流的見解を批判しています。スティルベイやハウイソンズプールトのようなアフリカ南部の(現生人類の所産とされる)革新的なインダストリーの期間がじゅうらい想定されていたよりも長い可能性が指摘され、一方で、プロトオーリナシアンやオーリナシアンの到来前に、(ネアンデルタール人の所産とされる)ムステリアンでは技術的変化が生じた、というわけです。
社会的ネットワークについても、狭かったネアンデルタール人と広かった現生人類との対比がよく指摘されます。その根拠として、石材などの原材料の遠距離移動が挙げられこれが交易として解釈されています。しかしこの研究は、原料の遠距離移動が同一人物・集団による直接的な輸送なのか、それとも交易のような集団間の物資輸送なのか、考古学的証拠から区別するのは難しいし、原材料の移動距離に関して、中期石器時代のアフリカと中部旧石器時代の西ユーラシアとでは考古学的証拠では明らかな違いは見られない、と指摘しています。
こうして、中期石器時代の現生人類と中部旧石器時代のネアンデルタール人との間の技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、と主張するこの研究は、(現代非アフリカ人の主要な遺伝子源になった)現生人類の出アフリカを説明できるかもしれない見解として、現生人類の神経系に変化が生じて象徴的思考・革新的行動が可能になった、とする神経学仮説(大躍進説、創造の爆発説)を挙げています。またこの研究は、ネアンデルタール人と現生人類のゲノム解読・比較のさらなる進展により、神経学仮説の証拠が得られる可能性も指摘しています。
このようにネアンデルタール人と現生人類との技術・社会行動・認知能力の違いは考古学的には確証できない、と主張するこの研究がネアンデルタール人の絶滅要因として代わりに主張するのは、近年の遺伝学的研究に基づいた、ネアンデルタール人と現生人類との交雑・融合です。この研究では、ネアンデルタール人の遺伝的多様性の低さと、それと比較しての更新世後期~完新世前期の現生人類の遺伝的多様性の高さから、じゅうらいでも推測されてきた、ネアンデルタール人と現生人類との遭遇時には現生人類の人口の方が多かったのではないか、との見解が改めて支持されています。そのため、両者の交雑・融合の複雑な過程が、化石記録からのネアンデルタール人特有の形態特徴の消滅の要因だったかもしれない、とこの研究では指摘されています。ネアンデルタール人は現生人類に同化吸収されてしてしまった、というわけです。
ネアンデルタール人の絶滅年代については、近年のヨーロッパにおける中部旧石器時代末期~上部旧石器時代の年代を見直した諸研究が紹介されています。ネアンデルタール人の終焉地の有力な候補であるイベリア半島では暦年代で37400年前頃のムステリアン(通説ではヨーロッパのムステリアンの担い手はネアンデルタール人のみとされています)が確認されており、ベルギーで発見されたネアンデルタール人の子供は暦年代で40490~37297年前になりそうです。現時点で信頼できるものとしては、これらが西ヨーロッパにおけるネアンデルタール人の下限年代になりそうです。一方、イタリアのプロトオーリナシアンの年代がアルゴン-アルゴン法で39280±110年前、いくつかのプロトオーリナシアン遺跡が暦年代で41500~39900年万年前頃であることから、西ヨーロッパにおいてもネアンデルタール人と現生人類は一時共存していたようです。ただ、その共存期間は以前想定されていたよりも短くなりそうです。
以上、この研究についてざっと見てきました。この研究で提示された見解は、10年ほど前からの私の見解と近く、神経学仮説にやや好意的なように思えたこと以外は、心情的にはひじょうに強く支持したいところです。ただ、ネアンデルタール人と現生人類との間にも技術・社会行動・認知能力の点で何らかの潜在的(遺伝的)違いがあった可能性は高いでしょう。(完新世以降と比較して)人口が少なく、厳しい環境下において両者が競合関係にあった場合、その微妙な違いがネアンデルタール人特有の形態特徴を化石記録から消滅させたという可能性も、現時点では充分想定できるように思います。
また、ネアンデルタール人の食性の範囲が現生人類と比較して小さかったわけではない、とするこの研究の指摘にしても、広範な時代・地域のネアンデルタール人を対象とするとそう言えるにしても、特定の時代の個々のネアンデルタール人集団に広く当てはまるのかというと、疑問の残るところです。投槍や弓矢の利点にしても、それを考古学的に証明することは難しいにしても、説得力の高い推測であることは否定できないように思います。技術革新の速度も、スティルベイやハウイソンズプールトの存続期間がじゅうらいの想定より長くなるとしても、技術革新はネアンデルタール人よりも現生人類の方が速い、との見解を根本的に覆すとは思えません。中期石器時代の現生人類による長距離交易にしても、考古学的には確定していないと指摘しているだけであり、その可能性が高いことを否定できていないように思います。
全体的にこの研究は、ネアンデルタール人と現生人類との潜在的(遺伝的)違いを過小評価している危険性があるように思います。もちろん、この研究で提示された見解が妥当である可能性も一定以上あり、上述したように、私としては心情的にはこの研究の見解をひじょうに強く支持したいところです。ネアンデルタール人の絶滅要因については、現在よりもずっと増えるだろうとはいえ、将来も証拠が限定されたままでしょうから、議論はずっと続くでしょう。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅要因は複合的なものであり、各要因がどれだけの比重なのかということも、各地域のネアンデルタール人集団により異なっていた可能性が高いだろう、と現時点では考えています。
参考文献:
Villa P, Roebroeks W (2014) Neandertal Demise: An Archaeological Analysis of the Modern Human Superiority Complex. PLoS ONE 9(4): e96424.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0096424
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