ゲノム・頭蓋データの検証による現生人類の複数回出アフリカ説
ゲノム・頭蓋データの検証により、現生人類(ホモ=サピエンス)の出アフリカに関する有力説を見直した研究(Reyes-Centeno et al., 2014)が報道されました。現生人類の起源に関して現在では、20万~10万年前頃のサハラ砂漠以南のアフリカにある、というのがおおむね共通認識になっています(現生人類アフリカ単一起源説)。
現生人類の出アフリカについては、回数(単一の出来事だったのか、それとも複数回あったのか)・時期(早ければ10万年以上前、遅ければ5万年前頃までに)・経路(ナイル川沿いに北上してアラビア半島北端を横断してユーラシアへと進出したのか、それともアラビア半島南岸沿いにユーラシアへと拡散したのか)をめぐって議論が続いています。
現在の有力説は、現生人類の出アフリカはアラビア半島南岸沿いの1回のみだった、というものだと言ってよいでしょう。その根拠は、現代人集団においては、サハラ砂漠以南のアフリカからの距離に応じて、遺伝的・表現型的多様性が減少することです(連続する創始者効果)。ただ、アラビア半島で現生人類との関連が想定される10万年前頃までにさかのぼりそうな石器が発見されていることなどから(関連記事)、異論も提示されています。
この研究は、現生人類の出アフリカに関して4モデルを構築し(1回説ではナイル川沿いに北上しアラビア半島北端を横切るという北上説とアラビア半島南岸沿いの南岸説、複数回説では、両方の経路を想定するものの、それぞれの集団間に交流・遺伝子流動があったか否かで区別しています)、現代人集団のゲノムおよび頭蓋計測データを用いて、それら4モデルを検証しています。その結果、ゲノムおよび頭蓋計測の検証のどちらでも、現生人類の出アフリカは複数回あり、出アフリカを果たした各現生人類集団間は、相互に交流があまりなかったのではないか、との結論が得られました。現生人類の出アフリカに関するじゅうらいの有力説は単純化されているのではないか、と指摘されています。
この研究で想定される現生人類の出アフリカは、13万年前頃に始まるアラビア半島南岸沿いのユーラシアへの拡散と、5万年前頃までに起きたナイル川沿いに北上してアラビア半島北端を横断してのユーラシア北部への拡散です。現在のオーストラリア人およびメラネシア人は前者の集団の子孫であり、両者の遺伝的・表現型的パターンの類似を説明できるのではないか、と主張されています。一方、他のアジア人集団は、現在のオーストラリア人およびメラネシア人の祖先集団から遅れて5万年前頃までに出アフリカを果たした現生人類集団の子孫か、あるいはその集団と高頻度で交雑した結果生じた集団の子孫ではないか、と主張されています。
この論文の著者の一人であるカテリーナ=ハーヴァティ(Katerina Harvati)博士は、135000~75000年前のアフリカ東部における深刻な旱魃が、現生人類の出アフリカ(およびアフリカ南部などアフリカの他地域への進出)を促した可能性を想定しています。またハーヴァティ博士は、アフリカの環境が改善された75000~50000年前頃に、現生人類がアフリカ内に留まった可能性を指摘しています。環境条件も現生人類の出アフリカの一要因だったのではないか、というわけです。
ただ、この研究に参加した研究者たちは、現生人類と他系統の人類との交雑の影響にも注意を喚起しています。たとえば、デニソワ人(種区分未定)と現生人類との交雑が想定されており、それは現代(先住民系)オーストラリア人とニューギニア人でとくに高頻度とされています(関連記事)。その結果、特定の現代人集団に古代人の遺伝子がもたらされ、じっさいよりも早期に出アフリカを果たしたように見えるのかもしれない、というわけです。
ただ、ハーヴァティ博士は、現生人類と他系統の人類との交雑の影響を具体的には検証しなかったものの、これまでの研究では交雑の頻度は低かったと推定されているので、この研究の結論には大きく影響しないと感じている、と述べています。またハーヴァティ博士は、考古学的調査の範囲拡大などによるデータの蓄積と新たな方法の開発により、この研究で提示した仮説が強化されるだろう、との見通しを提示しており、かなり自信があるようです。この研究の仮説が現生人類の出アフリカに関する議論ですぐに有力説になるわけではないでしょうが、注目すべき研究だと思います。
参考文献:
Reyes-Centeno H. et al.(2014): Genomic and cranial phenotype data support multiple modern human dispersals from Africa and a southern route into Asia. PNAS, 111, 20, 7248–7253.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1323666111
現生人類の出アフリカについては、回数(単一の出来事だったのか、それとも複数回あったのか)・時期(早ければ10万年以上前、遅ければ5万年前頃までに)・経路(ナイル川沿いに北上してアラビア半島北端を横断してユーラシアへと進出したのか、それともアラビア半島南岸沿いにユーラシアへと拡散したのか)をめぐって議論が続いています。
現在の有力説は、現生人類の出アフリカはアラビア半島南岸沿いの1回のみだった、というものだと言ってよいでしょう。その根拠は、現代人集団においては、サハラ砂漠以南のアフリカからの距離に応じて、遺伝的・表現型的多様性が減少することです(連続する創始者効果)。ただ、アラビア半島で現生人類との関連が想定される10万年前頃までにさかのぼりそうな石器が発見されていることなどから(関連記事)、異論も提示されています。
この研究は、現生人類の出アフリカに関して4モデルを構築し(1回説ではナイル川沿いに北上しアラビア半島北端を横切るという北上説とアラビア半島南岸沿いの南岸説、複数回説では、両方の経路を想定するものの、それぞれの集団間に交流・遺伝子流動があったか否かで区別しています)、現代人集団のゲノムおよび頭蓋計測データを用いて、それら4モデルを検証しています。その結果、ゲノムおよび頭蓋計測の検証のどちらでも、現生人類の出アフリカは複数回あり、出アフリカを果たした各現生人類集団間は、相互に交流があまりなかったのではないか、との結論が得られました。現生人類の出アフリカに関するじゅうらいの有力説は単純化されているのではないか、と指摘されています。
この研究で想定される現生人類の出アフリカは、13万年前頃に始まるアラビア半島南岸沿いのユーラシアへの拡散と、5万年前頃までに起きたナイル川沿いに北上してアラビア半島北端を横断してのユーラシア北部への拡散です。現在のオーストラリア人およびメラネシア人は前者の集団の子孫であり、両者の遺伝的・表現型的パターンの類似を説明できるのではないか、と主張されています。一方、他のアジア人集団は、現在のオーストラリア人およびメラネシア人の祖先集団から遅れて5万年前頃までに出アフリカを果たした現生人類集団の子孫か、あるいはその集団と高頻度で交雑した結果生じた集団の子孫ではないか、と主張されています。
この論文の著者の一人であるカテリーナ=ハーヴァティ(Katerina Harvati)博士は、135000~75000年前のアフリカ東部における深刻な旱魃が、現生人類の出アフリカ(およびアフリカ南部などアフリカの他地域への進出)を促した可能性を想定しています。またハーヴァティ博士は、アフリカの環境が改善された75000~50000年前頃に、現生人類がアフリカ内に留まった可能性を指摘しています。環境条件も現生人類の出アフリカの一要因だったのではないか、というわけです。
ただ、この研究に参加した研究者たちは、現生人類と他系統の人類との交雑の影響にも注意を喚起しています。たとえば、デニソワ人(種区分未定)と現生人類との交雑が想定されており、それは現代(先住民系)オーストラリア人とニューギニア人でとくに高頻度とされています(関連記事)。その結果、特定の現代人集団に古代人の遺伝子がもたらされ、じっさいよりも早期に出アフリカを果たしたように見えるのかもしれない、というわけです。
ただ、ハーヴァティ博士は、現生人類と他系統の人類との交雑の影響を具体的には検証しなかったものの、これまでの研究では交雑の頻度は低かったと推定されているので、この研究の結論には大きく影響しないと感じている、と述べています。またハーヴァティ博士は、考古学的調査の範囲拡大などによるデータの蓄積と新たな方法の開発により、この研究で提示した仮説が強化されるだろう、との見通しを提示しており、かなり自信があるようです。この研究の仮説が現生人類の出アフリカに関する議論ですぐに有力説になるわけではないでしょうが、注目すべき研究だと思います。
参考文献:
Reyes-Centeno H. et al.(2014): Genomic and cranial phenotype data support multiple modern human dispersals from Africa and a southern route into Asia. PNAS, 111, 20, 7248–7253.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1323666111
この記事へのコメント
Human cranial diversity and evidence for an ancient lineage of modern humans.
Schillaci MA. J Hum Evol. 2008 Jun;54(6):814-26
日本では、形態学的に出てきた南方由来説が、初期の遺伝子解析ではあまり支持されず、最近ふたたび支持されつつある、という流れがあるように感じます。それを考えると、形態学的に出てきたデータは重視すべきであり、そのデータがだいたいMIS5の複数回の出アフリカを支持していることはとても面白いと思います。
http://sicambre.at.webry.info/200803/article_61.html
レヴァントを除くとしても、現生人類の複数回出アフリカの可能性は高いと思います。
ただ、現代の各地域集団とのつながり・影響となると、もっと早期現生人類の人骨を発見して分析・比較する必要があるだろうな、とは思います。