『週刊新発見!日本の歴史』第45号「現代5 戦後政治のダイナミズム」
この第45号は、朝鮮戦争の勃発から新安保条約・日米地位協定調印までと、おおむね1950年代を対象としています。この第45号の特徴は、1950年代は戦後史の岐路であり、前後の時代と異なる固有の特徴のあった時代と把握していることです。1950年代の把握として、工業化の成熟に伴う基調としての国民化とともに、体制に抵抗的な人民化と、均一化・均質化を促進する大衆化の二重構造という視点が指摘されています。どの視点を重視するかにより、1950年代の時代像が異なって見えてくる、というわけです。
さらに、第三の視点として、地域・年齢・職能などにより結びついた、国家や資本から自立した多様なコミュニティが存在したことが指摘されています。これは前後の時代の日本社会には存在しなかった、1950年代固有の特徴と把握されています。こうした「固有な社会」は、企業・保守党と総評・社会党主流派によって構成される55年体制により崩壊させられていき、その解体のうえに高度経済成長がもたらされた、との見通しが提示されています。1950年代の日本社会・政治構造が冷戦という枠組みに規定されていたことを強調するのもこの第45号の特徴となっていますが、これはもうすでに一般にも広く浸透した見解と言えるでしょう。
「新発見」的見解としては、(旧)日米安全保障条約締結における吉田茂首相の評価の見直しが挙げられます。再軍備問題を最重要視するアメリカ合衆国の圧力に抵抗した吉田首相の「外交力」を高く評価するのが、じゅうらいの通説でした。これにたいしてこの第45号では、アメリカの最大目標は日本における「基地の自由使用権」であり、日本側はアメリカとの交渉において基地提供カードを使わず、日米交渉は完全にアメリカ側の主導権で進められた、と評価されています。また、サンフランシスコ講和会議に全権代表として赴くことを執拗に固辞し続けた吉田首相を説得したのは昭和天皇であり、日本国憲法下においても昭和天皇の「政治行為」があったことも指摘されています。
さらに、第三の視点として、地域・年齢・職能などにより結びついた、国家や資本から自立した多様なコミュニティが存在したことが指摘されています。これは前後の時代の日本社会には存在しなかった、1950年代固有の特徴と把握されています。こうした「固有な社会」は、企業・保守党と総評・社会党主流派によって構成される55年体制により崩壊させられていき、その解体のうえに高度経済成長がもたらされた、との見通しが提示されています。1950年代の日本社会・政治構造が冷戦という枠組みに規定されていたことを強調するのもこの第45号の特徴となっていますが、これはもうすでに一般にも広く浸透した見解と言えるでしょう。
「新発見」的見解としては、(旧)日米安全保障条約締結における吉田茂首相の評価の見直しが挙げられます。再軍備問題を最重要視するアメリカ合衆国の圧力に抵抗した吉田首相の「外交力」を高く評価するのが、じゅうらいの通説でした。これにたいしてこの第45号では、アメリカの最大目標は日本における「基地の自由使用権」であり、日本側はアメリカとの交渉において基地提供カードを使わず、日米交渉は完全にアメリカ側の主導権で進められた、と評価されています。また、サンフランシスコ講和会議に全権代表として赴くことを執拗に固辞し続けた吉田首相を説得したのは昭和天皇であり、日本国憲法下においても昭和天皇の「政治行為」があったことも指摘されています。
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