『天智と天武~新説・日本書紀~』第40話「油断」
『ビッグコミック』2014年4月25日号掲載分の感想です。次号予告に『天智と天武~新説・日本書紀~』が掲載されていなかったので心配だったのですが、読み進めると、次号は取材のために休載とありました。白村江の戦いを本格的に描くための現地取材なのでしょうか。たいへん残念ですが、次々号を楽しみに待っています。前回は、鬼室福信が豊璋に、道琛と同じ運命をたどらないように、と脅迫めいた警告をしたところで終了しました。今回は百済復興軍の作戦会議の場面から始まります。
鬼室福信は唐の兵2万弱の立て籠もる熊津城を攻めよう、と提案します。熊津城は百済の遊撃隊により食料補給を断たれているためかなり衰弱しているはずで、籠城を続けられるのも時間の問題だろうから、今度こそ総攻撃をかけて城を奪還する、というわけです。阿曇比邏夫(安曇比羅夫)が倭軍5000の兵も同行する、と申し出ますが、鬼室福信は断ります。今回は百済遺民軍だけで足りており、倭軍にはこの後訪れるだろういざという時のために力を温存しておいていただきたい、と鬼室福信は自信に満ちた表情で言います。
小手調べとしてよい実戦経験になると思うが、と阿曇比邏夫が言うと、自分もそう思う、と復興百済の王となった豊璋が言います。しかし鬼室福信は、恫喝するような表情で、現場をもっとも知り尽くしているのは自分だ、と豊璋に言います。あと一歩のところで新羅軍の救援があったため、泗沘城を奪い損ねた、倭軍には泗沘城の轍を踏まないよう、奪還した後の城の守備を固めてもらいたい、何より、慣れない土地での戦なので、まずは我々の戦いを見てからでも遅くはない、と鬼室福信は説明します。
阿曇比邏夫は、ではお手並み拝見といきましょう、と答えます。鬼室福信は恫喝するように豊璋に賛同を求めますが、豊璋は反対します。後の心配などしている余裕があるのか、今勝てるよう全力で戦うべきだ、というわけです。すると鬼室福信は激昂し、熊津城に籠る唐軍は冬の間大雪に閉ざされ、食料を運び入れようとした新羅軍も次々と凍え死んでいったのだから、餓えで満足に戦えないのは火を見るより明らかだ、と鬼室福信は反論します。
それでも豊璋が納得しないので、鬼室福信は恫喝するような表情で豊璋に、自分にはここまで闘ってきた自負があり、勝算もある、この戦に負けたら王である豊璋の言葉を聞き入れるが、その代わりに勝った暁には、軍の一切を自分に任せていただきたい、と言います。百済の重臣団が心配そうに成行きを見守るなか、豊璋は鬼室福信の提案を認めます。鬼室福信は、その言葉お忘れなきように、と恫喝するように豊璋に言い、出陣します。鬼室福信の率いる軍勢が出陣するのを眺めている豊璋に、あのような約束をしてよいのか、と阿曇比邏夫が問いかけます。鬼室福信は約束なしで他人の言うことを聞くような男ではない、勝てば構わない、一任できる度量も負うには必要だ、と豊璋は答えます。
熊津城を包囲する百済軍に近づいた鬼室福信は、日も暮れてきたのでこのあたりで休息をとろう、という部下の進言を受け入れますが、敵に気づかれないよう篝火は燃やさず、見張りも怠るな、と命じます。柵を作らせます、と言う部下にたいして、そんなことはしなくてよい、と鬼室福信は言い渡します。鬼室福信は軍議にて、暗いうちに出発して味方と合流する、餓えた敵は今日明日にも城から打って出るに違いないからそこを叩けばひとたまりもないだろう、戦に備えて睡眠を充分とっておけ、と命じます。
しかしその夜、唐軍が夜襲をかけ、自軍の動きが読まれていたことを察知した鬼室福信は、混乱の中で退却を命じます。百済復興軍の拠点である周留城に帰還して敗北の報告をする鬼室福信を、豊璋は冷ややかに眺めます。鬼室福信は、熊津城を見張っていた友軍が唐の劉仁軌の奇襲にあい、捕縛された将兵により敵に計画を知られてしまった、と敗因を説明します。それでも鬼室福信は意気軒昂で、今回の失態を踏まえて次こそ熊津城奪還に邁進すると言い、倭に新たな兵力増強の援助要請をするよう、豊璋に進言します。
しかし豊璋は冷ややかで、敗因はそれだけか、と鬼室福信に問い質します。阿曇比邏夫も、奇襲を受けたというが、野営地に柵を作ったのか、と鬼室福信に問います。鬼室福信は一瞬返答に詰まり、柵は創らなかったが、十歩ごとに歩哨を立てていた、今回は敵の情報収集能力も我々より上回っていたのだろう、と弁明します。しかし豊璋は鬼室福信の弁明を一蹴し、油断の一言に尽きる、と厳しく言い渡します。戦に負けたら王である豊璋の言葉を聞き入れるという約束を守ってもらうぞ、と豊璋は鬼室福信に冷ややかに言い、鬼室福信は怒りの表情を浮かべます。
敗戦により和平の道も断たれた、新羅に講和を持ちかけたところで、一笑に付されるだろう、せめて大海人皇子がここにいて仲介してくれるならまだしも、と豊璋は思案します。そこへ阿曇比邏夫が現れ、杞憂が現実になりましたな、と豊璋に話しかけます。しかし阿曇比邏夫は意気消沈しておらず、これからだ、目が覚めてかえってよかった、と言います。豊璋は阿曇比邏夫に、新羅との和平を提案します。このまま無謀な戦に臨んで美しいこの地や民を永久に失うより、このあたりで手を打ち、わずかに残された国土に希望を託す、というわけです。
しかし、返答がなかったので、豊璋は阿曇比邏夫に返答を促します。阿曇比邏夫は、和平はもはや手遅れだ、と言います。ここで停戦を申し入れても、わずかな国土すら戻らないだろう、というわけです。唐は新羅に、百済人を老少問わず全て殺せば、その後に百済の土地を分け与えると約束しているので、百済遺民は皆、坐して死を待つより戦うのだ、という兵士たちの噂話を豊璋に伝えた阿曇比邏夫は、和平の話は聞かなかったことにする、倭に援軍の要請をしてその到着を待つのだ、戦うしか道はない、と豊璋に言います。豊璋は阿曇比邏夫の見解を聞き、もはや和平の道は閉ざされたと改めて思ったのか、涙を浮かべます。
この兵士たちの噂話は、『新唐書』「東夷伝」百済条に、鬼室福信の劉仁軌にたいする発言として見えます。この後、鬼室福信が道琛を殺した、と『新唐書』「東夷伝」百済条に見えます。作中では、660年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に殺害されたことになっている道琛ですが、じっさいにはその後まで生きていたわけです。このような噂がじっさいにあったのか、定かではありませんが、当時は道琛の築いた砦を唐・新羅連合軍が攻めて大敗するなど、百済に有利な情勢だったので、鬼室福信も道琛も唐・新羅にたいして強気になっており、和平や降伏はあり得ない、と伝えるために、鬼室福信は劉仁軌にそのように伝えたのでしょう。じっさいに、唐が新羅にそのような約束をしたという証拠はないと思います。
その頃、飛鳥の後岡本宮では、中大兄皇子が弓の稽古をしており、その側には大友皇子が控えていました。今回は年代が明らかになっていないのですが、唐軍が熊津で百済軍を破ったので、662年7月のことだと思います。中大兄皇子は、やっと喪が明けたと言って高笑いし、朝鮮半島でひと暴れできる、と言っています。大海人皇子の発言から、作中では斉明帝の喪は1年間とされていますので、このことからも、今回は662年7月の時点が描かれている、と判断してよさそうです。上機嫌な中大兄皇子に、百済復興軍が大敗したとの報告が届き、中大兄皇子が激昂し、その様子を大友皇子が冷静に観察している、というところで今回は終了です。大友皇子はかなり冷静な人物のようで、壬申の乱での敗北がどのように描かれるのか、注目しています。
今回も豊璋が実質的には主役で、大海人皇子は言及こそされたものの回想でも登場せず、これは初めてのこととなります。白村江の戦いは山場となりそうなので、丁寧に描かれそうだな、と予想していたのですが、豊璋と鬼室福信の対立を中心に、予想以上に丁寧に描かれているな、と思います。その分展開が遅くなっていますが、面白い話になっているので、とくに不満はありません。豊璋は和平を断念したようなので、この後は史実通りに白村江の戦いで百済・倭連合軍が唐・新羅連合軍に大敗するのでしょうが、その前に豊璋が鬼室福信を殺害するのでしょう。今回の百済重臣団の反応を見ていると、百済の重臣のなかにも、鬼室福信の強気を危ぶむ者がいるようですし、今回の敗戦で鬼室福信の威信は低下したでしょうから、豊璋はそうした重臣を説得して鬼室福信を殺すことになるのでしょうか。
斉明帝の喪が明けたため、中大兄皇子が即位するのに支障はないはずなのですが、史実では中大兄皇子の即位はこの6年後(もしくは5年後)となります。おそらく一部の基本設定以外は、大枠では史実通り話が進むでしょうから、作中でも中大兄皇子の即位はまだ先のことになるのでしょう。中大兄皇子が即位しない理由が作中ではどう説明されるのか、気になるところです。白村江の戦いまでは百済復興軍の救援に忙しく、その後は、国内の防御施設と体制の整備に多忙だったので、都を近江に移して情勢が安定するまで即位は先延ばしにされた、と説明されるのでしょうか。
『天上の虹』では、斉明帝の崩御後、中大兄皇子の同父同母妹の間人皇女が即位したという設定になっていました。中皇命とは女帝であり、間人皇女だったのだ、という説が採用されたわけです。この作品ではこれまで、間人皇女が未登場どころか言及さえされていないので、これから間人皇女が登場して即位するという話にはならないでしょう。間人皇女は中大兄皇子の同父同母妹というだけではなく、孝徳帝の皇后でもあったので、登場させてもよかったのではないか、と思います。この作品に間人皇女が登場しないのは、物語を分かりやすくするために人物を省略し、中大兄皇子の「禁断の関係」を入鹿に絞るためなのでしょうか。もっとも、中大兄皇子と間人皇女との「禁断の関係」も事実なのか、確証はありませんが。
鬼室福信は唐の兵2万弱の立て籠もる熊津城を攻めよう、と提案します。熊津城は百済の遊撃隊により食料補給を断たれているためかなり衰弱しているはずで、籠城を続けられるのも時間の問題だろうから、今度こそ総攻撃をかけて城を奪還する、というわけです。阿曇比邏夫(安曇比羅夫)が倭軍5000の兵も同行する、と申し出ますが、鬼室福信は断ります。今回は百済遺民軍だけで足りており、倭軍にはこの後訪れるだろういざという時のために力を温存しておいていただきたい、と鬼室福信は自信に満ちた表情で言います。
小手調べとしてよい実戦経験になると思うが、と阿曇比邏夫が言うと、自分もそう思う、と復興百済の王となった豊璋が言います。しかし鬼室福信は、恫喝するような表情で、現場をもっとも知り尽くしているのは自分だ、と豊璋に言います。あと一歩のところで新羅軍の救援があったため、泗沘城を奪い損ねた、倭軍には泗沘城の轍を踏まないよう、奪還した後の城の守備を固めてもらいたい、何より、慣れない土地での戦なので、まずは我々の戦いを見てからでも遅くはない、と鬼室福信は説明します。
阿曇比邏夫は、ではお手並み拝見といきましょう、と答えます。鬼室福信は恫喝するように豊璋に賛同を求めますが、豊璋は反対します。後の心配などしている余裕があるのか、今勝てるよう全力で戦うべきだ、というわけです。すると鬼室福信は激昂し、熊津城に籠る唐軍は冬の間大雪に閉ざされ、食料を運び入れようとした新羅軍も次々と凍え死んでいったのだから、餓えで満足に戦えないのは火を見るより明らかだ、と鬼室福信は反論します。
それでも豊璋が納得しないので、鬼室福信は恫喝するような表情で豊璋に、自分にはここまで闘ってきた自負があり、勝算もある、この戦に負けたら王である豊璋の言葉を聞き入れるが、その代わりに勝った暁には、軍の一切を自分に任せていただきたい、と言います。百済の重臣団が心配そうに成行きを見守るなか、豊璋は鬼室福信の提案を認めます。鬼室福信は、その言葉お忘れなきように、と恫喝するように豊璋に言い、出陣します。鬼室福信の率いる軍勢が出陣するのを眺めている豊璋に、あのような約束をしてよいのか、と阿曇比邏夫が問いかけます。鬼室福信は約束なしで他人の言うことを聞くような男ではない、勝てば構わない、一任できる度量も負うには必要だ、と豊璋は答えます。
熊津城を包囲する百済軍に近づいた鬼室福信は、日も暮れてきたのでこのあたりで休息をとろう、という部下の進言を受け入れますが、敵に気づかれないよう篝火は燃やさず、見張りも怠るな、と命じます。柵を作らせます、と言う部下にたいして、そんなことはしなくてよい、と鬼室福信は言い渡します。鬼室福信は軍議にて、暗いうちに出発して味方と合流する、餓えた敵は今日明日にも城から打って出るに違いないからそこを叩けばひとたまりもないだろう、戦に備えて睡眠を充分とっておけ、と命じます。
しかしその夜、唐軍が夜襲をかけ、自軍の動きが読まれていたことを察知した鬼室福信は、混乱の中で退却を命じます。百済復興軍の拠点である周留城に帰還して敗北の報告をする鬼室福信を、豊璋は冷ややかに眺めます。鬼室福信は、熊津城を見張っていた友軍が唐の劉仁軌の奇襲にあい、捕縛された将兵により敵に計画を知られてしまった、と敗因を説明します。それでも鬼室福信は意気軒昂で、今回の失態を踏まえて次こそ熊津城奪還に邁進すると言い、倭に新たな兵力増強の援助要請をするよう、豊璋に進言します。
しかし豊璋は冷ややかで、敗因はそれだけか、と鬼室福信に問い質します。阿曇比邏夫も、奇襲を受けたというが、野営地に柵を作ったのか、と鬼室福信に問います。鬼室福信は一瞬返答に詰まり、柵は創らなかったが、十歩ごとに歩哨を立てていた、今回は敵の情報収集能力も我々より上回っていたのだろう、と弁明します。しかし豊璋は鬼室福信の弁明を一蹴し、油断の一言に尽きる、と厳しく言い渡します。戦に負けたら王である豊璋の言葉を聞き入れるという約束を守ってもらうぞ、と豊璋は鬼室福信に冷ややかに言い、鬼室福信は怒りの表情を浮かべます。
敗戦により和平の道も断たれた、新羅に講和を持ちかけたところで、一笑に付されるだろう、せめて大海人皇子がここにいて仲介してくれるならまだしも、と豊璋は思案します。そこへ阿曇比邏夫が現れ、杞憂が現実になりましたな、と豊璋に話しかけます。しかし阿曇比邏夫は意気消沈しておらず、これからだ、目が覚めてかえってよかった、と言います。豊璋は阿曇比邏夫に、新羅との和平を提案します。このまま無謀な戦に臨んで美しいこの地や民を永久に失うより、このあたりで手を打ち、わずかに残された国土に希望を託す、というわけです。
しかし、返答がなかったので、豊璋は阿曇比邏夫に返答を促します。阿曇比邏夫は、和平はもはや手遅れだ、と言います。ここで停戦を申し入れても、わずかな国土すら戻らないだろう、というわけです。唐は新羅に、百済人を老少問わず全て殺せば、その後に百済の土地を分け与えると約束しているので、百済遺民は皆、坐して死を待つより戦うのだ、という兵士たちの噂話を豊璋に伝えた阿曇比邏夫は、和平の話は聞かなかったことにする、倭に援軍の要請をしてその到着を待つのだ、戦うしか道はない、と豊璋に言います。豊璋は阿曇比邏夫の見解を聞き、もはや和平の道は閉ざされたと改めて思ったのか、涙を浮かべます。
この兵士たちの噂話は、『新唐書』「東夷伝」百済条に、鬼室福信の劉仁軌にたいする発言として見えます。この後、鬼室福信が道琛を殺した、と『新唐書』「東夷伝」百済条に見えます。作中では、660年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に殺害されたことになっている道琛ですが、じっさいにはその後まで生きていたわけです。このような噂がじっさいにあったのか、定かではありませんが、当時は道琛の築いた砦を唐・新羅連合軍が攻めて大敗するなど、百済に有利な情勢だったので、鬼室福信も道琛も唐・新羅にたいして強気になっており、和平や降伏はあり得ない、と伝えるために、鬼室福信は劉仁軌にそのように伝えたのでしょう。じっさいに、唐が新羅にそのような約束をしたという証拠はないと思います。
その頃、飛鳥の後岡本宮では、中大兄皇子が弓の稽古をしており、その側には大友皇子が控えていました。今回は年代が明らかになっていないのですが、唐軍が熊津で百済軍を破ったので、662年7月のことだと思います。中大兄皇子は、やっと喪が明けたと言って高笑いし、朝鮮半島でひと暴れできる、と言っています。大海人皇子の発言から、作中では斉明帝の喪は1年間とされていますので、このことからも、今回は662年7月の時点が描かれている、と判断してよさそうです。上機嫌な中大兄皇子に、百済復興軍が大敗したとの報告が届き、中大兄皇子が激昂し、その様子を大友皇子が冷静に観察している、というところで今回は終了です。大友皇子はかなり冷静な人物のようで、壬申の乱での敗北がどのように描かれるのか、注目しています。
今回も豊璋が実質的には主役で、大海人皇子は言及こそされたものの回想でも登場せず、これは初めてのこととなります。白村江の戦いは山場となりそうなので、丁寧に描かれそうだな、と予想していたのですが、豊璋と鬼室福信の対立を中心に、予想以上に丁寧に描かれているな、と思います。その分展開が遅くなっていますが、面白い話になっているので、とくに不満はありません。豊璋は和平を断念したようなので、この後は史実通りに白村江の戦いで百済・倭連合軍が唐・新羅連合軍に大敗するのでしょうが、その前に豊璋が鬼室福信を殺害するのでしょう。今回の百済重臣団の反応を見ていると、百済の重臣のなかにも、鬼室福信の強気を危ぶむ者がいるようですし、今回の敗戦で鬼室福信の威信は低下したでしょうから、豊璋はそうした重臣を説得して鬼室福信を殺すことになるのでしょうか。
斉明帝の喪が明けたため、中大兄皇子が即位するのに支障はないはずなのですが、史実では中大兄皇子の即位はこの6年後(もしくは5年後)となります。おそらく一部の基本設定以外は、大枠では史実通り話が進むでしょうから、作中でも中大兄皇子の即位はまだ先のことになるのでしょう。中大兄皇子が即位しない理由が作中ではどう説明されるのか、気になるところです。白村江の戦いまでは百済復興軍の救援に忙しく、その後は、国内の防御施設と体制の整備に多忙だったので、都を近江に移して情勢が安定するまで即位は先延ばしにされた、と説明されるのでしょうか。
『天上の虹』では、斉明帝の崩御後、中大兄皇子の同父同母妹の間人皇女が即位したという設定になっていました。中皇命とは女帝であり、間人皇女だったのだ、という説が採用されたわけです。この作品ではこれまで、間人皇女が未登場どころか言及さえされていないので、これから間人皇女が登場して即位するという話にはならないでしょう。間人皇女は中大兄皇子の同父同母妹というだけではなく、孝徳帝の皇后でもあったので、登場させてもよかったのではないか、と思います。この作品に間人皇女が登場しないのは、物語を分かりやすくするために人物を省略し、中大兄皇子の「禁断の関係」を入鹿に絞るためなのでしょうか。もっとも、中大兄皇子と間人皇女との「禁断の関係」も事実なのか、確証はありませんが。
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