シャテルペロニアンの担い手とその位置づけ
取り上げるのがかなり遅れてしまいましたが、シャテルペロニアン(シャテルペロン文化)についての研究(Hublin et al., 2012)が報道されました。5万~4万年前頃のヨーロッパは、中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期として注目されています。この時期が注目されるのは、それがネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)から現生人類(ホモ=サピエンス)への交代を意味するからでもあります。
フランス西部~スペイン北部で確認されるシャテルペロニアンは中部旧石器~上部旧石器への移行期的な文化として知られており、ネアンデルタール人の骨が共伴したことで注目されましたが、これをめぐって議論が続いている状況です。シャテルペロニアンでは象徴的思考を示す人工物が発見されており、とくにこの解釈をめぐって議論が集中しています。象徴的思考能力は現生人類にのみ存在し、ネアンデルタール人には存在しない、というのが長年有力な見解だったからです。
シャテルペロニアンにネアンデルタール人の骨が共伴したことにより、さまざまな仮説が提示されました。大まかには、まずシャテルペロニアンの担い手をネアンデルタール人と考えるのか否か、という点で分類されます。ネアンデルタール人の骨がシャテルペロニアンと共伴したというのは攪乱などによる誤認で、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人ではない、とする説です(仮にA説としておきます)。
次に、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人と認めたうえで、さらに複数の説が主張されています。まず、シャテルペロニアンの象徴的思考を示す人工物が本当にシャテルペロニアンのものなのか否か、という点で分類されます。それら象徴的思考を示す人工物は後世の層からの嵌入であり、シャテルペロニアン期のものではない、というわけです(仮にB説としておきます)。
さらに、それら象徴的思考を示す人工物がシャテルペロニアン期のものだと認めたうえで、その作り手が誰か、という点で分類されます。シャテルペロニアン期にフランス西部~スペイン北部にまで現生人類が進出していたのか、微妙な問題です。当時すでに現生人類がこの地域に進出していたとする立場からは、シャテルペロニアンに見られる象徴的思考を示す人工物はネアンデルタール人が現生人類から入手したか(仮にC説としておきます)、ネアンデルタール人が(或いはその象徴的意味を理解せずに)模倣して作ったのだ、との見解が提示されています(仮にD説としておきます)。これに対して、ネアンデルタール人が独自にシャテルペロニアンを発展させたと主張する見解もあります(仮にE説としておきます)。
前置きがやや長くなってしまいました。この研究では、こうした議論のあるシャテルペロニアンが、新たな年代測定により位置づけられています。この研究で年代測定されたのは、フランスのトナカイ洞窟(Grotte du Renne)で発見された動物の骨40点と、その近くのサンセザール(Saint-Césaire)遺跡で発見されたネアンデルタール人の脛骨にたいして、加速器質量分析による放射性炭素年代測定法が用いられました。このさい、試料汚染の問題を解決するために前処理として限外濾過が用いられ、コラーゲンが精製されました。
その結果、トナカイ洞窟の各層の年代は、ムステリアン(ムスティエ文化)が43270~40900年前(試料4点)、シャテルペロニアンが40930~35500年前(試料26点)、後期シャテルペロニアンが37710~35380年前(試料5点)、プロトオーリナシアン(プロトオーリニャック文化)が34810~29930年前(試料5点)となります。サンセザール遺跡のネアンデルタール人の脛骨の年代は36200年前です。これらの年代はいずれも非較正です。サンセザール遺跡のネアンデルタール人の脛骨は、得られたコラーゲンの量が少なかったのですが、86%の確率で較正年代だと41950~40660年前となります。
これらの年代測定結果が層序と一致していることから、この研究では、トナカイ洞窟では攪乱があったとする混合仮説(上記の区分ではA説やB説が攪乱を想定しています)が否定されています。またこの研究では、サンセザール遺跡のネアンデルタール人の脛骨の年代がトナカイ洞窟のシャテルペロニアンの範囲に収まることから、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人だと結論づけられています。さらにこの研究では、シャテルペロニアンにおける装飾品の制作は、近隣地域に現生人類が到達した後のことなので、現生人類からネアンデルタール人への文化的伝播だったのかもしれない、と指摘されています。
上記の区分で言うと、この研究はD説に近い見解を提示していることになります。しかし、上記報道にもあるように、シャテルペロニアンにおける攪乱の可能性を認める研究者や、シャテルペロニアンに現生人類からネアンデルタール人への影響があったのか疑問視する研究者(上記の区分ではE説に該当します)は、この研究にじゅうぶん納得していないようです。この問題については、今後も議論が続きそうです。ただ、近年の諸研究の成果からは、ネアンデルタール人に少なくとも一程度以上の象徴的思考能力があったことは否定できないでしょう。もちろんだからといって、シャテルペロニアンの担い手のネアンデルタール人が、象徴的思考能力を示す人工物の制作にさいして、現生人類から影響を受けたという可能性が否定されるわけではありませんが。
参考文献:
Hublin JJ. et al.(2012): Radiocarbon dates from the Grotte du Renne and Saint-Césaire support a Neandertal origin for the Châtelperronian. PNAS, 109, 46, 18743–18748.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1212924109
フランス西部~スペイン北部で確認されるシャテルペロニアンは中部旧石器~上部旧石器への移行期的な文化として知られており、ネアンデルタール人の骨が共伴したことで注目されましたが、これをめぐって議論が続いている状況です。シャテルペロニアンでは象徴的思考を示す人工物が発見されており、とくにこの解釈をめぐって議論が集中しています。象徴的思考能力は現生人類にのみ存在し、ネアンデルタール人には存在しない、というのが長年有力な見解だったからです。
シャテルペロニアンにネアンデルタール人の骨が共伴したことにより、さまざまな仮説が提示されました。大まかには、まずシャテルペロニアンの担い手をネアンデルタール人と考えるのか否か、という点で分類されます。ネアンデルタール人の骨がシャテルペロニアンと共伴したというのは攪乱などによる誤認で、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人ではない、とする説です(仮にA説としておきます)。
次に、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人と認めたうえで、さらに複数の説が主張されています。まず、シャテルペロニアンの象徴的思考を示す人工物が本当にシャテルペロニアンのものなのか否か、という点で分類されます。それら象徴的思考を示す人工物は後世の層からの嵌入であり、シャテルペロニアン期のものではない、というわけです(仮にB説としておきます)。
さらに、それら象徴的思考を示す人工物がシャテルペロニアン期のものだと認めたうえで、その作り手が誰か、という点で分類されます。シャテルペロニアン期にフランス西部~スペイン北部にまで現生人類が進出していたのか、微妙な問題です。当時すでに現生人類がこの地域に進出していたとする立場からは、シャテルペロニアンに見られる象徴的思考を示す人工物はネアンデルタール人が現生人類から入手したか(仮にC説としておきます)、ネアンデルタール人が(或いはその象徴的意味を理解せずに)模倣して作ったのだ、との見解が提示されています(仮にD説としておきます)。これに対して、ネアンデルタール人が独自にシャテルペロニアンを発展させたと主張する見解もあります(仮にE説としておきます)。
前置きがやや長くなってしまいました。この研究では、こうした議論のあるシャテルペロニアンが、新たな年代測定により位置づけられています。この研究で年代測定されたのは、フランスのトナカイ洞窟(Grotte du Renne)で発見された動物の骨40点と、その近くのサンセザール(Saint-Césaire)遺跡で発見されたネアンデルタール人の脛骨にたいして、加速器質量分析による放射性炭素年代測定法が用いられました。このさい、試料汚染の問題を解決するために前処理として限外濾過が用いられ、コラーゲンが精製されました。
その結果、トナカイ洞窟の各層の年代は、ムステリアン(ムスティエ文化)が43270~40900年前(試料4点)、シャテルペロニアンが40930~35500年前(試料26点)、後期シャテルペロニアンが37710~35380年前(試料5点)、プロトオーリナシアン(プロトオーリニャック文化)が34810~29930年前(試料5点)となります。サンセザール遺跡のネアンデルタール人の脛骨の年代は36200年前です。これらの年代はいずれも非較正です。サンセザール遺跡のネアンデルタール人の脛骨は、得られたコラーゲンの量が少なかったのですが、86%の確率で較正年代だと41950~40660年前となります。
これらの年代測定結果が層序と一致していることから、この研究では、トナカイ洞窟では攪乱があったとする混合仮説(上記の区分ではA説やB説が攪乱を想定しています)が否定されています。またこの研究では、サンセザール遺跡のネアンデルタール人の脛骨の年代がトナカイ洞窟のシャテルペロニアンの範囲に収まることから、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人だと結論づけられています。さらにこの研究では、シャテルペロニアンにおける装飾品の制作は、近隣地域に現生人類が到達した後のことなので、現生人類からネアンデルタール人への文化的伝播だったのかもしれない、と指摘されています。
上記の区分で言うと、この研究はD説に近い見解を提示していることになります。しかし、上記報道にもあるように、シャテルペロニアンにおける攪乱の可能性を認める研究者や、シャテルペロニアンに現生人類からネアンデルタール人への影響があったのか疑問視する研究者(上記の区分ではE説に該当します)は、この研究にじゅうぶん納得していないようです。この問題については、今後も議論が続きそうです。ただ、近年の諸研究の成果からは、ネアンデルタール人に少なくとも一程度以上の象徴的思考能力があったことは否定できないでしょう。もちろんだからといって、シャテルペロニアンの担い手のネアンデルタール人が、象徴的思考能力を示す人工物の制作にさいして、現生人類から影響を受けたという可能性が否定されるわけではありませんが。
参考文献:
Hublin JJ. et al.(2012): Radiocarbon dates from the Grotte du Renne and Saint-Césaire support a Neandertal origin for the Châtelperronian. PNAS, 109, 46, 18743–18748.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1212924109
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