『週刊新発見!日本の歴史』第36号「江戸時代10 世界の中の幕末日本」
この第36号は水野忠邦の老中就任から大政奉還の頃までを中心に、江戸時代の日本が世界からどのように認識されていたのか、という問題がおもに論じられています。「新発見」的な見解が複数提示されていますが、一般にも浸透しているものもあるかな、と思います。江戸時代には「庶民」たちは武芸を禁じられていた、との見解が常識だったが、実は江戸時代後期~幕末には「庶民」剣士が多く過激事件にも関与した、との「新発見」的見解が提示されています。しかし、新撰組幹部などの印象や司馬遼太郎作品の影響などから、江戸時代には「庶民」も剣術の習得に熱心だった、と一般には考えられているように思います。
江戸時代における天皇の存在感増大の一因として、国学の隆盛を指摘した見解も、すでに一般にも浸透していると言えるでしょう。幕末に相次いだ大地震と幕末の動乱を結びつける見解も提示されています。幕末に大地震が相次いだことは、一般にはやや見落とされがちかもしれません。江戸時代にすでに富士山が一大観光地になっており、現代にも通ずるような「産業化」も見られた、との指摘も「新発見」的でしょうか。富士山が一大観光地になったことで山中での遭難事故が多発するようになり、その対策が立てられたことなどは、まさに現代にも通じます。
「庶民の窮状を救うために決起した英雄」として描かれることの多い大塩平八郎についての見直しが進んでいることを指摘した論考は、この第36号で最も「新発見」的と言えそうです。大塩の決起による火災被害と食料不足が深刻だったことや、市中放火の決起計画を知って止めようとした門人が大塩に殺害されたことも指摘されています。また、豪商や彼らと癒着した役人たちを罵倒していた大塩は、豪商たちに話を持ちかけて幕府の有力者に大金を融通したこともあるそうです。さらに、まだ確定した事実ではありませんが、大坂町奉行が大坂の米を江戸に移出したことを蜂起の理由とした大塩が、その裏では水戸藩に抜米をあっせんしていた疑惑も指摘されています。一般的な大塩像は今後大きく変わる可能性があるようです。
この第36号の主題である江戸時代の日本にたいする世界の認識は、おもにヨーロッパ世界のものが対象となっています。ヨーロッパ世界の日本認識が、日本の自己認識にも影響を与えていたことが指摘されています。当時、ヨーロッパ世界では日本が世界7帝国の一つ(他は、ヨーロッパではロシア・神聖ローマ・トルコ、アジアでは清・ペルシア・インド)として認識されており、一程度以上の敬意が払われていました。その理由として、日本が「群小の領邦君主たち」の上に君臨しており、琉球・蝦夷・高麗(朝鮮)が日本に服属している、との認識(たとえば17世紀後期に来日したケンペル)があったようです。こうしたことは、現代日本の「愛国的」な人々を中心に、一般にも浸透しつつあるように思います。
このようなヨーロッパの江戸時代日本の認識において、「皇帝」とみなされていたのは天皇ではなく将軍(天下人)でした。このような情報が帰還した漂流民などから日本の知識層に伝わり、日本の自己認識に大きな影響を与えていたようです。一方で、江戸時代にたびたび起きた日本とヨーロッパ勢力との衝突事件から、日本は防衛力が弱いと西洋列強には見抜かれており、幕末の西洋列強の「砲艦外交」は、そうした情報に基づいていたことが指摘されています。
江戸時代の日本社会にたいする「外国人」、とくにヨーロッパ人の見解については、記録者がどのような立場にいたのかが重要になってくる、と指摘されています。たとえば、日本に捕われたゴロヴニーン(ゴローニン)の手記では日本への視線が厳しいのにたいして、その部下で日本に帰化したいと考えていたムールの手記では日本への共感が見られる、とのことです。全体的に、ヨーロッパ人の日本観には文明観と未開観が混在しており、現代日本人に「耳障りのいい」ヨーロッパ人の著作には注意が必要だ、と指摘されています。近年、江戸時代の日本に関する欧米人による一部の記録を根拠に、日本の「失われた文明」を賞賛する見解が提示され、それが江戸時代賛美論に結びついて一部の「左翼志向」の人々にも強い影響力を及ぼしているように思われるだけに、この第36号の見解は重要となるでしょう。
江戸時代における天皇の存在感増大の一因として、国学の隆盛を指摘した見解も、すでに一般にも浸透していると言えるでしょう。幕末に相次いだ大地震と幕末の動乱を結びつける見解も提示されています。幕末に大地震が相次いだことは、一般にはやや見落とされがちかもしれません。江戸時代にすでに富士山が一大観光地になっており、現代にも通ずるような「産業化」も見られた、との指摘も「新発見」的でしょうか。富士山が一大観光地になったことで山中での遭難事故が多発するようになり、その対策が立てられたことなどは、まさに現代にも通じます。
「庶民の窮状を救うために決起した英雄」として描かれることの多い大塩平八郎についての見直しが進んでいることを指摘した論考は、この第36号で最も「新発見」的と言えそうです。大塩の決起による火災被害と食料不足が深刻だったことや、市中放火の決起計画を知って止めようとした門人が大塩に殺害されたことも指摘されています。また、豪商や彼らと癒着した役人たちを罵倒していた大塩は、豪商たちに話を持ちかけて幕府の有力者に大金を融通したこともあるそうです。さらに、まだ確定した事実ではありませんが、大坂町奉行が大坂の米を江戸に移出したことを蜂起の理由とした大塩が、その裏では水戸藩に抜米をあっせんしていた疑惑も指摘されています。一般的な大塩像は今後大きく変わる可能性があるようです。
この第36号の主題である江戸時代の日本にたいする世界の認識は、おもにヨーロッパ世界のものが対象となっています。ヨーロッパ世界の日本認識が、日本の自己認識にも影響を与えていたことが指摘されています。当時、ヨーロッパ世界では日本が世界7帝国の一つ(他は、ヨーロッパではロシア・神聖ローマ・トルコ、アジアでは清・ペルシア・インド)として認識されており、一程度以上の敬意が払われていました。その理由として、日本が「群小の領邦君主たち」の上に君臨しており、琉球・蝦夷・高麗(朝鮮)が日本に服属している、との認識(たとえば17世紀後期に来日したケンペル)があったようです。こうしたことは、現代日本の「愛国的」な人々を中心に、一般にも浸透しつつあるように思います。
このようなヨーロッパの江戸時代日本の認識において、「皇帝」とみなされていたのは天皇ではなく将軍(天下人)でした。このような情報が帰還した漂流民などから日本の知識層に伝わり、日本の自己認識に大きな影響を与えていたようです。一方で、江戸時代にたびたび起きた日本とヨーロッパ勢力との衝突事件から、日本は防衛力が弱いと西洋列強には見抜かれており、幕末の西洋列強の「砲艦外交」は、そうした情報に基づいていたことが指摘されています。
江戸時代の日本社会にたいする「外国人」、とくにヨーロッパ人の見解については、記録者がどのような立場にいたのかが重要になってくる、と指摘されています。たとえば、日本に捕われたゴロヴニーン(ゴローニン)の手記では日本への視線が厳しいのにたいして、その部下で日本に帰化したいと考えていたムールの手記では日本への共感が見られる、とのことです。全体的に、ヨーロッパ人の日本観には文明観と未開観が混在しており、現代日本人に「耳障りのいい」ヨーロッパ人の著作には注意が必要だ、と指摘されています。近年、江戸時代の日本に関する欧米人による一部の記録を根拠に、日本の「失われた文明」を賞賛する見解が提示され、それが江戸時代賛美論に結びついて一部の「左翼志向」の人々にも強い影響力を及ぼしているように思われるだけに、この第36号の見解は重要となるでしょう。
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