『天智と天武~新説・日本書紀~』第38話「大友皇子」

 今日はもう1本掲載します。『ビッグコミック』2014年3月25日号掲載分の感想です。前回は、自分が次の大君(天皇)に即位すると宣言した中大兄皇子に、大君ならば一年は喪に服し、出陣してはならない、と大海人皇子が牽制するところで終了しました。今回は、661年11月(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に斉明帝の棺が飛鳥に到着したところから始まります。中大兄皇子が飛鳥への帰路で母の斉明帝のために詠んだとされる歌は、今回は取り上げられませんでした。

 中大兄皇子や大海人皇子や一部?の群臣も飛鳥に帰還します。邸宅に戻った中大兄皇子を息子の大友皇子が出迎えます。ここでついに、この作品の重要人物の一人となるであろう大友皇子が初めて登場します。大友皇子の容貌は父の中大兄皇子そっくりで、その人間性に不安を抱かせます(笑)。しかし、読み進めていくと、少なくとも今回はその予想が大きく裏切られました。中大兄皇子は留守居を務めた大友皇子をねぎらい、何か変わったことはなかったか、と尋ねます。大友皇子は、報告した通りでとくに変わりはない、と答えます。

 大友皇子は、突然斉明帝(中大兄皇子にとっては母、大友皇子にとっては祖母)が亡くなって気落ちしているのではないか、と父の中大兄皇子を気遣います。すると中大兄皇子は苛立った様子を見せ、こんなことになるとはとんだ誤算だ、おかげで出兵が遠のいてしまった、と吐き捨てるように言います。しかし、豊璋は筑紫から5000の兵と共に朝鮮半島へと出発したと聞きましたが、と大友皇子は中大兄皇子に問いかけます。当然だ、新羅も唐も弱まっている今、豊璋まで喪に付き合わせてこの好機を逃してなるものか、と中大兄皇子が答えると、はい、と大友皇子は言うものの、父の発言に完全には納得していない様子です。

 明日から殯が始められるよう準備は整っているのか、と父に問われた大友皇子は、万全でございます、と答えます。解説にて、殯とは貴人が亡くなってから本葬までの間に死者を棺に納めて霊魂を慰め、死者の復活を祈りつつ、遺体の腐敗や白骨化などの変化と共に、最終的な「死」を確認することであり、期間は数ヶ月から数年に及ぶものもある、と語られます。斉明帝の棺は、その殯を行なうために建てられた宮に安置されました。

 殯宮には中大兄皇子・大海人皇子・大友皇子の他に王族や群臣もそろい、殯が行なわれます。大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹や高市皇子らしき人物も描かれているのですが、顔が描かれていないので、判断がつきませんでした。中大兄皇子は殯宮にて、豊璋との会話を回想していました。私が斉明帝を殺したのだ、と中大兄皇子に打ち明けられた豊璋は、あまりのことに信じられなかったようで、どうも聞き間違いをしたようです、と言います。

 すると中大兄皇子は、自分が斉明帝を殺した、と改めてはっきりと言います。さすがに豊璋は衝撃を受け、お戯れを、と何とか呟きますが、戯れでこんなことを言うと思うのか、と中大兄皇子は言います。なぜそんなことを、と豊璋に問われた中大兄皇子は立ち上がって激昂し、そなたの為にきまっておろう、と答えます。斉明帝はこの期に及んで朝鮮半島へ出兵しないと言い出して口論になり、何を言っても聞かないので殺すしかないと判断した、と中大兄皇子は豊璋に打ち明けます。

 自分は喪主だから行きたくてもいけないが、お前は明日、安曇(阿曇)比羅夫が率いる5000人の兵と共に出発しろ、と中大兄皇子は豊璋に命じます。分かっているだろうな、この戦には何としてでも勝ってもらわねばならない、と中大兄皇子は狂気をはらんだ笑みを浮かべて豊璋に言い渡し、豊璋はその気迫に圧倒されます。中大兄皇子は、豊璋に重圧をかけることができた、と満足気です。朝鮮半島で百済を復興するべく自分の分まで大暴れしてもらわねば、親を殺した甲斐がない、というわけです。

 安曇比羅夫が率いる朝鮮半島へと向かう船団は、朝鮮半島の港に夜には着く、というところまで来ていました。そのことを豊璋に報せた安曇比羅夫は、いよいよです、腕が鳴りますな、と気力の充実した表情で言いますが、豊璋にはそれに合わせて勇ましく応えるだけの気力はないようです。母の斉明帝を殺してまで百済復興に肩入れしようとする中大兄皇子と、新羅との和平を条件に息子の史(不比等)を中大兄皇子から匿ってくれた大海人皇子との間で、豊璋は苦悩していました。安曇比羅夫たちの監視も考慮しなければいけないということなのか、和平をしたくてもできる状況ではない、中大兄皇子は恐ろしい男だ、と豊璋は痛感します。この状況でどうすべきなのか、豊璋は必死に考えようとします。

 飛鳥の殯宮では、大友皇子が大海人皇子の方に視線を向けており、大海人皇子もそれに気づき、両者の視線が交差します。その日の殯が終わると、参加者は殯宮から退出していきます。哀の礼(死者を悲しみ哭声を発する礼)を明日行なうよう、中大兄皇子は官人に命じます。陵はいつ頃完成しそうなのか、と中大兄皇子に問われた官人は、急がせていますが2年は必要だと答えます。

 皆が殯宮から退出するなか、大海人皇子は残り、母の斉明帝の棺に手をかけます。そこへ大友皇子が近づき、祖母は優しかった、母が皇族ではない自分のような孫にも別け隔てなく接してくれたのに、急逝して残念でならない、と話しかけます。大海人皇子は話しかけてきた相手が誰なのか分からなかったので尋ね、大友皇子は、初めまして、と言って名乗ります。大海人皇子は大友皇子が異父兄の中大兄皇子の長男だと知っており、年齢を尋ねると、13歳です、と大友皇子は答えます。

 大海人皇子と大友皇子はこれが初対面ではなく、大海人皇子は異父兄の中大兄皇子の従者の頃に幼い大友皇子を見かけていました。大海人皇子がそう伝えると、これは失礼いたしました、と大友皇子は言います。そりにしても月日の経つのは早いものだ、と大海人皇子は言い、先ほどから視線を感じていたが、何か用なのか、と大友皇子に尋ねます。不快だったならばお許しください、朝鮮半島出兵より喪の優先を父(中大兄皇子)に進言したと聞いて一言お礼を述べたかった、と大友皇子は答えます。当然のことを言ったまでだ、と大海人皇子が言うと、それを考える人間が父の周囲にいたらこんなことは言わない、豊璋が帰国した今、叔父上(大海人皇子)に期待しています、と大友皇子は言います。

 それを聞いた大海人皇子は、これは愉快だと言って笑い出し、兄は良い息子に恵まれた、恐れ入った、と言います。その様子を見た大友皇子は、私も父から聞いた話と実際の叔父上とはいささか印象が異なりました、と言います。兄が何と言っていたか聞いてみたいものだ、と大海人皇子が水を向けると、それはお互いのためにも秘密にしておきましょう、と大友皇子は言います。大海人皇子と大友皇子が親しそうに話している様子を、中大兄皇子は嫉妬と憎悪の入り混じったような表情で離れた場所から見ていました。

 その晩(なのか否か明示はされていませんが)、邸宅で息子の大友皇子と二人きりになった中大兄皇子は、何を考えているのだ、大海人には近づくなとあれほど言っただろう、と大友皇子を激しく叱ります。父上の言うような卑劣で小賢しい男なのか確かめるために話してみたかったのだ、と大友皇子は弁明します。大海人皇子をどう思ったのだ、と中大兄皇子に問われた大友皇子は、少し印象が違った、と答えます。すると中大兄皇子は、小馬鹿にしたような感じで、そう思わせないところが小賢しいと言うのだ、と力説します。

 叔父は祖母の斉明帝を襲った蘇我入鹿の霊と生き写しなのですよね、と大友皇子は父に尋ねます。そうだ、と答えた中大兄皇子は、入鹿と大海人は共に笑う顔の下に魔性を隠しているので、お前も油断すると斉明帝のようになるぞ、と警告します。しかし、大友皇子は父の説明に納得していない様子です。自分が入鹿の怨霊なら、祖母ではなく父上を襲ったでしょう、と大友皇子がいうと、中大兄皇子の表情が険しくなります。

 皇位継承者として父上を指名したことに立腹したので、入鹿は祖母を絞め殺したのですよね、と大友皇子に問われた中大兄皇子は、その通りだ、入鹿は乙巳の変で自分を見殺しにした斉明帝のさらなる裏切りに我慢ならなかったのだろう、と答えます。すると大友皇子は、そうとも思いましたが、入鹿は自分を斬り殺した父上に最初に復讐したいと考えるのが自然ではないだろうか、その後で祖母を殺せばよい、その方が恨みを完全に晴らせる気がします、と言います。この大友皇子の推論を聞いた中大兄皇子が、怒りのあまり杯を握りつぶす、というところで今回は終了です。


 今回、中大兄皇子が大君(大王、天皇)に即位したのか否か、触れられませんでした。通説では、中大兄皇子が即位するのはかなり後のことであり、斉明帝の崩御から中大兄皇子の即位(天智帝)までの期間は称制とされています。欽明帝以降、新帝の即位はおおむね先帝の崩御より数ヶ月~1年後であり、今回の時点ではまだ殯も終わっていませんので、次の帝は中大兄皇子と決まっていても、まだ即位していないとしても不思議ではないというか、その方が自然でしょう。ただ、大枠は史実通り進むでしょうから、この後長期にわたって帝が不在となる状況がどのように描かれるのか、気になるところです。

 豊璋は早々と朝鮮半島へと向けて出発し、作中では早期出発説が採用されました(『日本書紀』「天智紀」には重複記事が多く、豊璋が朝鮮半島に帰還したのは662年5月とも考えられます)。大海人皇子と手を組み新羅との和平交渉を進めるつもりだった豊璋は、安曇比羅夫をはじめとして日本兵5000人もいるなか、和平交渉も難しいと判断したようです。

 一方で、豊璋は息子の史を和平派の大海人皇子に匿ってもらっているわけで、さすがに優秀な豊璋も打つ手を見つけられず苦悩します。かつては、豊璋が中大兄皇子を操っていた感があったのですが、中大兄皇子が「怪物」に成長し、豊璋の祖国の百済が滅亡したこともあり、今では豊璋の方が中大兄皇子に操られている感があります。豊璋と中大兄皇子や大海人皇子との関係が今後どう変わってくるのか、ということも見所になってきそうです。

 中大兄皇子は豊璋に母の斉明帝を殺したと打ち明けましたが、その理由は、朝鮮半島への出兵をめぐる対立だった、と説明しました。中大兄皇子は「巡り物語」にて大海人皇子・豊璋・額田王・鏡王女には心情を告白しているので、母に受け入れられず衝動的に殺したことを隠す必要はないようにも思えますが、豊璋を新羅・唐と戦わせて勝たせる、という目的のために、あえて朝鮮半島の出兵を巡る対立に母殺害の理由を絞り、豊璋に圧力をかけた、ということでしょうか。

 中大兄皇子と豊璋との関係などもありましたが、今回の見所はなんといっても初登場の大友皇子で、間違いなく作中では重要人物の一人という扱いになるでしょうから、どんな人物像になるのか、以前より気になっていました。最初に大友皇子の顔を見た時は、容貌が父の中大兄皇子そっくりだったので、中大兄皇子と同じく狂気を秘めた冷酷で気性の激しい人物なのかな、と思ったのですが、今回読んだ限りでは、気遣いのできる落ち着いた人物で、優しいところもあるように見えました。父と違い、鬱屈した狂気を秘めた人物ではなさそうです。ただ、父と同じく頭脳は明晰なようです。おそらく、体力にも優れているのでしょう。

 しかし、叔父の大海人皇子や父の中大兄皇子とのやりとりを見ると、どうも大友皇子は、冷静とか思慮深いとかいうことだけではなく、腹黒いというか、腹に一物ある複雑な人物のようにも見えました。もっとも、これは私の偏見で、大友皇子は父や叔父を冷静に観察していただけかもしれませんが。父の中大兄皇子と容貌が似ている大友皇子が思慮深く優しいところのある人物だとすると、同じく父の中大兄皇子と容貌が似ている鸕野讚良皇女も父とは異なり、冷酷で狂気を秘めた人物ではないのかもしれません。

 大友皇子の発言によると、斉明帝は母の身分が皇族ではない大友皇子にも別け隔てなく優しく接していたようです。もっとも、中大兄皇子の子供で母の身分が皇族の者はいませんから、大友皇子の母の身分が、たとえば大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹の母の遠智媛よりも低い、ということを言っているのでしょう。作中での斉明帝の描写からすると、斉明帝が孫の大友皇子に優しく接していたという設定は納得できます。

 今回の中大兄皇子・大友皇子父子のやり取りを見ていると、中大兄皇子は大友皇子をそれなりに可愛がっているようです。かつて、中大兄皇子は両親から疎まれていた(あくまでも中大兄皇子の認識ですが)ので、息子にはそう接しないように心掛けているのでしょうか。そうすると、大友皇子は両親と祖母から愛されて育った可能性が高そうです。大友皇子が鬱屈した人物ではなさそうなのは、愛されて育ったからでしょうか。中大兄皇子も、両親から愛されて育ったら、大友皇子のように成長したのかもしれません。

 大友皇子は叔父の大海人皇子とある程度打ち解けたようで、後の両者の運命を思うと、物悲しくなります。大友皇子と大海人皇子は、甥と叔父という関係だけではなく、婿と義父という関係にもなります。大海人皇子と額田王との間の娘の十市皇女が後に大友皇子の妻となるわけですが、大友皇子と十市皇女との関係も、どう描かれるのか、気になるところです。この両者に高市皇子も関わってくるのでしょうか。

 中大兄皇子は息子の大友皇子に、大海人皇子は卑劣で小賢しい男だと吹き込んでいたようです。中大兄皇子は「怪物化」して以降、大海人皇子を出し抜くことが多くなりましたが、それでも、依然として大海人皇子にしてやられることが少なくありません。「怪物化」する前は、中大兄皇子は大海人皇子によく翻弄されていました。中大兄皇子が異父弟の大海人皇子を警戒しているということでもあるのでしょうが、「怪物化」した中大兄皇子の器の小ささとも解釈できそうで、残忍で激情家の中大兄皇子の愛すべき側面とも言えるかもしれません。

 叔父の大海人皇子にたいして、父の中大兄皇子の云う「卑劣で小賢しい男」とは少し違う印象を受けた、と大友皇子は語っています。これをそのまま受け取ると、大友皇子の大海人皇子への印象は、父から吹き込まれていたほどではないにしても、あまり良くないことになります。ただ、少し印象が違ったとの大友皇子の発言は、父の中大兄皇子への配慮なのかもしれず、大友皇子は大海人皇子に好印象を抱いた、とも解釈できるように思います。

 中大兄皇子が息子の大友皇子に、大海人皇子は卑劣で小賢しい男だと吹き込み、接触を禁じていたのは、息子が大海人皇子を慕うようになることを怖れていたからなのかな、とも思います。両親から愛されなかった中大兄皇子は、息子が大海人皇子を慕うようになることを、愛の喪失と恐れていたのかもしれません。中大兄皇子にとって、大海人皇子は母からの愛を奪った憎むべき相手であり、それは大海人皇子への恐れにもなっているのでしょう。今回、大友皇子と大海人皇子が親しげに話していた様子を窺っていた中大兄皇子の表情には、憎悪と嫉妬が浮かんでいたように見えました。

 優秀な頭脳・体力と激しい気性と冷酷な性格により人々に畏怖はされても慕われない中大兄皇子と、腹黒いところもあるにしても、優秀な頭脳・体力と明るさと優しさにより人々に信頼されて慕われる大海人皇子という対比は、今後も続くのかもしれません。また、その大海人皇子に中大兄皇子が嫉妬するという構図も、続きそうな気がします。大友皇子が斉明帝崩御の真相に近づいたのは、冷静な思考の故なのか、それとも大海人皇子に何か吹き込まれたたためなのか、今回を読んだ限りでは分かりませんでした。中大兄皇子は後者と考えて激昂したのかな、と思います。

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  • 『天智と天武~新説・日本書紀~』第38話「大友皇子」補足

    Excerpt: 第38話の感想で述べ忘れたことや、その他に気になることについて述べていくことにします。なお、以下の西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です。第38話の見所はなんといっても初登場となる大友皇子で、.. Weblog: 雑記帳 racked: 2014-03-14 00:00