『週刊新発見!日本の歴史』第32号「江戸時代5 享保の改革の成功と限界」

 この第32号はおおむね8代将軍吉宗の時代を対象としています。享保の改革は、将軍権力の強化・幕府の立て直しに限らず、社会を大きく変え、近代化の起点になった、との見通しをこの第32号は提示しています。享保の改革には中央集権的志向があり、官僚制度の整備が進められるとともに、災害・疫病などにたいして、じゅうらいの領主単位の対応からより広域的な「国家・公共」政策が模索された、というわけです。

 官僚制度の整備においては、行政の文書化が重要な役割を果たしました。じゅうらいの個人の記憶に頼っていた行政から、文書行政への転換が強く進められたのが8代将軍吉宗の時代でした。こうした傾向は社会全体にも見られ、享保の改革以降、村・地域の歴史をまとめた「旧記」や「地誌」が各地で成立するようになったそうです。享保の改革の意義として、日本列島を急速に「文字社会化」・「文明化」したことがある、とこの第32号は指摘しています。

 こうした吉宗の政治志向を、この第32号は「大きな政府」と表現し、それと対照的な尾張藩の徳川宗春の政策を「小さな政府」志向と把握しています。また、宗春の失脚は、藩主の理想・個性に基づく藩主が主導する政治から、藩主が藩官僚と協同で改革を行なう政治への転換点と位置づけられています。近世の名君は、前期と後期とで性格が異なる、というわけです。この第32号も全体的に興味深く読めたのですが、表題とは異なり、「限界」の指摘が強調されていないように思えました。

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