『天智と天武~新説・日本書紀~』第37話「大笠を着た鬼」
まだ日付は変わっていないのですが、2月26日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2014年3月10日号掲載分の感想です。前回は、斉明帝が入鹿の怨霊に殺された、と中大兄皇子に聞かされた官人たちが、恐れ慌てているところで終了しました。今回は、661年7月(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に斉明帝が崩御してから五十数年後、つまり奈良時代初期の平城京でのやり取りから話が始まります。
平城京では『日本書紀』の編纂が進められており、史官たちが藤原不比等(史)に斉明帝崩御の前後の記事を報告していました。ここで第3話以来久々に、成人後の不比等が登場します。史官たちは、現行の『日本書紀』にあるように、朝倉社の神木を伐採して朝倉橘広庭宮を造営した神罰により宮殿が壊れ、宮中にて「鬼火」が見えて従者たちが多く病死し、斉明帝が崩御した後、中大兄皇子が斉明帝の喪を行なって磐瀬行宮に戻った夕べに、朝倉山の上に「鬼」が現れ、大笠を着て喪を見ていたので、人々が怪しんだ、と執筆し、不比等に報告しました。今回、「本編」ではそこまで話が進んでいないのですが、この説明のさいに斉明帝の喪の様子も描かれており、作中では、中大兄皇子の説明もあったためか、当時の人々はこの「鬼」を蘇我入鹿の怨霊と噂した、ということになっています(平安時代後期に編纂された『扶桑略記』によると、当時の人々はこの「鬼」を蘇我蝦夷の霊と言った、とされています)。
この報告を聞いた不比等は、なかなか良いではないか、と言い、満足そうです。久々の登場となる成人後の不比等ですが、さらに迫力が増し、悪相になったように見えます。作中「本編」では、幼児の不比等(史)が大海人皇子によって匿われたところまでが描かれています。この不比等がどのように最高権力者の地位(これまでの描写を見る限り、作中では、奈良時代初期の時点で不比等が最高権力者という設定のようです)に上りつめたのか、という謎の解明も、この作品の見所の一つになりそうです。
不比等に褒められた史官たちは恐縮します。不比等は、斉明帝崩御のくだりは難しい、と説明します。当時の中大兄皇子の説明のような、入鹿の怨霊に天皇(大君)が殺された、などといった記述は国の歴史書では血なまぐさくてよくない、ましてや、巷で未だに絶えない黒い噂などもってのほか、と言います。すると史官たちは声を潜めて怯えた様子で、母殺しの噂か、と言います。すると不比等が史官たちを鋭く睨み、史官たちは直ちに平伏します。不比等は史官たちに、とにかくこの調子で頼む、完成まで気を抜くなよ、と迫力のある笑みで命じます。
ここで話は斉明帝崩御の時点に戻ります。斉明帝の遺体が安置された部屋に皇族(王族)・群臣が集まり、昼間にお見かけした時はお元気だったのにとか、入鹿の怨霊の仕業らしいがなぜ今頃なのだとか、怨霊は中大兄皇子しか見ていないとか語りあい、嘆き悲しんでいました。大海人皇子の妻で斉明帝の孫である大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹は、顔を寄せ合って泣いていました。大海人皇子は崩御後間もない時点で斉明帝の遺体に駆け寄り、本当にもう手遅れなのか、と斉明帝の使用人らしき男に問い質していました。その時大海人皇子は、斉明帝の爪に血が付着していることに気がつきました。皇族・群臣が斉明帝の遺体に集まるなか、最前列で中大兄皇子の隣に座っている大海人皇子は、中大兄皇子の手に爪痕のような傷がついているのに気づきます。
中大兄皇子は立ち上がり、急なことで事態が呑み込めない者もいるだろう、今後のことも含めて大君崩御の経緯をこの場で明らかにしたい、と言います。群臣たちは、今後のこととは次の大君が誰かということだろう、と声を潜めて語ります。中大兄皇子は、百済救援軍の出兵時期を決めるために大君を訪ね、朝鮮半島への出兵は明後日とすんなり決まり、流れで後継者もそろそろ決めておきたいという話になった、と説明します。
群臣の一人が立ち上がり、大君の考えはどうだったのかと尋ねると、大君は、と言いかけた中大兄皇子は、母上は、と言い直し、当然自分を次の大君にと望んだ、と答えます。その答えを聞き、群臣はどよめきます。中大兄皇子は、その後自分が厠へ行くため席を外し、部屋に戻ると大笠を被った男がいた、と説明します。その男は斉明帝に、次の大君は誰かと尋ね、斉明帝が部屋に戻ってきた自分(中大兄皇子)を指さすと、いきなり斉明帝の首に手をかけた、その男は紛れもなく鬼と化した入鹿だった、と中大兄皇子は説明します。
中大兄皇子の説明はなおも続きます。「鬼」と化した入鹿は一瞬で斉明帝の息の根を止め、中大兄皇子が斬りかかっても笑いながら宙を舞い、消えていきました。入鹿は自身を追いつめた中大兄皇子を次の大君にしようとした斉明帝に我慢がならなかったのだろう、というわけです。非は己にあるのに逆恨みもはなはだしい、と言った中大兄皇子は、自分は怨霊などを怖れない、母上の今際の言葉通り自分が大君となり、新羅・唐を討つべく百済復興救援軍を明後日出発させる、母上も喜ばれるだろう、と力強く宣言し、群臣も湧き立ちます。
すると大海人皇子が立ち上がり、待たれよ、と言います。大海人皇子は、母の斉明帝の死に疑問があるので答えていただきたい、と異母兄の中大兄皇子に詰め寄ります。斉明帝の右手の爪には血がこびりついていたので、おそらく首を絞められた際に苦し紛れに爪を立てたのだろう、と大海人皇子は推理を披露します。大海人皇子は中大兄皇子の左手をつかみ、そこに爪痕のような新しい傷がついていることを指摘します。
群臣は動揺しますが、中大兄皇子は動ぜず、入鹿の怨霊に斬りかかったさいについたのだろう、と説明します。大海人皇子はこの返答に納得しません。私が大君を絞殺したと言いたいのか、と中大兄皇子に問われた大海人皇子は、疑っています、と答えます。中大兄皇子は軽蔑したような表情で、哀れな奴よ、怨霊とはいえ、自分の父親の行為を受け入れられないどころか、私に罪をなすりつけるとは、そもそも私が母上を殺す理由がどこにある、と大海人皇子に問いかけます。
すると大海人皇子は、斉明帝は派兵に反対していた、と言います。ここまで終始余裕の表情を浮かべていた中大兄皇子は焦り、この地まで来て反対とは偽りを言うな、お前が反対しているだけではないか、と言います。派兵は決まったので覆せない、と言う中大兄皇子に大海人皇子がなおも食い下がろうとすると、黙れ、私は大君だ、と中大兄皇子は一喝します。発言するなら覚悟をもって言え、と中大兄皇子に言われた大海人皇子は、分かりました、では大君の役目を果たしてください、と言います。中大兄皇子に役目とは何だと問われた大海人皇子が、亡き斉明帝の殯と葬儀だ、新しい大君は一年は喪に服すのが務め、出陣などしてはならないことを忘れないように、と言って得意気な表情を浮かべ、中大兄皇子が怒りと憎悪の表情を浮かべて返答に窮しているところで、今回は終了です。
今回は、第3話以来久々に、「本編」より先の出来事が描かれました。この作品で「本編」がどこまで描かれるのか、まだ予想さえ難しい段階ですが、表題からすると、天智帝(中大兄皇子)の崩御か、壬申の乱を経て大海人皇子が即位する(天武帝)ところまでで終了するのかな、とも思います。そうだとすると、奈良時代初期に不比等が『日本書紀』の編纂に強く関与し、『日本書紀』が不比等の方針にしたがって編纂されていく様子(あくまでもこの作品での解釈ですが)が、第3話や今回のように時々挿入されつつ、「本編」が進んでいくのかもしれません。この描写は、謎解き的性格もあるこの作品に適しており、これまでのところは成功しているように思いますので、今後も楽しみです。
今回、奈良時代初期には、中大兄皇子が母の斉明帝を殺害したという話が、官人たちの間でまだ伝えられていたことが明かされました。第3話によると、不比等の父が豊璋であることや、入鹿が聖人だったことも、奈良時代初期の官人たちの間ではまだ伝えられていたようです。これと関連して気になるのは、今回、中大兄皇子が群臣の前で、大海人皇子の父が入鹿だと言ったことです。これを聞いた群臣が動揺した様子は描かれていませんから、多くの群臣にとってすでに公然の秘密となっていたのでしょうか。
大海人皇子は入鹿と容貌が酷似しているので、声高には語れないにしても、大海人皇子の実父が入鹿だと考えている群臣は多そうです。そうすると、『日本書紀』など後代の史書で大海人皇子の父が舒明帝とされているのは、不比等の意向なのか、それとも大君(天皇)に即位するために大海人皇子がそのように主張し続けたのか、この作品での解釈が気になるところです。養老令の継嗣令の第1条「凡皇兄弟皇子皆為親王」の注の「女帝子亦同」は、父が皇族(王族)ではない大海人皇子の即位の正当性を主張する意向に由来する、という設定なのでしょうか。まあ、もちろん大海人皇子は養老令の編纂に関与していませんが、大海人皇子の正当性を主張する人々の意向が強く反映された、という設定なのかもしれません。
今回は、この作品の主題とも言うべき、中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦が展開されました。前回を読んでの予想通り、大海人皇子は中大兄皇子の手に残っていた斉明帝による引っ掻き傷を見て、真相に気づいたようです。私がこのように予想したのは、前回を読んで、『太陽にほえろ!』の初期の傑作である41話「ある日、女が燃えた」を想起したからです(関連記事)。母の斉明帝を衝動的に殺害したにも関わらず、とっさにアリバイ工作を思いついた中大兄皇子は、その後落ち着いて考える時間を稼げたということもあってか、自身の即位と朝鮮半島への出兵まで一気に話を進めます。中大兄皇子を「怪物」として描いてきた流れに沿った、面白い創作だと思います。
これにたいして大海人皇子は、中大兄皇子に殺人容疑を問い質しますが、私は大君なのだから発言するのなら覚悟を持て、と言われて一瞬怯みます。しかし、そこで引き下がらず、中大兄皇子の発言を逆手にとってやり込めるところは、大海人皇子も今後「怪物」として描かれていくのだろうな、と予感させます。「怪物」となった大海人皇子と、腹心とも言うべき鵲や、妻の大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹(大田皇女は大海人皇子が本格的に「怪物」となる前に死にそうですが)や、長女の十市皇女との関係も変わっていき、十市皇女の悲劇(そう断言できるのか、確証はないのですが)につながっていくように思います。
今回の中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦は見応えがありましたが、このまま大海人皇子が中大兄皇子をやり込めるということはなさそうです。中大兄皇子が阿曇比羅夫たちを百済救援軍として派遣したのは、661年7月24日に斉明帝が崩御した直後の661年8月でしたから、大海人皇子の朝鮮半島出兵妨害工作は、作中ではけっきょく失敗することになるのでしょう。ただ、昔から指摘されていることですが、『日本書紀』「天智紀」には重複記事が多いので、作中で倭(日本)軍の朝鮮半島への出兵は翌662年夏以降、とされても大きな問題はないように思います。
この作品ではどう解釈されるのか、次号を読んでみないと分からないのですが、今度は中大兄皇子が大海人皇子の発言を逆手にとって、大君(天皇)に即位せず称制して国政を掌握する、と宣言するのではないか、と予想しています。さすがに、これまで作中で言及されてさえいない間人皇女が即位する(中皇命=間人皇女説)という話にはならないでしょう。作中では、新しい大君は一年は喪に服すのが務めとされていますので、即位しないのなら一年喪に服す必要はないとして、中大兄皇子は直ちに朝鮮半島への出兵を命じるのではないか、というわけです。おそらく、中大兄皇子は大海人皇子と豊璋が和平工作に動いていることも薄々感づいているでしょうから、『日本書紀』「天智紀」の早期出兵説が採用されて、豊璋も661年中に朝鮮半島へと帰還することになりそうな気がします。
今回、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹は一瞬しか描かれませんでした。あるいは、私が大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と認識した女性は別人なのかもしれませんが、おそらく間違いないだろう、と思います。大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と祖母の斉明帝との関係が良好な場面は何度か描かれていましたので、この姉妹が斉明帝の崩御を嘆き悲しむのは不思議ではありません。ただ、鸕野讚良皇女のあの悪人顔と、祖母の死を姉と共に嘆き悲しむところに、やや違和感もあります。まあ、さすがに私の偏見が強すぎる、ということなのかもしれませんが。この作品の鸕野讚良皇女は、悪人顔で気が強いものの、特別に冷酷というわけではなく、人間性にはそんなに問題がない、という人物造形になるのでしょうか。鸕野讚良皇女の今後の言動も含めて、次回以降もたいへん楽しみです。
平城京では『日本書紀』の編纂が進められており、史官たちが藤原不比等(史)に斉明帝崩御の前後の記事を報告していました。ここで第3話以来久々に、成人後の不比等が登場します。史官たちは、現行の『日本書紀』にあるように、朝倉社の神木を伐採して朝倉橘広庭宮を造営した神罰により宮殿が壊れ、宮中にて「鬼火」が見えて従者たちが多く病死し、斉明帝が崩御した後、中大兄皇子が斉明帝の喪を行なって磐瀬行宮に戻った夕べに、朝倉山の上に「鬼」が現れ、大笠を着て喪を見ていたので、人々が怪しんだ、と執筆し、不比等に報告しました。今回、「本編」ではそこまで話が進んでいないのですが、この説明のさいに斉明帝の喪の様子も描かれており、作中では、中大兄皇子の説明もあったためか、当時の人々はこの「鬼」を蘇我入鹿の怨霊と噂した、ということになっています(平安時代後期に編纂された『扶桑略記』によると、当時の人々はこの「鬼」を蘇我蝦夷の霊と言った、とされています)。
この報告を聞いた不比等は、なかなか良いではないか、と言い、満足そうです。久々の登場となる成人後の不比等ですが、さらに迫力が増し、悪相になったように見えます。作中「本編」では、幼児の不比等(史)が大海人皇子によって匿われたところまでが描かれています。この不比等がどのように最高権力者の地位(これまでの描写を見る限り、作中では、奈良時代初期の時点で不比等が最高権力者という設定のようです)に上りつめたのか、という謎の解明も、この作品の見所の一つになりそうです。
不比等に褒められた史官たちは恐縮します。不比等は、斉明帝崩御のくだりは難しい、と説明します。当時の中大兄皇子の説明のような、入鹿の怨霊に天皇(大君)が殺された、などといった記述は国の歴史書では血なまぐさくてよくない、ましてや、巷で未だに絶えない黒い噂などもってのほか、と言います。すると史官たちは声を潜めて怯えた様子で、母殺しの噂か、と言います。すると不比等が史官たちを鋭く睨み、史官たちは直ちに平伏します。不比等は史官たちに、とにかくこの調子で頼む、完成まで気を抜くなよ、と迫力のある笑みで命じます。
ここで話は斉明帝崩御の時点に戻ります。斉明帝の遺体が安置された部屋に皇族(王族)・群臣が集まり、昼間にお見かけした時はお元気だったのにとか、入鹿の怨霊の仕業らしいがなぜ今頃なのだとか、怨霊は中大兄皇子しか見ていないとか語りあい、嘆き悲しんでいました。大海人皇子の妻で斉明帝の孫である大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹は、顔を寄せ合って泣いていました。大海人皇子は崩御後間もない時点で斉明帝の遺体に駆け寄り、本当にもう手遅れなのか、と斉明帝の使用人らしき男に問い質していました。その時大海人皇子は、斉明帝の爪に血が付着していることに気がつきました。皇族・群臣が斉明帝の遺体に集まるなか、最前列で中大兄皇子の隣に座っている大海人皇子は、中大兄皇子の手に爪痕のような傷がついているのに気づきます。
中大兄皇子は立ち上がり、急なことで事態が呑み込めない者もいるだろう、今後のことも含めて大君崩御の経緯をこの場で明らかにしたい、と言います。群臣たちは、今後のこととは次の大君が誰かということだろう、と声を潜めて語ります。中大兄皇子は、百済救援軍の出兵時期を決めるために大君を訪ね、朝鮮半島への出兵は明後日とすんなり決まり、流れで後継者もそろそろ決めておきたいという話になった、と説明します。
群臣の一人が立ち上がり、大君の考えはどうだったのかと尋ねると、大君は、と言いかけた中大兄皇子は、母上は、と言い直し、当然自分を次の大君にと望んだ、と答えます。その答えを聞き、群臣はどよめきます。中大兄皇子は、その後自分が厠へ行くため席を外し、部屋に戻ると大笠を被った男がいた、と説明します。その男は斉明帝に、次の大君は誰かと尋ね、斉明帝が部屋に戻ってきた自分(中大兄皇子)を指さすと、いきなり斉明帝の首に手をかけた、その男は紛れもなく鬼と化した入鹿だった、と中大兄皇子は説明します。
中大兄皇子の説明はなおも続きます。「鬼」と化した入鹿は一瞬で斉明帝の息の根を止め、中大兄皇子が斬りかかっても笑いながら宙を舞い、消えていきました。入鹿は自身を追いつめた中大兄皇子を次の大君にしようとした斉明帝に我慢がならなかったのだろう、というわけです。非は己にあるのに逆恨みもはなはだしい、と言った中大兄皇子は、自分は怨霊などを怖れない、母上の今際の言葉通り自分が大君となり、新羅・唐を討つべく百済復興救援軍を明後日出発させる、母上も喜ばれるだろう、と力強く宣言し、群臣も湧き立ちます。
すると大海人皇子が立ち上がり、待たれよ、と言います。大海人皇子は、母の斉明帝の死に疑問があるので答えていただきたい、と異母兄の中大兄皇子に詰め寄ります。斉明帝の右手の爪には血がこびりついていたので、おそらく首を絞められた際に苦し紛れに爪を立てたのだろう、と大海人皇子は推理を披露します。大海人皇子は中大兄皇子の左手をつかみ、そこに爪痕のような新しい傷がついていることを指摘します。
群臣は動揺しますが、中大兄皇子は動ぜず、入鹿の怨霊に斬りかかったさいについたのだろう、と説明します。大海人皇子はこの返答に納得しません。私が大君を絞殺したと言いたいのか、と中大兄皇子に問われた大海人皇子は、疑っています、と答えます。中大兄皇子は軽蔑したような表情で、哀れな奴よ、怨霊とはいえ、自分の父親の行為を受け入れられないどころか、私に罪をなすりつけるとは、そもそも私が母上を殺す理由がどこにある、と大海人皇子に問いかけます。
すると大海人皇子は、斉明帝は派兵に反対していた、と言います。ここまで終始余裕の表情を浮かべていた中大兄皇子は焦り、この地まで来て反対とは偽りを言うな、お前が反対しているだけではないか、と言います。派兵は決まったので覆せない、と言う中大兄皇子に大海人皇子がなおも食い下がろうとすると、黙れ、私は大君だ、と中大兄皇子は一喝します。発言するなら覚悟をもって言え、と中大兄皇子に言われた大海人皇子は、分かりました、では大君の役目を果たしてください、と言います。中大兄皇子に役目とは何だと問われた大海人皇子が、亡き斉明帝の殯と葬儀だ、新しい大君は一年は喪に服すのが務め、出陣などしてはならないことを忘れないように、と言って得意気な表情を浮かべ、中大兄皇子が怒りと憎悪の表情を浮かべて返答に窮しているところで、今回は終了です。
今回は、第3話以来久々に、「本編」より先の出来事が描かれました。この作品で「本編」がどこまで描かれるのか、まだ予想さえ難しい段階ですが、表題からすると、天智帝(中大兄皇子)の崩御か、壬申の乱を経て大海人皇子が即位する(天武帝)ところまでで終了するのかな、とも思います。そうだとすると、奈良時代初期に不比等が『日本書紀』の編纂に強く関与し、『日本書紀』が不比等の方針にしたがって編纂されていく様子(あくまでもこの作品での解釈ですが)が、第3話や今回のように時々挿入されつつ、「本編」が進んでいくのかもしれません。この描写は、謎解き的性格もあるこの作品に適しており、これまでのところは成功しているように思いますので、今後も楽しみです。
今回、奈良時代初期には、中大兄皇子が母の斉明帝を殺害したという話が、官人たちの間でまだ伝えられていたことが明かされました。第3話によると、不比等の父が豊璋であることや、入鹿が聖人だったことも、奈良時代初期の官人たちの間ではまだ伝えられていたようです。これと関連して気になるのは、今回、中大兄皇子が群臣の前で、大海人皇子の父が入鹿だと言ったことです。これを聞いた群臣が動揺した様子は描かれていませんから、多くの群臣にとってすでに公然の秘密となっていたのでしょうか。
大海人皇子は入鹿と容貌が酷似しているので、声高には語れないにしても、大海人皇子の実父が入鹿だと考えている群臣は多そうです。そうすると、『日本書紀』など後代の史書で大海人皇子の父が舒明帝とされているのは、不比等の意向なのか、それとも大君(天皇)に即位するために大海人皇子がそのように主張し続けたのか、この作品での解釈が気になるところです。養老令の継嗣令の第1条「凡皇兄弟皇子皆為親王」の注の「女帝子亦同」は、父が皇族(王族)ではない大海人皇子の即位の正当性を主張する意向に由来する、という設定なのでしょうか。まあ、もちろん大海人皇子は養老令の編纂に関与していませんが、大海人皇子の正当性を主張する人々の意向が強く反映された、という設定なのかもしれません。
今回は、この作品の主題とも言うべき、中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦が展開されました。前回を読んでの予想通り、大海人皇子は中大兄皇子の手に残っていた斉明帝による引っ掻き傷を見て、真相に気づいたようです。私がこのように予想したのは、前回を読んで、『太陽にほえろ!』の初期の傑作である41話「ある日、女が燃えた」を想起したからです(関連記事)。母の斉明帝を衝動的に殺害したにも関わらず、とっさにアリバイ工作を思いついた中大兄皇子は、その後落ち着いて考える時間を稼げたということもあってか、自身の即位と朝鮮半島への出兵まで一気に話を進めます。中大兄皇子を「怪物」として描いてきた流れに沿った、面白い創作だと思います。
これにたいして大海人皇子は、中大兄皇子に殺人容疑を問い質しますが、私は大君なのだから発言するのなら覚悟を持て、と言われて一瞬怯みます。しかし、そこで引き下がらず、中大兄皇子の発言を逆手にとってやり込めるところは、大海人皇子も今後「怪物」として描かれていくのだろうな、と予感させます。「怪物」となった大海人皇子と、腹心とも言うべき鵲や、妻の大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹(大田皇女は大海人皇子が本格的に「怪物」となる前に死にそうですが)や、長女の十市皇女との関係も変わっていき、十市皇女の悲劇(そう断言できるのか、確証はないのですが)につながっていくように思います。
今回の中大兄皇子・大海人皇子兄弟の心理戦は見応えがありましたが、このまま大海人皇子が中大兄皇子をやり込めるということはなさそうです。中大兄皇子が阿曇比羅夫たちを百済救援軍として派遣したのは、661年7月24日に斉明帝が崩御した直後の661年8月でしたから、大海人皇子の朝鮮半島出兵妨害工作は、作中ではけっきょく失敗することになるのでしょう。ただ、昔から指摘されていることですが、『日本書紀』「天智紀」には重複記事が多いので、作中で倭(日本)軍の朝鮮半島への出兵は翌662年夏以降、とされても大きな問題はないように思います。
この作品ではどう解釈されるのか、次号を読んでみないと分からないのですが、今度は中大兄皇子が大海人皇子の発言を逆手にとって、大君(天皇)に即位せず称制して国政を掌握する、と宣言するのではないか、と予想しています。さすがに、これまで作中で言及されてさえいない間人皇女が即位する(中皇命=間人皇女説)という話にはならないでしょう。作中では、新しい大君は一年は喪に服すのが務めとされていますので、即位しないのなら一年喪に服す必要はないとして、中大兄皇子は直ちに朝鮮半島への出兵を命じるのではないか、というわけです。おそらく、中大兄皇子は大海人皇子と豊璋が和平工作に動いていることも薄々感づいているでしょうから、『日本書紀』「天智紀」の早期出兵説が採用されて、豊璋も661年中に朝鮮半島へと帰還することになりそうな気がします。
今回、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹は一瞬しか描かれませんでした。あるいは、私が大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と認識した女性は別人なのかもしれませんが、おそらく間違いないだろう、と思います。大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と祖母の斉明帝との関係が良好な場面は何度か描かれていましたので、この姉妹が斉明帝の崩御を嘆き悲しむのは不思議ではありません。ただ、鸕野讚良皇女のあの悪人顔と、祖母の死を姉と共に嘆き悲しむところに、やや違和感もあります。まあ、さすがに私の偏見が強すぎる、ということなのかもしれませんが。この作品の鸕野讚良皇女は、悪人顔で気が強いものの、特別に冷酷というわけではなく、人間性にはそんなに問題がない、という人物造形になるのでしょうか。鸕野讚良皇女の今後の言動も含めて、次回以降もたいへん楽しみです。
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