ゲイの人何人か知ってるけど、むしろ平均以上に賢い人が多い。

 表題の発言をたまたま知ったのですが、疑問に思うところが少なくありません。発言者の意図は不明ですが、ゲイの人は平均以上に賢い人が多い、という一般化だと解釈する人が多くいても不思議ではないでしょう。同性愛者は優秀だとか、優秀な人や成功者に同性愛者が多い、というような言説をネットで見かけることがありますが、とても実証されているとは思えません。率直に言って、A国人は優秀だとか、B国人は低脳だとか、ABO式血液型の*型の人の性格は云々とかいった言説と同水準の与太話でしょう。

 もっとも、「ゲイの人何人か知ってるけど、むしろ平均以上に賢い人が多い」という認識自体が妥当である可能性は低くないように思います。現代日本社会においても、もちろん個人差は大きいにしても、同性愛者への偏見・蔑視があることは否定できないでしょう。そのような社会において、もちろん個人差はあるにしても、ゲイであると告白することへの心理的圧力は強いでしょう。それでもゲイであると告白する人は、自分に自信があることが多く、何らかの点で優秀な人が多いのではないか、と思います(気が強い・弱いなどといった性格的な問題もあるでしょうが)。したがって、(言動が明示的なので他人にも)ゲイだと認識できる人々が、「平均以上に賢い」場合が多くても不思議ではありません。

 しかし、ゲイであることが賢さを保証しているわけではない以上、ゲイの人々のなかにも、そうではない人々と同程度の割合で「賢くない」人がいると考えるのが常識的であり、そうした人々の多く(少なくとも一定水準以上の割合)は、社会的地位が低く、自分にもあまり自信が持てていないのではないか、と思います。そうした人々がゲイだと告白する頻度は、「平均以上に賢い」ゲイの人々と比較して、ずっと低いのではないか、と思います。もし、優秀ではなく社会的地位の低い自分がゲイだったとしたら、とてもではありませんが、両親や兄姉妹にもゲイだと告白はできないでしょう。また、そうした優秀ではなく社会的地位の低い「弱い立場」のゲイの人は、社会的な同調圧力により、自らの性的指向を意識的もしくは無意識的に抑圧し、ゲイという自覚がないか、きわめて弱いという場合も考えられます。

 表題の発言が気になったのも、自分自身はゲイではないにしても、社会的少数者に分類される他の区分に複数属しているからです。そうした社会的少数者を持ち上げるような認識は、上記のような認知的問題を抱えているものが多いのではないか、との疑問が残ります。これが「持ち上げる」ような認識といえども問題なのは、それが容易に差別・蔑視へと転化し得るからです。過大評価・過小評価とは座標軸がやや異なることもあるでしょうが、実態と異なる評価は危険だと思います。

 こうした問題で私が想起することが多いのは、社会的少数者となっている先住民についてです。各地の先住民を、「自然破壊的」な「近代欧米文明」にたいして、「自然と共存している」などと持ち上げる言説もあります。しかし、こうした認識がどれだけ実証に基づいたものなのか疑問ですし、「自然と共存している」先住民との認識は、「未開・野蛮」の先住民という偏見・蔑視へと容易に転嫁し得るものだと思います。

 まあ社会的少数者とはいっても、当然のことながらその区分は固定的・不変的なものではありません。たとえば喫煙に関して、数十年前ならば、私は間違いなく社会的少数者の側に区分されていたでしょう。20~30年前、学校の職員室では教師たちが堂々と喫煙していたものです。一方で、当然のことですが、喫煙したことが明らかになった生徒は、教師たちから処分を受けていました。しかし現代日本社会では、喫煙に関してむしろ私は社会的多数者に属しつつあるのではないか、と思います。

 飲酒に関しては、現代日本社会では私はまだ社会的少数者のようです。しかし、数十年前と比較すると、私にとって状況はかなり改善されているのではないか、と思います。この他にも、社会的少数者に分類される区分に私は複数属していますが、優秀ではなく社会的地位の低い自分が告白するのは、このような匿名の過疎ブログといえども躊躇われます。また、自覚がないだけで、社会的少数者に分類される区分に属していることもあるかもしれません。

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