政治的分類を固定的に把握しすぎる
典型的なのは、外国に対する姿勢に基づく分類です。たとえば、自国にとってのある外国を仮にA国とすると、A国寄りの言動の人や政権や政党を親A派と分類することは珍しくありません。どうも現代日本社会(に限らないのでしょうが)では、この親**派という分類を固定的に把握する人が少なくないように思います。親A派の政治家である甲は実はA国出身だ、というガセネタをネットで見かけることは少なくありませんが、これも政治的分類をあまりにも固定的に把握しすぎることから生まれたものなのでしょう。
しかし、少し常識的に考えてみたら、たとえば、アメリカ合衆国とイラクのフセイン政権やイスラームのスンニ派過激主義者(の一部)との関係の変遷からも、親**派といった政治的分類を固定的に把握しすぎることの問題点が了解されようというものです。他の現在進行形の問題でいえば、ムバラク政権末期以降のエジプト(軍部と世俗派との関係)や、内戦状態となって以降のシリア(クルド人の動向)なども挙げられます。
これは古代史においても同様で、天智が親百済派・天武が親新羅派という歴史認識をよく見かけます。そこからさらに、天智は百済出身で天武は新羅出身といった説も主張されていて、ある程度一般に浸透しているようです(さすがに専門家でそう主張している人はいないようですが)。これも政治的分類を固定的に把握しすぎることによる妄想と言うべきで、天智と天武の外交方針は当時の「国際」情勢の推移に対応したものであり、両者の出自に起因するとの解釈はとても妥当とは言えないでしょう(関連記事)。
しかし、少し常識的に考えてみたら、たとえば、アメリカ合衆国とイラクのフセイン政権やイスラームのスンニ派過激主義者(の一部)との関係の変遷からも、親**派といった政治的分類を固定的に把握しすぎることの問題点が了解されようというものです。他の現在進行形の問題でいえば、ムバラク政権末期以降のエジプト(軍部と世俗派との関係)や、内戦状態となって以降のシリア(クルド人の動向)なども挙げられます。
これは古代史においても同様で、天智が親百済派・天武が親新羅派という歴史認識をよく見かけます。そこからさらに、天智は百済出身で天武は新羅出身といった説も主張されていて、ある程度一般に浸透しているようです(さすがに専門家でそう主張している人はいないようですが)。これも政治的分類を固定的に把握しすぎることによる妄想と言うべきで、天智と天武の外交方針は当時の「国際」情勢の推移に対応したものであり、両者の出自に起因するとの解釈はとても妥当とは言えないでしょう(関連記事)。
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