7000年前頃のヨーロッパ人のゲノム(追記有)
今日はもう1本掲載しておきます。7000年前頃のヨーロッパ人のゲノムについての研究(Olalde et al., 2014)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。じゅうらい、狩猟採集社会から農耕・畜産・定住社会への移行という重要な画期において、どのような遺伝子の適応的変化が生じたのか、遺伝的データの不足のため、じゅうぶんに把握することが難しい状況にありました。
この研究では、スペインのレオンにあるラブラナアリンテーロ(La Braña-Arintero)遺跡で発見された7000年前頃の中石器時代の男性の歯からDNAが抽出・解析され、アルプスで発見された5300年前頃の通称「アイスマン」など新石器時代のヨーロッパ人、スウェーデン・フィンランド・シベリアの狩猟採集民の墓から入手した部分的な遺伝子標本、現代ヨーロッパ人35名のDNAなどと比較されました。
その結果、上部旧石器時代から中石器時代の西部・中央部ユーラシアにわたる共通の古代ゲノムが識別されました。また、現代ヨーロッパ人の遺伝子において病原体抵抗と関連する多くの派生的・適応的異型が、すでに中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民に存在していたことも明らかになりました。このことから、ヨーロッパにおける旧石器時代からの遺伝的連続性が推測されます。もちろん、新石器時代以降も、ヨーロッパへの人々の移住はありましたが。
また、中石器時代ラブラナアリンテーロ人男性のいくつかの肌の色素形成遺伝子には、古代から継承されていた肌の色を濃くするような対立遺伝子が確認されました。このことから、中石器時代のヨーロッパにおいて、薄い色の肌はまだ広まっていなかったのではないか、とこの研究は示唆しています。ヨーロッパで薄い色の肌が広まったのは、農耕への依存度が強くなっていったことと関係があるのかもしれません。高緯度地帯において穀物への依存を強めていく(生肉の消費量が減る)と、肌の色が薄い方がビタミンD不足に陥りにくくなります。もっとも、それは関係なく、性選択か単なる偶然だった可能性も考えられますが。
追記(2014年3月13日)
この論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
遺伝学:最後の狩猟採集民
遺伝学:7000年前の中石器時代のヨーロッパ人に存在した、免疫および先祖型の色素形成に関わる対立遺伝子
農耕の出現は、ヒトの生理的特性に、化石記録で明らかになっているようなさまざまな進化的変化を引き起こしたと考えられている。しかし、どの特性が変化したのかは、比較の基準となる農耕出現直前のヒトの生理的特性に関する記録がないため、正確には分かっていない。だが今回、C Lalueza-Foxたちが報告したスペインの中石器時代の狩猟採集民のゲノムは、その基準になるかもしれない。およそ7000年前に生存していたこの男性の遺伝子は、他のヨーロッパ人よりも、シベリアにいた古代人のゲノムとの共通点の方が多いことから、当時のユーラシアは全土にわたって、希薄ではあるが広範囲に広がる遺伝的連続性が存在したと考えられる。この男性は乳糖不耐性であったらしく、また、新石器時代の農耕民に比べてデンプンを含む食物をあまりよく消化できなかったようである。つまり、このような生理的変化は農耕とともに出現したのだろう。また、この男性は肌が浅黒く目が青いという珍しい組み合わせであったらしい。このことからすると、中石器時代には、現代ヨーロッパ人のような白い肌への移行はまだ不完全であり、目の色の変化の方が先に起こったようだ。
参考文献:
Olalde I. et al.(2014): Derived immune and ancestral pigmentation alleles in a 7,000-year-old Mesolithic European. Nature, 507, 7491, 225–228.
http://dx.doi.org/10.1038/nature12960
この研究では、スペインのレオンにあるラブラナアリンテーロ(La Braña-Arintero)遺跡で発見された7000年前頃の中石器時代の男性の歯からDNAが抽出・解析され、アルプスで発見された5300年前頃の通称「アイスマン」など新石器時代のヨーロッパ人、スウェーデン・フィンランド・シベリアの狩猟採集民の墓から入手した部分的な遺伝子標本、現代ヨーロッパ人35名のDNAなどと比較されました。
その結果、上部旧石器時代から中石器時代の西部・中央部ユーラシアにわたる共通の古代ゲノムが識別されました。また、現代ヨーロッパ人の遺伝子において病原体抵抗と関連する多くの派生的・適応的異型が、すでに中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民に存在していたことも明らかになりました。このことから、ヨーロッパにおける旧石器時代からの遺伝的連続性が推測されます。もちろん、新石器時代以降も、ヨーロッパへの人々の移住はありましたが。
また、中石器時代ラブラナアリンテーロ人男性のいくつかの肌の色素形成遺伝子には、古代から継承されていた肌の色を濃くするような対立遺伝子が確認されました。このことから、中石器時代のヨーロッパにおいて、薄い色の肌はまだ広まっていなかったのではないか、とこの研究は示唆しています。ヨーロッパで薄い色の肌が広まったのは、農耕への依存度が強くなっていったことと関係があるのかもしれません。高緯度地帯において穀物への依存を強めていく(生肉の消費量が減る)と、肌の色が薄い方がビタミンD不足に陥りにくくなります。もっとも、それは関係なく、性選択か単なる偶然だった可能性も考えられますが。
追記(2014年3月13日)
この論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
遺伝学:最後の狩猟採集民
遺伝学:7000年前の中石器時代のヨーロッパ人に存在した、免疫および先祖型の色素形成に関わる対立遺伝子
農耕の出現は、ヒトの生理的特性に、化石記録で明らかになっているようなさまざまな進化的変化を引き起こしたと考えられている。しかし、どの特性が変化したのかは、比較の基準となる農耕出現直前のヒトの生理的特性に関する記録がないため、正確には分かっていない。だが今回、C Lalueza-Foxたちが報告したスペインの中石器時代の狩猟採集民のゲノムは、その基準になるかもしれない。およそ7000年前に生存していたこの男性の遺伝子は、他のヨーロッパ人よりも、シベリアにいた古代人のゲノムとの共通点の方が多いことから、当時のユーラシアは全土にわたって、希薄ではあるが広範囲に広がる遺伝的連続性が存在したと考えられる。この男性は乳糖不耐性であったらしく、また、新石器時代の農耕民に比べてデンプンを含む食物をあまりよく消化できなかったようである。つまり、このような生理的変化は農耕とともに出現したのだろう。また、この男性は肌が浅黒く目が青いという珍しい組み合わせであったらしい。このことからすると、中石器時代には、現代ヨーロッパ人のような白い肌への移行はまだ不完全であり、目の色の変化の方が先に起こったようだ。
参考文献:
Olalde I. et al.(2014): Derived immune and ancestral pigmentation alleles in a 7,000-year-old Mesolithic European. Nature, 507, 7491, 225–228.
http://dx.doi.org/10.1038/nature12960
この記事へのコメント