ネアンデルタール人の皮革加工用骨角器

 取り上げるのが遅れましたが、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)の皮革加工用骨角器についての研究(Soressi et al., 2013)が報道されました。『ネイチャー』のサイトでも取り上げられています。この研究は、フランス南西部で発見された骨角器を分析し、それをネアンデルタール人と現生人類(ホモ=サピエンス)との関係においてどう位置づけるのか、という問題にも言及しています。

 近年では、ネアンデルタール人の遺跡における現代的行動の考古学的指標となり得る遺物の確認例が増加しつつあります。その指標とは、専門化した骨角器・装飾品などです。ネアンデルタール人の遺跡に見られるこうした現代的行動の出現が、ネアンデルタール人と現生人類との接触の結果によるものなのか、それともネアンデルタール人独自のものなのか、という問題をめぐって活発な議論が続いています。

 この研究では、フランス南西部のペシュドゥラゼ1(Pech-de-l’Azé I)遺跡とアブリペイロニ(Abri Peyrony)遺跡で発見された骨角器が分析対象とされています。両遺跡間の距離は35km程度です。どちらの遺跡でも、骨角器はアシューリアン伝統ムステリアンの層で発見されました。ヨーロッパにおけるアシューリアン伝統ムステリアンの担い手は、これまでのところネアンデルタール人しか確認されておらず、それは今後も変わらないでしょう。

 まず、ペシュドゥラゼ1遺跡で骨角器が発見され、それはリスワー(艶出し用のコテ)として知られているものでした。リスワーはシャテルペロニアン・プロトオーリナシアン・オーリナシアンといった西ヨーロッパの初期上部旧石器時代から見られ、後期上部旧石器時代から現代を通じても見られます。現代でも、高級ブランドとして知られているパリのエルメス社では、一流の皮革製品職人により同様の道具が用いられているそうです。ペシュドゥラゼ1遺跡の骨角器と同様のものの断片が、後にアブリペイロニ遺跡でも発見され、ネアンデルタール人が日常的に作製・使用していた可能性が高くなりました。

 ネアンデルタール人の所産と推定されている骨角器はすでに他にも発見されておいます。しかし、以前より知られていたネアンデルタール人の骨角器が石器とそっくりなのに対して、新たに発見されたこれらの骨角器は、曲げても折れないという機能性や質感など、骨の物理的特性を利用している、とのことです。今回新たに発見された骨角器の微視的使用痕は、現代におけるリスワー(に類似した道具)のそれと一致しました。また、研究チームが実験的に同様の道具を作り、乾燥した皮の皺を伸ばしたところ、新たに発見された骨角器と同様の小さい筋ができたそうです。このことから、ネアンデルタール人は骨角器を皮の艶出しに使った可能性が高い、とされています。

 アブリペイロニ遺跡第3層で発見された骨角器は、加速器質量分析法による放射性炭素年代測定法では、較正年代で47710~41130年前となりました。ペシュドゥラゼ1遺跡の骨角器(G8-1417)は第4層で発見され、第4層には人工物やネアンデルタール人少年の歯も含む化石が発見されています。第4層の単一粒子光ルミネッセンス年代は51400±2000年前で、じゅうらいの放射性炭素法年代・電子スピン共鳴法年代・電子スピン共鳴法とウラン系列法の組み合わせによる年代と一致します。

 アブリペイロニ遺跡第3層の骨角器の下限年代は、現生人類が西ヨーロッパへと進出した年代とぎりぎり重なるかもしれません。そのこともあってか、アシューリアン伝統ムステリアンの骨角器に現生人類の影響があったのか否かという問題について、この研究は慎重な姿勢を見せているように思われます。しかしこの研究は、現生人類がネアンデルタール人に影響を与え始めた年代がじゅうらいの推定よりも早かった可能性も考慮しつつ、リスワーのような専門化した骨角器がネアンデルタール人独自の所産だった可能性の方に傾いているように思います。

 そのことと、現生人類がヨーロッパに到達した時点で有していた骨角器は先の尖ったものだけだったことから、この研究は、ネアンデルタール人と現生人類がそれぞれ独自にリスワーを発明した可能性も考慮しつつ、ネアンデルタール人から現生人類へとリスワーの技術が伝えられた可能性を指摘しています。この論文の筆頭著者のマリー=ソレッシ博士は、ペシュドゥラゼ1遺跡とアブリペイロニ遺跡の骨角器は、ネアンデルタール人から現生人類への文化的伝播を示す初めての証拠となるかもしれない、と述べています。

 以上、ざっとこの研究について見てきました。近年のネアンデルタール人「復権」の傾向をさらに強めることになりそうな研究と言えそうです。もちろん、この研究で提示された仮説が確証されたとまでは言えないので、今後のさらなる研究の進展が期待されます。現生人類と他系統の人類との交雑を否定する「過激な」現生人類アフリカ単一起源説が優勢だった時期には、認知能力の面でもネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する見解が目立ったように思います。もちろん、ネアンデルタール人と現生人類とで何らかの認知能力の違いが存在した可能性はあるでしょうが、それをある程度以上の妥当性で論じるには、まだ考古学的・遺伝学的証拠は不充分だと言うべきでしょう。


参考文献:
Soressi M. et al.(2013): Neandertals made the first specialized bone tools in Europe. PNAS, 110, 35, 14186–14190.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1302730110

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