五島勉氏と東京都知事選に出馬する舛添要一元厚生労働相との関係

 まだ日付は変わっていないのですが、1月10日分の記事として掲載しておきます。来月9日に東京都知事選の投開票が行なわれることになり、この3年弱で3回目の都知事選ということになります。選挙は権利行使の重要な機会とはいえ、一東京都民としては、さすがに3年弱で3回の都知事選は税金の無駄遣いだろう、と言いたくもなります。しかし、こうなった以上は今から愚痴を言っても始まらないので、もちろん投票には行きますが。

 今回の都知事選で、現時点で最有力候補と目されているのは舛添要一元厚生労働相です・・・というはずだったのですが、もし細川護煕元首相が都知事選に立候補するとなると、情勢がどう変わるのか分かりません。多くの人にとって細川元首相はもう過去の人になっているのかもしれませんが、それを言えば舛添氏も大して変わらないようにも思います。何よりも、細川元首相が立候補した場合、小泉純一郎元首相が協力すると報道されていることが不気味です。この記事の大半を執筆した数日前の時点では、細川元首相が立候補することはなさそうだったのですが・・・。

 細川元首相が立候補するとなると、この記事も間抜けなものになってしまいそうですが(本当は都知事選の告示の日に公開しようと思っていたのですが、細川元首相が立候補した場合、情勢によってはさらに間抜けな記事になりそうだったので、慌てて少し加筆して、1月9日に公開することにしました)、それでも舛添氏が有力候補であることに変わりはないでしょうから、その前提で書き進めていきます。

 舛添氏は優秀な頭脳の持ち主ではあるものの、正直なところ、大規模な組織の長には向いておらず、この点では前都知事と似たところがあると思います。もっとも、舛添氏は厚生労働相を経験していますし、優秀な頭脳の持ち主ですから、都知事に就任すれば無難にこなすとは思います。先々代はもちろんのこと先代の都知事よりも対外的な失言は少ないでしょうから、この点でも無難な選択と言えるかもしれません。

 ただ、舛添氏は自民党が野党だった時代に自民党を見限って離党していますので、自民党の国会議員・都議会議員の舛添氏にたいする印象はよくないでしょう。議会運営や「身体検査」面での問題で舛添氏が躓いた時、都議会が早々に舛添氏を見限り、舛添氏は辞職せざるを得なくなる、という前都知事の時と似た展開になりそうな気もします。舛添氏はその経歴・言動から、一部ではなく多くの政治的立場の人から批判されやすいので、今後多くの人が舛添氏の過去の言動を取り上げ、問い質すことでしょう。そこで私も、あまり知られていないか、多くの人には忘れられてしまっただろう、と私が考えている舛添氏の言動を取り上げることにします。


 このブログでも何度か述べてきましたが、私は五島勉氏のファンであり、単独のブログテーマを設定しているくらいです。いつか五島勉氏のまとめサイトを開設しようと考えているくらいですが、怠惰なこともありますし、優先順位のより高い趣味が他にもあるので、ほとんど進んでいません。まあ、本気で五島勉氏の思想・言説を検証しようとしたら、現代フランス語のみならず中世フランス語(「方言」も含めて)やラテン語も習得しなければならないでしょうから、さすがに自分の能力では無理そうだな、と思って尻込みしているということもあります。自分が元気でいる間に、五島氏の思想・言説と戦後日本社会の思潮との関係という観点から考察を執筆しよう、とは考えているのですが。

 この記事の主題でもある舛添氏と五島氏との関係については、以前にも少し言及したことがありますが(関連記事)、そこでも述べたように、私は2002年頃にあるサイト(現在では消えています)を参考にして五島氏の著作の目録を作成したことがあります(ネット上で公開はしていません)。ただ参考にして目録を作成するだけではなく、独自性も打ち出したいと思い、私の所有している本については、解説者・推薦者もまとめてみました。

 かなりの人が解説者・推薦者として登場しているのですが、もっとも登場回数が多いのは桜井邦朋氏の5回で、舛添要一氏の4回、竹村健一氏の3回と続きます。もっとも、私が五島氏の著作に本格的にはまったのは1999年以降のことであり、それ以前に刊行された五島氏の著作は古書店で入手することが多かったので、所有している本のなかには帯のないものもあります。したがって、見落としている解説者・推薦者もいるかもしれません。また、1980年代以降の五島氏の著作はおおむね入手していると思うのですが、まだ見落としがあるかもしれません。

 五島氏の著作の入手を本格的に始めた当初、舛添氏が推薦者の中にいることを知ってたいへん驚いたものです。舛添氏ならば、五島氏的な言説に関心がないか、軽蔑しているはずなのではないか、と当時は思ったものです。何かしがらみがあったのだろうか、あるいは出版社が勝手に推薦文を書いたのかとも疑ったのですが、私が把握しているだけでも4回も推薦文を寄せているとなると、舛添氏が五島氏の言説にそれなりに共感していたのではないか、とも思います。今でも、舛添氏が五島氏の著作に推薦文を寄せた理由を上手く説明できないのですが、それを考えるための手がかりとして、舛添氏の推薦文を以下に引用します(引用文は青字です)。


◎『「1998年日本崩壊」エドガー・ケーシーの大予告』(青春出版社)
 初版第1刷の刊行は1990年2月5日で、私が所有しているのは1990年2月19日刊行の第47刷です。こんな短期間で第47刷までいくとは、1990年の時点でも五島氏は売れっ子作家だったということなのでしょう。じっさい、五島氏の体力的な問題も関わっているとしても、1990年代には五島氏の著作が毎年のように数冊程度刊行されており、2000年代以降とは刊行数が明らかに違います。本書はエドガー=ケーシーの「予言・透視」を取り上げており、五島氏らしい白人・欧米への敵意が見られます。以下、舛添氏の推薦文の引用です。

●この恐怖と不安の10年間、私たちは一体どうなるのか!?
国際政治学者 舛添要一
 東欧の激動、米ソの和解も、ルーマニア動乱もすべてケーシーが当てていることにはビックリした。経済学者でもない彼が一流の経済学者以上の分析ができるのは何故なんだろう。1990年からの日本が迎える悲劇の数々は、誰が読んでも恐怖と不安でいたたまれなくなるだろう。私たちは一体どうなるのだろう。



◎『エドガー・ケーシーの最終予告 1998年“裁きの救世主”』(青春出版社)
 私が所有している初版第1刷の刊行は1992年12月15日です。こちらも五島氏らしい白人・欧米への敵意が根底にあるのですが、キリスト教が大きく取り上げられているのが特徴です。以下、舛添氏の推薦文の引用です。

●“人類が託す最後の切り札”について、私も目を離せない!
国際政治学者 舛添要一
 前作『「1998年日本崩壊」エドガー・ケーシーの大予告』で明確に示された世界と日本の運命がすべて的中していくように見える点はただただ驚くばかりだが、今回新たに浮かび上がった「ケーシーの最終予告」なるものが持つリアリティは前作以上だ。世界中の政治、経済、軍事、科学などの情報を総合的に見ている私の研究からの予測と、ケーシーの目を通じて見た未来がジグソーパズルのように恐ろしいほどはまっていくのは、否定できない不気味なものを感じる。“人類が託す最後の切り札”について私も目を離すことはできない。



◎『ノストラダムスの超法則 死活の書』(青春出版社)
 私が所有している初版第1刷の刊行は1994年12月1日です。本書はノストラダムスの「未発表の手紙や対話から発見された秘密の指針」を取り上げています。近い将来の人類全体の危機を強調するいつもの五島節ですが、人生指南的性格も見られるのが本書の特徴になっています。以下、舛添氏の推薦文の引用です。

●あのノストラダムスが「生き残りの法則」を遺していた事実に圧倒される!
国際政治学者 舛添要一
 今世紀もいよいよあと5年と押し迫り、日本が執る政策の一つ一つが、まさに死活問題としての重要性をますます孕んできているというのに、国民個人の問題意識が変わらず低い現状は大変はがゆい。核の問題一つとっても、一体どれだけの日本人が本気で危機感を持っているのか甚だ疑問である。400年以上前に残されたというノストラダムスの「生き残りの法則」が、このような病める現代にこそ、その本領を発揮するのは、実に驚くべきことで、最初から全てを見透かしていたような、ただならぬ慧眼ぶりにはとにかく圧倒させられる。



◎『天と地の予言書』(青春出版社)
 初版第1刷の刊行は1995年6月5日で、私が所有しているのは1995年9月15日刊行の第20刷です。1990年刊行の『「1998年日本崩壊」エドガー・ケーシーの大予告』ほどの勢いではありませんが、1990年代半ばの時点でも五島氏は売れっ子作家だったということなのでしょう。本書は聖徳太子の「予言」を密かに伝えられてきた『先代旧辞』および広く知られている『古事記』に見出し、日本の近い将来の危機を強調しています。密かに伝えられてきた『先代旧辞』とは、『古事記』序文に見える、稗田阿礼が『先代旧辞』を読み習ったという記述に着想を得たのでしょうか。五島氏は本書以前にも聖徳太子の「予言」を取り上げていますが(『聖徳太子「未来記」の秘予言』)、本書とはうまくつながっていないように思います。以下、舛添氏の推薦文の引用です。

●日本再浮上のカギを示唆する本書は、混迷の現代の必読書だ!
国際政治学者 舛添要一
 地下鉄サリン事件、史上最高値を更新する円、政界の大混乱・・・・・・この数カ月の間に、それまでの“最も治安のいい国”“政治・経済の安定した国”とする“日本神話”が覆されるような出来事が頻出している。国民一人ひとりが、我が事として、強い危機感を持たなければ、今後ますます混迷をきわめると思われるこの末期的状況を乗り切ることはできない。そんな中、日本が再浮上する条件として、あらゆる権力の腐敗、歪んだ精神、奢った生活を改めたときとする本書の示唆は大変意義深い。そして、そんな予言書が世界のどこでもなく、この日本にあったということは、日本人として誇るべきことといえよう。



 改めて確認してみると、舛添氏が解説文を寄せた五島氏の著作はすべて、青春出版社で刊行されています。何らかのしがらみがあったとしたら、そこでしょうか。改めて読み返してみても、優秀な頭脳の持ち主で良くも悪くも俗っぽい舛添氏がこのような推薦文を書いたことは不可解なのですが、五島氏の筆力がそれだけ優れており、「精神世界」への関心の強い人だけではなく、世俗的な人も惹きつけたということなのでしょうか。舛添氏にとっては消したい恥ずかしい過去かもしれませんが、五島勉ファンのお前の方が恥ずかしい人間ではないか、と言われたら反論できませんなあ・・・。いやまあ、舛添氏と私とでは、立場・背負っているものに比較にならないくらいの差がありますが。

 私のことはさておき、舛添氏が五島勉氏の著作に推薦文を寄せていた件についてです。あるいは、舛添氏には軽率で単純化するところがあるので、それが関係しているのかな、とも思います。舛添氏は『朝まで生テレビ』で有名になった後、テレビ朝日の時代劇に出演し、「朝まで議論しますか」といった台詞を言っていたと記憶しています。村山内閣の頃に出演したテレビ番組では、この不景気を解決するには村山首相(当時)が退陣すればよい、という主旨の発現を舛添氏はしており、いかにテレビ番組での発言とはいえ、ずいぶんと単純化した発言をする人だなあ、と思ったものです。

 そのように単純化するところが、舛添氏が評論家として売れた要因なのかもしれず、それは選挙戦、とくに有権者の多い都知事選では有利に働くかもしれません。しかし、そうして単純化するところや軽率なところが、都知事として致命傷になるかもしれない、とも思います。舛添氏はその経歴から、国会・都議会を問わず自民党の多くの議員の反感を買っているでしょうから、それほどの大事ではなくても、「醜聞」が報道されて致命傷になるかもしれません。また2年もしないうちに都知事選になるような事態は、一都民としては本当に勘弁してもらいたいものではありますが。

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