40万年前頃の人類のミトコンドリアDNA(追記有)
まだ日付は変わっていないのですが、12月6日分の記事として掲載しておきます。40万年前頃の人類のミトコンドリアDNAについての研究(Meyer et al., 2014)が報道されました。読売新聞でも報道されました。ナショナルジオグラフィックにも記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究では、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」で発見された人骨のDNAが解析・比較されています。「骨の穴洞窟」では少なくとも28個体分となる30万年以上前の更新世中期の人骨が多数発見されており、「骨の穴洞窟」は世界最多の更新世中期の人骨が発見された遺跡となります。「骨の穴洞窟」はスペイン北部のアタプエルカ丘陵地にある複雑な洞窟群の一つで、古人類学では有名な遺跡です。
「骨の穴洞窟」の人骨群は、ホモ=ハイデルベルゲンシスと多くの解剖学的特徴を共有しており、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)の派生的特徴も有しています。そのため、「骨の穴洞窟」の人骨群は、ネアンデルタール人の祖先集団たるハイデルベルゲンシスとも、早期ネアンデルタール人とも分類されています。ハイデルベルゲンシスは、現在の主流的見解では、ネアンデルタール人と現生人類(ホモ=サピエンス)との共通祖先で、アフリカ起源とされています。
この研究で解析されたのは、「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAで、ほぼ完全なミトコンドリアゲノム配列が得られたとのことです。なお、この人骨の核DNAの解析は、現時点では成功していないそうです。「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAは、既知の他の人類のミトコンドリアDNAとの比較の結果、系統的にはデニソワ人と密接な関係にあることが明らかになりました。つまり、「骨の穴洞窟」人(の少なくとも1個体)は、母系ではネアンデルタール人よりもデニソワ人の方に近いわけです。
この研究は、人類最古、それもこれまでに成功したものよりもはるかに古いミトコンドリアDNA配列を確定したことになり、たいへんな快挙だと言えるでしょう。しかし、すでに78万~56万年前頃のウマのゲノム解読が成功していますから(関連記事)、この結果を予想していた人は多くいたことでしょう。「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨群のDNA解析を試みた研究チームにも、一定以上の成算があったのではないか、と思います。もっとも、そうでないと、近年では分析法が発展して少量の試料でも解析可能とはいえ、貴重な人骨を破壊する決断はしにくい、とも言えるかもしれませんが。
この研究が提示した結果に、この研究に加わっているスヴァンテ=ペーボ博士や、この研究には関わっていないクリス=ストリンガー博士など、多くの研究者たちが困惑しているようです。上述したように、ネアンデルタール人的な特徴も示している「骨の穴洞窟」の人骨群をネアンデルタール人の祖先集団と想定する見解が有力視されていましたし、ストリンガー博士のように、「骨の穴洞窟」の人骨群を早期ネアンデルタール人と考える見解も提示されていました。
そのため、「骨の穴洞窟」の人骨群のミトコンドリアDNAは、(もしその解析に成功したならば)現生人類やデニソワ人よりもネアンデルタール人に近いだろう、と多くの研究者は予想していたことでしょう。しかし、その予想は覆されました。現時点では、この結果により得られた解答よりも、新たに生じた疑問の方が多い、とペーボ博士は認めています。では、「骨の穴洞窟」の人骨群は人類の系統樹においてどこに位置づけられるのか、ということが議論となります。
しかしその前に、デニソワ人の位置づけが問題になると思います。このブログでも何度かデニソワ人を取り上げてきました(関連記事)。最初(2010年3月)にデニソワ人のミトコンドリアDNA解析の結果が報告された時、デニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人・現生人類の共通祖先の系統が100万年前頃に分岐した、とされていました(関連記事)。しかし、同年末(2010年12月)にデニソワ人の核DNAの解析結果が報告された時は、デニソワ人・ネアンデルタール人・現代人の共通祖先から現代人の系統とデニソワ人・ネアンデルタール人の共通祖先の系統が分岐し、その後にデニソワ人とネアンデルタール人の系統が分岐した、という人類進化系統樹になっていました(関連記事)。
つまり、ミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果では、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけが異なっているわけです。この食い違いについては、デニソワ人の核DNAの解析結果が報告された時から気になっていました。しかし、どのテレビ番組だったか忘れましたが、デニソワ人のDNA解析に最初から深く関わってきたペーボ博士が、最初のミトコンドリアDNAの解析による系統樹は間違っていた、とインタビューで答えていたこともあり、私も深く調べずにいました。核DNAの解析結果が公表されてからは、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけは、核DNAの解析結果に基づくものが一般にも広く浸透していたように思います。
しかし、「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAの解析結果を報告したこの研究によると、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけは、当初のミトコンドリアDNAの解析・比較に基づくものになっていますから、デニソワ人のミトコンドリアDNA解析に基づく人類進化系統樹が、デニソワ人の核DNAの解析結果により否定されたわけではなさそうです。つまり、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけは、今でもミトコンドリアDNAの解析結果と核DNAのそれとでは食い違っている、ということになります。
このデニソワ人の人類進化系統樹における位置づけの混乱を前提として、「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAの解析結果を考察しなければならないのだろう、と思います。上記報道でも指摘されているのが、ミトコンドリアDNAは母系での単系継承なので、「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨群がネアンデルタール人よりもデニソワ人の方に近いとは限らない、ということです。上述したように、デニソワ人もミトコンドリアDNAの解析結果と核DNAのそれとでは、人類進化系統樹における位置づけが異なります。
ペーボ博士は次のように考えています。ネアンデルタール人とデニソワ人の核ゲノム解析の結果は、両者が70万年前頃に共通祖先を有していたと示唆しています。「骨の穴洞窟」の更新世中期の人類はユーラシア全土へと拡散した創始者集団の子孫で、その創始者集団からネアンデルタール人・デニソワ人の2系統が生じたのかもしれません。「骨の穴洞窟」の人類にはネアンデルタール人型(により近い系統)とデニソワ人型(により近い系統という)両系統のミトコンドリアDNAが存在したものの、ネアンデルタール人の方では偶発系統損失によりデニソワ人型が失われ、デニソワ人の方ではその系統が3万年前頃まで続いたのかもしれません。
ストリンガー博士は次のように考えています。「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨から得られた新たなミトコンドリアDNA配列は、別の絶滅人類集団に由来するのかもしれません。「骨の穴洞窟」からそう遠くない場所から発見された80万年前頃の人骨群は、ホモ=アンテセソールと分類されています。アンテセソールはヨーロッパにおけるエレクトスの子孫と考えられています。このアンテセソールが、デニソワ人および「骨の穴洞窟」人と交雑し、両者に新たなミトコンドリアDNA系統をもたらしたのではないか、というわけです。これにより、デニソワ人と未知?の人類との交雑も説明できるかもしれません(関連記事)。
ペーボ博士の見解とストリンガー博士の見解のどちらが妥当なのか、あるいはさらに別の解釈が可能なのか、混沌とした状況の現時点では判断の難しいところです。この問題を解決するには、「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨群の、ミトコンドリアDNAだけではなく核DNAの解析に成功する必要があるでしょう。また、「骨の穴洞窟」に限らず、ヨーロッパの更新世中期の人骨のミトコンドリアDNAおよび核DNAの解析にも成功しなければならないでしょう。更新世中期の人骨からのDNA解析がたいへん難しいことは否定できず、おそらく低緯度地帯では成功の可能性がきわめて低いでしょう。それでも、ヨーロッパならば成功の可能性が低緯度地帯よりはずっと高いのではないか、と大いに期待しています。
なお、ミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果で、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけが異なる件については、海部陽介「ホモ・サピエンスのユーラシア拡散─最近の研究動向」に興味深い指摘があるのですが、以前ブログで取り上げた時(関連記事)には述べ忘れてしまいました。海部氏はデニソワ人が発見されたデニソワ洞窟で開催された2011年の会議に出席し、次のように述べたそうです。
デニソワ人のミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果の不整合には、何か意味があるのかもしれません。デニソワ人は実は「第三の人類」ではなくネアンデルタール人であり、アジアの古い人類(「原人」か「旧人」かは不明)と混血したのかもしれません。そう考えると、ミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果の不整合は説明できるのではないでしょうか。
海部氏のこの見解は、会議ではひじょうに受けがよかったとのことで、デニソワ洞窟の調査チームも、この見解を再検討してみる、と述べたそうです。デニソワ人と未知?の人類との交雑の可能性という最近の報告(関連記事)とも通ずるかもしれない見解です(その報告が海部氏の見解も参考にしたのか否か、私には分かりませんが)。デニソワ人や「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨のDNA解析結果は、人類の進化がかなり複雑なものだったことを示唆しています。それがどう解き明かされていくのか、今後の研究の進展が本当に楽しみです。もちろん、この研究のように、解明されたことよりも新たに生じた謎の方が多い、という研究結果が提示されることもあるかもしれません。それもまた、人類進化の研究の醍醐味と言えるでしょう。
参考文献:
Meyer M. et al.(2014): A mitochondrial genome sequence of a hominin from Sima de los Huesos. Nature, 505, 7483, 403–406.
http://dx.doi.org/10.1038/nature12788
追記(2015年4月21日)
デニソワ人(種もしくは亜種区分未定)の系統樹における位置づけが、ミトコンドリアDNAと核ゲノムのDNAとで異なっていることについて、本論文中の見解をまとめていなかったので、簡潔に追記しておきます。上述したこの違いについて本論文は、不完全な系統配列の可能性と、他の古代型ホモ属からデニソワ人への遺伝子流動の可能性を想定したうえで、いくつかの仮説を提示しています。
(1)「骨の穴洞窟」人はデニソワ人の祖先とひじょうに近縁な関係にあった、とする仮説です。しかし、西ヨーロッパにデニソワ人(もしくはその祖先集団)が存在したとすると、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の生息範囲と大きく重なることになり、ネアンデルタール人と遺伝的にどのように分岐したのか、説明が難しくなるので、この仮説はあり得えなさそうだ、と本論文は指摘しています。また、デニソワ人の解剖学的特徴はまだほとんど明らかではないものの、デニソワ人の臼歯が例外的に大きい一方で、「骨の穴洞窟」人には歯の縮小が見られる、という分析結果も、この仮説に否定的な証拠として本論文は挙げています。
(2)「骨の穴洞窟」人はネアンデルタール人ともデニソワ人とも異なる系統の人類集団で、後に交雑によりデニソワ人のミトコンドリアDNAに自らの系統をもたらした、とする仮説です。しかしこれは、ネアンデルタール人とは関係しない集団において、いくつかのネアンデルタール人的な解剖学的特徴が独立して出現した、ということを説明しなければならない、と本論文は指摘しています。
(3)「骨の穴洞窟」人はネアンデルタール人とデニソワ人との共通祖先集団と関連していたかもしれない、とする仮説です。「骨の穴洞窟」人の年代とネアンデルタール人のような解剖学的特徴を考慮すると、この仮説が最もあり得そうだ、と本論文は指摘しています。しかし、同じ古代型人類集団に古くに分岐したミトコンドリアDNAの複数の系統が存在し、そのうちの1系統がデニソワ人に、別の1系統がネアンデルタール人に継承されたことを説明しなければならない、と本論文は指摘しています。
(4)デニソワ人ともネアンデルタール人とも「骨の穴洞窟」人とも(それらの祖先集団とも)異なる人類集団が、デニソワ人のようなミトコンドリアDNAの系統を「骨の穴洞窟」人もしくはその祖先集団にもたらし、そのような人類集団がアジアではデニソワ人に自らのミトコンドリアDNAをもたらした、とする仮説です。化石記録によると、「骨の穴洞窟」人と同じ頃に、アフリカ・アジア・ヨーロッパには明確なネアンデルタール人的特徴の見られない人類が存在します。これらの人骨はしばしば、分類の難しいハイデルベルゲンシスに区分されています。そうした人骨は、エレクトス(Homo erectus)といくつかの特徴を共有するとされるアンテセッサー(Homo antecessor)の生き残りなのかもしれない、との可能性を本論文は提示しています。
このように「骨の穴洞窟」人とデニソワ人およびネアンデルタール人との関係について、仮説は色々と考えられますが、「骨の穴洞窟」人とネアンデルタール人やデニソワ人との遺伝的関係を決定するには、「骨の穴洞窟」人の核DNAの配列が必要となる、と本論文は指摘しています。
「骨の穴洞窟」の人骨群は、ホモ=ハイデルベルゲンシスと多くの解剖学的特徴を共有しており、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)の派生的特徴も有しています。そのため、「骨の穴洞窟」の人骨群は、ネアンデルタール人の祖先集団たるハイデルベルゲンシスとも、早期ネアンデルタール人とも分類されています。ハイデルベルゲンシスは、現在の主流的見解では、ネアンデルタール人と現生人類(ホモ=サピエンス)との共通祖先で、アフリカ起源とされています。
この研究で解析されたのは、「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAで、ほぼ完全なミトコンドリアゲノム配列が得られたとのことです。なお、この人骨の核DNAの解析は、現時点では成功していないそうです。「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAは、既知の他の人類のミトコンドリアDNAとの比較の結果、系統的にはデニソワ人と密接な関係にあることが明らかになりました。つまり、「骨の穴洞窟」人(の少なくとも1個体)は、母系ではネアンデルタール人よりもデニソワ人の方に近いわけです。
この研究は、人類最古、それもこれまでに成功したものよりもはるかに古いミトコンドリアDNA配列を確定したことになり、たいへんな快挙だと言えるでしょう。しかし、すでに78万~56万年前頃のウマのゲノム解読が成功していますから(関連記事)、この結果を予想していた人は多くいたことでしょう。「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨群のDNA解析を試みた研究チームにも、一定以上の成算があったのではないか、と思います。もっとも、そうでないと、近年では分析法が発展して少量の試料でも解析可能とはいえ、貴重な人骨を破壊する決断はしにくい、とも言えるかもしれませんが。
この研究が提示した結果に、この研究に加わっているスヴァンテ=ペーボ博士や、この研究には関わっていないクリス=ストリンガー博士など、多くの研究者たちが困惑しているようです。上述したように、ネアンデルタール人的な特徴も示している「骨の穴洞窟」の人骨群をネアンデルタール人の祖先集団と想定する見解が有力視されていましたし、ストリンガー博士のように、「骨の穴洞窟」の人骨群を早期ネアンデルタール人と考える見解も提示されていました。
そのため、「骨の穴洞窟」の人骨群のミトコンドリアDNAは、(もしその解析に成功したならば)現生人類やデニソワ人よりもネアンデルタール人に近いだろう、と多くの研究者は予想していたことでしょう。しかし、その予想は覆されました。現時点では、この結果により得られた解答よりも、新たに生じた疑問の方が多い、とペーボ博士は認めています。では、「骨の穴洞窟」の人骨群は人類の系統樹においてどこに位置づけられるのか、ということが議論となります。
しかしその前に、デニソワ人の位置づけが問題になると思います。このブログでも何度かデニソワ人を取り上げてきました(関連記事)。最初(2010年3月)にデニソワ人のミトコンドリアDNA解析の結果が報告された時、デニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人・現生人類の共通祖先の系統が100万年前頃に分岐した、とされていました(関連記事)。しかし、同年末(2010年12月)にデニソワ人の核DNAの解析結果が報告された時は、デニソワ人・ネアンデルタール人・現代人の共通祖先から現代人の系統とデニソワ人・ネアンデルタール人の共通祖先の系統が分岐し、その後にデニソワ人とネアンデルタール人の系統が分岐した、という人類進化系統樹になっていました(関連記事)。
つまり、ミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果では、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけが異なっているわけです。この食い違いについては、デニソワ人の核DNAの解析結果が報告された時から気になっていました。しかし、どのテレビ番組だったか忘れましたが、デニソワ人のDNA解析に最初から深く関わってきたペーボ博士が、最初のミトコンドリアDNAの解析による系統樹は間違っていた、とインタビューで答えていたこともあり、私も深く調べずにいました。核DNAの解析結果が公表されてからは、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけは、核DNAの解析結果に基づくものが一般にも広く浸透していたように思います。
しかし、「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAの解析結果を報告したこの研究によると、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけは、当初のミトコンドリアDNAの解析・比較に基づくものになっていますから、デニソワ人のミトコンドリアDNA解析に基づく人類進化系統樹が、デニソワ人の核DNAの解析結果により否定されたわけではなさそうです。つまり、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけは、今でもミトコンドリアDNAの解析結果と核DNAのそれとでは食い違っている、ということになります。
このデニソワ人の人類進化系統樹における位置づけの混乱を前提として、「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨のミトコンドリアDNAの解析結果を考察しなければならないのだろう、と思います。上記報道でも指摘されているのが、ミトコンドリアDNAは母系での単系継承なので、「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨群がネアンデルタール人よりもデニソワ人の方に近いとは限らない、ということです。上述したように、デニソワ人もミトコンドリアDNAの解析結果と核DNAのそれとでは、人類進化系統樹における位置づけが異なります。
ペーボ博士は次のように考えています。ネアンデルタール人とデニソワ人の核ゲノム解析の結果は、両者が70万年前頃に共通祖先を有していたと示唆しています。「骨の穴洞窟」の更新世中期の人類はユーラシア全土へと拡散した創始者集団の子孫で、その創始者集団からネアンデルタール人・デニソワ人の2系統が生じたのかもしれません。「骨の穴洞窟」の人類にはネアンデルタール人型(により近い系統)とデニソワ人型(により近い系統という)両系統のミトコンドリアDNAが存在したものの、ネアンデルタール人の方では偶発系統損失によりデニソワ人型が失われ、デニソワ人の方ではその系統が3万年前頃まで続いたのかもしれません。
ストリンガー博士は次のように考えています。「骨の穴洞窟」の40万年前頃の大腿骨から得られた新たなミトコンドリアDNA配列は、別の絶滅人類集団に由来するのかもしれません。「骨の穴洞窟」からそう遠くない場所から発見された80万年前頃の人骨群は、ホモ=アンテセソールと分類されています。アンテセソールはヨーロッパにおけるエレクトスの子孫と考えられています。このアンテセソールが、デニソワ人および「骨の穴洞窟」人と交雑し、両者に新たなミトコンドリアDNA系統をもたらしたのではないか、というわけです。これにより、デニソワ人と未知?の人類との交雑も説明できるかもしれません(関連記事)。
ペーボ博士の見解とストリンガー博士の見解のどちらが妥当なのか、あるいはさらに別の解釈が可能なのか、混沌とした状況の現時点では判断の難しいところです。この問題を解決するには、「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨群の、ミトコンドリアDNAだけではなく核DNAの解析に成功する必要があるでしょう。また、「骨の穴洞窟」に限らず、ヨーロッパの更新世中期の人骨のミトコンドリアDNAおよび核DNAの解析にも成功しなければならないでしょう。更新世中期の人骨からのDNA解析がたいへん難しいことは否定できず、おそらく低緯度地帯では成功の可能性がきわめて低いでしょう。それでも、ヨーロッパならば成功の可能性が低緯度地帯よりはずっと高いのではないか、と大いに期待しています。
なお、ミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果で、デニソワ人の人類進化系統樹における位置づけが異なる件については、海部陽介「ホモ・サピエンスのユーラシア拡散─最近の研究動向」に興味深い指摘があるのですが、以前ブログで取り上げた時(関連記事)には述べ忘れてしまいました。海部氏はデニソワ人が発見されたデニソワ洞窟で開催された2011年の会議に出席し、次のように述べたそうです。
デニソワ人のミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果の不整合には、何か意味があるのかもしれません。デニソワ人は実は「第三の人類」ではなくネアンデルタール人であり、アジアの古い人類(「原人」か「旧人」かは不明)と混血したのかもしれません。そう考えると、ミトコンドリアDNAと核DNAの解析結果の不整合は説明できるのではないでしょうか。
海部氏のこの見解は、会議ではひじょうに受けがよかったとのことで、デニソワ洞窟の調査チームも、この見解を再検討してみる、と述べたそうです。デニソワ人と未知?の人類との交雑の可能性という最近の報告(関連記事)とも通ずるかもしれない見解です(その報告が海部氏の見解も参考にしたのか否か、私には分かりませんが)。デニソワ人や「骨の穴洞窟」の更新世中期の人骨のDNA解析結果は、人類の進化がかなり複雑なものだったことを示唆しています。それがどう解き明かされていくのか、今後の研究の進展が本当に楽しみです。もちろん、この研究のように、解明されたことよりも新たに生じた謎の方が多い、という研究結果が提示されることもあるかもしれません。それもまた、人類進化の研究の醍醐味と言えるでしょう。
参考文献:
Meyer M. et al.(2014): A mitochondrial genome sequence of a hominin from Sima de los Huesos. Nature, 505, 7483, 403–406.
http://dx.doi.org/10.1038/nature12788
追記(2015年4月21日)
デニソワ人(種もしくは亜種区分未定)の系統樹における位置づけが、ミトコンドリアDNAと核ゲノムのDNAとで異なっていることについて、本論文中の見解をまとめていなかったので、簡潔に追記しておきます。上述したこの違いについて本論文は、不完全な系統配列の可能性と、他の古代型ホモ属からデニソワ人への遺伝子流動の可能性を想定したうえで、いくつかの仮説を提示しています。
(1)「骨の穴洞窟」人はデニソワ人の祖先とひじょうに近縁な関係にあった、とする仮説です。しかし、西ヨーロッパにデニソワ人(もしくはその祖先集団)が存在したとすると、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の生息範囲と大きく重なることになり、ネアンデルタール人と遺伝的にどのように分岐したのか、説明が難しくなるので、この仮説はあり得えなさそうだ、と本論文は指摘しています。また、デニソワ人の解剖学的特徴はまだほとんど明らかではないものの、デニソワ人の臼歯が例外的に大きい一方で、「骨の穴洞窟」人には歯の縮小が見られる、という分析結果も、この仮説に否定的な証拠として本論文は挙げています。
(2)「骨の穴洞窟」人はネアンデルタール人ともデニソワ人とも異なる系統の人類集団で、後に交雑によりデニソワ人のミトコンドリアDNAに自らの系統をもたらした、とする仮説です。しかしこれは、ネアンデルタール人とは関係しない集団において、いくつかのネアンデルタール人的な解剖学的特徴が独立して出現した、ということを説明しなければならない、と本論文は指摘しています。
(3)「骨の穴洞窟」人はネアンデルタール人とデニソワ人との共通祖先集団と関連していたかもしれない、とする仮説です。「骨の穴洞窟」人の年代とネアンデルタール人のような解剖学的特徴を考慮すると、この仮説が最もあり得そうだ、と本論文は指摘しています。しかし、同じ古代型人類集団に古くに分岐したミトコンドリアDNAの複数の系統が存在し、そのうちの1系統がデニソワ人に、別の1系統がネアンデルタール人に継承されたことを説明しなければならない、と本論文は指摘しています。
(4)デニソワ人ともネアンデルタール人とも「骨の穴洞窟」人とも(それらの祖先集団とも)異なる人類集団が、デニソワ人のようなミトコンドリアDNAの系統を「骨の穴洞窟」人もしくはその祖先集団にもたらし、そのような人類集団がアジアではデニソワ人に自らのミトコンドリアDNAをもたらした、とする仮説です。化石記録によると、「骨の穴洞窟」人と同じ頃に、アフリカ・アジア・ヨーロッパには明確なネアンデルタール人的特徴の見られない人類が存在します。これらの人骨はしばしば、分類の難しいハイデルベルゲンシスに区分されています。そうした人骨は、エレクトス(Homo erectus)といくつかの特徴を共有するとされるアンテセッサー(Homo antecessor)の生き残りなのかもしれない、との可能性を本論文は提示しています。
このように「骨の穴洞窟」人とデニソワ人およびネアンデルタール人との関係について、仮説は色々と考えられますが、「骨の穴洞窟」人とネアンデルタール人やデニソワ人との遺伝的関係を決定するには、「骨の穴洞窟」人の核DNAの配列が必要となる、と本論文は指摘しています。
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