『天智と天武~新説・日本書紀~』第33話「熟田津の歌」
まだ日付は変わっていないのですが、12月26日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2014年1月10日号掲載分の感想です。前回は、九州へと向かう倭軍が斉明帝の命で熟田津に逗留し、早く軍を進めたい中大兄皇子が苛立っているところで終了しました。今回は、中大兄皇子が母の斉明帝の意向に背き、兵士たちに出発を命じるところから始まります。
そのことを夜中に知らされた斉明帝が部屋を出ると、そこには中大兄皇子をはじめとして多くの人がそろっていました。その中には、大海人皇子やその妻の大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹もいました。また、子供もいたので、高市皇子かと思ったのですが、前回とは髪型が異なっていました。大友皇子(この時点では満年齢で12~13歳)というには幼い感じがしますし、けっきょく誰なのかよく分かりませんでした。いわゆるモブキャラなのかもしれません。
中大兄皇子は部屋から出てきた斉明帝に、大君、早くお支度を、さもないと、弟の亡き孝徳帝の二の舞になりますぞ、と冷ややかな調子で言います。中大兄皇子の主導で難波長柄豊碕宮から飛鳥へと還都したさい、孝徳帝が置き去りにされたことを斉明帝に想起させたわけです。前回、息子の大海人皇子に叱責されて息子の中大兄皇子と対峙する覚悟を決めた斉明帝ですが、またしても中大兄皇子の言いなりになりそうなので、大海人皇子の方を見て気まずそうな表情を浮かべます。
何度出発を願い出ても埒が明かないので実力行使に出させてもらった、と中大兄皇子は得意気に言います。斉明帝は、兵がもう船に乗り込んでしまったのなら仕方ない、と言いつつも、こんなことは二度と許さない、もし再度こんなことをしたら・・・と中大兄皇子に釘を刺します。斉明帝を愚弄したような表情で、どうするのだ?と中大兄皇子が斉明帝に問いかけると、息子といえども反逆罪で処罰されると心得よ、と斉明帝は厳しい表情で言い渡し、中大兄皇子は無表情に斉明帝を見つめます。
いよいよ出発となり、船上で出陣の儀式が行なわれますが、中大兄皇子は厳しい表情のままで不機嫌そうです。中大兄皇子が立ち上がり、一人で船縁に立っているのを見た額田王は、中大兄皇子を気遣います。まるでおいたをして母親に叱られた子供のような顔だ、と額田王に言われた中大兄皇子は、そう見えたとしても、今更母親面など迷惑なだけだ、それにどうせ、母が愛おしく思っているのは大海人だ、と自嘲して言います。それを聞いた額田王は、悲しそうな表情をして中大兄皇子を見つめます。
額田王は、中大兄皇子にだけ捧げる歌を詠むと言います。額田王は斉明帝に、荘厳な船出の儀式を飾るにふさわしい歌ができたのでご唱和いただければ嬉しい、と願い出ます。額田王の才能をよく知る斉明帝は喜び、ぜひ歌ってくれ、と言います。ここで、額田王は有名な「熟田津に」の歌を高らかに詠みあげ、斉明帝はこの歌に圧倒され、将軍の阿曇(安曇)比羅夫と兵士たちの士気が向上します。今回が初登場となる阿曇比羅夫は、後に朝鮮半島に渡ることになります。
大海人皇子は母の斉明帝に、あのような歌を詠ませてはいたずらに士気を煽るだけだ、と抗議しますが、斉明帝は、仕方ない、あれほど見事に詠みあげるとは思わなかった、恨むなら額田王の才を恨むのだ、と答えます。額田王と大海人皇子との視線が一瞬交わりますが、額田王はすぐに中大兄皇子のもとに行き、中大兄皇子は得意気な表情で大海人皇子に視線を向けます。
661年3月25日(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、倭軍は博多湾の那大津(娜大津、現在の福岡市の那珂川河口付近と推定されています)に到着しますが、本宮が未完成のため、磐瀬行宮に入ります。今回、作中では触れられていませんでしたが、斉明帝の命により、その地は長津(那河津)と改名されました。大雨が降る中、斉明帝は磐瀬行宮にて孫の大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と話しています。こちらの雨は飛鳥と比べて大粒ではないか、と斉明帝が言うと、叩きつけるようで恐ろしいくらいだ、と鸕野讚良皇女が言います。
本宮(朝倉橘広庭宮)の建設予定地(現在の福岡県朝倉市?)には中大兄皇子がおり、木材が足りないので本宮の完成が遅れる、との報告を受けていました。すると中大兄皇子は、朝倉の杜の方を見て、木材はあそこにいくらでもあるではないか、と言います。本宮建造の責任者らしき男性は、神社があり、神木を伐るわけにはいかない、祟りが・・・と慌てて言います。すると中大兄皇子は大笑し、これから伐りに行くので樵夫と労夫を今すぐ集めろ、と命じます。
雨の中、神木の前に来た中大兄皇子は、見事なものだと感心し、宮を支えるのに相応しいから伐れ、と命じます。本宮建造の責任者らしき男性は躊躇いつつも断ろうとしますが、さもないとお前の首を斬るぞ、と中大兄皇子に脅迫されます。男が神木を伐ろうとすると雷が落ち、中大兄皇子以外の人物は山神様の怒りだと怯えます。男は神木を伐れず、中大兄皇子にひたすら許しを乞います。すると、中大兄皇子は斧をみずから手に取り、神木に伐りかかります。それを見た樵夫・労夫たちが怯えているというところで、今回は終了です。
解説にて、当時の人々は雷を神や怨霊の仕業と考えていたことや、神社・仏閣といった神聖な領域を汚すことは絶対の禁忌だったことが語られます。さらに解説にて、歴史上その禁忌を完全に無視した人物が二人おり、一人は織田信長、もう一人が中大兄皇子で、当時としては信じられない破格の人物だった、と語られています。信長の価値観・行動が本当に当時としては異例のものだったのか、という点など、今回の解説には疑問が残ります。しかし、当時の常識に囚われない、狂気を秘めた破天荒な人物として中大兄皇子を描こうという意図なのでしょうから、創作ものとして大きく問題視するほどでもないと思います。
今回は中大兄皇子を中心に話が展開し、そこに額田王の有名な歌の場面を描いて盛り上げる、という構造になっていました。額田王は今後も重要な人物として描かれそうで、中大兄皇子と大海人皇子の心理戦に大きな影響を及ぼすことになりそうです。今回の中大兄皇子と額田王との関係は、額田王が以前告白した、中大兄皇子に感じた胸の痛みという話と通ずるものになっており(第24話)、上手くつながっていると思います。大海人皇子がまだ額田王に想いを寄せていることを示唆するような描写もあり、中大兄皇子・大海人皇子・額田王の関係が今後どう描かれるのか、楽しみです。
中大兄皇子とその母の斉明帝の関係も注目されます。中大兄皇子は以前にも、異父弟の大海人皇子(月皇子)のように母から愛されたかった、と告白しています(第20話)。それにどうせ、母が愛おしく思っているのは大海人だ、との今回の中大兄皇子の発言から考えると、やはり今でも、中大兄皇子は母からの愛を求めており、大海人皇子に嫉妬しているのでしょう。作中では、数ヶ月後に斉明帝が亡くなることになりそうですが、その前に斉明帝と中大兄皇子の親子関係がどのように変わっていくのか、という点も楽しみです。
今回も、斉明帝は行宮にて孫の大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と過ごしていました。ということは、やはりこの三人の関係は良好なのでしょうか。鸕野讚良皇女はどう見ても、主人公・ヒロインを虐めて成敗される、陰険・冷酷・残酷な敵役顔なのですが、現時点ではそうした性格が見られず、周囲の人物と協調してやっているようです。鸕野讚良皇女は今後、いわゆるサイコパスとして描かれるのかな、とも思うのですが、単に私の偏見が強いので、妄想しているだけかもしれません。
鸕野讚良皇女は大海人皇子を政治的に支えたと伝わっていますから、政治的才能に優れていたのでしょう。この作品の鸕野讚良皇女の容貌ならば、想像できそうな人物像です。ただ、鸕野讚良皇女は落ち着いていて度量が大きいとも伝わっており、この点はどうも作中の容貌や言動(まだ僅かしか描かれていませんが)とは結びつきにくいように思います。もっとも、これも私の偏見かもしれませんが。ともかく、この作品で重要な役割を担うだろう鸕野讚良皇女が今後どのように描かれていくのか、大いに楽しみです。
そのことを夜中に知らされた斉明帝が部屋を出ると、そこには中大兄皇子をはじめとして多くの人がそろっていました。その中には、大海人皇子やその妻の大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹もいました。また、子供もいたので、高市皇子かと思ったのですが、前回とは髪型が異なっていました。大友皇子(この時点では満年齢で12~13歳)というには幼い感じがしますし、けっきょく誰なのかよく分かりませんでした。いわゆるモブキャラなのかもしれません。
中大兄皇子は部屋から出てきた斉明帝に、大君、早くお支度を、さもないと、弟の亡き孝徳帝の二の舞になりますぞ、と冷ややかな調子で言います。中大兄皇子の主導で難波長柄豊碕宮から飛鳥へと還都したさい、孝徳帝が置き去りにされたことを斉明帝に想起させたわけです。前回、息子の大海人皇子に叱責されて息子の中大兄皇子と対峙する覚悟を決めた斉明帝ですが、またしても中大兄皇子の言いなりになりそうなので、大海人皇子の方を見て気まずそうな表情を浮かべます。
何度出発を願い出ても埒が明かないので実力行使に出させてもらった、と中大兄皇子は得意気に言います。斉明帝は、兵がもう船に乗り込んでしまったのなら仕方ない、と言いつつも、こんなことは二度と許さない、もし再度こんなことをしたら・・・と中大兄皇子に釘を刺します。斉明帝を愚弄したような表情で、どうするのだ?と中大兄皇子が斉明帝に問いかけると、息子といえども反逆罪で処罰されると心得よ、と斉明帝は厳しい表情で言い渡し、中大兄皇子は無表情に斉明帝を見つめます。
いよいよ出発となり、船上で出陣の儀式が行なわれますが、中大兄皇子は厳しい表情のままで不機嫌そうです。中大兄皇子が立ち上がり、一人で船縁に立っているのを見た額田王は、中大兄皇子を気遣います。まるでおいたをして母親に叱られた子供のような顔だ、と額田王に言われた中大兄皇子は、そう見えたとしても、今更母親面など迷惑なだけだ、それにどうせ、母が愛おしく思っているのは大海人だ、と自嘲して言います。それを聞いた額田王は、悲しそうな表情をして中大兄皇子を見つめます。
額田王は、中大兄皇子にだけ捧げる歌を詠むと言います。額田王は斉明帝に、荘厳な船出の儀式を飾るにふさわしい歌ができたのでご唱和いただければ嬉しい、と願い出ます。額田王の才能をよく知る斉明帝は喜び、ぜひ歌ってくれ、と言います。ここで、額田王は有名な「熟田津に」の歌を高らかに詠みあげ、斉明帝はこの歌に圧倒され、将軍の阿曇(安曇)比羅夫と兵士たちの士気が向上します。今回が初登場となる阿曇比羅夫は、後に朝鮮半島に渡ることになります。
大海人皇子は母の斉明帝に、あのような歌を詠ませてはいたずらに士気を煽るだけだ、と抗議しますが、斉明帝は、仕方ない、あれほど見事に詠みあげるとは思わなかった、恨むなら額田王の才を恨むのだ、と答えます。額田王と大海人皇子との視線が一瞬交わりますが、額田王はすぐに中大兄皇子のもとに行き、中大兄皇子は得意気な表情で大海人皇子に視線を向けます。
661年3月25日(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)、倭軍は博多湾の那大津(娜大津、現在の福岡市の那珂川河口付近と推定されています)に到着しますが、本宮が未完成のため、磐瀬行宮に入ります。今回、作中では触れられていませんでしたが、斉明帝の命により、その地は長津(那河津)と改名されました。大雨が降る中、斉明帝は磐瀬行宮にて孫の大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と話しています。こちらの雨は飛鳥と比べて大粒ではないか、と斉明帝が言うと、叩きつけるようで恐ろしいくらいだ、と鸕野讚良皇女が言います。
本宮(朝倉橘広庭宮)の建設予定地(現在の福岡県朝倉市?)には中大兄皇子がおり、木材が足りないので本宮の完成が遅れる、との報告を受けていました。すると中大兄皇子は、朝倉の杜の方を見て、木材はあそこにいくらでもあるではないか、と言います。本宮建造の責任者らしき男性は、神社があり、神木を伐るわけにはいかない、祟りが・・・と慌てて言います。すると中大兄皇子は大笑し、これから伐りに行くので樵夫と労夫を今すぐ集めろ、と命じます。
雨の中、神木の前に来た中大兄皇子は、見事なものだと感心し、宮を支えるのに相応しいから伐れ、と命じます。本宮建造の責任者らしき男性は躊躇いつつも断ろうとしますが、さもないとお前の首を斬るぞ、と中大兄皇子に脅迫されます。男が神木を伐ろうとすると雷が落ち、中大兄皇子以外の人物は山神様の怒りだと怯えます。男は神木を伐れず、中大兄皇子にひたすら許しを乞います。すると、中大兄皇子は斧をみずから手に取り、神木に伐りかかります。それを見た樵夫・労夫たちが怯えているというところで、今回は終了です。
解説にて、当時の人々は雷を神や怨霊の仕業と考えていたことや、神社・仏閣といった神聖な領域を汚すことは絶対の禁忌だったことが語られます。さらに解説にて、歴史上その禁忌を完全に無視した人物が二人おり、一人は織田信長、もう一人が中大兄皇子で、当時としては信じられない破格の人物だった、と語られています。信長の価値観・行動が本当に当時としては異例のものだったのか、という点など、今回の解説には疑問が残ります。しかし、当時の常識に囚われない、狂気を秘めた破天荒な人物として中大兄皇子を描こうという意図なのでしょうから、創作ものとして大きく問題視するほどでもないと思います。
今回は中大兄皇子を中心に話が展開し、そこに額田王の有名な歌の場面を描いて盛り上げる、という構造になっていました。額田王は今後も重要な人物として描かれそうで、中大兄皇子と大海人皇子の心理戦に大きな影響を及ぼすことになりそうです。今回の中大兄皇子と額田王との関係は、額田王が以前告白した、中大兄皇子に感じた胸の痛みという話と通ずるものになっており(第24話)、上手くつながっていると思います。大海人皇子がまだ額田王に想いを寄せていることを示唆するような描写もあり、中大兄皇子・大海人皇子・額田王の関係が今後どう描かれるのか、楽しみです。
中大兄皇子とその母の斉明帝の関係も注目されます。中大兄皇子は以前にも、異父弟の大海人皇子(月皇子)のように母から愛されたかった、と告白しています(第20話)。それにどうせ、母が愛おしく思っているのは大海人だ、との今回の中大兄皇子の発言から考えると、やはり今でも、中大兄皇子は母からの愛を求めており、大海人皇子に嫉妬しているのでしょう。作中では、数ヶ月後に斉明帝が亡くなることになりそうですが、その前に斉明帝と中大兄皇子の親子関係がどのように変わっていくのか、という点も楽しみです。
今回も、斉明帝は行宮にて孫の大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹と過ごしていました。ということは、やはりこの三人の関係は良好なのでしょうか。鸕野讚良皇女はどう見ても、主人公・ヒロインを虐めて成敗される、陰険・冷酷・残酷な敵役顔なのですが、現時点ではそうした性格が見られず、周囲の人物と協調してやっているようです。鸕野讚良皇女は今後、いわゆるサイコパスとして描かれるのかな、とも思うのですが、単に私の偏見が強いので、妄想しているだけかもしれません。
鸕野讚良皇女は大海人皇子を政治的に支えたと伝わっていますから、政治的才能に優れていたのでしょう。この作品の鸕野讚良皇女の容貌ならば、想像できそうな人物像です。ただ、鸕野讚良皇女は落ち着いていて度量が大きいとも伝わっており、この点はどうも作中の容貌や言動(まだ僅かしか描かれていませんが)とは結びつきにくいように思います。もっとも、これも私の偏見かもしれませんが。ともかく、この作品で重要な役割を担うだろう鸕野讚良皇女が今後どのように描かれていくのか、大いに楽しみです。
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