匈奴による独自の鉄生産

 まだ日付は変わっていないのですが、12月19日分の記事として掲載しておきます。匈奴が独自に鉄を生産していたことを明らかにした研究が報道されました。先月開催されたシンポジウムで報告されたそうで、その聴講記録もあります。匈奴の墓からは鉄・鏃・刀・馬具など豊富な鉄製品が出土しています。これまで、匈奴は秦や漢から鉄の素材や製品を略奪したり、拉致した「漢人」技術者に鉄を製造させたりしていた、と考えられていたそうです。

 しかし、日本とモンゴルの共同調査団の発掘により明らかになった、ウランバートルの東約120kmのホスティンボラグ遺跡の小型の製鉄炉跡5基は、地上に大きな炉を作る秦や漢のものとは異なり、黒海周辺から中央アジアにかけての遺跡で多く見つかる地下型の炉とみられる、とのことです。放射性炭素年代測定で紀元前1世紀~紀元後1世紀頃ものと判明したので、匈奴による独自の鉄生産の痕跡と判断されたそうです。

 ユーラシア大陸内陸部における古くからの東西交流の具体例として、興味深いものがあります。また、漢文史料に基づく偏見という問題が改めて提起されているように思われ、この点でも重要だと思います。「先進的な中華地域」と「後進的な周辺地域」という根強い先入観は、しっかりと再検証されるべきなのでしょう。中華人民共和国の経済・軍事・政治力が今後も増大し、中国が覇権国家としての地位をさらに確たるものにした場合、日本でも伝統的な「中華至上主義史観」が新たな装いで声高に主張されるようになるかもしれませんが(現代中国政府の体制教義的言説とは必ずしも整合的ではないのが興味深いところです)、そうした見解に安易に迎合してはならないと思います。

 上記の聴講記録では日本列島との関わりも指摘されており、この点でも興味深い発見だと思います。中華地域をはじめとして、東アジアの多くの地域で溶融鉄還元間接法が用いられていた時代に、日本列島のたたら製鉄はヒッタイトの製鉄法とつながる塊錬鉄直接製鉄法でした。塊錬鉄直接製鉄法が、ユーラシア西部から内陸部の草原路を通じて東進し、中華地域を経ずに日本列島に達した、という想定も可能となります。その場合、日本列島においてはまず日本海側にもたらされたのでしょう。この想定を裏づけるような研究の進展が期待されます。

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