『天智と天武~新説・日本書紀~』第32話「出陣」補足

 まだ日付は変わっていないのですが、12月14日分の記事として掲載しておきます。第32話の感想で述べ忘れたことがあるので、補足しておきます。大海人皇子と大田皇女との間に大伯皇女が生まれたさい、大海人皇子にはすでに二人の子供(十市皇女と高市皇子)がおり、この二人の母(額田王と尼子娘)は皇族ではないので、大伯皇女は皇族の妃との間にできた初めての子供だと説明されています。一方、今回までに明示されてはいませんが、中大兄皇子には皇族の妻との間にできた子供がいません。おそらく、それが中大兄皇子(天智天皇)の次の皇位継承を混沌とさせる要因になったという展開の前振りとして、皇族の妃との間にできた初めての子供である、という今回の説明がなされたのではないか、と思います。

 『天上の虹』でも、皇族は母親の身分が重視されると強調されており、それが高市皇子・十市皇女・大友皇子の悲劇的な関係につながる、という話の構造になっていました。遠山美都男氏の見解によると、天皇に即位するにあたって母親の血筋が問題となるのは壬申の乱以後です。しかし、欽明天皇~天武天皇まで(というか奈良時代の元正天皇まで)の天皇の母親は、即位したか疑わしい大友皇子を除けば皇族か蘇我氏です。

 おそらくとても名族の出身とは言えなさそうな伊賀采女宅子娘を母親に持つ大友皇子は、じっさいには即位しなかったでしょうが(父の天智天皇の死から1年も経たずに自害に追い込まれたので)、天智天皇の後継者として位置づけられていた可能性は高そうです(大友皇子が即位せずに父と同じく一定期間称制し、両親ともに皇族の草壁・大津・葛野の成長を待って彼らのうち誰かを即位させる、という構想だったのかもしれませんが)。

 母の身分の低さから、大友皇子の即位資格を疑う人が中央支配層には多く、それが壬申の乱の勝敗を決した一因になった、という通俗的な説明も捨て去ることはできないように思います。といいますか、そう考える方が妥当ではないか、と私は考えています。もちろん、壬申の乱の勝敗を決したのは血筋だけではなく、根本的には、近江朝・天智天皇への不満(白村江の戦い・防衛体制の構築・遷都などによる豪族・民衆の疲弊に基づくものだったのでしょう)があったのでしょうが。

 『天智と天武~新説・日本書紀~』では、現時点で大友皇子は登場しておらず、それどころか言及さえされていません。おそらく重要人物として描かれるでしょうから、その人物像が気になるところです。また、中大兄皇子との親子関係がどう描かれるかも気になるところで、斉明帝の崩御を機に中大兄皇子の心境も変わり、自分が抱いた疎外感を息子には抱かせないようにと配慮し、大友皇子を溺愛するようになるのかな、と予想しています。

 鸕野讚良皇女(持統天皇)もついに登場しましたし、今後の展開がたいへん楽しみです。その鸕野讚良皇女は、早く鸕野讚良皇女も母親にならないと、と祖母の斉明帝に言われると、はい、お姉さまには負けません、私は絶対男の子を産むわ、と力強く答えています。この場には鸕野讚良皇女の姉の大田皇女もいたのですが、和やかな雰囲気であるかのような描写でした。ということは、鸕野讚良皇女の負けん気の強い性格は周囲に認知され受け入れられているのでしょう。また、鸕野讚良皇女は大海人皇子に(姉の大田皇女並に)愛されており、それを斉明帝も大田皇女も認識しているようにも見えました。

 鸕野讚良皇女は、いかにもといった感じの悪人顔なのですが、単に負けず嫌いで野心家の悪辣な人物として描かれるのではなさそうな気がします。祖母の斉明帝・姉の大田皇女・夫の大海人皇子から、少なくともある程度以上は愛され、信頼されているように見えました。どうも、鸕野讚良皇女の強気な発言およびいかにもといった感じの悪人顔と、周囲の人々との対応が結びつかないのですが、今後どのように物語が動いていくのか、たいへん楽しみです。

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