『週刊新発見!日本の歴史』第25号「室町時代4 日本文化の源流の実態」
まだ日付は変わっていないのですが、12月12日分の記事として掲載しておきます。この第25号は南北朝時代から16世紀前半頃までという、おおむね中世後期の文化史を対象としています。日本文化の源流をこの時代に求める見解は、現代日本社会において一般にもわりと浸透していると言えるかもしれません。この第25号は、そうした見解に妥当性のあることも認めつつ、この時代の文化の代表としての茶の湯・生け花・能・水墨画、この時代の文化要素としての幽玄・侘びを強調すると、中世後期の文化を限定的に把握することになる、と警告しています。
この第25号の基調は、中世後期の文化の特徴を多様な要素の融合と認識していることです。その多様な要素とは、伝統的な王朝文化(和歌など)・おもに禅僧がもたらした新たな中華文化(茶の湯など)・寺院や民衆の間で発展してきた文化(能楽・猿楽など)です。これと関連して、中世後期の文化には階層・地域を超えての交流が見られるのも特徴だ、とも指摘されています。
この第25号の「新発見」的な見解としてまず挙げられるのは、中世後期の文化史の新たな時代区分です。北山文化と東山文化という一般にも馴染みの区分では不充分とされ、南北朝時代・室町前期(応永・永享文化という用語の妥当性の高さが指摘されています)・室町後期・戦国時代という時代区分が提示されています。もっとも、分かりやすい呼称を見つけるのが難しいので、室町前期文化としての北山文化、室町後期文化としての東山文化との呼称も捨てがたい、ともされています。
その他には、室町幕府の長たる室町殿が勅撰和歌集の編纂に関わるなど伝統文化の庇護者として振る舞い、雅楽を利用したことも含めてそれらも自身の権威の源泉としたことや、当時の五山僧の漢文の授業では医学や荘園経営も伝授されていたことや、室町時代後期、とくに応仁の乱以降、公家が都から各地方に赴き文化が拡散していった前提として、在京守護の存在を指摘した見解などが「新発見」的でしょうか。
この第25号の基調は、中世後期の文化の特徴を多様な要素の融合と認識していることです。その多様な要素とは、伝統的な王朝文化(和歌など)・おもに禅僧がもたらした新たな中華文化(茶の湯など)・寺院や民衆の間で発展してきた文化(能楽・猿楽など)です。これと関連して、中世後期の文化には階層・地域を超えての交流が見られるのも特徴だ、とも指摘されています。
この第25号の「新発見」的な見解としてまず挙げられるのは、中世後期の文化史の新たな時代区分です。北山文化と東山文化という一般にも馴染みの区分では不充分とされ、南北朝時代・室町前期(応永・永享文化という用語の妥当性の高さが指摘されています)・室町後期・戦国時代という時代区分が提示されています。もっとも、分かりやすい呼称を見つけるのが難しいので、室町前期文化としての北山文化、室町後期文化としての東山文化との呼称も捨てがたい、ともされています。
その他には、室町幕府の長たる室町殿が勅撰和歌集の編纂に関わるなど伝統文化の庇護者として振る舞い、雅楽を利用したことも含めてそれらも自身の権威の源泉としたことや、当時の五山僧の漢文の授業では医学や荘園経営も伝授されていたことや、室町時代後期、とくに応仁の乱以降、公家が都から各地方に赴き文化が拡散していった前提として、在京守護の存在を指摘した見解などが「新発見」的でしょうか。
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