『天智と天武~新説・日本書紀~』第32話「出陣」
まだ日付は変わっていないのですが、12月11日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年12月25日号掲載分の感想です。前回は、大海人皇子が史(不比等)を匿うところで終了しました。今回は大海人皇子が史を隠れ里の統領に預ける場面から始まります。よく寝ている史を見て、大物になる、と統領は言います。前回の感想記事で予想した通り、大海人皇子は祖父の蘇我蝦夷の造った隠れ里(第21話)に史を預けたわけです。統領は、大海人皇子の頼みとあれば、と言って快諾します。何よりも、唐・新羅との戦を回避できるとあればお安い御用だ、と統領は言います。
661年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)正月、後飛鳥岡本宮では群臣が招集され、斉明帝が群臣の前に現れます。斉明帝は息子の中大兄皇子に睨まれると怯えたような表情を見せ、精一杯の威厳を見せて宣言します。戦備も整い神託も下った、我が軍の船団は朝鮮半島の戦に向けてまずは筑紫を目指し、正月6日に出陣する、むろん自分も行くので、皆の者はそれぞれ準備に取りかかれ、というわけです。
中大兄皇子が得意気な表情を浮かべる一方で、こうも早く出陣するとは予想していなかった大海人皇子は慌て、斉明帝を引き留めようとします。すると中大兄皇子が大海人皇子の前に立ちはだかり、見苦しい、もう決まったことだ、と余裕の表情で言います。新羅との講和を条件に豊璋の息子の史を匿ったのに何をしているのだ、とでも言いたげに、大海人皇子が豊璋に視線を向けると、豊璋は気まずそうな表情を浮かべます。
大海人皇子と豊璋は後飛鳥岡本宮を離れ、竹林で二人きりで話します。大海人皇子に新羅との和平の件を問い質された豊璋は、自分も正月6日に出陣とは知らなかった、新羅には和平案受諾の用意があると使者を送ったものの、返事がまだ来ない、と弁明します。阻まれた可能性があるのでもう一度送ってみてください、と言う大海人皇子にたいして、もうこれ以上は難しい、中大兄皇子は勘が鋭いので、今二人で会っていることも危険だ、と答えます。それでは話が違う、と大海人皇子が豊璋を再度問い詰めると、朝鮮半島へ行って自分が直接交渉する、渡海すれば対等であり、中大兄皇子の顔色を窺う必要もない、と豊璋は答え、大海人皇子もそれ以上は豊璋を追及できません。
大海人皇子は母の斉明帝を訪ね、豊璋が先に朝鮮半島に赴き、新羅と和平交渉を進める予定だと伝え、筑紫に向かうとしても派兵の期日をできる限り引き延ばすよう、進言します。すると斉明帝は、しかし中大兄皇子が・・・と言っていつものように優柔不断な態度を見せます。すると大海人皇子が、しっかりしてください!と斉明帝を叱責します。この時の大海人皇子の厳しい表情が中大兄皇子と似ており、父は違っても兄弟なのだな、と思わせます。
おそらく大海人皇子から初めて叱責されただろう斉明帝は、怯えた表情を見せます。あなたは大君(天皇)であり母親なのだ、いいかげん中大兄皇子の言いなりになって民を苦しめるのは止めてください、と大海人皇子は斉明帝に諫言します。民は不必要に過度な工事を負わされ、去年は飢饉も重なった、そのうえ戦とは、民を何人殺せば気が済むのだ、と大海人皇子は斉明帝を責め立てます。私は殺してなどいない、と反論する斉明帝にたいして、防げる立場にあるのにそうしないのは殺したのも同然で、一番重い罪だ、私の父(蘇我入鹿)もあなたの無責任さに殺されたのだ、大海人皇子は言います。
愛していた入鹿のことを言われた斉明帝は涙を浮かべます。一度でいいから、どうか自身と中大兄皇子に向き合ってください、と言って大海人皇子は立ち去ります。斉明帝は独り部屋にいて、大海人皇子の諫言を反芻しています。乙巳の変で入鹿を救えなかったことを思い出した斉明帝は、頭を抱えてうめき声を出します。中大兄皇子の凍えるような目が自分をすくませる、どうしても止められなかった、というわけです。乙巳の変で愛する入鹿を救えなかったことを、斉明帝は悔やんでも悔やみきれないようです。
大海人皇子の諫言に動かされたのか、斉明帝は外出して民が土木工事により苦しんでいる様を駕籠から見ます。いつから自分は息子の中大兄皇子を恐れるようになってしまったのか、自分はいったい何をしているのか、と斉明帝は自問します。このままでよいわけがない、中大兄皇子のためにもこの国のためにも、と思った斉明帝は、現状を変えられるのは自分しかいないのだ、と意を決します。
その頃(なのか少し時間が経過した後なのか明示されていませんが)、大海人皇子は鵲・仏師と共に仏像の安置されている場所を訪れていました。この仏像が、現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像です。原案監修者によると、この救世観音像は隠れ主人公で、歴史上の主要プレイヤーの間を彷徨い続ける、とのことです。また厨子を作るのが遅れますね、と鵲が言うと、そうならないよう、ここを離れる前に厨子を作る手はずを整えておきたい、と大海人皇子が言います。仏師にはあてがあるようで、腕の立つ職人を知っているので頼みましょう、と言います。もう帰ってこられないかもしれない、と大海人皇子は覚悟しており、父上、私たちの行く末を見守ってください、と仏像に願います。
いよいよ倭軍が出発し、中大兄皇子は高らかに出発を宣言します。最も豪華そうで大きな船には倭国首脳部が乗っているようで、大海人皇子は額田王・十市皇女母子と会いました。大海人皇子とその娘の十市皇女は久々に会うようで、あるいは「巡り物語」の夜以来なのかもしれません。十市皇女は相変わらず父の大海人皇子を慕っているようで、嬉しそうに大海人皇子に駆け寄ります。大海人皇子にとってもやはり十市皇女は可愛い娘のようで、大きくなったな、と優しく声をかけます。十市皇女は、今年で名前と同じ10歳になります、と言います。
そこへ大海人皇子の妻である大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹が現れたことに気づいた額田王は、今では中大兄皇子と婚姻関係ということもあってか、姉妹に遠慮したようで、十市皇女を大海人皇子から優しく引き離します。大海人皇子も妻たちが現れたことに気づきます。ここでついに鸕野讚良皇女が初登場となります。今年になって、十数年前から読もうと思っていた里中満智子『天上の虹 持統天皇物語』の文庫版を入手して読み始めたので、この作品の鸕野讚良皇女はどう描かれるのだろう、と思ってずっと気になっていました。というわけで、個人的には大注目していた鸕野讚良皇女なのですが・・・その容貌がですねぇ、いやはやなんとも・・・うん、この件については後述することにします。
大海人皇子は妊娠中の大田皇女の体調を気遣います。今日・明日にも生まれそうなのに出発なんて、祖母の斉明帝も人が悪いわ、と大田皇女は言います。すると、鸕野讚良皇女が、しかも、私たちの母上(遠智媛)を死に追いやった豊璋なんかのために、と言います。この時の鸕野讚良皇女の表情がですねぇ・・・いやまあ鸕野讚良皇女のことはまとめて後述します。大海人皇子は豊璋が遠智媛を発狂させた事件(第5話)を思い出して一瞬沈黙しますが、すぐに大田皇女・鸕野讚良皇女の体を気遣い、潮風は身体に障るから中に入ろう、と言って二人の妻の肩に優しく手をかけ、共に船内へと向かいます。十市皇女は少し寂しげにその様子を見ていましたが、母の額田王に促されて立ち去ります。
1月8日、大伯の海上(現在の岡山県瀬戸内市沿岸のようです)にて海が荒れ乗組員が操船に苦労するなか、大田皇女は娘を出産します。生まれた娘はその地にちなんで大伯皇女と名づけられました。大田皇女の女官らしき人物の発言によると、すこぶる安産だったとのことです。ここで、大海人皇子には十市皇女・生まれたばかりの大伯皇女以外に、九州の宗像の豪族の娘である尼子娘との間に、高市皇子という7歳の男子がいることが語られます。なお、作中では額田王は皇族(王族)ではないという設定になっています。
作中では651年誕生とされている十市皇女(額田王と大海人皇子との一晩の関係で生まれ、その関係は650年秋のことでしたから、生まれたのは651年夏~初秋のことでしょう)は、今年で10歳になると今回語っています。『扶桑略記』によると高市皇子は654年生まれとなります。ここでの描写だと、十市皇女が10歳にたいして高市皇子は7歳とされていますから、この作品では基本的に満年齢が採用されており、十市皇女と高市皇子は661年にそれぞれ10歳・7歳になる、ということのようです。
『万葉集』を根拠として、高市皇子と十市皇女との恋愛関係もしくは高市皇子の十市皇女への片想いも推測されていますが、まだ存在が言及さえされていない大友皇子も含めて、どのような人間関係が描かれるのか、楽しみです。高市皇子654年誕生説が採用されているということは、大海人皇子は額田王と一晩限りの関係を結んだ後、額田王と再会するまでの間に尼子娘と関係を持った、ということになります。作中では、大海人皇子が斉明帝の子と公表される前のことになります。「巡り物語」で大海人皇子は額田王だけを愛するようなことを言っていましたが、その前に子供を儲けていたのですな・・・。まあ、その時点で大海人皇子は額田王が何者なのか知りませんでしたし、再会できるあてもなかったので、身勝手と非難されるほどのことでもないとは思いますが。
大伯の海上でもそうでしたが、時化が続いて皆疲れ切っているし、船の補修も必要だということで、斉明帝は熟田津(現在の愛媛県松山市道後温泉付近のようです)に船団を逗留させることを決定します。中大兄皇子が抗議のため斉明帝を訪れ、数日もすれば筑紫の那の大津(現在の福岡県福岡市のようです)に着く、と説得しても、もう決めたのだ、私は大君であり、そなたの指図は受けない、と斉明帝は退けます。
船団は熟田津に到着し、斉明帝・大田皇女・鸕野讚良皇女の三人は、大伯皇女を見て歓談していました。大伯皇女を抱いた斉明帝は、可愛らしい、美人になるわね、と言います。早く鸕野讚良皇女も母親にならないと、と斉明帝が言うと、はい、お姉さまには負けません、と鸕野讚良皇女が答えます。まあ頑張ってちょうだい、と斉明帝が言うと、私は絶対男の子を産むわ、と鸕野讚良皇女は力強く言います。
祖母と孫二人(中大兄皇子にとっては母と娘二人)が歓談しているのを苦々しく見ていた中大兄皇子は、何が体調がすぐれないだ、なんだかんだと一ヶ月も長逗留しおって、と吐き捨てるように言います。早くしなければ機を逃してしまう、まったく腹立たしいわ、と言う中大兄皇子にたいして、斉明帝は以前と少し変わった意志をもって抵抗しているように見える、この出兵になのか、中大兄皇子様になのか、と豊璋が言います。その晩(か否か明示はされていませんが)、中大兄皇子が(明示はされていませんがおそらく)独りで思案している、というところで今回は終了です。
予告は、「次号、豪腕炸裂・・・!?」となっています。倭軍が熟田津まで進みましたから、額田王の有名な歌の場面も描かれることでしょう。中大兄皇子が、額田王の歌を利用して軍を進める、という展開になるのではないか、と予想しています。今回は、斉明帝の決意を中心に話が進みました。斉明帝はこれまで、息子の中大兄皇子に怯える優柔不断な母親・帝として描かれてきました。しかし今回は、息子の大海人皇子に叱責され、ついに覚悟を決めたようです。
中大兄皇子が実質的に決めているとはいえ、自分の名で行なわれている事業で民が苦労している様を見たことも、斉明帝が覚悟を決めた理由でしょう。しかし、斉明帝を突き動かした最大の理由は、愛する入鹿との間の息子の大海人皇子から、入鹿殺害の件で叱責されたことなのだろう、と思います。やはり、斉明帝はそれだけ入鹿を深く愛していたのでしょう。
斉明帝の弟の孝徳帝も姉と同様に凡庸な人物でしたが、入鹿の殺害に加担したことを後悔し、その供養のために入鹿の政策を継承しようと覚悟を決めます。孝徳帝は自分の覚悟を大海人皇子に打ち明けた後、中大兄皇子との対立が激化し、政争に敗れて失意のうちに亡くなります。おそらく大枠では史実通り進むでしょうから、斉明帝も間もなく亡くなるのでしょう。中大兄皇子と対峙する覚悟を決めたことにより、寿命が削られた、ということになるのでしょうか。その意味でも、この姉弟は似ているようです。
また、斉明帝の決意は国のためだけではなく、息子の中大兄皇子のためでもあります。斉明帝の決意が中大兄皇子にどのような影響を及ぼすのか、今後の見所になりそうです。中大兄皇子は母の斉明帝の死を悲しんだとされていますから、斉明帝の決意が中大兄皇子の心境に影響を与える、という展開になりそうです。また、それだけではなく、中大兄皇子が子供の頃に邪険にしてしまったことを、斉明帝は謝罪するのでしょうか。斉明帝の死は、この作品の転機になりそうな気がします。
豊璋も覚悟を決めたようで、新羅との和平に本気のようでうす。ただ、やはり大枠では史実通り進むでしょうから、倭・百済連合軍と唐・新羅連合軍は戦うことになるのでしょう。大海人皇子・豊璋の和平工作がどのように失敗するのか、というところも見所になりそうです。豊璋の息子の史が、大海人皇子に匿われてからどのように世に出てきて実権を握るのか、ということも気になりますが、これは描かれるとしてもかなり後のことになりそうです。
今回は斉明帝の覚悟が見所というか主題だったのですが、個人的には、登場を待ちわびていた鸕野讚良皇女の初登場が最も印象に残りました。上述したように、今年になって、十数年前から読もうと思っていた『天上の虹 持統天皇物語』の文庫版を入手して読み始めたので、この作品の鸕野讚良皇女はどう描かれるのだろう、と思ってずっと気になっていました。また、藤原史(不比等)を引き立てたのは鸕野讚良皇女(持統天皇)でしょうから、単に『天上の虹』との人物像の比較ということで興味を持っていたのではなく、この作品の重要人物としてどのような役割を担うのだろう、という点でもたいへん気になっていました。
『天上の虹』の鸕野讚良皇女は、容貌が母親似であるものの、能力・気性は父親の中大兄皇子(天智天皇)似で、それは中大兄皇子も認めていました。母方祖父(蘇我倉山田石川麻呂)と母(遠智媛)と初恋の人である有間皇子を死に追いやった(母については間接的ですが)父を鸕野讚良皇女は恨み、父よりも偉くなってやる、と誓っていました。その鸕野讚良皇女が、父と同様の皆に恐れられる政治家になっていく、という宿命・人間の業を描いたところが、『天上の虹』の魅力となっています。
『天上の虹』の鸕野讚良皇女は、父と同じく政治的才能に優れた強い人間で、大海人皇子(天武天皇)にとって、政治の同志・戦友として頼りにされます。しかし、当時の皇族の妻としては嫉妬深く、大海人皇子も鸕野讚良皇女の前ではくつろげません。鸕野讚良皇女は聡明な人物なので、妻として愛されたいと強く願っていながら、自分が妻として大海人皇子の他の妻よりも愛されているわけではないことを理解しており、夫の戦友として生きていこうとします。その分、鸕野讚良皇女の愛情は息子の草壁皇子に向かい、その期待は心の弱い草壁皇子を追いつめていきます。
まとめると、『天上の虹』の鸕野讚良皇女は、政治家としては優秀ではあるものの、妻・女としては愛されず不遇で、母親としても、息子に厳しすぎるあまり息子を追い込んで死なせてしまうというわけで、現代風に言うと毒母でしょう。しかし、優秀なところや政治家としての覚悟や愛情も描かれており、単に悪人とか嫌な人とかいうわけではありません。万人受けする人物像にはなっていないかもしれませんが、物語として見る分には魅力的だと思います。容貌も、主人公顔・ヒロイン顔になっています。
では、この作品の鸕野讚良皇女はどう描かれるのだろう、と思って以前からたいへん気になっていたのですが・・・えーっとですねぇ・・・容貌が父の中大兄皇子にそっくりなのですよ!!いやまあ、親子ですから、顔が似ているのは不自然ではないと思いますが、この作品の鸕野讚良皇女については、以前から色々と妄想していたのです。そのうちの一つに、顔が中大兄皇子に似ていたらちょっと嫌だなあ、というものもありました。
そうだとしたら、祖母や母や姉から、鸕野讚良皇女は神経質で陰気な印象を与えるので人望に欠けるかもしれない、なんて言われて心が歪んでしまい、死ね!死ね!と言いながら蛙を小刀で殺しまくるような少女時代を送ってしまったかもしれません。さらに成長すると、姉の大田皇女が邪魔になって暗殺し、夫の大海人皇子が即位後は、一度皇太子に立てられた実子の草壁皇子が廃され、大海人皇子と大田皇女との間に生まれた大津皇子が替わりに皇太子に立てられそうになったので、夫も暗殺し、大津皇子を自害に追い込んだ、というようなことを妄想していました。
でまあ、本当に鸕野讚良皇女の容貌が父親似だったものですから、自分の嫌な妄想が的中するのではないだろうか、とやや不安になっています。いやまあ、容貌が父親似とはいっても、私の妄想が的中するとは限りませんし、ほとんどすべて外れる可能性の方がずっと高いのかもしれませんが。じっさい、祖母や姉と歓談している場面が今回描かれましたから、鸕野讚良皇女は周囲の人物と良好な関係を築いているように見えます。ただ、今回の鸕野讚良皇女の台詞からは、かなり気が強く、負けず嫌いな性格が窺えます。この点では中大兄皇子に似ており、その容貌からも、父と同じく冷酷なのではないか、という気がします。
それにしても、中大兄皇子顔は男性だと悪人顔ではあるにしても美男子に見えるのですが、女性だと美人に見えないものなのですねぇ。いやまあ、これは私の個人的な感覚であり、多くの人の感想は違うのかもしれませんが、私にとって、この作品の鸕野讚良皇女はどう見てもヒロイン顔ではありません。本当に意地悪そうな顔です。一方、姉の大田皇女の方は、成長してヒロイン顔になってきたと思います。大田皇女の方は、容貌が母親似というよりも、十市皇女に似ているなあ、という気がしますが・・・。大海人皇子は大田皇女も鸕野讚良皇女も同じく愛しているようですが、中大兄皇子に抱き着き涙を流しながら切なそうな表情で、置き去りにしましたね、捨てられたかと思いました、と言うくらいですから(もちろん、本心ではなく心理戦の一環なのですが)、中大兄皇子顔の女性でも愛せるということなのでしょうか・・・。
今回読んだ限りでは、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹の仲は良好なようです。『天上の虹』でも姉妹の仲は良好で、それは姉妹の性格が大きく違うからだ、とされていました。この作品の大田皇女は、幼い頃は明るく活発で気が強い感じでしたが、成長して落ち着いてきたように見えます。気になるのは、この姉妹が父の中大兄皇子のことをどう思っているか、ということです。大田皇女は幼い頃、豊璋を恨んでいましたが、父を擁護していました。しかし、姉妹が今父をどう思っているのか、定かではありません。中大兄皇子は娘であるこの姉妹と10年ほど会っていないようですから、今では姉妹ともに父を恨んでいるのかもしれません。
姉妹と豊璋との関係も気になるところで、大田皇女は幼い頃、祖父を死に追いやり母を発狂させたということで豊璋を恨んでおり、大海人皇子に仇討を依頼したこともありました(第5話)。今回、大田皇女が豊璋をどう思っているのか、明示されませんでしたが、鸕野讚良皇女が今でも豊璋を恨んでいることを窺わせる台詞はありました。この時の描写からして、姉妹は今でも豊璋を恨んでいるように思います。そうすると、新羅との和平のために大海人皇子が豊璋と結んでいることが、大海人皇子と姉妹との関係にも影響を及ぼすことになるのかもしれません。
鸕野讚良皇女について妄想も含めて色々と述べてきましたが、鸕野讚良皇女の容貌が父親似であることは、今後大きな意味を持ってくるのではないか、と思います。私にとっては嫌な妄想がいくつか現実化するかもしれませんが、その場合でも、面白い物語になるのではないかな、と期待しています。鸕野讚良皇女も登場し、重要と思われる人物もだんだんとそろってきました。今後は、大友皇子がどう描かれるのか、という点に注目しています。また、中大兄皇子(天智天皇)の皇后となる倭姫王も登場するとよいな、と願っているのですが、どうなるでしょうか。ともかく、額田王と中大兄皇子が大活躍しそうな次号もたいへん楽しみです。
661年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)正月、後飛鳥岡本宮では群臣が招集され、斉明帝が群臣の前に現れます。斉明帝は息子の中大兄皇子に睨まれると怯えたような表情を見せ、精一杯の威厳を見せて宣言します。戦備も整い神託も下った、我が軍の船団は朝鮮半島の戦に向けてまずは筑紫を目指し、正月6日に出陣する、むろん自分も行くので、皆の者はそれぞれ準備に取りかかれ、というわけです。
中大兄皇子が得意気な表情を浮かべる一方で、こうも早く出陣するとは予想していなかった大海人皇子は慌て、斉明帝を引き留めようとします。すると中大兄皇子が大海人皇子の前に立ちはだかり、見苦しい、もう決まったことだ、と余裕の表情で言います。新羅との講和を条件に豊璋の息子の史を匿ったのに何をしているのだ、とでも言いたげに、大海人皇子が豊璋に視線を向けると、豊璋は気まずそうな表情を浮かべます。
大海人皇子と豊璋は後飛鳥岡本宮を離れ、竹林で二人きりで話します。大海人皇子に新羅との和平の件を問い質された豊璋は、自分も正月6日に出陣とは知らなかった、新羅には和平案受諾の用意があると使者を送ったものの、返事がまだ来ない、と弁明します。阻まれた可能性があるのでもう一度送ってみてください、と言う大海人皇子にたいして、もうこれ以上は難しい、中大兄皇子は勘が鋭いので、今二人で会っていることも危険だ、と答えます。それでは話が違う、と大海人皇子が豊璋を再度問い詰めると、朝鮮半島へ行って自分が直接交渉する、渡海すれば対等であり、中大兄皇子の顔色を窺う必要もない、と豊璋は答え、大海人皇子もそれ以上は豊璋を追及できません。
大海人皇子は母の斉明帝を訪ね、豊璋が先に朝鮮半島に赴き、新羅と和平交渉を進める予定だと伝え、筑紫に向かうとしても派兵の期日をできる限り引き延ばすよう、進言します。すると斉明帝は、しかし中大兄皇子が・・・と言っていつものように優柔不断な態度を見せます。すると大海人皇子が、しっかりしてください!と斉明帝を叱責します。この時の大海人皇子の厳しい表情が中大兄皇子と似ており、父は違っても兄弟なのだな、と思わせます。
おそらく大海人皇子から初めて叱責されただろう斉明帝は、怯えた表情を見せます。あなたは大君(天皇)であり母親なのだ、いいかげん中大兄皇子の言いなりになって民を苦しめるのは止めてください、と大海人皇子は斉明帝に諫言します。民は不必要に過度な工事を負わされ、去年は飢饉も重なった、そのうえ戦とは、民を何人殺せば気が済むのだ、と大海人皇子は斉明帝を責め立てます。私は殺してなどいない、と反論する斉明帝にたいして、防げる立場にあるのにそうしないのは殺したのも同然で、一番重い罪だ、私の父(蘇我入鹿)もあなたの無責任さに殺されたのだ、大海人皇子は言います。
愛していた入鹿のことを言われた斉明帝は涙を浮かべます。一度でいいから、どうか自身と中大兄皇子に向き合ってください、と言って大海人皇子は立ち去ります。斉明帝は独り部屋にいて、大海人皇子の諫言を反芻しています。乙巳の変で入鹿を救えなかったことを思い出した斉明帝は、頭を抱えてうめき声を出します。中大兄皇子の凍えるような目が自分をすくませる、どうしても止められなかった、というわけです。乙巳の変で愛する入鹿を救えなかったことを、斉明帝は悔やんでも悔やみきれないようです。
大海人皇子の諫言に動かされたのか、斉明帝は外出して民が土木工事により苦しんでいる様を駕籠から見ます。いつから自分は息子の中大兄皇子を恐れるようになってしまったのか、自分はいったい何をしているのか、と斉明帝は自問します。このままでよいわけがない、中大兄皇子のためにもこの国のためにも、と思った斉明帝は、現状を変えられるのは自分しかいないのだ、と意を決します。
その頃(なのか少し時間が経過した後なのか明示されていませんが)、大海人皇子は鵲・仏師と共に仏像の安置されている場所を訪れていました。この仏像が、現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像です。原案監修者によると、この救世観音像は隠れ主人公で、歴史上の主要プレイヤーの間を彷徨い続ける、とのことです。また厨子を作るのが遅れますね、と鵲が言うと、そうならないよう、ここを離れる前に厨子を作る手はずを整えておきたい、と大海人皇子が言います。仏師にはあてがあるようで、腕の立つ職人を知っているので頼みましょう、と言います。もう帰ってこられないかもしれない、と大海人皇子は覚悟しており、父上、私たちの行く末を見守ってください、と仏像に願います。
いよいよ倭軍が出発し、中大兄皇子は高らかに出発を宣言します。最も豪華そうで大きな船には倭国首脳部が乗っているようで、大海人皇子は額田王・十市皇女母子と会いました。大海人皇子とその娘の十市皇女は久々に会うようで、あるいは「巡り物語」の夜以来なのかもしれません。十市皇女は相変わらず父の大海人皇子を慕っているようで、嬉しそうに大海人皇子に駆け寄ります。大海人皇子にとってもやはり十市皇女は可愛い娘のようで、大きくなったな、と優しく声をかけます。十市皇女は、今年で名前と同じ10歳になります、と言います。
そこへ大海人皇子の妻である大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹が現れたことに気づいた額田王は、今では中大兄皇子と婚姻関係ということもあってか、姉妹に遠慮したようで、十市皇女を大海人皇子から優しく引き離します。大海人皇子も妻たちが現れたことに気づきます。ここでついに鸕野讚良皇女が初登場となります。今年になって、十数年前から読もうと思っていた里中満智子『天上の虹 持統天皇物語』の文庫版を入手して読み始めたので、この作品の鸕野讚良皇女はどう描かれるのだろう、と思ってずっと気になっていました。というわけで、個人的には大注目していた鸕野讚良皇女なのですが・・・その容貌がですねぇ、いやはやなんとも・・・うん、この件については後述することにします。
大海人皇子は妊娠中の大田皇女の体調を気遣います。今日・明日にも生まれそうなのに出発なんて、祖母の斉明帝も人が悪いわ、と大田皇女は言います。すると、鸕野讚良皇女が、しかも、私たちの母上(遠智媛)を死に追いやった豊璋なんかのために、と言います。この時の鸕野讚良皇女の表情がですねぇ・・・いやまあ鸕野讚良皇女のことはまとめて後述します。大海人皇子は豊璋が遠智媛を発狂させた事件(第5話)を思い出して一瞬沈黙しますが、すぐに大田皇女・鸕野讚良皇女の体を気遣い、潮風は身体に障るから中に入ろう、と言って二人の妻の肩に優しく手をかけ、共に船内へと向かいます。十市皇女は少し寂しげにその様子を見ていましたが、母の額田王に促されて立ち去ります。
1月8日、大伯の海上(現在の岡山県瀬戸内市沿岸のようです)にて海が荒れ乗組員が操船に苦労するなか、大田皇女は娘を出産します。生まれた娘はその地にちなんで大伯皇女と名づけられました。大田皇女の女官らしき人物の発言によると、すこぶる安産だったとのことです。ここで、大海人皇子には十市皇女・生まれたばかりの大伯皇女以外に、九州の宗像の豪族の娘である尼子娘との間に、高市皇子という7歳の男子がいることが語られます。なお、作中では額田王は皇族(王族)ではないという設定になっています。
作中では651年誕生とされている十市皇女(額田王と大海人皇子との一晩の関係で生まれ、その関係は650年秋のことでしたから、生まれたのは651年夏~初秋のことでしょう)は、今年で10歳になると今回語っています。『扶桑略記』によると高市皇子は654年生まれとなります。ここでの描写だと、十市皇女が10歳にたいして高市皇子は7歳とされていますから、この作品では基本的に満年齢が採用されており、十市皇女と高市皇子は661年にそれぞれ10歳・7歳になる、ということのようです。
『万葉集』を根拠として、高市皇子と十市皇女との恋愛関係もしくは高市皇子の十市皇女への片想いも推測されていますが、まだ存在が言及さえされていない大友皇子も含めて、どのような人間関係が描かれるのか、楽しみです。高市皇子654年誕生説が採用されているということは、大海人皇子は額田王と一晩限りの関係を結んだ後、額田王と再会するまでの間に尼子娘と関係を持った、ということになります。作中では、大海人皇子が斉明帝の子と公表される前のことになります。「巡り物語」で大海人皇子は額田王だけを愛するようなことを言っていましたが、その前に子供を儲けていたのですな・・・。まあ、その時点で大海人皇子は額田王が何者なのか知りませんでしたし、再会できるあてもなかったので、身勝手と非難されるほどのことでもないとは思いますが。
大伯の海上でもそうでしたが、時化が続いて皆疲れ切っているし、船の補修も必要だということで、斉明帝は熟田津(現在の愛媛県松山市道後温泉付近のようです)に船団を逗留させることを決定します。中大兄皇子が抗議のため斉明帝を訪れ、数日もすれば筑紫の那の大津(現在の福岡県福岡市のようです)に着く、と説得しても、もう決めたのだ、私は大君であり、そなたの指図は受けない、と斉明帝は退けます。
船団は熟田津に到着し、斉明帝・大田皇女・鸕野讚良皇女の三人は、大伯皇女を見て歓談していました。大伯皇女を抱いた斉明帝は、可愛らしい、美人になるわね、と言います。早く鸕野讚良皇女も母親にならないと、と斉明帝が言うと、はい、お姉さまには負けません、と鸕野讚良皇女が答えます。まあ頑張ってちょうだい、と斉明帝が言うと、私は絶対男の子を産むわ、と鸕野讚良皇女は力強く言います。
祖母と孫二人(中大兄皇子にとっては母と娘二人)が歓談しているのを苦々しく見ていた中大兄皇子は、何が体調がすぐれないだ、なんだかんだと一ヶ月も長逗留しおって、と吐き捨てるように言います。早くしなければ機を逃してしまう、まったく腹立たしいわ、と言う中大兄皇子にたいして、斉明帝は以前と少し変わった意志をもって抵抗しているように見える、この出兵になのか、中大兄皇子様になのか、と豊璋が言います。その晩(か否か明示はされていませんが)、中大兄皇子が(明示はされていませんがおそらく)独りで思案している、というところで今回は終了です。
予告は、「次号、豪腕炸裂・・・!?」となっています。倭軍が熟田津まで進みましたから、額田王の有名な歌の場面も描かれることでしょう。中大兄皇子が、額田王の歌を利用して軍を進める、という展開になるのではないか、と予想しています。今回は、斉明帝の決意を中心に話が進みました。斉明帝はこれまで、息子の中大兄皇子に怯える優柔不断な母親・帝として描かれてきました。しかし今回は、息子の大海人皇子に叱責され、ついに覚悟を決めたようです。
中大兄皇子が実質的に決めているとはいえ、自分の名で行なわれている事業で民が苦労している様を見たことも、斉明帝が覚悟を決めた理由でしょう。しかし、斉明帝を突き動かした最大の理由は、愛する入鹿との間の息子の大海人皇子から、入鹿殺害の件で叱責されたことなのだろう、と思います。やはり、斉明帝はそれだけ入鹿を深く愛していたのでしょう。
斉明帝の弟の孝徳帝も姉と同様に凡庸な人物でしたが、入鹿の殺害に加担したことを後悔し、その供養のために入鹿の政策を継承しようと覚悟を決めます。孝徳帝は自分の覚悟を大海人皇子に打ち明けた後、中大兄皇子との対立が激化し、政争に敗れて失意のうちに亡くなります。おそらく大枠では史実通り進むでしょうから、斉明帝も間もなく亡くなるのでしょう。中大兄皇子と対峙する覚悟を決めたことにより、寿命が削られた、ということになるのでしょうか。その意味でも、この姉弟は似ているようです。
また、斉明帝の決意は国のためだけではなく、息子の中大兄皇子のためでもあります。斉明帝の決意が中大兄皇子にどのような影響を及ぼすのか、今後の見所になりそうです。中大兄皇子は母の斉明帝の死を悲しんだとされていますから、斉明帝の決意が中大兄皇子の心境に影響を与える、という展開になりそうです。また、それだけではなく、中大兄皇子が子供の頃に邪険にしてしまったことを、斉明帝は謝罪するのでしょうか。斉明帝の死は、この作品の転機になりそうな気がします。
豊璋も覚悟を決めたようで、新羅との和平に本気のようでうす。ただ、やはり大枠では史実通り進むでしょうから、倭・百済連合軍と唐・新羅連合軍は戦うことになるのでしょう。大海人皇子・豊璋の和平工作がどのように失敗するのか、というところも見所になりそうです。豊璋の息子の史が、大海人皇子に匿われてからどのように世に出てきて実権を握るのか、ということも気になりますが、これは描かれるとしてもかなり後のことになりそうです。
今回は斉明帝の覚悟が見所というか主題だったのですが、個人的には、登場を待ちわびていた鸕野讚良皇女の初登場が最も印象に残りました。上述したように、今年になって、十数年前から読もうと思っていた『天上の虹 持統天皇物語』の文庫版を入手して読み始めたので、この作品の鸕野讚良皇女はどう描かれるのだろう、と思ってずっと気になっていました。また、藤原史(不比等)を引き立てたのは鸕野讚良皇女(持統天皇)でしょうから、単に『天上の虹』との人物像の比較ということで興味を持っていたのではなく、この作品の重要人物としてどのような役割を担うのだろう、という点でもたいへん気になっていました。
『天上の虹』の鸕野讚良皇女は、容貌が母親似であるものの、能力・気性は父親の中大兄皇子(天智天皇)似で、それは中大兄皇子も認めていました。母方祖父(蘇我倉山田石川麻呂)と母(遠智媛)と初恋の人である有間皇子を死に追いやった(母については間接的ですが)父を鸕野讚良皇女は恨み、父よりも偉くなってやる、と誓っていました。その鸕野讚良皇女が、父と同様の皆に恐れられる政治家になっていく、という宿命・人間の業を描いたところが、『天上の虹』の魅力となっています。
『天上の虹』の鸕野讚良皇女は、父と同じく政治的才能に優れた強い人間で、大海人皇子(天武天皇)にとって、政治の同志・戦友として頼りにされます。しかし、当時の皇族の妻としては嫉妬深く、大海人皇子も鸕野讚良皇女の前ではくつろげません。鸕野讚良皇女は聡明な人物なので、妻として愛されたいと強く願っていながら、自分が妻として大海人皇子の他の妻よりも愛されているわけではないことを理解しており、夫の戦友として生きていこうとします。その分、鸕野讚良皇女の愛情は息子の草壁皇子に向かい、その期待は心の弱い草壁皇子を追いつめていきます。
まとめると、『天上の虹』の鸕野讚良皇女は、政治家としては優秀ではあるものの、妻・女としては愛されず不遇で、母親としても、息子に厳しすぎるあまり息子を追い込んで死なせてしまうというわけで、現代風に言うと毒母でしょう。しかし、優秀なところや政治家としての覚悟や愛情も描かれており、単に悪人とか嫌な人とかいうわけではありません。万人受けする人物像にはなっていないかもしれませんが、物語として見る分には魅力的だと思います。容貌も、主人公顔・ヒロイン顔になっています。
では、この作品の鸕野讚良皇女はどう描かれるのだろう、と思って以前からたいへん気になっていたのですが・・・えーっとですねぇ・・・容貌が父の中大兄皇子にそっくりなのですよ!!いやまあ、親子ですから、顔が似ているのは不自然ではないと思いますが、この作品の鸕野讚良皇女については、以前から色々と妄想していたのです。そのうちの一つに、顔が中大兄皇子に似ていたらちょっと嫌だなあ、というものもありました。
そうだとしたら、祖母や母や姉から、鸕野讚良皇女は神経質で陰気な印象を与えるので人望に欠けるかもしれない、なんて言われて心が歪んでしまい、死ね!死ね!と言いながら蛙を小刀で殺しまくるような少女時代を送ってしまったかもしれません。さらに成長すると、姉の大田皇女が邪魔になって暗殺し、夫の大海人皇子が即位後は、一度皇太子に立てられた実子の草壁皇子が廃され、大海人皇子と大田皇女との間に生まれた大津皇子が替わりに皇太子に立てられそうになったので、夫も暗殺し、大津皇子を自害に追い込んだ、というようなことを妄想していました。
でまあ、本当に鸕野讚良皇女の容貌が父親似だったものですから、自分の嫌な妄想が的中するのではないだろうか、とやや不安になっています。いやまあ、容貌が父親似とはいっても、私の妄想が的中するとは限りませんし、ほとんどすべて外れる可能性の方がずっと高いのかもしれませんが。じっさい、祖母や姉と歓談している場面が今回描かれましたから、鸕野讚良皇女は周囲の人物と良好な関係を築いているように見えます。ただ、今回の鸕野讚良皇女の台詞からは、かなり気が強く、負けず嫌いな性格が窺えます。この点では中大兄皇子に似ており、その容貌からも、父と同じく冷酷なのではないか、という気がします。
それにしても、中大兄皇子顔は男性だと悪人顔ではあるにしても美男子に見えるのですが、女性だと美人に見えないものなのですねぇ。いやまあ、これは私の個人的な感覚であり、多くの人の感想は違うのかもしれませんが、私にとって、この作品の鸕野讚良皇女はどう見てもヒロイン顔ではありません。本当に意地悪そうな顔です。一方、姉の大田皇女の方は、成長してヒロイン顔になってきたと思います。大田皇女の方は、容貌が母親似というよりも、十市皇女に似ているなあ、という気がしますが・・・。大海人皇子は大田皇女も鸕野讚良皇女も同じく愛しているようですが、中大兄皇子に抱き着き涙を流しながら切なそうな表情で、置き去りにしましたね、捨てられたかと思いました、と言うくらいですから(もちろん、本心ではなく心理戦の一環なのですが)、中大兄皇子顔の女性でも愛せるということなのでしょうか・・・。
今回読んだ限りでは、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹の仲は良好なようです。『天上の虹』でも姉妹の仲は良好で、それは姉妹の性格が大きく違うからだ、とされていました。この作品の大田皇女は、幼い頃は明るく活発で気が強い感じでしたが、成長して落ち着いてきたように見えます。気になるのは、この姉妹が父の中大兄皇子のことをどう思っているか、ということです。大田皇女は幼い頃、豊璋を恨んでいましたが、父を擁護していました。しかし、姉妹が今父をどう思っているのか、定かではありません。中大兄皇子は娘であるこの姉妹と10年ほど会っていないようですから、今では姉妹ともに父を恨んでいるのかもしれません。
姉妹と豊璋との関係も気になるところで、大田皇女は幼い頃、祖父を死に追いやり母を発狂させたということで豊璋を恨んでおり、大海人皇子に仇討を依頼したこともありました(第5話)。今回、大田皇女が豊璋をどう思っているのか、明示されませんでしたが、鸕野讚良皇女が今でも豊璋を恨んでいることを窺わせる台詞はありました。この時の描写からして、姉妹は今でも豊璋を恨んでいるように思います。そうすると、新羅との和平のために大海人皇子が豊璋と結んでいることが、大海人皇子と姉妹との関係にも影響を及ぼすことになるのかもしれません。
鸕野讚良皇女について妄想も含めて色々と述べてきましたが、鸕野讚良皇女の容貌が父親似であることは、今後大きな意味を持ってくるのではないか、と思います。私にとっては嫌な妄想がいくつか現実化するかもしれませんが、その場合でも、面白い物語になるのではないかな、と期待しています。鸕野讚良皇女も登場し、重要と思われる人物もだんだんとそろってきました。今後は、大友皇子がどう描かれるのか、という点に注目しています。また、中大兄皇子(天智天皇)の皇后となる倭姫王も登場するとよいな、と願っているのですが、どうなるでしょうか。ともかく、額田王と中大兄皇子が大活躍しそうな次号もたいへん楽しみです。
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