西秋良宏「交替劇の時期と過程をめぐる諸問題─あとがきにかえて─」
まだ日付は変わっていないのですが、12月9日分の記事として掲載しておきます。西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の後書です(関連記事)。この後書にて、2012年6月16日~17日にかけて行なわれたシンポジウムが総括されています。まず、「交替劇」の期間において人骨の発見例や理化学的年代測定が充分ではないことから、他分野よりも圧倒的に豊富な証拠を有する考古学の果たす役割は大きいので、世界規模で各地域の最新の考古学的研究成果を確認することの意義が強調されています。
「交替劇」の年代については、現生人類の世界規模での拡散が5万年前頃よりもさかのぼるのかが議論の焦点だ、と指摘されています。ユーラシアで上部旧石器文化が出現するのは5万年前頃以降なので、これと現生人類の拡散・「交替劇」を関連づけ、現生人類の遺伝的変異で説明する見解もあります(後期出現説、神経学仮説、創造の爆発説)。しかし一方で、5万年前よりもさらにさかのぼる時期での現生人類の南アジアへの進出を想定する見解も、近年では有力視されています。ただ、この見解の証拠とされるものは、いずれも確実ではない、と改めて強調されています。しかし、それはあくまでも現時点ではということであり、今後発見・確証される可能性も指摘されています。
現生人類の拡散経路については、じゅうらいはナイル渓谷からシナイ半島経由という経路が有力視されていましたが、近年では、アフリカ東部からアラビア半島南岸経由という経路が有力視されています。この後書は、ユーラシアの南北における更新世後期~末期にかけての石器技術の違いの説明として、現生人類の拡散経路について複数の仮説を提示しています。
(1)シナイ半島経由で北や西に向かった集団と、アラビア半島南岸経由で東へ向かった集団との違いです。
(2)シナイ半島経由で出アフリカを果たした後、東西に別れたかもしれません。
(3)アラビア半島南岸経由で南アジアに達した後、東西に別れたかもしれません。
遺伝学の分野では、現生人類拡散の詳細な推定地図がいくつも公表されています。それらはおおむね、アフリカ東部からアラビア半島南岸経由の5万年前よりもさかのぼる年代での出アフリカを想定しています。しかしこの後書は、ユーラシア西部・北部に広がるルヴァロワ技術系石刃石器群の祖型がエジプトで発見されていることから、現生人類拡散の経路として以前の通説だったシナイ半島経由説を示唆しています。
最後にこの後書は、東西ユーラシアにおける「交替劇」の期間の考古学的様相の違いと、そもそも「交替劇」が起きたのか、という問題について論じています。シベリアでは中部旧石器時代~上部旧石器時代へと連続的に移行した、との見解が在地の研究者に少なくなく、東アジアでも中国や朝鮮半島では同様ですが、日本列島については異論もあるものの(関連記事)、「交替劇」が想定されています(関連記事)。この後書では、この問題について以下の五つの仮説が提示されています。
(1)東ユーラシアでは「旧人」段階から「新人」段階への在地進化があったという多地域進化説です。ただ、人類学の主流的見解とは大いに異なるので、説得力のある証拠を集めることが必要だ、と指摘されています。
(2)東ユーラシアへは10万年前頃から「新人」が拡散しており、その子孫が上部旧石器を生み出した、という説です。こちらも、証拠を集めることが必要だ、と指摘されています。
(3)「旧人」と「新人」の混血を示すという説です。ただ、混血が西アジアで起きたという遺伝学的研究成果と整合的とは言えません。仮に混血の結果だとして、東ユーラシアでのみ石器融合が顕著だとすると、なぜ東ユーラシアでのみ混血が進んだのか、説明する必要がある、と指摘されています。
(4)石器群の同定に問題があるという説です。ルヴァロワ技術系石刃石器群の例からも、上部旧石器時代初頭の石器群は「旧人」の石器群とも類似するので、「旧人」石器群の分布域に拡散して発見されたとすると、両者が連続していると誤認されることもあり得る、と指摘されています。
(5)発掘に問題があるという説です。寒冷地の場合、石器群が複数の地層に分断されて出土する可能性を常に考慮しなければならない、と指摘されています。
こうした東西ユーラシアにおける考古学的様相の相違は、そもそも考古学的な証拠でヒトを語れるのか、という根本的な問いも投げかけている、と指摘されています。ただ、文化や技術と人類集団を同一視することは間違っているものの、人類史の研究において豊かな考古学的証拠を用いないのは得策ではない、とも提言されています。石器製作技術が人類集団の文化・伝統を反映していることは間違いありません。「旧人」と「新人」は別個の集団・社会を形成していたでしょうし、混血の頻度も低かったと推測されています。この後書はこう指摘して、技術と集団との対応は、「新人」しかいない時代のそれよりも顕著なのではないか、との見解を提示しています。一部の石器の形態やその出現頻度のみを取り上げた比較は危険だが、動作連鎖など集団の属する社会を反映した形質に着目した石器群比較が慎重になされれば、モノによるヒトの研究は一気に説得力を増すのではないか、というわけです。
以上、この後書についてざっと見てきました。これで、『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』についての大まかなまとめも終わりとなります。「交替劇」とは関係ないであろうアメリカ大陸とポリネシアをのぞいて、世界規模での「交替劇」の期間の考古学的研究成果が紹介されていて、たいへん読みごたえがありました。南アジアや朝鮮半島のように私にとってはほとんど予備知識のない地域も取り上げられており、得たもののひじょうに多い有益な一冊でした。今後しばらく、私にとって本書は重要な参考文献になりそうです。本書は税別で3800円ですが、この内容ならば、8000円でも高くない、と思ったくらいです。こうした本を非専門家も比較的容易に入手できたという意味では、私はよい時代・地域に生まれたのかもしれません。なお、本書の各報告についての記事は、上記の記事のトラックバックからたどれます。
参考文献:
西秋良宏(2013)「交替劇の時期と過程をめぐる諸問題─あとがきにかえて─」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P197-203
「交替劇」の年代については、現生人類の世界規模での拡散が5万年前頃よりもさかのぼるのかが議論の焦点だ、と指摘されています。ユーラシアで上部旧石器文化が出現するのは5万年前頃以降なので、これと現生人類の拡散・「交替劇」を関連づけ、現生人類の遺伝的変異で説明する見解もあります(後期出現説、神経学仮説、創造の爆発説)。しかし一方で、5万年前よりもさらにさかのぼる時期での現生人類の南アジアへの進出を想定する見解も、近年では有力視されています。ただ、この見解の証拠とされるものは、いずれも確実ではない、と改めて強調されています。しかし、それはあくまでも現時点ではということであり、今後発見・確証される可能性も指摘されています。
現生人類の拡散経路については、じゅうらいはナイル渓谷からシナイ半島経由という経路が有力視されていましたが、近年では、アフリカ東部からアラビア半島南岸経由という経路が有力視されています。この後書は、ユーラシアの南北における更新世後期~末期にかけての石器技術の違いの説明として、現生人類の拡散経路について複数の仮説を提示しています。
(1)シナイ半島経由で北や西に向かった集団と、アラビア半島南岸経由で東へ向かった集団との違いです。
(2)シナイ半島経由で出アフリカを果たした後、東西に別れたかもしれません。
(3)アラビア半島南岸経由で南アジアに達した後、東西に別れたかもしれません。
遺伝学の分野では、現生人類拡散の詳細な推定地図がいくつも公表されています。それらはおおむね、アフリカ東部からアラビア半島南岸経由の5万年前よりもさかのぼる年代での出アフリカを想定しています。しかしこの後書は、ユーラシア西部・北部に広がるルヴァロワ技術系石刃石器群の祖型がエジプトで発見されていることから、現生人類拡散の経路として以前の通説だったシナイ半島経由説を示唆しています。
最後にこの後書は、東西ユーラシアにおける「交替劇」の期間の考古学的様相の違いと、そもそも「交替劇」が起きたのか、という問題について論じています。シベリアでは中部旧石器時代~上部旧石器時代へと連続的に移行した、との見解が在地の研究者に少なくなく、東アジアでも中国や朝鮮半島では同様ですが、日本列島については異論もあるものの(関連記事)、「交替劇」が想定されています(関連記事)。この後書では、この問題について以下の五つの仮説が提示されています。
(1)東ユーラシアでは「旧人」段階から「新人」段階への在地進化があったという多地域進化説です。ただ、人類学の主流的見解とは大いに異なるので、説得力のある証拠を集めることが必要だ、と指摘されています。
(2)東ユーラシアへは10万年前頃から「新人」が拡散しており、その子孫が上部旧石器を生み出した、という説です。こちらも、証拠を集めることが必要だ、と指摘されています。
(3)「旧人」と「新人」の混血を示すという説です。ただ、混血が西アジアで起きたという遺伝学的研究成果と整合的とは言えません。仮に混血の結果だとして、東ユーラシアでのみ石器融合が顕著だとすると、なぜ東ユーラシアでのみ混血が進んだのか、説明する必要がある、と指摘されています。
(4)石器群の同定に問題があるという説です。ルヴァロワ技術系石刃石器群の例からも、上部旧石器時代初頭の石器群は「旧人」の石器群とも類似するので、「旧人」石器群の分布域に拡散して発見されたとすると、両者が連続していると誤認されることもあり得る、と指摘されています。
(5)発掘に問題があるという説です。寒冷地の場合、石器群が複数の地層に分断されて出土する可能性を常に考慮しなければならない、と指摘されています。
こうした東西ユーラシアにおける考古学的様相の相違は、そもそも考古学的な証拠でヒトを語れるのか、という根本的な問いも投げかけている、と指摘されています。ただ、文化や技術と人類集団を同一視することは間違っているものの、人類史の研究において豊かな考古学的証拠を用いないのは得策ではない、とも提言されています。石器製作技術が人類集団の文化・伝統を反映していることは間違いありません。「旧人」と「新人」は別個の集団・社会を形成していたでしょうし、混血の頻度も低かったと推測されています。この後書はこう指摘して、技術と集団との対応は、「新人」しかいない時代のそれよりも顕著なのではないか、との見解を提示しています。一部の石器の形態やその出現頻度のみを取り上げた比較は危険だが、動作連鎖など集団の属する社会を反映した形質に着目した石器群比較が慎重になされれば、モノによるヒトの研究は一気に説得力を増すのではないか、というわけです。
以上、この後書についてざっと見てきました。これで、『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』についての大まかなまとめも終わりとなります。「交替劇」とは関係ないであろうアメリカ大陸とポリネシアをのぞいて、世界規模での「交替劇」の期間の考古学的研究成果が紹介されていて、たいへん読みごたえがありました。南アジアや朝鮮半島のように私にとってはほとんど予備知識のない地域も取り上げられており、得たもののひじょうに多い有益な一冊でした。今後しばらく、私にとって本書は重要な参考文献になりそうです。本書は税別で3800円ですが、この内容ならば、8000円でも高くない、と思ったくらいです。こうした本を非専門家も比較的容易に入手できたという意味では、私はよい時代・地域に生まれたのかもしれません。なお、本書の各報告についての記事は、上記の記事のトラックバックからたどれます。
参考文献:
西秋良宏(2013)「交替劇の時期と過程をめぐる諸問題─あとがきにかえて─」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P197-203
この記事へのコメント
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