篠川賢『日本古代の歴史2 飛鳥と古代国家』

 まだ日付は変わっていないのですが、12月7日分の記事として掲載しておきます。『日本古代の歴史』全6巻の第2巻として2013年9月に吉川弘文館より刊行されました。本書は継体の即位から平城京遷都の直前までを扱っています。あとがきにて「本シリーズは、一般読者がわかりやすい叙述とすること、政治史を基軸としながらも、政治・経済・社会・文化すべての分野にわたってまんべんなく取りあげること、高校の教科書に収載されている用語について解説すること、などを方針とした通史である」と述べられていますが、本書はその方針をかなりの程度実現できた、手堅い古代史(飛鳥時代史)になっているのではないか、と思います。

 もっとも、量だけではなく質の点でも後世と比較して史料に限界がある時代なので、共通見解の得られていない問題も多く、明快な叙述が困難なのは否定できません。著者は、「なるべく多くの見解を紹介したうえで、筆者の見解を述べるように努めた」とのことなので、本書はなおのこと歯切れの悪い叙述になっていると言えるかもしれません。しかし、それは著者の良心と考えるべきだろう、と思います。近年の一般向け通史のなかには、主要な読者層への配慮に欠けるのではないか、と思うものもあるのですが、本書は一般向け通史として相応しい内容になっており、今後は本書が一般向け通史の基準になってもらいたいものです。

 本書の見解でやや意外だったのは、壬申の乱以前より皇太子的な存在を認めていることです。もちろん本書も、皇太子という用語が壬申の乱以前より使われていたとは主張していないのですが、次期大王継承者としての太子は決められており、推古朝の厩戸王子(聖徳太子)や孝徳朝の中大兄王子(葛城王子、天智天皇)がその実例だ、との見解を提示しています。壬申の乱以前に皇太子的な制度は存在しなかった、との見解が近年では有力だと私は認識していましたので、やや意外であるとともに、じゅうぶん納得できたわけではありませんでした。

 本書のこうした見解の前提には、飛鳥時代の王位の正統な継承者は王族を母とする近親婚による所生子であり、非王族出身者を母とする王族は大王に即位しても中継ぎとみなされていた、との歴史認識があります。ただ、この認識が妥当なのかというと、結果論にすぎないのではないか、との疑問も残ります。本書によると、乙巳の変の直後より中大兄王子は正統な王位継承候補者であり、太子として扱われていたということになるのですが、孝徳の没後に中大兄の母が重祚し(斉明天皇)、斉明没後も中大兄がなかなか即位しなかったことを考えると、中大兄が正統な王位継承候補者として中央支配層に認知されていたのか、疑問に思います。

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