『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』
クライブ=フィンレイソン著、上原直子訳、近藤修解説で、白揚社より2013年11月に刊行されました。原書の刊行は2009年です。フィンレイソン博士のチームの研究の一つを、過去にこのブログで取り上げたことがあります(関連記事)。フィンレイソン博士はジブラルタル博物館の館長で、ジブラルタルのゴーラム洞窟の調査を長年続けており、末期ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)研究の第一人者的存在です。本書の特徴は、以下の5点にまとめられると思います。
(1)人類史も含めて生物史を保守派と革新派という枠組みで把握します。適応的な環境(中心)にいて食資源に恵まれている保守派と、環境の変化や個体数の増加などにより食資源や気候に恵まれない環境(周縁)に追いやられた革新派となります。保守派は特定の環境によく適応し、革新派は厳しく多様な環境に適応します。保守派と革新派との区分は絶対的なものではなく、保守派から革新派が生まれたり、革新派が次代の保守派になったりすることもあります。
(2)(1)とも関連して、人類も含む生物、とくに革新派を機会主義的と把握します。革新派は恵まれない環境にいるので、保守派よりも周囲の環境を多様に利用しようとします。同種の革新派と保守派との違いは、生物学的相違(形態や認知能力など)に由来する場合も、そうでない場合もあります。
(3)(2)とも関連して、環境を重視します。環境が生物進化の重要な原動力であり、生物の盛衰に大きな影響力を及ぼした、と把握します。革新派への環境負荷は保守派よりも高くなるので、それだけ淘汰圧も高くなります。進化した革新派の遺伝子が保守派へと浸透することも、保守派と革新派が別種に分離していくこともあります。広範な環境変化が起きると、厳しい環境で生き抜いてきた革新派が次代の主役となり、保守派は絶滅することが多くなりますが、保守派が縮小した旧中心部に留まったり適合的な環境に移動したりして、衰退しつつも生き残ることもあります。一方、革新派がすべて広範な環境変化に対応して次代の主役となるわけではなく、絶滅する集団も多くいます。生物史において絶滅はありふれた事象です。その意味で、生物の存続・繁栄には、革新派であること自体よりも、適切な時に適切な場所にいることが重要だ、とされます。
(4)(2)とも関連して、少ない証拠を一般化することにたいへん慎重です。本書はおもに更新世の人類史を検証していますが、更新世における人類の痕跡は完新世と比較してたいへん少なく、一般化するのは危険だというわけです。死肉漁りか狩猟者かという議論や、特定の人類種(系統)がどの食資源に依存していたかという議論や、人骨が共伴しないか共伴したとしてもきわめて少なく解剖学的に曖昧な場合でも、特定の石器インダストリーを特定の人類種(系統)と結びつけて把握しようとする議論が批判されています。また、これは人類種区分の偏見というか固定観念とも結合します。たとえば、ユーラシア東部の特定の現生人類集団が洞窟壁画などの芸術を残していなくてもほとんど問題視されないのに、ネアンデルタール人が芸術作品をほとんど残していない場合は、ネアンデルタール人が現生人類よりも認識能力が劣る根拠とされる傾向にある、と本書は批判します。
(5)これまでの研究が、現代の国境線や地理的区分に囚われすぎているのではないか、と批判します。たとえば、アフリカ北東部は現生人類(ホモ=サピエンス)の起源地として有力視されていますが、そこから現在のモロッコ領であるアフリカ北西部まではたいへん長い距離となるのに、現生人類の「出アフリカ」と比較して、現生人類のモロッコへの進出は軽視されている、と批判します。アフリカ北東部から現在のモロッコ領であるアフリカ北西部までの距離は、アフリカ北東部からインド半島(インド亜大陸)東部までの距離に匹敵します。
本書は以上5点の認識を前提として、ネアンデルタール人と現生人類を中心に、霊長類の出現から農耕の開始まで論じます。したがって、大ざっぱにまとめると、人類のなかでも周縁にいた革新派が環境変化に対応して次代の主役になった一方で、中心にいた保守派(以前は革新派として広範な地域に進出して繁栄したわけですが)は広範な環境変化に対応しつつも、時と場所に恵まれず孤立し、衰退・絶滅していった、という把握になっています。
本書が人類進化の主流説と大きく異なる点はいくつかありますが、鮮新世の350万年前以降に本書が云うところの「初期人類(proto-human)」がアフリカからアジアまで進出していた、との見解がまず挙げられます。鮮新世の温暖な気候およびアフリカ大陸とユーラシア大陸との結合により、初期人類(日本では一般的に「猿人」と分類されており、エレクトスよりも前の初期ホモ属も含みます)であれば、故地と似た気候帯・環境(草地の多い開けた森林やサバンナ)を通ってアジアまで広く進出できただろう、というのが本書の見解です。なお本書では、人類の拡散にさいして、制限要因となったのは生物相・気候よりも水の確保だろう、との見解を提示しています。
本書はその根拠として、更新世フローレス島人(ホモ=フロレシエンシスと分類するのが主流です)を挙げています。更新世フローレス島人は、その原始的特徴からアウストラロピテクス属から進化したと考えられ、350万年前以降にアフリカからアジアへと進出したのではないか、というわけです。その後、鮮新世後期の寒冷化と森林の縮小によりそうした初期人類は孤立し、早期に絶滅するか、更新世フローレス島人のように更新世末期まで孤島で細々と生き延びたのではないか、いうのが本書の見解です。なお本書は、一般的には現代人の祖先とされるアウストラロピテクス=アファレンシスは現代人の祖先ではないだろう、との見解を提示しています。
また、180万年前頃のドマニシ人の事例から、ハビリスに分類されるような初期人類(一般的には初期ホモ属とされます)もユーラシアへと進出しており、鮮新世後期の寒冷化と森林の縮小のなか、そうした初期人類の中から最初の真のホモ属たるエレクトスが出現したのではないか、と本書は推測します。つまり本書は、エレクトスの起源地はアフリカとは限らない、と主張しているわけです。この見解は、ドマニシ人の研究の進展により、本書に限らず一部(ではないかもしれませんが)で提示されています。なお、更新世(あるいは鮮新世も含めて)の人類の移動は、平均して1年につき3km、1世代で60km程度であり、「民族大移動」のようなものではなかった、と本書は指摘します。
エレクトスの起源地がどこであれ、エレクトスは鮮新世後期以降の寒冷化と森林の縮小に対応した、長距離歩行に適した人類種であり、それ故に広範な地域に拡散できた、というのが本書の見解です。なお、異論の余地のないホモ属(初期ホモ属のうち、ハビリスやルドルフェンシスをウストラロピテクス属に分類する見解もあり、本書もその区分に傾いていると言えます)のうち、アフリカの初期ホモ属をエルガスターとしてエレクトスと区分する見解もありますが、本書はエレクトスとして一括して区分しています。
この広範に拡散したエレクトスも、更新世になってさらに寒冷化が進むなど環境が変化していくと、各地で孤立していき、一部の集団は早期に衰退・絶滅し、また一部の集団は更新世末期まで細々と存続したのではないか、と本書は推測しています。その一方、一部のエレクトスはヨーロッパでハイデルベルゲンシスや(ハイデルベルゲンシスの一部から進化した)ネアンデルタール人へと進化し、アフリカではホモ=ヘルメイなどとも呼ばれる集団やその子孫の現生人類へと進化した、というのが本書の見通しです。本書は、ホモ属にとって長らく中心だったと言える草原と森林がモザイク状に展開する地域の周縁の、気候悪化により誕生した広大な乾燥地で、現生人類が新たな革新を達成して世界へ拡散することになったのではないか、と示唆します。
ヨーロッパで進化したネアンデルタール人は、更新世後期~末期の厳しい寒冷化(もちろん、寒冷期がずっと続いたわけではなく、間氷期もあったわけですが)のなか、古典的ネアンデルタール人が確立したとされる125000年前頃以降に衰退して孤立していきます。ネアンデルタール人やその祖先のハイデルベルゲンシスは、寒冷化というよりは、ユーラシア中緯度地帯の森林と草原の混在した環境に適応していました。ネアンデルタール人は、森林に潜んでの集団による待ち伏せ接近戦狩猟に長けていた、というわけです。
現生人類が5万~4万年前頃以降にヨーロッパに進出した時、すでにネアンデルタール人は衰退してほとんどおらず、現生人類がネアンデルタール人を駆逐したわけではありませんでした。ネアンデルタール人終焉の有力地であるイベリア半島南西部では、ネアンデルタール人の絶滅までネアンデルタール人と現生人類との接触の確かな痕跡が見当たりません。イベリア半島南西部のネアンデルタール人は様々な食資源を利用しており、それはネアンデルタール人絶滅後にこの地に進出した現生人類とほぼ同様でした。
このようにネアンデルタール人の終焉と現生人類のヨーロッパ進出を推測する本書は、ネアンデルタール人が現生人類よりも潜在的能力で劣っていたのではない、と強調します。ネアンデルタール人は現生人類が経験した以上の長さの気候悪化にも耐えて存続したのだ、とも本書は指摘します。現生人類の故地であるアフリカよりも寒冷なヨーロッパにおいて、寒冷化による森林の縮小は深刻で、現生人類がヨーロッパに進出した時、すでにネアンデルタール人は孤立・衰退していたのであり、そのような中でも、現生人類とあまり変わらないような適応もしていたのだ、と本書は指摘します。現生人類が適切な時に適切な場所にいたのにたいして、ネアンデルタール人はそうではなかった、というわけです。現生人類が現在まで生き延びたのは、能力と運のおかげである、というのが本書の見解です。
特定の石器インダストリーを特定の人類種(系統)と結びつけて把握しようとする議論を批判し、環境の変化を重視する本書は、中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期にかけての各石器インダストリーについて、特定の人類集団と結びつけることに慎重な姿勢を見せます。たとえば、オーリナシアン(オーリニャック文化)の担い手は現生人類で、最近では疑問視されつつもあるものの、シャテルペロニアン(シャテルペロン文化)の担い手はネアンデルタール人だとするのが通説でしょう。
しかし本書は、こうした新たなインダストリーを特定の人類集団の所産と固定的に把握するのではなく、むしろ気候変動への対応として把握します。たとえば、森林が減少し草原が拡大する環境において、狩猟にはじゅうらいよりも長い距離の移動が要求されたので、より小型・軽量の石器が開発・採用されたのではないか、というわけです。オーリナシアンは人類の拡散とともに他地域から持ち込まれたのではなく、ヨーロッパで生み出されたのだろう、との見解を本書は提示しています。ただ、年代比較の問題は残っていますが、レヴァントやザグロスのオーリナシアンとの関係をどう考えるのか、との疑問は残ります。本書は、ヨーロッパのオーリナシアンの担い手がレヴァントへ進出した、という可能性を想定していますが。
この傾向を推し進めて人類史上画期的な成果を残したのが、グラヴェティアン(グラヴェット文化)の担い手である、と本書は主張します。中央アジア起源のグラヴェティアンは、森林が減少し草原が拡大する更新世末期の寒冷化のなか、狩猟法や石器製作技術なども含めて草原に適応した社会構造を作り上げ、広範な地域に進出したのではないか、というわけです。
本書はグラヴェティアンの意義として、以前から存在した「現代的」とも言われる技術的諸要素をまとめたことと、草原の拡大によりじゅうらいよりも長い距離の移動を要求される狩猟に対応しての、根拠地の設定(半定住)・分業の進展(成人男性と比較して平均的に体力の劣る成人女性が狩猟に参加しなくなるなど)・食料の貯蔵(寒冷な気候故に肉の保存が可能でした)・集団内もしくは集団間の情報交換の緊密化などを挙げています。こうしたグラヴェティアンの成果が後に農耕の母胎となったのであり、グラヴェティアンこそ農耕開始以上の人類史の画期である、と本書は評価しています。
以上、本書の見解についてざっと見てきました。本書は広範な研究を視野に入れており、参考文献も充実していますから、人類の進化に関心のある人にはお勧めの一冊だと思います。私も読んで得るものが多々ありました。ただ、疑問も少なからずあります。まず全体的な疑問として、本書はあまりにも人類の機会主義的性格を強調しているのではないか、と思います。確かに、人類に機会主義的性格が強く認められるのは否定できないでしょう。しかし、一方で人類は伝統・経験に束縛されるものでもあるでしょう。
本書は、ヨーロッパのオーリナシアンの担い手としてネアンデルタール人を想定する見解を強く否定せず、容認さえしているように思われます。私もこのブログなどで、更新世の石器製作技術と人類種とをかなり固定的に把握する見解への疑問をたびたび述べてきました。ただ、石器製作の前提として、それに対応した認知能力・解剖学的構造などが必要なのも間違いないでしょう。
本書は、ネアンデルタール人と現生人類との運命を分けた要因として、能力の違いを強調する見解に否定的です。その点では私もどちらかというと本書寄りです。ただ、本書は完新世における現生人類集団間の「発展」の「格差」は環境の違いに起因する、との見解もその根拠として提示しています。しかし、現生人類間と現生人類・ネアンデルタール人間では、後者の方の違いがずっと大きいでしょうから、ネアンデルタール人と現生人類との運命を分けた要因が、何らかの生物学的相違である可能性も否定はできないでしょう。
むしろそう考える方が主流で、私が最近まとめている西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(関連記事)も、ネアンデルタール人と現生人類の「交替劇」を両者の学習能力の違いに求めるという仮説を証明する、という研究計画の一環として刊行されています。本書はそうした見解に批判的で、私も同様なのですが、ネアンデルタール人のゲノムが解読された現在でも、どの遺伝子がどのように認知能力と関わっているのか、まだほとんど判明しておらず、その解明にはどれだけ時間を要するか、見当もつきません。いつかは、ある程度明らかになるとよいのですが。
次に、人類に限らず生物進化において、保守派・革新派と分類したうえでの考察にどれだけ妥当性があるのか、との疑問が残ります。本書のこの見解は壮大な枠組みであり、正直なところ私は圧倒されかけています。しかし、このような二分法的説明が、複雑な生物進化においてどこまで通用するのか、半信半疑です。以下、個別の見解への疑問を述べていきます。
海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の温暖な時期にレヴァントへ進出した早期現生人類は絶滅した、との見解を本書は提示しています。しかし、レヴァントの更新世の人骨は少ないので、レヴァント南部へと移動し、後に再び北上した可能性もあると思います。本書で云うところの早期現生人類はカフゼーに進出し、その時のカフゼーの動物相はアフリカと同様だったとされています。私もそのように認識していたのですが、本書によると、この時期のカフゼーの動物相がアフリカと同様という見解は、拡大解釈に基づいている、とのことです。
本書は更新世における人類の拡散に船と航海術が必要だった、との見解に疑問を呈し、天然の筏での漂流による渡海の可能性を示唆します。しかし、4万年以上前にかなり高度な航海が行なわれていたことを強く示唆する証拠が東ティモールで発見されていることを考えると(関連記事)、少なくともサフルランドへの人類の進出は、「天然の筏」での漂流によるものではなかったように思います。もっとも、この研究は原書刊行後に公表されているので、本書で言及されていないのは当然ではありますが。
現生人類の起源をめぐる論争についての本書の認識には疑問が残ります。1989年の時点で、現生人類アフリカ単一起源説は疑う余地がないものとされ、現生人類多地域進化説を検討しようものなら、たちまち異端扱いされたほどだった、との認識を本書は提示しています。また本書は、現生人類の単一起源説自体は1950年代にすでに提唱されていたものの、その起源地は不明で、Cann et al.,1987によりアフリカに白羽の矢が立った、とも述べています。
しかし、Cann et al.,1987の前にすでに現生人類アフリカ単一起源説は提示されていましたし(関連記事)、そもそも1989年の時点で現生人類アフリカ単一起源説が本書の認識ほど優位だったとはとても考えられません。私が思うに、現生人類アフリカ単一起源説の勝利というか現生人類多地域進化説敗北の決定打となったのは、1990年代後半以降にネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析結果が相次いで公表されたことでしょう。ただ、更新世末期の人類進化史は、ある集団が他の集団に置き換わるという単純な構図ではなかった、との本書の見解は妥当だろう、と思います。
グラヴェティアンが農耕の母胎になったとの評価は妥当なのか、疑問が残ります。そもそも、貯蔵という概念・実践の画期としてグラヴェティアンを想定する見解が妥当なのか、大いに疑問です。それを認めるとしても、たとえばアメリカ大陸の農耕については、最近の遺伝学的研究成果(関連記事)からまだ辛うじて肯定できるかもしれません。しかし、アメリカ大陸と同じく独立農耕起源地の一つとされるニューギニアでも農耕の母胎としてグラヴェティアンを想定できるのか、大いに疑問が残ります。
なお、本書はネアンデルタール人と現生人類との交雑には否定的なのですが、解説では、2010年以降ネアンデルタール人と非アフリカ系現生人類との交雑を認める見解が有力になりつつある、と捕捉されています。また、原書刊行以降に明らかになったデニソワ人の存在と、デニソワ人が現生人類の一部と交雑した、という研究成果も解説にて補足されています。
参考文献:
Cann RL. et al.(1987): Mitochondrial DNA and human evolution. Nature, 325, 31-36.
http://dx.doi.org/10.1038/325031a0
Finlayson C.著(2013)、上原直子訳『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(白揚社、原書の刊行は2009年)
(1)人類史も含めて生物史を保守派と革新派という枠組みで把握します。適応的な環境(中心)にいて食資源に恵まれている保守派と、環境の変化や個体数の増加などにより食資源や気候に恵まれない環境(周縁)に追いやられた革新派となります。保守派は特定の環境によく適応し、革新派は厳しく多様な環境に適応します。保守派と革新派との区分は絶対的なものではなく、保守派から革新派が生まれたり、革新派が次代の保守派になったりすることもあります。
(2)(1)とも関連して、人類も含む生物、とくに革新派を機会主義的と把握します。革新派は恵まれない環境にいるので、保守派よりも周囲の環境を多様に利用しようとします。同種の革新派と保守派との違いは、生物学的相違(形態や認知能力など)に由来する場合も、そうでない場合もあります。
(3)(2)とも関連して、環境を重視します。環境が生物進化の重要な原動力であり、生物の盛衰に大きな影響力を及ぼした、と把握します。革新派への環境負荷は保守派よりも高くなるので、それだけ淘汰圧も高くなります。進化した革新派の遺伝子が保守派へと浸透することも、保守派と革新派が別種に分離していくこともあります。広範な環境変化が起きると、厳しい環境で生き抜いてきた革新派が次代の主役となり、保守派は絶滅することが多くなりますが、保守派が縮小した旧中心部に留まったり適合的な環境に移動したりして、衰退しつつも生き残ることもあります。一方、革新派がすべて広範な環境変化に対応して次代の主役となるわけではなく、絶滅する集団も多くいます。生物史において絶滅はありふれた事象です。その意味で、生物の存続・繁栄には、革新派であること自体よりも、適切な時に適切な場所にいることが重要だ、とされます。
(4)(2)とも関連して、少ない証拠を一般化することにたいへん慎重です。本書はおもに更新世の人類史を検証していますが、更新世における人類の痕跡は完新世と比較してたいへん少なく、一般化するのは危険だというわけです。死肉漁りか狩猟者かという議論や、特定の人類種(系統)がどの食資源に依存していたかという議論や、人骨が共伴しないか共伴したとしてもきわめて少なく解剖学的に曖昧な場合でも、特定の石器インダストリーを特定の人類種(系統)と結びつけて把握しようとする議論が批判されています。また、これは人類種区分の偏見というか固定観念とも結合します。たとえば、ユーラシア東部の特定の現生人類集団が洞窟壁画などの芸術を残していなくてもほとんど問題視されないのに、ネアンデルタール人が芸術作品をほとんど残していない場合は、ネアンデルタール人が現生人類よりも認識能力が劣る根拠とされる傾向にある、と本書は批判します。
(5)これまでの研究が、現代の国境線や地理的区分に囚われすぎているのではないか、と批判します。たとえば、アフリカ北東部は現生人類(ホモ=サピエンス)の起源地として有力視されていますが、そこから現在のモロッコ領であるアフリカ北西部まではたいへん長い距離となるのに、現生人類の「出アフリカ」と比較して、現生人類のモロッコへの進出は軽視されている、と批判します。アフリカ北東部から現在のモロッコ領であるアフリカ北西部までの距離は、アフリカ北東部からインド半島(インド亜大陸)東部までの距離に匹敵します。
本書は以上5点の認識を前提として、ネアンデルタール人と現生人類を中心に、霊長類の出現から農耕の開始まで論じます。したがって、大ざっぱにまとめると、人類のなかでも周縁にいた革新派が環境変化に対応して次代の主役になった一方で、中心にいた保守派(以前は革新派として広範な地域に進出して繁栄したわけですが)は広範な環境変化に対応しつつも、時と場所に恵まれず孤立し、衰退・絶滅していった、という把握になっています。
本書が人類進化の主流説と大きく異なる点はいくつかありますが、鮮新世の350万年前以降に本書が云うところの「初期人類(proto-human)」がアフリカからアジアまで進出していた、との見解がまず挙げられます。鮮新世の温暖な気候およびアフリカ大陸とユーラシア大陸との結合により、初期人類(日本では一般的に「猿人」と分類されており、エレクトスよりも前の初期ホモ属も含みます)であれば、故地と似た気候帯・環境(草地の多い開けた森林やサバンナ)を通ってアジアまで広く進出できただろう、というのが本書の見解です。なお本書では、人類の拡散にさいして、制限要因となったのは生物相・気候よりも水の確保だろう、との見解を提示しています。
本書はその根拠として、更新世フローレス島人(ホモ=フロレシエンシスと分類するのが主流です)を挙げています。更新世フローレス島人は、その原始的特徴からアウストラロピテクス属から進化したと考えられ、350万年前以降にアフリカからアジアへと進出したのではないか、というわけです。その後、鮮新世後期の寒冷化と森林の縮小によりそうした初期人類は孤立し、早期に絶滅するか、更新世フローレス島人のように更新世末期まで孤島で細々と生き延びたのではないか、いうのが本書の見解です。なお本書は、一般的には現代人の祖先とされるアウストラロピテクス=アファレンシスは現代人の祖先ではないだろう、との見解を提示しています。
また、180万年前頃のドマニシ人の事例から、ハビリスに分類されるような初期人類(一般的には初期ホモ属とされます)もユーラシアへと進出しており、鮮新世後期の寒冷化と森林の縮小のなか、そうした初期人類の中から最初の真のホモ属たるエレクトスが出現したのではないか、と本書は推測します。つまり本書は、エレクトスの起源地はアフリカとは限らない、と主張しているわけです。この見解は、ドマニシ人の研究の進展により、本書に限らず一部(ではないかもしれませんが)で提示されています。なお、更新世(あるいは鮮新世も含めて)の人類の移動は、平均して1年につき3km、1世代で60km程度であり、「民族大移動」のようなものではなかった、と本書は指摘します。
エレクトスの起源地がどこであれ、エレクトスは鮮新世後期以降の寒冷化と森林の縮小に対応した、長距離歩行に適した人類種であり、それ故に広範な地域に拡散できた、というのが本書の見解です。なお、異論の余地のないホモ属(初期ホモ属のうち、ハビリスやルドルフェンシスをウストラロピテクス属に分類する見解もあり、本書もその区分に傾いていると言えます)のうち、アフリカの初期ホモ属をエルガスターとしてエレクトスと区分する見解もありますが、本書はエレクトスとして一括して区分しています。
この広範に拡散したエレクトスも、更新世になってさらに寒冷化が進むなど環境が変化していくと、各地で孤立していき、一部の集団は早期に衰退・絶滅し、また一部の集団は更新世末期まで細々と存続したのではないか、と本書は推測しています。その一方、一部のエレクトスはヨーロッパでハイデルベルゲンシスや(ハイデルベルゲンシスの一部から進化した)ネアンデルタール人へと進化し、アフリカではホモ=ヘルメイなどとも呼ばれる集団やその子孫の現生人類へと進化した、というのが本書の見通しです。本書は、ホモ属にとって長らく中心だったと言える草原と森林がモザイク状に展開する地域の周縁の、気候悪化により誕生した広大な乾燥地で、現生人類が新たな革新を達成して世界へ拡散することになったのではないか、と示唆します。
ヨーロッパで進化したネアンデルタール人は、更新世後期~末期の厳しい寒冷化(もちろん、寒冷期がずっと続いたわけではなく、間氷期もあったわけですが)のなか、古典的ネアンデルタール人が確立したとされる125000年前頃以降に衰退して孤立していきます。ネアンデルタール人やその祖先のハイデルベルゲンシスは、寒冷化というよりは、ユーラシア中緯度地帯の森林と草原の混在した環境に適応していました。ネアンデルタール人は、森林に潜んでの集団による待ち伏せ接近戦狩猟に長けていた、というわけです。
現生人類が5万~4万年前頃以降にヨーロッパに進出した時、すでにネアンデルタール人は衰退してほとんどおらず、現生人類がネアンデルタール人を駆逐したわけではありませんでした。ネアンデルタール人終焉の有力地であるイベリア半島南西部では、ネアンデルタール人の絶滅までネアンデルタール人と現生人類との接触の確かな痕跡が見当たりません。イベリア半島南西部のネアンデルタール人は様々な食資源を利用しており、それはネアンデルタール人絶滅後にこの地に進出した現生人類とほぼ同様でした。
このようにネアンデルタール人の終焉と現生人類のヨーロッパ進出を推測する本書は、ネアンデルタール人が現生人類よりも潜在的能力で劣っていたのではない、と強調します。ネアンデルタール人は現生人類が経験した以上の長さの気候悪化にも耐えて存続したのだ、とも本書は指摘します。現生人類の故地であるアフリカよりも寒冷なヨーロッパにおいて、寒冷化による森林の縮小は深刻で、現生人類がヨーロッパに進出した時、すでにネアンデルタール人は孤立・衰退していたのであり、そのような中でも、現生人類とあまり変わらないような適応もしていたのだ、と本書は指摘します。現生人類が適切な時に適切な場所にいたのにたいして、ネアンデルタール人はそうではなかった、というわけです。現生人類が現在まで生き延びたのは、能力と運のおかげである、というのが本書の見解です。
特定の石器インダストリーを特定の人類種(系統)と結びつけて把握しようとする議論を批判し、環境の変化を重視する本書は、中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期にかけての各石器インダストリーについて、特定の人類集団と結びつけることに慎重な姿勢を見せます。たとえば、オーリナシアン(オーリニャック文化)の担い手は現生人類で、最近では疑問視されつつもあるものの、シャテルペロニアン(シャテルペロン文化)の担い手はネアンデルタール人だとするのが通説でしょう。
しかし本書は、こうした新たなインダストリーを特定の人類集団の所産と固定的に把握するのではなく、むしろ気候変動への対応として把握します。たとえば、森林が減少し草原が拡大する環境において、狩猟にはじゅうらいよりも長い距離の移動が要求されたので、より小型・軽量の石器が開発・採用されたのではないか、というわけです。オーリナシアンは人類の拡散とともに他地域から持ち込まれたのではなく、ヨーロッパで生み出されたのだろう、との見解を本書は提示しています。ただ、年代比較の問題は残っていますが、レヴァントやザグロスのオーリナシアンとの関係をどう考えるのか、との疑問は残ります。本書は、ヨーロッパのオーリナシアンの担い手がレヴァントへ進出した、という可能性を想定していますが。
この傾向を推し進めて人類史上画期的な成果を残したのが、グラヴェティアン(グラヴェット文化)の担い手である、と本書は主張します。中央アジア起源のグラヴェティアンは、森林が減少し草原が拡大する更新世末期の寒冷化のなか、狩猟法や石器製作技術なども含めて草原に適応した社会構造を作り上げ、広範な地域に進出したのではないか、というわけです。
本書はグラヴェティアンの意義として、以前から存在した「現代的」とも言われる技術的諸要素をまとめたことと、草原の拡大によりじゅうらいよりも長い距離の移動を要求される狩猟に対応しての、根拠地の設定(半定住)・分業の進展(成人男性と比較して平均的に体力の劣る成人女性が狩猟に参加しなくなるなど)・食料の貯蔵(寒冷な気候故に肉の保存が可能でした)・集団内もしくは集団間の情報交換の緊密化などを挙げています。こうしたグラヴェティアンの成果が後に農耕の母胎となったのであり、グラヴェティアンこそ農耕開始以上の人類史の画期である、と本書は評価しています。
以上、本書の見解についてざっと見てきました。本書は広範な研究を視野に入れており、参考文献も充実していますから、人類の進化に関心のある人にはお勧めの一冊だと思います。私も読んで得るものが多々ありました。ただ、疑問も少なからずあります。まず全体的な疑問として、本書はあまりにも人類の機会主義的性格を強調しているのではないか、と思います。確かに、人類に機会主義的性格が強く認められるのは否定できないでしょう。しかし、一方で人類は伝統・経験に束縛されるものでもあるでしょう。
本書は、ヨーロッパのオーリナシアンの担い手としてネアンデルタール人を想定する見解を強く否定せず、容認さえしているように思われます。私もこのブログなどで、更新世の石器製作技術と人類種とをかなり固定的に把握する見解への疑問をたびたび述べてきました。ただ、石器製作の前提として、それに対応した認知能力・解剖学的構造などが必要なのも間違いないでしょう。
本書は、ネアンデルタール人と現生人類との運命を分けた要因として、能力の違いを強調する見解に否定的です。その点では私もどちらかというと本書寄りです。ただ、本書は完新世における現生人類集団間の「発展」の「格差」は環境の違いに起因する、との見解もその根拠として提示しています。しかし、現生人類間と現生人類・ネアンデルタール人間では、後者の方の違いがずっと大きいでしょうから、ネアンデルタール人と現生人類との運命を分けた要因が、何らかの生物学的相違である可能性も否定はできないでしょう。
むしろそう考える方が主流で、私が最近まとめている西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(関連記事)も、ネアンデルタール人と現生人類の「交替劇」を両者の学習能力の違いに求めるという仮説を証明する、という研究計画の一環として刊行されています。本書はそうした見解に批判的で、私も同様なのですが、ネアンデルタール人のゲノムが解読された現在でも、どの遺伝子がどのように認知能力と関わっているのか、まだほとんど判明しておらず、その解明にはどれだけ時間を要するか、見当もつきません。いつかは、ある程度明らかになるとよいのですが。
次に、人類に限らず生物進化において、保守派・革新派と分類したうえでの考察にどれだけ妥当性があるのか、との疑問が残ります。本書のこの見解は壮大な枠組みであり、正直なところ私は圧倒されかけています。しかし、このような二分法的説明が、複雑な生物進化においてどこまで通用するのか、半信半疑です。以下、個別の見解への疑問を述べていきます。
海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の温暖な時期にレヴァントへ進出した早期現生人類は絶滅した、との見解を本書は提示しています。しかし、レヴァントの更新世の人骨は少ないので、レヴァント南部へと移動し、後に再び北上した可能性もあると思います。本書で云うところの早期現生人類はカフゼーに進出し、その時のカフゼーの動物相はアフリカと同様だったとされています。私もそのように認識していたのですが、本書によると、この時期のカフゼーの動物相がアフリカと同様という見解は、拡大解釈に基づいている、とのことです。
本書は更新世における人類の拡散に船と航海術が必要だった、との見解に疑問を呈し、天然の筏での漂流による渡海の可能性を示唆します。しかし、4万年以上前にかなり高度な航海が行なわれていたことを強く示唆する証拠が東ティモールで発見されていることを考えると(関連記事)、少なくともサフルランドへの人類の進出は、「天然の筏」での漂流によるものではなかったように思います。もっとも、この研究は原書刊行後に公表されているので、本書で言及されていないのは当然ではありますが。
現生人類の起源をめぐる論争についての本書の認識には疑問が残ります。1989年の時点で、現生人類アフリカ単一起源説は疑う余地がないものとされ、現生人類多地域進化説を検討しようものなら、たちまち異端扱いされたほどだった、との認識を本書は提示しています。また本書は、現生人類の単一起源説自体は1950年代にすでに提唱されていたものの、その起源地は不明で、Cann et al.,1987によりアフリカに白羽の矢が立った、とも述べています。
しかし、Cann et al.,1987の前にすでに現生人類アフリカ単一起源説は提示されていましたし(関連記事)、そもそも1989年の時点で現生人類アフリカ単一起源説が本書の認識ほど優位だったとはとても考えられません。私が思うに、現生人類アフリカ単一起源説の勝利というか現生人類多地域進化説敗北の決定打となったのは、1990年代後半以降にネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析結果が相次いで公表されたことでしょう。ただ、更新世末期の人類進化史は、ある集団が他の集団に置き換わるという単純な構図ではなかった、との本書の見解は妥当だろう、と思います。
グラヴェティアンが農耕の母胎になったとの評価は妥当なのか、疑問が残ります。そもそも、貯蔵という概念・実践の画期としてグラヴェティアンを想定する見解が妥当なのか、大いに疑問です。それを認めるとしても、たとえばアメリカ大陸の農耕については、最近の遺伝学的研究成果(関連記事)からまだ辛うじて肯定できるかもしれません。しかし、アメリカ大陸と同じく独立農耕起源地の一つとされるニューギニアでも農耕の母胎としてグラヴェティアンを想定できるのか、大いに疑問が残ります。
なお、本書はネアンデルタール人と現生人類との交雑には否定的なのですが、解説では、2010年以降ネアンデルタール人と非アフリカ系現生人類との交雑を認める見解が有力になりつつある、と捕捉されています。また、原書刊行以降に明らかになったデニソワ人の存在と、デニソワ人が現生人類の一部と交雑した、という研究成果も解説にて補足されています。
参考文献:
Cann RL. et al.(1987): Mitochondrial DNA and human evolution. Nature, 325, 31-36.
http://dx.doi.org/10.1038/325031a0
Finlayson C.著(2013)、上原直子訳『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(白揚社、原書の刊行は2009年)
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