長田俊樹『インダス文明の謎 古代文明神話を見直す』
これは11月6日分の記事として掲載しておきます。学術選書の一冊として、京都大学学術出版会より2013年10月に刊行されました。著者はインダス文明に関するプロジェクトを2004年に発足させ、予備研究などを経て2007年から5年間、本研究としてファルマーナー・カーンメールという二つのインダス文明遺跡の発掘やインダス文明遺跡地域での環境調査を行なった、とのことです。著者はその成果を取り入れつつ、インダス文明について包括的に論じています。著者は考古学者ではなく言語学者で、考古学的な細かい解説にはなっていないということもあり、本文は読みやすくなっています。また、本書には著者によるインダス文明各遺跡の訪問記(インドにおいてカースト制が今でも根強いことが窺えます)という性格もありますので、その点でも読みやすくなっています。
著者のインダス文明およびインドへの情熱は、本文からよく伝わってきます。もちろん、インダス文明はパキスタンにも広がっており、一般にも有名なモヘンジョダロ・ハラッパーの2都市はパキスタンにあるのですが、著者はインドに留学し、インドでの滞在経験が長いためか、パキスタンよりもインドへの思い入れの方がずっと強いようです。若者が本書を読んでインダス文明の研究を志してほしい、と著者は思っているようですが、だからといって研究者(予備群)向けの敷居の高い内容ではなく、平易な解説になっているので、私のようにインダス文明に関心はあるものの、詳しくないという一般層も読み通すのに苦労はしないと思います。
本書は、年代・範囲なども含めて最新の研究成果に基づいたインダス文明像を提示することを目的としています。これには、近年の日本の刊行物においても、インダス文明について古い情報が掲載されている、という著者の不満があるようです。また、現代日本社会において、「古代四大文明」のなかでインダス文明の知名度が低く、あまり知られていないという現状を打破したい、との思いもあるようです。以下、本書にて紹介されている著者なりの「最新の」インダス文明像について備忘録的に記していきます。
本書を読むと、インダス文明の研究はまだ発展途上だな、との思いを強くします。それはインドやパキスタンの社会・国家の問題でもあります。まず、治安の悪さが挙げられます。インドでもそうですが、近年のパキスタンにおける治安の悪化はとくに深刻なようです。次に、植民地支配の反動ということもあり、インドでは自立主義が根強いため、外国の研究者への発掘許可がインド当局からなかなか下りません。この閉鎖的な体質のために、資金力・経験豊富な先進国の研究機関がインドで発掘許可を得るのはなかなか難しいようです。また、宗教界への配慮もあってか、遺跡の発掘・保存管理はインダス文明よりも寺院の方が優先される、という事情もあるようです。さらに、インドとパキスタンの対立が両国の建国時よりずっと続いているので、両国の研究者がインダス文明を包括的に研究するのが難しくなっています。
もっとも、こうした問題点はあるものの、外国の研究機関が発掘に加わっている場合もありますし、報告された遺跡は年々増加しているなど、インダス文明の研究はじょじょに進展しているようではあります。インダス文明の遺跡数は、1980年に刊行された日本語の本では300とされていたのが、最新の概説では2600とされているそうです。もっとも、これら全てがインダス文明期のものかというと、疑問もあるようですが。ただ、報告される遺跡は増えているものの、考古学的にしっかりと発掘された遺跡はまだ少ないようです。また、経済成長の続くインドでは開発に伴う発掘も多いという事情があるのか、発掘優先で出土物の管理や報告書の作成が後回しになっている傾向は否めません。
こうした問題のため、本書で提示されているインダス文明像にもまだ曖昧なところがあり、今後の発掘・研究の進展により更新される可能性が高いことを、著者も率直に認めています。じっさい、遺跡の広さについても、確定したとは言い難いものが少なからずあるようで、研究者によって数字が異なることもあります。これには、インダス文明の遺跡は一部もしくは大部分が私有地の場合があり、発掘を進めにくいという事情もあるようです。
本書は、メソポタミア文明やエジプト文明をモデルに構築された古典的なインダス文明像を徹底的に批判します。つまり、王のような専制権力の存在・活発な軍事活動・大河に依存した灌漑農耕・奴隷制社会を特徴とする文明像です。また、モヘンジョダロとハラッパーに偏ったインダス文明像の構築も批判されています。現代では、モヘンジョダロ・ハラッパー・ガンウェリワーラー・ラーキーガリー・ドーラーヴィーラーがインダス文明の5大都市という認識が定着しているようです。しかし最近になって、ラーカンジョダロ遺跡がインダス文明では最大規模になる、とも報告されているようで、インダス文明像は今後も大きく変わってくる可能性が高そうです。
おそらく私も含めて一般読者が最も驚くだろうことは、インダス文明に関するプロジェクトや最新の研究成果から、インダス文明は大河文明ではない、と断言されていることでしょう。まず、現在は乾燥地帯にある遺跡の側をかつて大河が流れていた、という説が否定されます。これと関連して、13年前のNHKスペシャルで水を豊かに湛えていると描かれたドーラーヴィーラーのCGが間違っている、と指摘されています。次に、植物遺存体の分析から、インダス文明において大河に依存した灌漑農耕の比重は必ずしも高くなく、多様な作物が栽培されていたことが指摘されます。ただ、この見解については、現代の南アジア社会における農耕の在り様からの類推が前提になっているので、確証が得られたとは言い難いように思います。
インダス文明には王のような専制権力の存在が確認できず、軍事的要素にも乏しい、との見解は現代日本社会でも浸透しているように思います。本書は、インダス文明の遺跡で集権制とも関連する「穀倉」と解釈されてきた遺構がそうではない、との見解などを提示することで、改めてインダス文明における王のような専制権力の不在を指摘しています。しかし、ドーラーヴィーラーの小規模な水浴び場・円形墳やファルマーナーの墓地の副葬品やバガーサラーの城塞内外での肉食依存度の違いなどが階層の存在を示唆していることも、本書は指摘しています。
こうして古典的なインダス文明像を批判して本書が提示する新たなインダス文明像は、牧畜民も含む流動性の高い人々により各都市が密接に結びつき、ヒトだけではなくモノも活発に動いた多民族・多言語共生社会だった、というものです。また、インダス文明期は現代よりも海水面が高かったので、南部の都市は海に面しており、オマーンやバーレーンやメソポタミア方面とも交易していた、ということも強調されています。インダス文明は文字・印章・度量衡など共通性を持ちつつも、地域的な違いが見られることも指摘されています。
以上、本書の提示するインダス文明像についてまとめてみました。やや気になるのは、インダス文明期の農業の様相の推定のさいもそうでしたが、著者が現代の南アジア社会の様相をインダス文明期にあてはめる傾向にあることです。インダス文字が解読されていないなど、直接的な証拠の不足を補うためにある程度は仕方ないのかもしれませんが、危険性は否定できないだろう、と思います。たとえば、インダス文明の特徴の一部は後のインドにも継承されていますが、カースト制の萌芽がインダス文明にも存在したことを示唆するような見解には疑問も残ります。
今年4月にインダス文明の人口構成についての研究がナショナルジオグラフィックで報道されましたが、本書でもこの報道と研究が取り上げられています。本書によると、この研究は「女性優位」だけが主張されているわけではなく、インダスとメソポタミアとの比較が中心になっている、とのことです。また本書では、まだ検証例が少ないので、インダス文明における「女性優位」との見解については、今後の研究を俟つべきだ、ともされています。なお、アーリア系集団はインダス文明の衰退後にインドに移住してきたのではなく、インダス文明の担い手だったのだ、との見解もあるのですが(関連記事)、本書では取り上げられていませんでした。インダス文明専門家の間では珍説扱いされているのでしょうか。
著者のインダス文明およびインドへの情熱は、本文からよく伝わってきます。もちろん、インダス文明はパキスタンにも広がっており、一般にも有名なモヘンジョダロ・ハラッパーの2都市はパキスタンにあるのですが、著者はインドに留学し、インドでの滞在経験が長いためか、パキスタンよりもインドへの思い入れの方がずっと強いようです。若者が本書を読んでインダス文明の研究を志してほしい、と著者は思っているようですが、だからといって研究者(予備群)向けの敷居の高い内容ではなく、平易な解説になっているので、私のようにインダス文明に関心はあるものの、詳しくないという一般層も読み通すのに苦労はしないと思います。
本書は、年代・範囲なども含めて最新の研究成果に基づいたインダス文明像を提示することを目的としています。これには、近年の日本の刊行物においても、インダス文明について古い情報が掲載されている、という著者の不満があるようです。また、現代日本社会において、「古代四大文明」のなかでインダス文明の知名度が低く、あまり知られていないという現状を打破したい、との思いもあるようです。以下、本書にて紹介されている著者なりの「最新の」インダス文明像について備忘録的に記していきます。
本書を読むと、インダス文明の研究はまだ発展途上だな、との思いを強くします。それはインドやパキスタンの社会・国家の問題でもあります。まず、治安の悪さが挙げられます。インドでもそうですが、近年のパキスタンにおける治安の悪化はとくに深刻なようです。次に、植民地支配の反動ということもあり、インドでは自立主義が根強いため、外国の研究者への発掘許可がインド当局からなかなか下りません。この閉鎖的な体質のために、資金力・経験豊富な先進国の研究機関がインドで発掘許可を得るのはなかなか難しいようです。また、宗教界への配慮もあってか、遺跡の発掘・保存管理はインダス文明よりも寺院の方が優先される、という事情もあるようです。さらに、インドとパキスタンの対立が両国の建国時よりずっと続いているので、両国の研究者がインダス文明を包括的に研究するのが難しくなっています。
もっとも、こうした問題点はあるものの、外国の研究機関が発掘に加わっている場合もありますし、報告された遺跡は年々増加しているなど、インダス文明の研究はじょじょに進展しているようではあります。インダス文明の遺跡数は、1980年に刊行された日本語の本では300とされていたのが、最新の概説では2600とされているそうです。もっとも、これら全てがインダス文明期のものかというと、疑問もあるようですが。ただ、報告される遺跡は増えているものの、考古学的にしっかりと発掘された遺跡はまだ少ないようです。また、経済成長の続くインドでは開発に伴う発掘も多いという事情があるのか、発掘優先で出土物の管理や報告書の作成が後回しになっている傾向は否めません。
こうした問題のため、本書で提示されているインダス文明像にもまだ曖昧なところがあり、今後の発掘・研究の進展により更新される可能性が高いことを、著者も率直に認めています。じっさい、遺跡の広さについても、確定したとは言い難いものが少なからずあるようで、研究者によって数字が異なることもあります。これには、インダス文明の遺跡は一部もしくは大部分が私有地の場合があり、発掘を進めにくいという事情もあるようです。
本書は、メソポタミア文明やエジプト文明をモデルに構築された古典的なインダス文明像を徹底的に批判します。つまり、王のような専制権力の存在・活発な軍事活動・大河に依存した灌漑農耕・奴隷制社会を特徴とする文明像です。また、モヘンジョダロとハラッパーに偏ったインダス文明像の構築も批判されています。現代では、モヘンジョダロ・ハラッパー・ガンウェリワーラー・ラーキーガリー・ドーラーヴィーラーがインダス文明の5大都市という認識が定着しているようです。しかし最近になって、ラーカンジョダロ遺跡がインダス文明では最大規模になる、とも報告されているようで、インダス文明像は今後も大きく変わってくる可能性が高そうです。
おそらく私も含めて一般読者が最も驚くだろうことは、インダス文明に関するプロジェクトや最新の研究成果から、インダス文明は大河文明ではない、と断言されていることでしょう。まず、現在は乾燥地帯にある遺跡の側をかつて大河が流れていた、という説が否定されます。これと関連して、13年前のNHKスペシャルで水を豊かに湛えていると描かれたドーラーヴィーラーのCGが間違っている、と指摘されています。次に、植物遺存体の分析から、インダス文明において大河に依存した灌漑農耕の比重は必ずしも高くなく、多様な作物が栽培されていたことが指摘されます。ただ、この見解については、現代の南アジア社会における農耕の在り様からの類推が前提になっているので、確証が得られたとは言い難いように思います。
インダス文明には王のような専制権力の存在が確認できず、軍事的要素にも乏しい、との見解は現代日本社会でも浸透しているように思います。本書は、インダス文明の遺跡で集権制とも関連する「穀倉」と解釈されてきた遺構がそうではない、との見解などを提示することで、改めてインダス文明における王のような専制権力の不在を指摘しています。しかし、ドーラーヴィーラーの小規模な水浴び場・円形墳やファルマーナーの墓地の副葬品やバガーサラーの城塞内外での肉食依存度の違いなどが階層の存在を示唆していることも、本書は指摘しています。
こうして古典的なインダス文明像を批判して本書が提示する新たなインダス文明像は、牧畜民も含む流動性の高い人々により各都市が密接に結びつき、ヒトだけではなくモノも活発に動いた多民族・多言語共生社会だった、というものです。また、インダス文明期は現代よりも海水面が高かったので、南部の都市は海に面しており、オマーンやバーレーンやメソポタミア方面とも交易していた、ということも強調されています。インダス文明は文字・印章・度量衡など共通性を持ちつつも、地域的な違いが見られることも指摘されています。
以上、本書の提示するインダス文明像についてまとめてみました。やや気になるのは、インダス文明期の農業の様相の推定のさいもそうでしたが、著者が現代の南アジア社会の様相をインダス文明期にあてはめる傾向にあることです。インダス文字が解読されていないなど、直接的な証拠の不足を補うためにある程度は仕方ないのかもしれませんが、危険性は否定できないだろう、と思います。たとえば、インダス文明の特徴の一部は後のインドにも継承されていますが、カースト制の萌芽がインダス文明にも存在したことを示唆するような見解には疑問も残ります。
今年4月にインダス文明の人口構成についての研究がナショナルジオグラフィックで報道されましたが、本書でもこの報道と研究が取り上げられています。本書によると、この研究は「女性優位」だけが主張されているわけではなく、インダスとメソポタミアとの比較が中心になっている、とのことです。また本書では、まだ検証例が少ないので、インダス文明における「女性優位」との見解については、今後の研究を俟つべきだ、ともされています。なお、アーリア系集団はインダス文明の衰退後にインドに移住してきたのではなく、インダス文明の担い手だったのだ、との見解もあるのですが(関連記事)、本書では取り上げられていませんでした。インダス文明専門家の間では珍説扱いされているのでしょうか。
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