加藤真二「考古学からみた中国における旧人・新人交替劇」

 まだ日付は変わっていないのですが、11月30日分の記事として掲載しておきます。西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。本報告が対象とする地域は中華人民共和国の支配領域で、年代は10万年前頃~2万数千年前頃です。本報告によると、旧石器時代後半の中国で画期となるのは、35000年前頃と2万数千年前頃のようです。35000年前頃に、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群が現れ、2万数千年前頃には細石刃石器群が出現します。なお、この年代は非較正なので、暦年代だともう少し数値が古くなりそうです。

 まず、10万年前頃~35000年前頃の状況です。69000~60000年前頃の許家窰遺跡など、華北ではかなり古くから石刃が生産されています。しかしこの年代においては、石刃は尖頭器や削器などには加工されておらずただ生産されるだけで、石刃がどのように使われたのかよく分からないとのことです。この年代の華北の石器の特徴として、石英製石器群と非石英製石器群とに区分できることが挙げられていますが、両者の関係はまだよく分からないそうです。中国西南部では大型の石器が確認でき、そうした大型石器がほとんど見られない華北とは対照的とのことです。南半部では10万年前頃から石斧が出現し、10万年前頃~77000年前頃の現生人類(ホモ=サピエンス)のものとされる歯も発見されています。

 35000年前頃になると、上述したように、石刃をさらに尖頭器や削器などに加工する石刃石器群が現れます。この時期のものとして、ダチョウの卵殻製のビーズも確認されています。この時期の変化として、黒曜石や燧石のようにじゅうらいはあまり使われていなかった石材が用いられるようになったことも挙げられます。さらに、遺跡の北限がじゅうらいよりもさらに上がることも指摘されています。ただ一方で、35000年前以降も華北では在地の石器群が存在し続けていたことも指摘されています。

 本報告は、中国における35000年前頃の石器の変化は、おそらく西からの流れだろう、と推測しています。しかし本報告は、35000年前頃に中国の石器の様相がすっかり変わるのではなく、それ以前からの連続性が確認できる、との見解を提示しています。35000年前頃の西側からの流れにより、中国では上部旧石器文化が加速して一斉に開花したものの、10万年前頃以降の人類の「交替」はなかったのではないか、と本報告は推測しています。ただ、10万年前頃以降、現生人類が中国にずっといたのか、進出・撤退を繰り返していたのかは分からない、とも本報告は指摘しています。


参考文献:
加藤真二(2013)「考古学からみた中国における旧人・新人交替劇」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P129-142

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