長沼正樹「中央アジアにおける旧石器編年と旧人・新人交替劇」

 まだ日付は変わっていないのですが、11月23日分の記事として2本掲載しておきます(その一)。西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。本報告の「中央アジア」は、データベース集計の便宜上、現在の国境線に基づく範囲になっています。具体的には、モンゴル・トルクメニスタン・ウズベキスタン・タジキスタン・キルギス・カザフスタン・アフガニスタン北部です。大別すると、東部のモンゴルと西部の旧ソ連諸国(アフガニスタンは違いますが)ということになります。本報告では、この地域への人類の流入経路として、西部では西アジアからとロシア平原から、東部では東アジアからが想定されています。本報告はこの地域の上部旧石器時代の遺跡の特徴として、寒冷で乾燥しているので土があまり堆積せず、層位的に確認されている事例が少ないことを指摘しています。

 モンゴルにはツァガーンアグイ洞窟遺跡があり、下部旧石器(LP)・中部旧石器(MP)・上部旧石器(UP)前期が数値年代とともに層位的に確認された、と報告されているそうです。しかし本報告は、ツァガーンアグイ遺跡が人類の活動の痕跡だったのか疑わしい点もある、と指摘しています。そうした疑問も残りますが、刊行物によると、ツァガーンアグイ遺跡の最上層は上部旧石器時代前期(EUP)となり、年代は4万~3万年前頃とのことです。この層ではルヴァロワ技術と石刃素材の彫器や掻器が確認されており、MPとUPの様相が混合している、と言われています。ツァガーンアグイ遺跡のMP層については、20万年前頃よりもさらにさかのぼる可能性が指摘されているそうです。ルヴァロワ技術はあまり認められないようです。MP層の下にLP層があり、最下層ではアシューリアンのハンドアックス(握斧)に近い両面石器も発見されている、とのことです。

 同じくモンゴルのオルホン開地遺跡では、MP末~UPへの移行期を経て上部旧石器時代中期(MUP)までが数値年代とともに層位的に確認された、と報告されているそうです。しかし本報告は、ここも人類の活動の痕跡だったのか疑わしい点もある、と指摘しています。そうした疑問も残りますが、刊行物によると、EUPの年代は4万~3万年前頃で、ルヴァロワ技術による石刃が認められるとのことです。MUPの年代は25000~15000年前頃で、細石刃核を伴う細石刃石器群が確認されているそうです。下層では、中部旧石器時代終末期(FMP)からMP~UP移行期という段階が確認されたそうですが、本報告は石器の混在の可能性も指摘しています。

 ドロルジ1遺跡はEUPで、ここでもルヴァロワ技術と石刃とが確認されています。また、ダチョウの卵殻製のビーズも出土しているそうです。年代は31000年~29000年前頃とのことです。トルボル4および15遺跡でも、下層ではルヴァロワ技術と石刃とが確認されているそうです。年代は4万~3万年前頃とのことです。

 本報告は、モンゴルのMUPとLUP(上部旧石器時代後期)は年代的に海洋酸素同位体ステージ(MIS)2に相当し、担い手は現生人類(ホモ=サピエンス)の可能性が高い、との見解を提示しています。モンゴルのEUPはMIS3の後半で、年代は4万~3万年前頃だろう、と本報告は推測しています。上部旧石器と中部旧石器の要素が共存しているのが特徴です。担い手がどの人類種か、人骨の共伴がないので判断は困難なようです。モンゴルの中部旧石器時代は5万年前頃以前となり、担い手は現生人類ではないだろう、と本報告は推測しています。

 旧ソ連の中央アジア諸国では、ウズベキスタンのオビラフマート洞窟遺跡に関する報告・論文が多いそうです。オビラフマート遺跡では、MP~UP移行期からEUPまでが、数値年代とともに層位的に確認された、と報告されているそうです。ルヴァロワ石器群と細石刃核が出土している、とのことです。

 タジキスタンでは、ホナコ遺跡でオビラフマート遺跡のEUPと似た石器群が発見されているそうです。シュグノウ遺跡では、下層でルヴァロワ石器が卓越しており、MP~UP移行期に相当するかもしれない、と本報告は推測しています。

 カザフスタンのマイブラク遺跡では、ムステリアンにはあまり似ていない、石刃を素材とした掻器などが卓越するEUPから、第1文化層のUPまでが層位的に確認されたと報告されているそうです。

 ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)の子供の骨が発見されたとして有名なウズベキスタン東部のテシクタシュ遺跡の石器はムステリアンではないものの、共伴人骨からネアンデルタール人の所産だろうと推測されているそうです。本報告でも、テシクタシュ遺跡の石器をどう位置づけるか、よく分からないとされています。なお、テシクタシュ遺跡の子供の人骨は、DNA解析ではネアンデルタール人とされていますが、解剖学的には現生人類との類似が指摘されています(関連記事)。

 本報告は旧ソ連の中央アジア諸国の旧石器時代を概観し、MUPとLUPについては、サマルカンド遺跡で現生人類の人骨が発見されていることを指摘しています。EUPについては、この地域では一様ではない、と本報告は指摘します。MPについては、テシクタシュでネアンデルタール人の骨が発見されていることを指摘します。もっとも、上述したようにこれには疑問も呈されていますが。また本報告は、表面採集資料のみの遺跡で、ルヴァロワ技術が認められると機械的にムステリアンであり中部旧石器時代だとされてきたこともあるものの、その中にはEUPも含まれていたのではないか、とも指摘しています。

 本報告は、中央アジアの旧石器時代の特徴として、MUPとLUPには細石刃・小石刃・多数の掻器という広域的な共通点があることと、彫像・楽器といった西ヨーロッパに見られるような分かりやすい芸術品の不在とを指摘しています。そうした芸術品がない理由として、まだ発見されていないだけという可能性と、この地域の人々が創造性を芸術には向けなかったという可能性を、本報告は想定しています。EUPについては、たまに装飾品を伴うことなどからも、その担い手は現生人類の可能性が高い、と本報告は推測しています。

 MPについては、ネアンデルタール人の骨が共伴したテシクタシュ遺跡にルヴァロワ技術が認められないことから、他事例での検証の難しさが指摘されています。本報告は、ルヴァロワ=中部旧石器時代=ネアンデルタール人という図式はもう成立しないだろう、と指摘しています。また本報告は、報告されたこの地域の石器の中には、実は人工物ではなかった、と見直されている場合もあることを紹介しており、この地域の旧石器研究にまだ不確実な要素の多いことを思い知らされます。ただ、大まかな傾向ではありますが、上部旧石器文化の方が、それ以前と比較してより東と北へ広がっていることは明らかだ、と本報告は指摘しています。

 質疑応答では、中央アジアの地元研究者が、外部からの影響よりも在地の連続性を強調する傾向にあるのに対して、外部の研究者には、ヨーロッパや西アジアなど他地域との類似性を見出す傾向があるのではないか、との興味深い指摘がありました。これは、中央アジアの旧石器時代に限らず、多くの地域・年代でよく見られる傾向かもしれません。この地域についても予備知識に乏しかったので、私にとっては得るところの多い有益な報告でした。


参考文献:
長沼正樹(2013)「中央アジアにおける旧石器編年と旧人・新人交替劇」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P73-92

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