加藤博文「シベリアの旧石器編年と交替劇」

 まだ日付は変わっていないのですが、11月21日分の記事として掲載しておきます。西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。本報告はおもに海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~2のシベリア地域における考古学的編年について概観しています。シベリアの旧石器遺跡の特徴は、古いにも関わらず石器などが地表面に露出している事例が珍しくないとこです。こうした遺跡では、年代の推定が困難です。シベリアもアフリカと同じく面積のわりに更新世の遺跡は少ないのですが、それは寒冷な気候のため人類の進出が遅れた、という事情もあるのでしょう。

 もちろん気候変動により環境は変わってくるのですが、シベリアの特徴として、広大な草原地帯の存在が挙げられます。そこでは後に遊牧民が大きな役割を果たすのですが、更新世においても、西→東といった一方通行ではなく、東→西への動きなども見られ、シベリアは人類が交錯する地域だったようです。この広大なシベリアにおいて、更新世の遺跡は何か所かにあるていど集中しているようです。それらは、ウラル山脈・西シベリアの平原地域・バイカル湖周辺~モンゴル高原にかけての草原地帯・レナ川上流・レナ川下流やアルダン川水系です。

 ウラル地域は、南からロシア平原へと向かう経路上にあり、ロシア平原からシベリアへと拡散する経路上にも位置します。また、逆にシベリアからウラル地域への人類の移住もあります。さらに、北極圏への進出経路上にもあり、更新世においても人類集団の交錯する場所となっています。ウラル地域の環境は厳しく、寒冷期には人類が不在となることもあります。ウラル地域では古い年代の礫石器文化が確認されていますが、広がりは断片的で、まとまった文化としては、10万年前以降にヨーロッパから東進してきたカイルメッサーグループ(ミコッキアン)が確認されています。MIS3になると、ヨーロッパロシア上部旧石器時代初頭の移行期文化であるストレツカヤインダストリーが見られます。その後、東方グラヴェティアンが入ってきて、MIS2の27000年前頃には、これまでとは逆方向のシベリアから、小型石器が特徴のマリタブレチインダストリーが入ってきます。

 西シベリアの平原地域では、MIS3にルヴァロワ要素を伴わない中部旧石器文化が広がっている可能性が指摘されていますが、詳細はまだ不明とのことです。上部旧石器時代初頭になると、アルタイ地域からの流入とみられる石器群が散発的に確認されます。25000年前以降になると、大型獣の骨を用いた住居を伴う遺跡が見られるようになります。じゅうらい、大型獣の骨を用いた住居を伴う遺跡はヨーロッパロシアとバイカル湖という東西に離れた地域にそれぞれ関係なく分布していた、と考えられていました。しかし西シベリアでの研究の進展により、大型獣の骨を用いた住居を伴う遺跡はユーラシア大陸東西に広範に広がっていた可能性が指摘されるようになりました。

 エニセイ川流域では、中部旧石器文化よりも前に礫石器文化が確認されているそうです。その後、MIS3の6万年前頃になると、ルヴァロワ石器群を伴うムステリアンが見られるようになります。エニセイ川流域は、このルヴァロワ石器群がかなり後まで残るのが特徴で、ルヴァロワ石器群と上部旧石器初頭の石刃石器群が並行して広がっています。その後、マリタブレチインダストリーを経て、上部旧石器時代後半には、西シベリアに細石刃石器群が広がります。

 アルタイ地域では更新世の人骨が発見されており、後期更新世における人類集団の変遷を解明するうえで重要となります。アルタイ地域でもひじょうに古い礫石器文化が確認されています。その後、MIS5にアシューリアン伝統ムステリアン(MTA)が出現します。このMTAがどこから入ってきたのか、議論になっているようで、現時点では中央アジア経由という見解が有力視されているようです。MTAに続くムステリアンについては、在地のMTAからの発展だ、と地元の研究者たちは考えているようです。

 45000年前以降には、カラボムインダストリーやウスチカラコルインダストリーというような移行期の石器群が出現します。地元の研究者は、両者ともに先行する在地のインダストリーからの発展と考えているようです。MIS3の後半には、カラボムインダストリーとほぼ同時期にシビリチーハインダストリーという典型的なムステリアンも存在していることが注目されます。両者は同じ遺跡の中で重複しているのではなく、別々の遺跡で見られます。シビリチーハインダストリーはその後のアルタイ地域上部旧石器文化には継承されていないので、かなり孤立していたのではないか、と推測されているようです。

 バイカル湖南岸~モンゴル高原にかけての草原地帯では、MIS5に礫石器文化が確認されています。その後、MIS3にムステリアンが確認されようになり、MIS3後半の4万年前頃以降になると、アルタイ地域のカラボムインダストリーと類似した石器群が広がります。2万年前頃以降になると、東シベリア特有の細石刃石器群が広がり、中石器時代へとつながります。この細石刃石器群は、日本列島の石器群とも技術的に関連していると言われています。

 バイカル湖北側では、南岸と同じくMIS5に礫石器文化が確認されますが、MIS3に出現するムステリアンには、ルヴァロワ技術の要素が認められません。これとほぼ同時期に、カラボムインダストリーと類似したマカロヴォインダストリーが広がります。その後、石刃インダストリーは小型の石器を主体にしたマリタブレチインダストリーへと移行します。

 レナ川流域では、MIS5・MIS3の石器群は散発的にしか確認されていません。35000年前頃には北極圏まで人類が進出していたようですが、人類の痕跡がはっきりと確認されるようになるのは、細石刃石器群の出現以降となります。

 以上、本報告で紹介されている、更新世におけるシベリア各地域の石器群の変遷となります。それぞれの石器群の担い手については、人骨の出土が少ないことから、不明なところが多分にある、というのが現状です。シベリアで最古の人類の痕跡は礫石器文化で、年代は80万年前頃までさかのぼりそうですが、その担い手がどのような人類種だったのか、現時点では不明です。

 シベリアにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代初期という「交替劇」の期間で本報告が注目しているのは、ウラル地域とアルタイ地域です。ウラル地域では、恒常的に人類集団が存在し、文化的連続性が見られるというよりは、異なる環境条件下で人類集団の移住が繰り返されたのではないか、と本報告は推測しています。

 一方アルタイ地域では、「交替劇」の期間の石器の連続性が指摘されています。上述した移行期的なカラボムインダストリーやウスチカラコルインダストリーでは、アルタイ地域最古の装身具が発見されており、それはヨーロッパで広く見られるものとの類似性が指摘されています。一方で、上述したようにシビリチーハインダストリーという典型的なムステリアンも同時期に存在しており、こちらには装身具などの現代人的行動が確認されておらず、その後の時代に技術が継承されていません。

 アルタイ地域では、下層のムステリアン石器群から次第に上部旧石器的な石器群の比率が増加しながら上層へと「移行」していく、という傾向が指摘されています。このことから、アルタイ地域における中部旧石器時代~上部旧石器時代初期の連続性という見解が導かれています。しかし本報告は、上部旧石器的要素の確認されていないシビリチーハインダストリーの存在や、石器の混在の可能性などを考慮して、アルタイ地域における中部旧石器時代~上部旧石器時代初期の連続性という解釈に見直しの余地があることを示唆しています。

 シビリチーハインダストリーでは、オクラドニコフ洞窟でネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)の骨が発見されています(関連記事)。かなり上部旧石器的な要素の融合したムステリアン石器群の発見されているデニソワ洞窟では、ネアンデルタール人とも現生人類(ホモ=サピエンス)とも異なる系統のデニソワ人が発見されています(関連記事)。もちろん、ある時期以降には現生人類もシベリアに進出していたでしょう。複数の人類集団の存在したシベリアにおいて、「交替劇」の様相がどのようなものだったのか、まだ明確には提示できない、というのが本報告の結論です。

 以上、本報告についてざっと見てきました。アフリカ・西アジア・ヨーロッパについてはそれなりに予備知識があったのですが、シベリアについては予備知識がひじょうに乏しかったため、私にとっては得るものが多く、たいへん有益でした。シベリアでは更新世における複数の人類種(もしくは亜種)の存在が確認されています。地元の研究者は、中部旧石器時代~上部旧石器時代初期の連続性を強調する傾向にあるようですが、本報告にあるように、見直しの余地もあるでしょう。複数の人類種の存在したシベリアでの「交替劇」がどのような様相だったのか、今後の研究の進展に大いに期待しています。


参考文献:
加藤博文(2013)「シベリアの旧石器編年と交替劇」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P57-72

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