佐野勝宏「ヨーロッパにおける旧石器文化編年と旧人・新人交替劇」
まだ日付は変わっていないのですが、11月19日分の記事として掲載しておきます。西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。本報告は、ヨーロッパにおけるネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)から現生人類(ホモ=サピエンス)への移行期を中心に、その前後の時代も取り上げつつ考古学的観点から考察しています。形質人類学の研究成果も少し言及されていますが、遺伝学の研究成果は触れられていません。この移行期は、本報告では海洋酸素同位体ステージ(MIS)3の半ばの45000~40000年前頃とされています。
本報告はMIS9~2(30万年前頃~1万年前頃)のヨーロッパにおける旧石器文化編年表を掲載しており、たいへん有益です。地域区分は地中海・南西部・北西部・中央部・バルカン半島となっており、そこからさらに細分されています(たとえば、中央部はドイツ・ポーランド・ハンガリーなど)。本報告はこの時期の遺跡の分布図もいくつか掲載していますが、さすがにヨーロッパの旧石器研究は充実しており、本報告の対象とする時代に関しては、MIS6以前のバルカン半島を除いて地域・年代ともに大きな穴がありません。これは、同年代のアフリカと比較した場合とくに目立つ特徴となっています。
本報告は、ヨーロッパにおける中部旧石器時代はほぼムステリアンで占められており、石器文化の多様性は小さかった、と評価しています。もっとも、北西部~中央部にかけての石刃石器群や中央部の小型石器群のように、ムステリアン以外の特徴を有する石器群の存在も指摘されています。なお、中部旧石器時代末期に出現する北西部~中央部・バルカン半島にかけてのカイルメッサーグループ(ミコッキアン)や南西部~北西部にかけてのアシューリアン伝統ムステリアン(MTA)は、ムステリアンに分類されています。また、ヨーロッパの中部旧石器時代における現代人的行動を示唆する遺物は少なく、末期に限られる、と指摘されています。カイルメッサーグループもMTAも、共伴人骨から担い手はネアンデルタール人とされています。
本報告によると、こうした多様性に乏しい状況はMIS3の半ばになると急速に変わります。中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期には、ヨーロッパにおいて多様な石器文化が急速に出現します。この移行期を経て上部旧石器時代になると、オーリナシアン→グラヴェティアン→ソリュートレアン→マグダレニアンというように、中部旧石器時代と比較してひじょうに短期間で石器文化は変わっていきます。移行期の文化としては、南西部のシャテルペロニアン・イタリア半島のウルッツィアン・北縁のイェジマノヴィシアン・中央部のセレッティアン・現在のチェコとポーランド南部のボフニシアン・バルカン半島のパチョキリアンがあり、これらにやや遅れて地中海沿岸のプロトオーリナシアンがあります。
これら移行期の文化を中部旧石器時代後期の文化と比較すると、MTAとシャテルペロニアンの地理的分布が重なります。じゅうらい、石器製作技術の観点からMTAとシャテルペロニアンは連続的であり、共伴人骨からも、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人とされてきました。しかし最近になって、シャテルペロニアンの石器製作技術に典型的な上部旧石器文化と共通するものがあるとか、シャテルペロニアンの担い手がネアンデルタール人とは断定できないとかいった指摘がなされており、シャテルペロニアンの担い手についてはまだ確証が得られていない、というのが現状のようです。
セレッティアンの地理的分布はカイルメッサーグループと重なっています。石器製作技術の観点からも、カイルメッサーグループとセレッティアンは連続的とされていることから、セレッティアンの担い手はネアンデルタール人と考えられています。
ボフニシアンの石器製作技術には中部旧石器時代と上部旧石器時代の石器製作概念が融合したものがあり、地理的分布の重なる前代のカイルメッサーグループとは技術的に連続していないことから、ボフニシアンは既存の技術と外部の技術との融合である、と指摘されています。こうしたボフニシアンの特徴は西アジアのエミランやバルカン半島のバチョキリアンと共通しており、エミランの担い手である現生人類が西進してバチョキリアンを残し、さらに西進してセレッティアンの担い手であるネアンデルタール人と遭遇し、ボフニシアンが誕生したのではないか、と本報告は推測しています。
ウルッツィアンは、石器製作技術の観点からムステリアンとの連続性が指摘されています。そのため、ウルッツィアンの担い手はじゅうらいネアンデルタール人と考えられてきました。しかし近年になって、ウルッツィアンの担い手は現生人類ではないか、との見解も提示されています(関連記事)。本報告では、ウルッツィアンの担い手がネアンデルタール人と現生人類のどちらなのか、判断は保留されています。
イェジマノヴィシアンは、プロトオーリナシアンを除く移行期の文化よりも年代がやや新しくなります。そのため、イベリア半島の末期ムステリアンと同じく、ヨーロッパに進出してきた現生人類によって辺境に追いやられたネアンデルタール人の文化である、との見解が提示されています。しかし本報告は、イェジマノヴィシアンには上部旧石器的な石器製作が認められるので、現生人類が担い手かもしれない、と推測しています。
プロトオーリナシアンは他の移行期文化よりも後に出現します。本報告は、プロトオーリナシアンは石器製作の特徴からも、移行期文化というよりも正真正銘の上部旧石器時代初頭の文化である、と主張しています。プロトオーリナシアンには人骨が共伴していないのですが、その担い手は現生人類と考えられています。
ヨーロッパにおける現代人的行動は、中部旧石器時代には少なく、移行期に増え始め、上部旧石器時代において急激に増加する、と本報告は総括しています。これはヨーロッパにおける現生人類の拡散と符合します。ただ、シャテルペロニアンやウルッツィアンの担い手がネアンデルタール人か現生人類かという問題は残されているものの、ネアンデルタール人の側にも現代人的行動に少なくとも一定水準以上対応できる能力があった可能性は高そうだな、と思います。本報告も、分かりやすい図表が掲載されており、私にとってたいへん有益でした。
参考文献:
佐野勝宏(2013)「ヨーロッパにおける旧石器文化編年と旧人・新人交替劇」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P38-56
本報告はMIS9~2(30万年前頃~1万年前頃)のヨーロッパにおける旧石器文化編年表を掲載しており、たいへん有益です。地域区分は地中海・南西部・北西部・中央部・バルカン半島となっており、そこからさらに細分されています(たとえば、中央部はドイツ・ポーランド・ハンガリーなど)。本報告はこの時期の遺跡の分布図もいくつか掲載していますが、さすがにヨーロッパの旧石器研究は充実しており、本報告の対象とする時代に関しては、MIS6以前のバルカン半島を除いて地域・年代ともに大きな穴がありません。これは、同年代のアフリカと比較した場合とくに目立つ特徴となっています。
本報告は、ヨーロッパにおける中部旧石器時代はほぼムステリアンで占められており、石器文化の多様性は小さかった、と評価しています。もっとも、北西部~中央部にかけての石刃石器群や中央部の小型石器群のように、ムステリアン以外の特徴を有する石器群の存在も指摘されています。なお、中部旧石器時代末期に出現する北西部~中央部・バルカン半島にかけてのカイルメッサーグループ(ミコッキアン)や南西部~北西部にかけてのアシューリアン伝統ムステリアン(MTA)は、ムステリアンに分類されています。また、ヨーロッパの中部旧石器時代における現代人的行動を示唆する遺物は少なく、末期に限られる、と指摘されています。カイルメッサーグループもMTAも、共伴人骨から担い手はネアンデルタール人とされています。
本報告によると、こうした多様性に乏しい状況はMIS3の半ばになると急速に変わります。中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期には、ヨーロッパにおいて多様な石器文化が急速に出現します。この移行期を経て上部旧石器時代になると、オーリナシアン→グラヴェティアン→ソリュートレアン→マグダレニアンというように、中部旧石器時代と比較してひじょうに短期間で石器文化は変わっていきます。移行期の文化としては、南西部のシャテルペロニアン・イタリア半島のウルッツィアン・北縁のイェジマノヴィシアン・中央部のセレッティアン・現在のチェコとポーランド南部のボフニシアン・バルカン半島のパチョキリアンがあり、これらにやや遅れて地中海沿岸のプロトオーリナシアンがあります。
これら移行期の文化を中部旧石器時代後期の文化と比較すると、MTAとシャテルペロニアンの地理的分布が重なります。じゅうらい、石器製作技術の観点からMTAとシャテルペロニアンは連続的であり、共伴人骨からも、シャテルペロニアンの担い手はネアンデルタール人とされてきました。しかし最近になって、シャテルペロニアンの石器製作技術に典型的な上部旧石器文化と共通するものがあるとか、シャテルペロニアンの担い手がネアンデルタール人とは断定できないとかいった指摘がなされており、シャテルペロニアンの担い手についてはまだ確証が得られていない、というのが現状のようです。
セレッティアンの地理的分布はカイルメッサーグループと重なっています。石器製作技術の観点からも、カイルメッサーグループとセレッティアンは連続的とされていることから、セレッティアンの担い手はネアンデルタール人と考えられています。
ボフニシアンの石器製作技術には中部旧石器時代と上部旧石器時代の石器製作概念が融合したものがあり、地理的分布の重なる前代のカイルメッサーグループとは技術的に連続していないことから、ボフニシアンは既存の技術と外部の技術との融合である、と指摘されています。こうしたボフニシアンの特徴は西アジアのエミランやバルカン半島のバチョキリアンと共通しており、エミランの担い手である現生人類が西進してバチョキリアンを残し、さらに西進してセレッティアンの担い手であるネアンデルタール人と遭遇し、ボフニシアンが誕生したのではないか、と本報告は推測しています。
ウルッツィアンは、石器製作技術の観点からムステリアンとの連続性が指摘されています。そのため、ウルッツィアンの担い手はじゅうらいネアンデルタール人と考えられてきました。しかし近年になって、ウルッツィアンの担い手は現生人類ではないか、との見解も提示されています(関連記事)。本報告では、ウルッツィアンの担い手がネアンデルタール人と現生人類のどちらなのか、判断は保留されています。
イェジマノヴィシアンは、プロトオーリナシアンを除く移行期の文化よりも年代がやや新しくなります。そのため、イベリア半島の末期ムステリアンと同じく、ヨーロッパに進出してきた現生人類によって辺境に追いやられたネアンデルタール人の文化である、との見解が提示されています。しかし本報告は、イェジマノヴィシアンには上部旧石器的な石器製作が認められるので、現生人類が担い手かもしれない、と推測しています。
プロトオーリナシアンは他の移行期文化よりも後に出現します。本報告は、プロトオーリナシアンは石器製作の特徴からも、移行期文化というよりも正真正銘の上部旧石器時代初頭の文化である、と主張しています。プロトオーリナシアンには人骨が共伴していないのですが、その担い手は現生人類と考えられています。
ヨーロッパにおける現代人的行動は、中部旧石器時代には少なく、移行期に増え始め、上部旧石器時代において急激に増加する、と本報告は総括しています。これはヨーロッパにおける現生人類の拡散と符合します。ただ、シャテルペロニアンやウルッツィアンの担い手がネアンデルタール人か現生人類かという問題は残されているものの、ネアンデルタール人の側にも現代人的行動に少なくとも一定水準以上対応できる能力があった可能性は高そうだな、と思います。本報告も、分かりやすい図表が掲載されており、私にとってたいへん有益でした。
参考文献:
佐野勝宏(2013)「ヨーロッパにおける旧石器文化編年と旧人・新人交替劇」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P38-56
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