海部陽介「ホモ・サピエンスのユーラシア拡散─最近の研究動向」
これは11月17日(日)分の記事として掲載することにします(その二)西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』所収の報告です(関連記事)。この報告は化石人類学の研究を中心に遺伝学的研究にも言及しつつ、現生人類(ホモ=サピエンス)のユーラシアへの拡散について最近の研究動向を概観しています。この報告は終始たいへん慎重な姿勢を崩しません。現生人類のユーラシアへの拡散について、近年では遺伝学・考古学の分野から、50000年前よりもさかのぼる時期の沿岸経路を想定する見解が提示されています。しかしこの報告では、そうした見解を証明する確実な証拠はない、と指摘されています。以下、やや詳しくこの報告について述べていきます。
50000年前よりもさかのぼる現生人類のユーラシアへの拡散を想定する見解で根拠とされている遺跡としては、たとえばアラビア半島の‘Jebel Faya’遺跡(関連記事)やインドの‘Jwalapuram’遺跡(関連記事)やタイの‘Kota Tampan’遺跡などがあります。しかしこの報告は、これらの遺跡では人骨の共伴がなく、石器からの推測に留まっているので、現生人類の早期のユーラシアへの拡散の確実な証拠ではない、と批判的です。
では、人骨が出土している遺跡ではどうなのかというと、こちらも確実な事例はない、というのがこの報告の見解です。たとえば、フィリピンの‘Callao’洞窟遺跡では67000年前頃の人骨(足の指)とカットマーク(解体痕)のついた動物の骨が出土しており、人骨は現生人類のものとされています。しかし、はっきりとはせず更なる検証が必要だろう、というのがこの報告の見解です。
50000年前をさかのぼると主張されているユーラシア東部の現生人類的な人骨のなかには、原始的な特徴も有すると解釈されているものもあります。これらは、初期現生人類による100000年以上前までさかのぼる出アフリカの可能性や、初期現生人類と在地の非現生人類のホモ属‘Archaic Humans’との交雑の可能性が指摘されています。たとえば、中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞(Zhirendong)で発見された100000年以上前とされる人骨がそうです(関連記事)。
しかしこの報告では、智人洞人骨の原始的特徴という解釈に疑問が呈されており、解剖学的にはかなり現代的(派生的)に見える、と主張されています。また、智人洞人骨が原始的か現代的かという議論だけではなく、その下顎骨がひじょうに小さいことにも注目すべきではないのか、とも指摘されています。さらにこの報告では、そもそも出土状況が問題なのであり、100000年以上前とされる年代自体への疑問も示唆されています。
智人洞人骨と同じく、現代人的な人骨が、やはり中国南部で発見されています(関連記事)。広西チワン族自治区隆林各族自治県の洞窟遺跡で発見された人骨と、雲南省馬鹿洞で発見された人骨なのですが、こちらは暦年代で前者が11510±255年前、後者が14310±340年前~13590±160年前とかなり新しいのが特筆されます。しかしこの報告は、隆林人骨と馬鹿洞人骨の分析・比較にあたってオーストラリアの人骨が比較対象になっておらず、港川人やワジャク人が多変量解析では除外されていることに疑問を呈し、現生人類の多様性を過小評価して隆林人骨と馬鹿洞人骨の原始的特徴を過大評価しているのではないか、と指摘しています。
近年では、現生人類のユーラシアへの拡散の経路として、ユーラシア南岸沿いを想定する見解が有力視されています。しかし、この沿岸移住説は現生人類によるオーストラリア大陸への60000年以上前の移住という前提で構築された仮説であり、その前提が崩れかけているのだから、確たる根拠はない、というのがこの報告の見解です。また、沿岸移住説は遺伝学の分野でも支持を集めているのですが、遺伝学的データからは内陸拡散説が否定されるわけでもない、とこの報告は指摘しています。
現生人類と‘Archaic Humans’との交雑について、この報告は近年の遺伝学的研究について簡潔に概観しています。この報告で興味深い指摘は、デニソワ人と現生人類との交雑についてです。デニソワ人のDNAを継承している現代人集団の分布状況から、デニソワ人と現生人類との交雑は東南アジアで起きたのではないか、と推測されています(関連記事)。この報告では、いわゆるジャワ原人とは別にデニソワ人が東南アジアに存在した可能性と、ジャワ原人がデニソワ人と遺伝子を共有しており、ジャワ原人が現生人類と交雑した可能性とが想定されています。
冒頭で述べたように、この報告は50000年前よりもさかのぼる現生人類のユーラシアへの拡散(早期拡散説)を証明する確実な証拠はない、という慎重な姿勢を終始崩していません。もちろん、だからといってこの報告は早期拡散説を否定するわけではなく、現時点では確実な証拠がないので更なる検証が必要だ、ということです。現生人類のユーラシアへの拡散に関心のある人にとって、化石人類学の研究を中心に遺伝学的研究にも言及しつつ近年の研究動向を概観したこの報告は有益だと思います。
参考文献:
海部陽介(2013)「ホモ・サピエンスのユーラシア拡散─最近の研究動向」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P3-17
50000年前よりもさかのぼる現生人類のユーラシアへの拡散を想定する見解で根拠とされている遺跡としては、たとえばアラビア半島の‘Jebel Faya’遺跡(関連記事)やインドの‘Jwalapuram’遺跡(関連記事)やタイの‘Kota Tampan’遺跡などがあります。しかしこの報告は、これらの遺跡では人骨の共伴がなく、石器からの推測に留まっているので、現生人類の早期のユーラシアへの拡散の確実な証拠ではない、と批判的です。
では、人骨が出土している遺跡ではどうなのかというと、こちらも確実な事例はない、というのがこの報告の見解です。たとえば、フィリピンの‘Callao’洞窟遺跡では67000年前頃の人骨(足の指)とカットマーク(解体痕)のついた動物の骨が出土しており、人骨は現生人類のものとされています。しかし、はっきりとはせず更なる検証が必要だろう、というのがこの報告の見解です。
50000年前をさかのぼると主張されているユーラシア東部の現生人類的な人骨のなかには、原始的な特徴も有すると解釈されているものもあります。これらは、初期現生人類による100000年以上前までさかのぼる出アフリカの可能性や、初期現生人類と在地の非現生人類のホモ属‘Archaic Humans’との交雑の可能性が指摘されています。たとえば、中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞(Zhirendong)で発見された100000年以上前とされる人骨がそうです(関連記事)。
しかしこの報告では、智人洞人骨の原始的特徴という解釈に疑問が呈されており、解剖学的にはかなり現代的(派生的)に見える、と主張されています。また、智人洞人骨が原始的か現代的かという議論だけではなく、その下顎骨がひじょうに小さいことにも注目すべきではないのか、とも指摘されています。さらにこの報告では、そもそも出土状況が問題なのであり、100000年以上前とされる年代自体への疑問も示唆されています。
智人洞人骨と同じく、現代人的な人骨が、やはり中国南部で発見されています(関連記事)。広西チワン族自治区隆林各族自治県の洞窟遺跡で発見された人骨と、雲南省馬鹿洞で発見された人骨なのですが、こちらは暦年代で前者が11510±255年前、後者が14310±340年前~13590±160年前とかなり新しいのが特筆されます。しかしこの報告は、隆林人骨と馬鹿洞人骨の分析・比較にあたってオーストラリアの人骨が比較対象になっておらず、港川人やワジャク人が多変量解析では除外されていることに疑問を呈し、現生人類の多様性を過小評価して隆林人骨と馬鹿洞人骨の原始的特徴を過大評価しているのではないか、と指摘しています。
近年では、現生人類のユーラシアへの拡散の経路として、ユーラシア南岸沿いを想定する見解が有力視されています。しかし、この沿岸移住説は現生人類によるオーストラリア大陸への60000年以上前の移住という前提で構築された仮説であり、その前提が崩れかけているのだから、確たる根拠はない、というのがこの報告の見解です。また、沿岸移住説は遺伝学の分野でも支持を集めているのですが、遺伝学的データからは内陸拡散説が否定されるわけでもない、とこの報告は指摘しています。
現生人類と‘Archaic Humans’との交雑について、この報告は近年の遺伝学的研究について簡潔に概観しています。この報告で興味深い指摘は、デニソワ人と現生人類との交雑についてです。デニソワ人のDNAを継承している現代人集団の分布状況から、デニソワ人と現生人類との交雑は東南アジアで起きたのではないか、と推測されています(関連記事)。この報告では、いわゆるジャワ原人とは別にデニソワ人が東南アジアに存在した可能性と、ジャワ原人がデニソワ人と遺伝子を共有しており、ジャワ原人が現生人類と交雑した可能性とが想定されています。
冒頭で述べたように、この報告は50000年前よりもさかのぼる現生人類のユーラシアへの拡散(早期拡散説)を証明する確実な証拠はない、という慎重な姿勢を終始崩していません。もちろん、だからといってこの報告は早期拡散説を否定するわけではなく、現時点では確実な証拠がないので更なる検証が必要だ、ということです。現生人類のユーラシアへの拡散に関心のある人にとって、化石人類学の研究を中心に遺伝学的研究にも言及しつつ近年の研究動向を概観したこの報告は有益だと思います。
参考文献:
海部陽介(2013)「ホモ・サピエンスのユーラシア拡散─最近の研究動向」西秋良宏編『ホモ・サピエンスと旧人─旧石器考古学からみた交替劇』(六一書房)P3-17
この記事へのコメント