土器と農耕の起源

 明日(11月9日)からしばらく留守にするかもしれないので、とりあえず来週分までまとめて更新することにします。これは11月12日分の記事として掲載しておきます。

 この記事におけるアフリカとは、サハラ砂漠以南を指します。現時点では、土器の起源は暦年代で20000~19000年前頃までさかのぼります(関連記事)。もちろん、土器の起源が今後さらにさかのぼる可能性は高いでしょう。日本の「国士様」の間では、世界最古の土器は日本の縄文土器という誤解が根強いようですが(日本列島は土器の出現がかなり古い地域ではありますが)、現時点における世界最古の土器は中国江西省で出土したものです。農耕の起源については、最古の地がどこかという議論はあるものの、農耕の始まった年代に差こそあれ、世界の複数の箇所で独立して始まった、という見解がほぼ通説になっていると言えるでしょう。農耕の始まった年代は1万数千年前までさかのぼりそうですが、これもまだ確定したとは言えないでしょう。

 土器の製作と農耕が始まった年代・地域については、ともにまだ確定したとはとても言えない状況で、今後さらにさかのぼる可能性があります。ただ、土器については20000年前、農耕については1万数千年前を大きくさかのぼることはないだろう、というのが現時点での最大公約数的な見解なのかな、と思います。しかし私は以前より、土器の製作と農耕が始まった年代は60000年以上前までさかのぼる可能性がある、と考えています。これは現時点ではあまりにも非常識な年代であり、妄想として一蹴されても仕方のないところがあるのは否定できませんが、一応根拠はあります(薄弱なのは否定できませんが)。

 まず農耕についてですが、農耕の起源の根本には植物資源の管理という発想があるのではないか、と私は考えています。更新世における植物資源の管理という発想を、考古学的に証明するのがたいへん困難であることは否定できません。更新世における植物資源の管理という発想が考古学的に確認できるかもしれない、と現時点で私が考えている事例は、65000~60000年前頃のアフリカ南部において低木地の草木を計画的に焼くことによって根菜類の収穫量を5~10倍増加させた可能性(関連記事)と、49000~36000年前頃のニューギニア島高地(当時はサフルランド)において、初期の住人が有用な植物の成長を促すために森林の一部を切り開いた可能性(関連記事)です。

 もちろん、いずれも考古学的に確定したとは言えないのですが、植物資源の管理という発想が60000年以上前までさかのぼる可能性は低くないだろう、と思います。現生人類(ホモ=サピエンス)にとって、出アフリカ(この場合は、現代人の主要な遺伝資源となったであろう、アフリカ東部の小集団を想定しています)の前より、植物資源の管理という発想はありふれたものだった可能性が高いのではないか、と私は考えています。アフリカにおける植物資源の管理という経験・記憶が、そのままニューギニア島やアメリカ大陸まで直接に引き継がれたわけではないかもしれませんが、現生人類にとってはありふれた発想なので、世界の複数の地域で独立して農耕が始まったのではないか、というわけです。

 当然、植物資源の管理という発想・実践をただちに農耕と言えるわけではないのですが、更新世の気候は完新世と比較して不安定でした。アフリカの複数の場所で60000年以上前に植物資源の管理が原初的な農耕まで散発的に「発展」したものの、当時はまだ人口も少なく完新世と比較して社会化が弱かったために、気候変動などにより農耕の試みは比較的短期間で挫折したのではないか、というわけです。アフリカの更新世層の発掘は東部と南部に集中しており、中央部と西部ではほとんど進んでいないので、大発見の余地が大いに残されているのではないか、と私は考えています。もちろん、散発的な原初的農耕を考古学的に確認することが困難なのは否定できませんが。

 人類は75万年前頃より穀類を食べていた可能性があります(関連記事)。ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)も穀類を食べていたので(関連記事)、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先が存在した時点で人類は穀類を食べていた可能性が高く、人類が75万年前頃より穀類を食べていた可能性はかなり高いのではないか、と思います。さすがに可能性はかなり低いかもしれませんが、60000年以上前に人類が穀類の原初的な栽培を行なっていたかもしれない、とさえ私は想定しています。

 土器については、アフリカでは日本列島も含むユーラシア東部圏に匹敵するような古さのものが発見されていないので、60000年以上前までさかのぼるという根拠はほとんどありません。ただ、安易に「先進的」・「後進的」という概念を用いることには慎重でなければならない、という自分自身への戒めをひとまず措くと、一般的な概念から言えば、60000年以上前のアフリカは同時代の他地域と比較してかなり先進的だろう、と思います。

 レヴァントとは異なり確実な埋葬の痕跡がまだ発見されていないことなど、60000年以上前のアフリカが全てにおいて他地域よりも先進的だったわけではないでしょう。ただ、更新世の埋葬についても、アフリカ中央部と西部の発掘がほとんど進んでいないことを考慮すると、今後アフリカで新たな発見があっても不思議ではない、と思います。アフリカの先進性を考慮すると、60000年以上前にアフリカで土器が散発的に用いられた可能性を想定しておいてもよいのではないか、と私は考えています。

 現在では、土器の製作と農耕の開始は同時ではなく、ユーラシア東部では前者が先行する一方、西アジアでは後者が先行する、と考えられています。その意味で、農耕が始まったら必ず土器が製作されるというわけではなく、農耕が行なわれなくても土器が製作された可能性は充分考えられます。ただ、土器が農耕を行なう社会において有用な道具であることは間違いないでしょう。もし、アフリカで60000年以上前に散発的に農耕が行なわれていたとすると、土器が製作された可能性も高まるのかな、と思います。

 以上、色々と「可能性」ばかり述べてきましたが、現時点では根拠薄弱で妄想の域に留まっているのは否定できません。私の生存中にこの妄想が現実化することを願っていますが、発見・証明となると、可能性がかなり低いのは否定できません。まあ、これを生きがいの一つ(それほど重視しているわけではありませんが)として、できるだけ長く生きていたいものではあります。もちろん、長く生きるだけではなく、知的能力と身体能力も一定水準以上は維持していかないといけませんが。

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