『あまちゃん』全体的な感想

 朝の連続テレビ小説の88作目である『あまちゃん』の放送が終了したので、全体的な感想を述べることにします。この作品への期待は最初あまり高くなく、序盤で挫折するかな、と思っていたくらいでした。じっさい、第1週はご都合主義的に感じられたところが多分にあり、話には期待できないのかな、と思っていたくらいですが、第2週以降は話も面白くなっていき、すっかりはまってしまいました。私がこれまでに視聴した朝の連続テレビ小説のなかでは、『ちりとてちん』を上回って最も面白い作品となり、放送が終了して寂しさは否めません。

 この作品の制作発表で宮藤官九郎さんの脚本と知った時には、朝の連続テレビ小説とは作風がまったく合いそうにないのに大丈夫なのだろうか、と懸念したものです。じっさい、出演しているわけではない実在の人物についての小ネタを大量に仕込んでくる手法は、朝の連続テレビ小説としてはきょくたんに異端的だとは思います。

 しかし、当初は地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もなくパッとしなかった主人公が、周囲に助けられ、周囲を明るくしつつ、(この作品では複数の)夢を抱いて(この作品ではそれぞれ「中途半端」に)実現していく、という話の本筋は、朝の連続テレビ小説としては王道的だと思います。また、親子の葛藤と和解という主題も盛り込んだことも、朝の連続テレビ小説に限らず、ドラマとして王道的だと言えるでしょう。

 当たりと外れがともに多いという印象のクドカン脚本の作品ですが、分かる奴だけ分かればよい、とでもいうような小ネタを大量に仕込んできて、あまり一般受けしなさそうな要素もあるのに、近年の朝の連続テレビ小説としては『梅ちゃん先生』に次ぐ高視聴率だったのは、本筋が連続ドラマとして王道的だったからでもあるのだと思います。

 もっとも、高視聴率だったのはそれだけではなく、人物造形とそれにかみ合った配役という点が大きかったように思います。私がこの作品にはまった一番の理由もそれでした。主要人物はもちろんのこと、登場回数の少ない人物についても、丁寧な造形がなされており、配役もほぼ当たりだったように思います。もっとも、春子がそうだったように(磯野も花巻も甲斐もそんな感じがしますが)、いわゆる当て書きが多かったのかもしれませんが、それを考慮しても見事な人物造形と配役だったと思います。

 なかでも、主演の能年玲奈さんについては、よくぞこれだけの逸材を起用したものだ、と称賛したいくらいです。もっとも、これは私が能年さんについてほとんどまったくと言ってよいくらい知らず(NHKのニュースで主演の発表が取り上げられたさい、珍しい苗字なので苗字は強く印象に残りましたが)、放送開始前には期待していなかった、という事情もありますが。おそらく、多くの視聴者も私と同じく能年さんについてほとんど知らず、それ故の新鮮さというのもあったと思います。

 近年の朝の連続テレビ小説では、すでに知名度・実績のある女優を起用することが多くなっていますが、久々に無名というか知名度の低い女優の抜擢が大成功したという感じで、これが朝の連続テレビ小説の魅力の一つだろう、とも思います。正直なところ、アキが調子に乗っている時は多くの視聴者に反感を抱かれても仕方のないところがありそうなのですが、能年さんの魅力により何とかなったかな、と思うところもあります。ただ、これだけ天野アキ役としての印象が強くなったことは、能年さんの女優人生にとって良いことばかりではないというか、今後の女優生活の足を引っ張ることもあるだろう、との心配は残りますが。

 能年さんと同じくこの作品で事実上初めて知った女優が若き日の春子を演じた有村架純さんで、能年さんと共に新鮮で強烈な印象を受けました。役柄に合っていたのかもしれませんが、演技も上手く美人なので、今後の活躍が楽しみです。春子の過去をめぐる物語には謎解き的な性格が強く、私がこの作品でもっとも楽しめたところでした。先に北三陸市長たちの説得と春子の家出を描いておいて、後でオーディションへの参加が決まっていたという事情を描くあたりは、見事な構成だったと思います。また、この作品の謎の核心とも言える、春子・太巻・鈴鹿ひろ美の因縁もたいへん面白い話になっていました。続編を望む人も多いようですが、名作の続編は盛り下がることが多そうなので、私は続編を望んではいません。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック