M. F.ハマー「混血で勝ち残った人類」

 『日経サイエンス』2013年11月号の記事です。筆者は集団遺伝学者で、現代人のY染色体における合着年代がじゅうらいの推定よりもずっとさかのぼることを示した研究(関連記事)にも加わっています。この記事は、現代人の遺伝子の一部がネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)やデニソワ人(種区分未定)など他系統の人類に由来することを指摘しています。さらにこの記事は、アフリカ(この記事においてというか、古人類学においてアフリカという場合、多くはサハラ砂漠以南を指します)において種間交配により現生人類(ホモ=サピエンス)が誕生した可能性を指摘し、「アフリカ多地域進化説」とも呼ばれている見解を主張しています。

 この記事は、現生人類の起源に関する近年の遺伝学的研究成果についてのみ言及しているのではなく、1980年代以降の学説史も取り上げており、それも踏まえた解説になっています。この記事のよいところは、遺伝学的研究により現生人類アフリカ単一起源説が初めて提唱された(その嚆矢となったのはミトコンドリアDNAの研究)、という一般的に根強いように思われる誤解を拡散しているのではなく、現生人類の起源についての本格的な遺伝学的研究以前に、形質人類学的研究により現生人類アフリカ単一起源説が主張されていたことを指摘している点です。

 ただ、ギュンター=ブラウアー氏(この記事では「ブロイアー」との表記になっています)の「交配説」は現生人類アフリカ単一起源説の一部改変モデルとの認識には疑問が残るところです。そもそも、形質人類学や考古学に基づく当初の現生人類アフリカ単一起源説において、後に主張されたような完全置換(交代)説は想定されておらず(限定的な交雑が想定されていました)、完全置換説が主張されるようになったのは、現代人のミトコンドリアDNA・Y染色体が解析・比較されるようになってからで、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析と現代人のそれとの比較が決定打になりました。

 この記事でも、アンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析と現代人のそれとの比較により、現生人類アフリカ単一起源説でも「交配説」は否定された、と多くの研究者が考えたことが指摘されています。その後、2006年にネアンデルタール人のゲノム解読が始まり(関連記事)、2010年にネアンデルタール人と現生人類との間に交雑があった可能性が高いとの研究(関連記事)が公表されてからは、現生人類とネアンデルタール人との交雑を認める見解が主流になりました。この記事でも当然言及されているのですが、その後に現生人類とデニソワ人との交雑の可能性も指摘され(関連記事)、今では完全置換説は少数派になっているようです。

 20世紀末のネアンデルタール人のミトコンドリアDNA解析~2010年のネアンデルタール人と現生人類との交雑の可能性が高いことを指摘した研究の公表までの期間は、おそらく完全置換説への支持が最も高かった時期だろう、と思います。この時期には、形質人類学や考古学の分野から現生人類多地域進化説(およびその改変版である同化説)や交配説が主張されることはあっても、遺伝学的には現生人類と他系統の人類との交雑の可能性を否定する研究が主流でした。

 今でもその名残がまだあるようですが、報道や一般向け書籍やネット上の言説からは、非専門家の間でも、現生人類と他系統の人類との交雑は遺伝学的に否定された、との理解が一般的だったように思います。この記事の良いところは、そうした時期にあっても、現代人の核DNAの解析・比較から、現生人類と他系統の人類との交雑の可能性を指摘した研究があったことに言及している点です。

 2010年以降の研究においては当初、現生人類と他系統の人類との交雑の舞台として非アフリカ地域が想定されていました。これは、アフリカでは存在の確認されていない(今後も確認されることはないでしょうが)ネアンデルタール人およびデニソワ人のゲノムの解析・比較がまず進展した一方で、アフリカの人骨については、その気候のために現生人類とは異なる系統の人類のDNA解析にまだ成功していない、という事情のためです。

 なお、この記事ではアフリカと非アフリカの両方における現生人類と他系統の人類との交雑の可能性が高いとされているものの、現生人類のゲノムのほとんどはアフリカの祖先に由来しており、他系統の人類から受け継いだDNAの割合は多地域進化説や同化説の推定よりも低いことから、多地域進化説および同化説は採られていません。現時点では、著者も含めて多くの研究者は交配説を支持しています。

 この記事は、ネアンデルタール人およびデニソワ人のゲノムと現代人のそれとの比較から、現生人類がネアンデルタール人やデニソワ人から交雑により免疫系の有益と思われる遺伝子を得たとする研究も、肯定的に取り上げています。じっさい、そうした遺伝子は他にあっても不思議ではなく、今後の研究の進展が大いに期待されます。また、この記事でも間接的に指摘されているのですが、そうした交雑により得た遺伝子が有益か否かは、環境により異なってくるものだと思います。

 この記事で注目されるのは、上述の制約から、2010年以降に現生人類と他系統の人類との交雑の舞台としてさほど脚光を浴びていなかったアフリカにおける交雑の可能性・重要性が指摘されている点です。著者たちは、現代アフリカの3集団のゲノム解析・比較から、これら3集団のDNAの2%は70万年前頃に現生人類の祖先と分岐した系統の絶滅人類の集団に由来し、交雑の時期・地域は35000年前頃の中央アフリカだと推測しています。冒頭で触れた現代人のY染色体における合着年代についての研究(関連記事)も、中央アフリカ西部における現生人類と他系統の人類との交雑の可能性を示す証拠だ、とこの記事では指摘されています。

 こうした遺伝学的証拠のみならず、解剖学的証拠からも、アフリカにおける現生人類と他系統の人類との交雑の可能性が裏づけられつつある、とこの記事では指摘されています。2011年には、ナイジェリアのイウォウレル遺跡で発見された、現生人類と「旧人類」との中間的な特徴を示す頭蓋骨の年代が13000年前だと判明しました。コンゴのイシャンゴ遺跡でも同様の発見があったそうです。この記事は、アフリカにおいて13000年前頃という(人類史においては)最近の時代まで「旧人類」と現生人類が共存していたか、現生人類の特徴を有する集団と「旧人類」の特徴を有する集団が長期間にわたって交雑していた可能性に言及しています。

 この記事はここからさらに、「アフリカ多地域進化説」とも呼ばれている見解を提示しています。現生人類の解剖学的な特徴の一部は、後に絶滅した「過渡的な」人類から受け継がれた可能性を想定しているわけです。確かに、現生人類のさまざまな(派生的な)解剖学的特徴は、特定の小集団にのみ時間をかけてじょじょに出現して定着していったという想定よりも、時として遺伝的にやや離れた集団に個別に出現し、交雑により拡散して(何らかの理由があったか、もしくは偶然により)定着していった、という想定の方が可能性が高そうには思います。ただ、現生人類の形成をそのように理解したとしても、これを「アフリカ多地域進化説」と呼ぶべきなのかというと、私は迷うところです。

 この記事では、「アフリカ多地域進化説」と交配説との組み合わせが現時点では最も説得力があるとされているものの、現生人類の解剖学的特徴がどの遺伝子に由来するのか、明らかにする必要がある、とも指摘されています。これには私も強く同意します。多くの動植物では稀に起きる異種交配を通じて遺伝子を共有することが新たな形質を獲得する一つの道だったのだから、人類が過去に同じ過程をたどってきたとしても驚くにはあたらない、というのが筆者の見解です。

 解剖学的研究成果には少し言及されているだけですし、旧石器時代におけるヨーロッパの年代の見直しといった考古学的研究成果には言及されていませんが、現生人類の起源と進化について、遺伝学を中心に研究の最前線を知るうえで、この記事はたいへん有益です。また、学説史について簡潔に触れられているという点も、有益だと言えるでしょう。専門家による記事なのですが、解説は平易なので、この問題について多少関心のある人にとっては理解しやすいのではないか、と思います。このような記事が掲載されていると、少々高いと思っても購入してしまいます。まあ、特集の「眠りと夢」も面白そうだ、という理由もありましたが。

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