『天智と天武~新説・日本書紀~』第29話「和平交渉の行方」

 これは10月27日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年11月10日号掲載分の感想です。前回は、大海人皇子が新羅からの講和条件を百済復興軍首脳部に提示し、百済復興軍首脳部の間で意見が分かれたものの、僅差で新羅からの講和条件を受け入れる意見の方が多かった、というところで終了しました。巻頭カラーとなる今回は、飛鳥寺(法興寺)にて額田王が大海人皇子の無事を釈迦如来像に祈る場面から始まります。飛鳥寺は蘇我馬子の創立で日本初の本格的寺院とされています。飛鳥寺は一般に蘇我氏の氏寺とされていますが、単純にそうとも言えず、官寺的性格も有していた、との見解もあります。

 飛鳥寺から戻ってきた額田王を中大兄皇子が外で待っていました。供もつけずにどこをうろついていたのだ、と中大兄皇子に問われた額田王は、寺に参っていた、と正直に答えます。大海人のことなら参っても無駄だ、火中に入った虫で死にに行ったようなものだから放っておけ、と中大兄皇子は額田王に冷たく言います。それは嫉妬ですか、と額田王に問われた中大兄皇子の表情が一瞬やや険しくなります。

 額田王は大田皇女に頼まれて代わりに参ったことを明かします。大田皇女が大海人皇子の子を妊娠し、間もなく臨月を迎えることが額田王から明かされます。大田皇女にとっては初産なのに夫の行方が分からないので、不安になり神仏に頼りたくなるのも当然だろう、と額田王は大田皇女の心中を思いやります。ところが中大兄皇子は娘に冷淡で、大田皇女が妊娠したことを知らず、それどころか、蘇我倉山田石川麻呂が中大兄皇子と豊璋により自害に追い込まれた一件の頃から会っていない、とあまり関心もなさそうに平然と言い放ちます。

 ここで、台詞はありませんが、妊娠している大田皇女が描かれます。大田皇女は第7話以来久々の登場で、成長した姿が描かれるのは今回が初めてです。幼い頃の大田皇女の姿も回想で描かれていますが、以前とやや顔が異なるような印象を受けました。中大兄皇子にとっては三十代半ばでの初孫ということになります。大海人は額田王だけしか愛さないと言っていたのに、舌の根も乾かないうちに大田皇女との間に子をなすとは、そなたも虚仮にされたものよ、と中大兄皇子は額田王に皮肉・揶揄を込めた口調で言います。額田王はそれには答えず、立ち話は冷えるので中に入ろうと中大兄皇子に促しますが、行くところがある、と言って中大兄皇子は立ち去ります。

 中大兄皇子は武器や船の製造が進んでいる様子を満足げに見ながら、母の斉明帝のもとへと向かいます。斉明帝は、来月には筑紫に向けて出航すると中大兄皇子から聞き、驚きます。おそらく、この時点で660年11月でしょうから、660年12月には出航する、という予定なのでしょう。中大兄皇子は、百済救援のためなのだから、百済に近い筑紫で兵の訓練をするのがよいだろう、と斉明帝を説得します。まだ派兵するとは言っていないし、準備も整っていない、と中大兄皇子に抵抗する斉明帝ですが、準備は8割方できており、来月末には万全となるだろう、と中大兄皇子はさらに斉明帝を説得します。

 その時、鐘の音が聞こえてきます。自分が作らせた漏刻(水時計)が時を正確に刻んでいる、と中大兄皇子は満足そうに言います。ぐずぐずと時を無駄にして機を逃してはならない、一ヵ月後には出航するので、新年は筑紫で迎えると親族・近習に伝えてください、と中大兄皇子は強い口調で斉明帝に言います。中大兄皇子が日本初の水時計を作らせた、という有名な逸話を活かした場面になっており、なかなか上手い創作だと思います。

 年内には帰還するという大海人皇子の言葉を思い出した斉明帝は、せめて正月は飛鳥で過ごしたい、と中大兄皇子を説得します。その理由を中大兄皇子に問われた斉明帝は、動揺した様子で、自分もかなりの年齢だから急ごしらえの宮や慣れない土地で新年を迎えるのは辛い、と答えます。その様子を見ていた中大兄皇子は妥協し、正月三が日が明けたら出発する、と言って立ち去ります。中大兄皇子とのやり取りで斉明帝はすっかり疲労し、自分ではもう中大兄皇子を止めることはできないと思い、大海人皇子が早く帰還することを願います。

 その大海人皇子は、百済復興軍の抵抗拠点である任存城にいます。前回、新羅からの講和条件にたいして、7人いる百済復興軍首脳のうち4名が賛成しました。新羅からの講和条件を受け入れる方向で話を進めてよいのですね、と念押しした大海人皇子が、自分が間に入って交渉すると言いかけたところで、鬼室福信が立ち上がり、自分は死ぬまで戦う、と力強く言って立ち去ります。

 百済復興軍首脳のうち新羅との講和にもっとも積極的な道琛は、鬼室福信を説得して豊璋の考えも伺わねばならないので時間が必要になる、と大海人皇子に言います。話が流れてはどうにもならないので、年内に決断してもらいたい、という大海人皇子の提案を了承した道琛は、結論が出るまで任存城に滞在することを大海人皇子に勧め、部屋を用意します。大海人皇子は道琛に感謝し、百済復興軍首脳の間で話がまとまるまで、任存城に留まることにします。

 その晩(なのか否か明示されてはいませんが)、道琛が自室(だと思います)で書状をしたためているところを、鬼室福信が訪ねてきます。鬼室福信から誰宛ての書状なのか問われた道琛は、新羅からの講和条件について判断を仰ぐために豊璋に送るのだ、と答えます。鬼室福信は激怒し、痩せた土地を分けてもらってどうするのだ、力でもって全土を奪い返すのだ、と力説します。

 しかし道琛は冷静で、どちらにしても豊璋の意見を聞こう、と言います。すると鬼室福信は道琛の手を払いのけ、もう戦うことで倭とは話をつけてきたと言い、腰抜け坊主が新羅の口車に乗って士気を乱すな、と道琛を罵倒します。戦にこだわるのは、活躍の場がなくなったら影の王として君臨する計画が頓挫するからなのか、と道琛に問われた鬼室福信は、図星だったのか、怒りの表情を見せるものの一瞬返答に詰まります。

 鬼室福信は辛うじて、大海人皇子の戯言を信じるのか、と反問します。道琛は冷静に、それは自分ではなく豊璋がどう思うかだ、と切り返し、鬼室福信はますます怒ります。その書状に大海人皇子の発言を書いたのではないだろうな、と鬼室福信が怒り動揺しながら道琛に問いかけると、書いてはいないが大海人皇子がいずれ倭に戻って伝えるだろう、と道琛は冷静に答えます。

 道琛はさらに、新羅の使者で倭の皇子である大海人を殺すと、和平の道も倭から援軍を得て戦う道も閉ざされるぞ、と冷静に鬼室福信に忠告します。道琛が倭に書状を届ける使者を呼ぶと、切羽詰まった鬼室福信は道琛の首を一刀で刎ね、部屋に入ってきた使者も殺害します。鬼室福信は、道琛が大海人皇子を殺したので成敗したのだ、と偽ることで自身の野望を実現しようとします。

 そこで鬼室福信は、即座に大海人皇子の部屋へと向かい大海人皇子を殺そうとしますが、それを予想していた大海人皇子は布団におらず、難を逃れました。鬼室福信が剣で大海人皇子を殺そうとすると、大海人皇子は窓を破って城外へと脱出します。目論見が狂った鬼室福信は、新羅の手先だった大海人皇子が道琛を殺したことにして、大海人皇子を早く捕まえるように命じます。大海人皇子は飛び降りたさいに足を挫き、歩行も思うようにならないなか、必死に逃亡します。その時、中大兄皇子の側で寝ていた額田王は、大海人皇子の危機を察したのか、目覚めて起き上がります。

 新羅の月城では、病床の武烈王(金春秋)を金法敏(後の文武王)と金庾信が見舞います。大海人皇子が月城を立ってからかなり経過したのに連絡がないということで、三人は百済残党軍との和平交渉の行方を案じていました。金法敏は間者を送って探りを入れているものの、大海人皇子はどうも百済残党軍の内紛に巻き込まれたようだ、ということまでしか把握できていません。交渉は失敗か、と力なく言う武烈王にたいして、それどころか大海人皇子の行方がしれず、もう殺されているかもしれない、と金法敏は案じます。その頃、焦るな、上手くいかないこともある、いや上手くいかないことばかりかもしれない、それでも信じて待つのだ、との武烈王の忠告を大海人皇子が思い出し、足を引きずりながら必死に逃げている、というところで今回は終了です。

 今回も白村江の戦いへといたる過程が丁寧に描かれ、読みごたえがありました。その分、展開が遅くなっている感は否めませんが、人物描写が丁寧になっているので、私はむしろ歓迎しています。大海人皇子が百済残党軍と新羅との和平交渉のために朝鮮半島に赴くという創作については、当初不安もありました。しかしここまでは、百済残党軍の内紛という史実と、大海人皇子と武烈王・金庾信との過去の出会いという創作とを上手く融合させた面白い話になっています。

 おそらく大筋では史実通り話が進むでしょうから、結局大海人皇子の和平案は実現しないのでしょうが、大海人皇子による和平工作という創作を後の展開に上手くし活かしてくれるのではないか、という期待もできそうで、今から楽しみです。とくに、大海人皇子が倭に帰還した後、豊璋に鬼室福信の真意をどう伝えるのか、注目しています。豊璋は大海人皇子にとって父の仇ですが、同じく父の仇である中大兄皇子との離間を図って、鬼室福信の真意という情報を上手く活用するのではないか、と予想しています。

 武烈王はもう死期が近いといった感じですが、史実では武烈王と同じく翌年(661年)に死亡する斉明帝も、今回はかなりやつれた感じに見えました。斉明帝の死が近いことを印象づける描写なのでしょう。斉明帝が死の間際で中大兄皇子・大海人皇子という二人の息子と何を話し、何を託すのか、この作品の山場の一つになりそうな気がします。史実では、母の斉明帝の死に中大兄皇子はたいへん衝撃を受けたようなので、斉明帝は死の間際に中大兄皇子を幼少時に邪険に扱ったことを中大兄皇子に謝るのかもしれません。

 大田皇女は久々の登場でしたが、残念ながら台詞はありませんでした。中大兄皇子の娘の大田皇女にたいする態度はあまりにも冷たく、中大兄皇子の冷酷な性格はすでに散々描かれてきたとはいっても、さすがに唖然としました。中大兄皇子は、大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)姉妹に大海人皇子と結婚するよう命じた時にも、姉妹と会わなかったということなのでしょうか。

 第17話にて大海人皇子が言ったように、大田皇女・鸕野讚良皇女姉妹の母(中大兄皇子の妻)の遠智媛の死後すぐに、大田皇女・鸕野讚良皇女は体よく厄介払いをされた、ということでしょうか。大海人皇子は、この結婚には中大兄皇子が自分を懐柔する目的もあると考えていたようですが、中大兄皇子の目的は、大田皇女・鸕野讚良皇女の従者に大海人皇子を監視させることだったのかもしれません。

 蘇我倉山田石川麻呂の事件の後も、大田皇女は父の中大兄皇子を庇い、豊璋に騙されて利用されているだけだ、と大海人皇子に訴えていました。石川麻呂の事件の前には大田皇女が強い父を誇りに思っている様子も描かれていましたから、石川麻呂の事件の後でも、大田皇女は父を慕っていたように思います。一方中大兄皇子の方は、石川麻呂の事件の後、大田皇女に顔を合わせづらい、とでも思っていたのかもしれません。

 660年暮れの時点で大田皇女が父の中大兄皇子をどう思っているのか、明るく活発で強気だった少女時代からどのように成長したのか、気になるところです。また、まだ作中では登場しておらず、人物像がまったく明かされていない鸕野讚良皇女がどのような人物として描かれるのかも気になります。今月30日には単行本第3集が発売されるそうですが、表紙は大海人皇子と額田王になっています。例によって、表紙の2人がまたしても裸なのですが、今回は予想できていたのでとくに困惑しませんでした。

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