カタカナの起源は朝鮮半島にあったか

 まだ日付は変わっていないのですが、9月3日分の記事として掲載しておきます。表題の記事がNHKのサイトに掲載され、話題になっているようですが、この記事だけではどうも根拠がよく分からず、疑問が残ります。まず、「横に添えられた読みがなとみられる文字」を新羅の言語と判断したのが妥当なのか、疑問です。新羅の言語は、隣接する百済の言語と比較したらずっと解明されているのでしょうが、文献が限定されているので、たとえば同時代の日本列島の言語と比較すると、不明なところがはるかに多いでしょう。もっとも、新羅や日本列島の言語とはいっても、年代・階層・地域によって大きく異なってきそうではありますが、それはさておくとして、新羅の言語について不明なところが多い状況下で、「横に添えられた読みがなとみられる文字」が新羅の言語だと判断できるのだろうか、と疑問に思います。まあ、専門家が複数参加しての研究のようですので、私が不勉強なだけで、新羅の言語と判断する決定的な証拠があるのかもしれませんが。

 また、そもそも、「読みがなとみられる文字」が「横に添えられた」のがいつなのか、という問題があります。「大方廣佛華厳経」が新羅にあった時なのか、それとも日本に持ち込まれて以降のことなのか、現状では判断の難しいところでしょう。仮に「横に添えられた読みがなとみられる文字」が新羅の言語だとしても、朝鮮半島に伝来されてきた文献に「読みがなとみられる文字」が見つからなければ(吏読は今回問題になっている「読みがなとみられる文字」とは異なると言うべきでしょう)、新羅に渡って仏教を学んだ日本僧が日本に帰還したさいか、新羅の僧が来日したさいに日本に経典を持ち込み、日本の寺院での講読のさいに新羅での発音で音読して解釈するにあたって記した、と想定する方が可能性が高いのではないか、と思います。「進歩的で良心的な」人々のなかには、これは「ネットウヨク」をおちょくれる話題だ、とでも言いたげなコメントを残している方もいますが、とてもそのように楽天的に肯定的な評価のできる「発見」ではないだろう、と思います。なお、ウィキペディアを信用するのはたいへん危険ですし、直接この問題について触れているわけではありませんが、以下の引用のような評価もあります。


平成14年(2002年)、大谷大学所蔵の経典にある角筆の跡について、これが表音を企図して漢字を省略したものであり、片仮名的造字原理の先行例ではないかとする説が出された[6]。この角筆について小林芳規は、8世紀に朝鮮半島で表音のための漢字の省略が行われており、それが日本に渡来したのではないかとする説を主張した[7]。犬飼隆はこの小林芳規の主張について、表音を企図した漢字の省略が朝鮮半島で先行して実施されていた可能性を認めながらも、なお検証を要するとした[8]。また平川南は経典の成立年代と訓読のための書き入れにはずれがあることが充分想定できるため、典籍の年代確定の難しさを指摘している[9]。

さらに、「根」字の脇に見られる「マリ」の如き角筆の痕跡が「ブリ」の音を表すとした上で、現代韓国語の「根(ブリ)」と一致するとの小林の主張は、新羅時代に「根」を「ブリ」と発音した可能性は正確には確認できないとソウル大学名誉教授の安秉禧(アン・ビョンヒ)、韓国口訣学会会長の南豊鉉(ナム・プンヒョン)らによって指摘されている。

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