『週刊新発見!日本の歴史』第13号「平安時代1 平安遷都の構想力」
この第13号は桓武朝から嵯峨朝までを対象としていますが、おもに桓武朝が取り上げられています。都が平城京から長岡京を経て平安京へと移ったこの時代を画期と考えている人は多いでしょうが、この第13号も、桓武の個性に焦点を当てて時代の変容を描いています。桓武・嵯峨朝に天皇の在り様が唐風化していったことは、20世紀末以降に刊行された一般向け通史でも指摘されることが多いと私は認識していますが、この第13号でもそうした視点が強調されています。
この第13号では最近の教科書でもそうした視点が取り上げられるようになったことが指摘されており、24~25年前に私が高校の日本史の授業で使っていた教科書(山川出版社)には、まだそうした記述はありませんでした。この第13号では、桓武天皇が唐風化を進めた要因として、自身の母の地位が低かったことから、新たな権威を求めて自身の正統化を図ったのではないか、と指摘されています。桓武天皇が直接そうした意図を述べた史料はないでしょうが、これは妥当な見解だろう、と思います。
桓武朝から嵯峨朝にかけての、天皇の在り様も含めての唐風化という見解は、上述したように近年の一般向け通史では取り上げられているので、この時代に関心のある人にとっては常識となっているかもしれませんが、一般にはあまり知られていないように思いますので、その意味では「新発見」的かな、とも思います。この他にも、この第13号には「新発見」的な見解(あくまでも一般層の多くを対象としてですが)がいくつか取り上げられており、全体的になかなか興味深い内容になっています。
まず、薬子の変についてですが、1970年代前後からすでに、平城上皇は薬子と仲成の傀儡ではなく主体的に行動していたのではないか、と見直しが主張されており、近年の教科書では「平城太上天皇の変(薬子の変)」と表記が変わっているそうです。私が高校時代に使用していた教科書では、まだ「薬子の変」と表記されていました。しかし、この第13号ではでは、平城上皇の意思を認めることと薬子・仲成の首謀性を重視することとは必ずしも矛盾しないとして、「平城太上天皇の変」よりは「薬子の変」のほうが妥当だろう、と主張されています。
桓武天皇の基本政策として、晩年に臣下に続けるべきか否か諮問した征夷と造都が有名ですが、その「征夷」の方についても、坂上田村麻呂と阿弖流為との「政策的合意」により、蝦夷側への譲歩・懐柔策が進み、蝦夷の地位の向上をもたらした、との興味深い見解が提示されています。ただ、この見解に充分な説得力はなく、状況証拠からの類推にとどまっている、との感は正直なところ否めませんでした。今後の研究の進展に期待したいところです。
平安仏教については、最澄の天台宗と空海の真言宗を新しい平安仏教、いわゆる南都六宗を旧仏教と認識する見解に疑問が呈されています。そもそも、奈良時代末~平安時代初期の時点で南都六宗は成立していたと位置づけられるほどの内実を備えておらず、それが備わるのは天台宗・真言宗の成立とほぼ同じ頃だ、と指摘されています。次に、天台宗・真言宗には新しい要素が認められるとはいえ、天台宗の教学はすでに鑑真によりもたらされており、真言宗の密教にしても、多くを奈良時代の古密教から継承している、というわけです。
また、天台宗・真言宗も含めて平安仏教の発展には、当初仏教と一定の距離を置いていた桓武天皇(それ故の平城京からの遷都でもあったわけですが)が、弟の早良親王の怨霊を恐れ続けて、次第に仏教に傾倒していったという事情も背景にあるのではないか、とも指摘されています。真言宗をはじめとする密教の拡大についても、そうした時代背景があるのだろう、というわけです。なお、表紙には最澄と空海が描かれていましたが、二人の業績についてはあまり触れられていませんでした。次号は「平安仏教と王権の受容」とのことですから、次号にて詳しく取り上げられるのかもしれません。
この第13号で気になったのは、全体的にさほど強調されているわけではないのですが、皇統について天智系と天武系という概念で把握する傾向の見られることで、果たして当時そのような観念があったのか、疑問の残るところです。桓武天皇の皇統意識の根底にあるのは、天智系と天武系ということではなく、自身の母の地位が低いということではないだろうか、と思います。この問題については、遠山美都男『古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか』が取り上げています。
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_25.html
心配なのは、私が購入している書店ではますます入荷数が少なくなっていることで、私が購入する前にすでに何人も購入しているという可能性もまったくないわけではありませんが、この『週刊新発見!日本の歴史』はおそらくあまり売れていないのでしょう。さすがに途中で刊行打ち切りということはないでしょうが、ここまでは全体的になかなかの出来だけに、もっと売れてもよいのではないか、とは思います。もっとも、590円という価格を考えると、内容が充実しているとはいえ、文字数がやや少ない感も否めませんので、あまり売れていないのだとしたら、割高感が一因なのかもしれません。
この第13号では最近の教科書でもそうした視点が取り上げられるようになったことが指摘されており、24~25年前に私が高校の日本史の授業で使っていた教科書(山川出版社)には、まだそうした記述はありませんでした。この第13号では、桓武天皇が唐風化を進めた要因として、自身の母の地位が低かったことから、新たな権威を求めて自身の正統化を図ったのではないか、と指摘されています。桓武天皇が直接そうした意図を述べた史料はないでしょうが、これは妥当な見解だろう、と思います。
桓武朝から嵯峨朝にかけての、天皇の在り様も含めての唐風化という見解は、上述したように近年の一般向け通史では取り上げられているので、この時代に関心のある人にとっては常識となっているかもしれませんが、一般にはあまり知られていないように思いますので、その意味では「新発見」的かな、とも思います。この他にも、この第13号には「新発見」的な見解(あくまでも一般層の多くを対象としてですが)がいくつか取り上げられており、全体的になかなか興味深い内容になっています。
まず、薬子の変についてですが、1970年代前後からすでに、平城上皇は薬子と仲成の傀儡ではなく主体的に行動していたのではないか、と見直しが主張されており、近年の教科書では「平城太上天皇の変(薬子の変)」と表記が変わっているそうです。私が高校時代に使用していた教科書では、まだ「薬子の変」と表記されていました。しかし、この第13号ではでは、平城上皇の意思を認めることと薬子・仲成の首謀性を重視することとは必ずしも矛盾しないとして、「平城太上天皇の変」よりは「薬子の変」のほうが妥当だろう、と主張されています。
桓武天皇の基本政策として、晩年に臣下に続けるべきか否か諮問した征夷と造都が有名ですが、その「征夷」の方についても、坂上田村麻呂と阿弖流為との「政策的合意」により、蝦夷側への譲歩・懐柔策が進み、蝦夷の地位の向上をもたらした、との興味深い見解が提示されています。ただ、この見解に充分な説得力はなく、状況証拠からの類推にとどまっている、との感は正直なところ否めませんでした。今後の研究の進展に期待したいところです。
平安仏教については、最澄の天台宗と空海の真言宗を新しい平安仏教、いわゆる南都六宗を旧仏教と認識する見解に疑問が呈されています。そもそも、奈良時代末~平安時代初期の時点で南都六宗は成立していたと位置づけられるほどの内実を備えておらず、それが備わるのは天台宗・真言宗の成立とほぼ同じ頃だ、と指摘されています。次に、天台宗・真言宗には新しい要素が認められるとはいえ、天台宗の教学はすでに鑑真によりもたらされており、真言宗の密教にしても、多くを奈良時代の古密教から継承している、というわけです。
また、天台宗・真言宗も含めて平安仏教の発展には、当初仏教と一定の距離を置いていた桓武天皇(それ故の平城京からの遷都でもあったわけですが)が、弟の早良親王の怨霊を恐れ続けて、次第に仏教に傾倒していったという事情も背景にあるのではないか、とも指摘されています。真言宗をはじめとする密教の拡大についても、そうした時代背景があるのだろう、というわけです。なお、表紙には最澄と空海が描かれていましたが、二人の業績についてはあまり触れられていませんでした。次号は「平安仏教と王権の受容」とのことですから、次号にて詳しく取り上げられるのかもしれません。
この第13号で気になったのは、全体的にさほど強調されているわけではないのですが、皇統について天智系と天武系という概念で把握する傾向の見られることで、果たして当時そのような観念があったのか、疑問の残るところです。桓武天皇の皇統意識の根底にあるのは、天智系と天武系ということではなく、自身の母の地位が低いということではないだろうか、と思います。この問題については、遠山美都男『古代の皇位継承 天武系皇統は実在したか』が取り上げています。
https://sicambre.seesaa.net/article/200803article_25.html
心配なのは、私が購入している書店ではますます入荷数が少なくなっていることで、私が購入する前にすでに何人も購入しているという可能性もまったくないわけではありませんが、この『週刊新発見!日本の歴史』はおそらくあまり売れていないのでしょう。さすがに途中で刊行打ち切りということはないでしょうが、ここまでは全体的になかなかの出来だけに、もっと売れてもよいのではないか、とは思います。もっとも、590円という価格を考えると、内容が充実しているとはいえ、文字数がやや少ない感も否めませんので、あまり売れていないのだとしたら、割高感が一因なのかもしれません。
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