『天智と天武~新説・日本書紀~』第26話「鬼室福信来日」
これは9月15日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年9月25日号掲載分の感想です。前回は、百済滅亡の報せが百済の王族である豊璋だけではなく倭の首脳部にも届き、豊璋が百済復興運動の先頭に立ち王位に就くことを決心し、倭の援助を得るために中大兄皇子と交渉するものの、中大兄皇子に倭への大きな見返りを要求され、苦悶の表情を浮かべるところで終了しました。
今回は、660年10月、鬼室福信が後飛鳥岡本宮を訪れ、斉明帝・中大兄皇子・大海人皇子ら倭の首脳部に百済復興を訴え、豊璋を百済国王として迎え入れるために帰国させることと、倭の援軍を要請する場面から始まります。この時、鬼室福信は唐の捕虜100人を献上しています。ただ、鬼室福信は使者を倭に遣わしたものの、じっさいには倭には来ていないと思います。鬼室福信はいかにも豪傑といった感じの容貌です。
豊璋も立ち上がって斉明帝に帰国と援軍を願い出て、斉明帝は国が滅んだ百済の人々の心中を思いやり、礼を尽くして帰国させるよう担当官に命じます。では援軍も、と言って鬼室福信は期待に満ちた表情を浮かべますが、援軍については即答しかねる、慎重に皆の意見を聞き議論を尽くさねば、斉明帝は答えます。すると中大兄皇子がそんな余裕はないと直ちに反論し、機を逃すと唐の脅威が自国にも及ぶ、と忠告します。
このやり取りを聞いていた大海人皇子は、百済が降伏した時、唐はどれだけの兵を送り込んできたのか教えてほしい、と鬼室福信に尋ねます。鬼室福信は豊璋と顔を見合わせ、百済軍1万にたいして新羅・唐軍合わせて5万余、と過少に答えます(前号では、新羅軍5万と唐軍13万だったと使者は報告しています)。すると大海人皇子は、偽りを申しているのではないか、本当は10万以上いたのではないか、と鬼室福信を問い詰めます。
ここで中大兄皇子が口を挟み、鬼室福信殿の言葉が信用できないとは情けない、そもそもお前は百済の窮状を見て救ってやりたいとは思わないのか、と大海人皇子に問いかけます。正確な情報がないと判断できないと申しているのだ、と大海人皇子が答えると、中大兄皇子は激昂し、黙れ薄情者、危うきを扶け、絶を継ぐこと、と幼き頃から教えられてきた、自分は何があっても戦うぞ、と力強く宣言します。この様子を群臣たちが困惑した様子で見守り、斉明帝は兄弟の対立に頭を抱えて悩み、裁断を下せない、というこの作品の予定調和的な描写が見られます。
その夜(か否か、明確な描写はないのですが)、中大兄皇子は名前の不明な官人2人に、大至急、軍船と武器の製造に取りかかり、不足分は瀬戸内・九州(この時代には現在の九州を九州とは呼んでいなかったようですが)の豪族から召し上げよ、兵員もかき集め、並より大きければ子供でも老人でもよい、と指示します。官人2人は勝手にそんなことを進めてよいのだろうか、と懸念しますが、中大兄皇子は意に介しません。大君(帝)である母の斉明帝の決断を待っていたら、戦が終わってしまう、というわけです。
このやり取りを、天井裏から鵲が盗み聞きしており、大海人皇子に報告します。大海人皇子は密かに母の斉明帝を訪ね、新羅に行くことを伝えると、斉明帝は驚きます。大海人皇子は、現地の状況を確かめ、武烈王(金春秋)と会い、百済残党軍との和解の方策はないか、探ってくるつもりだ、と斉明帝に真意を打ち明けます。そうなれば一番よいのだが、と言う斉明帝に、自分が戻るまで派兵の決定をしないよう、大海人皇子は要請します。しかし、中大兄皇子の強引さに抵抗する自信はない、と苦悩した表情を浮かべて斉明帝は打ち明けます。年が明けないうちに戻るので、しばしの辛抱だ、のらりくらりと決定を引き延ばせばよいのだ、と大海人皇子は斉明帝を説得します。
鬼室福信が帰国する船に忍び込んで新羅に行くという大海人皇子に、中大兄皇子に知られたらどうするのだ、と鵲は案じます。すると大海人皇子は、自分が不在の間は影武者を務めてくれ、と鵲に言い、鵲は大いに慌てます。大海人皇子は斉明帝を尋ねた後、鵲と共に仏師を訪ねます。すると仏像は完成したばかりでした。仏師は、ついに自分の手を離れる時が来たようです、と大海人皇子に言います。この仏像が、現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像ということになりそうです。救世観音像が今後どのような経緯で法隆寺夢殿に安置されることになるのか、ということも注目点の一つです。
大海人は洞窟内で一人になり、仏像を見て涙を流します。少年時も成人してからも(額田王のことです)、愛するものを手に入れては失うばかりと思っていたが、そうではなく、父がここに永遠の命を持っているのだ、と感じた大海人皇子は、跪いて仏像に手を合わせます。仏師は洞窟の入り口にて、早く掘れ・もっと早く造るのだ、と仏像の声がするのだ、と疲れ切った表情で言い、鵲は気味悪そうな表情を浮かべて仏師の方を見ます。
鬼室福信が帰還する日、斉明帝・中大兄皇子・大海人皇子・豊璋も港まで見送りに来ていました。この港がどこなのか明示されていませんが、難波でしょうか?鬼室福信は武器・食糧の援助に感謝し、援軍派遣の件も一刻も早く決定して頂きたい、と要請します。軍備が整ったらできるだけ早く豊璋を帰そう、と答える斉明帝の側から、ご安心を、その方向で動いています、と中大兄皇子が自信に満ちた表情で言い、鬼室福信は中大兄皇子に念押しします。
この時、大海人皇子はわざとらしく咳をして風邪を引いたふりをして密かに離れ、鵲と仏師の用意していた長持ちに入り、鵲と仏師は上手く船内に運び込みます。仏像の管理も頼む、と鵲と仏師に頼んだ大海人皇子は、帰国したら立派な厨を作って安置するつもりだと告げます。鵲は、相変わらず大海人皇子が不在の間影武者を務めることに不安なようです。鬼室福信一行の船を見送りながら、斉明帝は大海人皇子の身を案じ、豊璋は唐に連行された父のことを想い、中大兄皇子は戦が始まるぞ、と決意を固めたようです。
風が冷たくなってきたから帰ろう、と斉明帝が促すと、中大兄皇子は大海人皇子がいないことに気づきます。大海人皇子がわざとらしく咳をしていた時から不審に思っていた中大兄皇子は大海人皇子の邸を訪れ、大海人皇子がいるか問い質します。大海人皇子の使用人たち?は慌てて、大海人皇子は臥せっていると言いますが、中大兄皇子は強引で、いいから開けろ、と強く命じます。そんな緊迫した状況のなか、鵲が大海人皇子の寝室で布団をかぶって慌てている、というところで今回は終了です。
大海人皇子の動向が文献に見えるのは、中大兄皇子が孝徳帝を難波に置き去りにして飛鳥に戻ったさいに、大海人皇子が中大兄皇子と行動を共にした、という記事を除けば白村江の戦いの後のことで、白村江の戦い以前の大海人皇子については創作の余地が大きいとは言えるでしょうが、それにしても、供もなしに単身新羅に向かうのは、あまりにも無謀です。まあ、漫画としては面白くなる可能性もあるので、次回以降の展開に期待したいところではあります。
前回言及だけされていた鬼室福信は今回が初登場となりますが、いかにも豪傑といった感じで、個性が強そうです。鬼室福信は後に豊璋と対立して殺害され、そうした足並みの乱れも、白村江の戦いでの日本・百済連合軍の大敗の一因となっているのでしょうが、豊璋と鬼室福信との対立を今後どのように描くのか、大いに楽しみです。白村江の戦いはこの作品第一の山場となりそうで、なかなか丁寧に情勢の推移が描かれており、「巡り物語」以上に長くなりそうです。
今回、斉明帝がこれまでよりも老けて描かれていました。中大兄皇子が今回の時点で30代半ばであり、中大兄皇子には異父兄がいますから(漢皇子)、斉明帝は60代でも不思議はなく、若くとも50代後半にはなっているでしょう。これまで、斉明帝は結構な年齢のはずなのにいつまでも若々しいなあ、と思っていたのですが、斉明帝も作中では間もなく崩御することになりそうなので(今回の時点で660年10月であり、年明けの1月には筑紫へと向かい、同年7月に筑紫で崩御します)、この描写の変更はよかったと思います。
次回は、鵲がどう危機を脱するのか、あるいは中大兄皇子に大海人皇子の不在を知られてしまうのか、ということが見どころとなりそうですが、この時点で妊娠中の大田皇女か、その妹の鸕野讚良皇女(持統天皇)が機転を利かせて中大兄皇子を追い帰すのではないか、と予想しています。大田皇女・鸕野讚良皇女の母方祖父の蘇我石川麻呂(中大兄皇子にとっては舅)を自殺に追い込み、その娘で大田皇女・鸕野讚良皇女の母の遠智媛を発狂させて死に追いやった、という負い目のある中大兄皇子が、娘二人(のどちらか)にきつい態度で追い返されそうな気がします。第1回からずっと読んできて、中大兄皇子は時に身内に甘いことがあるので、大田皇女・鸕野讚良皇女という娘二人には、負い目もあってあまり強気になれないのではないか、と予想しているのですが、どうなるでしょうか。
最後に、今回の話とは直接の関係がないのですが、ふと思いついたことがあるので、述べておきます。それは、作中では、豊璋の息子である真人(定恵)と粟田真人は同一人物という設定ではないのか、ということです。作中では現時点で定恵は遣唐使の一員として唐に渡っており、この後、665年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算)に唐からの使者である劉徳高の船で帰国し(『日本書紀』)、その年の12月23日に定恵の才能を妬んだ百済の士人により毒殺されました(『藤氏家伝』)。
『藤氏家伝』でも定恵の才能が高く評価されていますが、作中でも定恵は聡明な少年として描かれていました。作中での定恵の容貌も、賢く温厚な感じでした。これは、唐からその学識と人柄を高く評価された粟田真人(『旧唐書』)の人物像と通ずるものがあります。また二人には、出家して同じ遣唐使の一員として唐に渡った、という共通点もあります。今後の展開を予想すると、孝徳帝の実子の可能性のある定恵(あくまでも作中の設定ですが)を、猜疑心の強い中大兄皇子が殺そうとし、大海人皇子が定恵を庇って、中大兄皇子には殺害したと報告したうえで定恵を匿い、後に粟田氏の養子とし、取り立てた、という展開になるかもしれません。大海人皇子は、定恵を庇うことにより、中大兄皇子と豊璋とを離間させようとしている、というわけです。
今回は、660年10月、鬼室福信が後飛鳥岡本宮を訪れ、斉明帝・中大兄皇子・大海人皇子ら倭の首脳部に百済復興を訴え、豊璋を百済国王として迎え入れるために帰国させることと、倭の援軍を要請する場面から始まります。この時、鬼室福信は唐の捕虜100人を献上しています。ただ、鬼室福信は使者を倭に遣わしたものの、じっさいには倭には来ていないと思います。鬼室福信はいかにも豪傑といった感じの容貌です。
豊璋も立ち上がって斉明帝に帰国と援軍を願い出て、斉明帝は国が滅んだ百済の人々の心中を思いやり、礼を尽くして帰国させるよう担当官に命じます。では援軍も、と言って鬼室福信は期待に満ちた表情を浮かべますが、援軍については即答しかねる、慎重に皆の意見を聞き議論を尽くさねば、斉明帝は答えます。すると中大兄皇子がそんな余裕はないと直ちに反論し、機を逃すと唐の脅威が自国にも及ぶ、と忠告します。
このやり取りを聞いていた大海人皇子は、百済が降伏した時、唐はどれだけの兵を送り込んできたのか教えてほしい、と鬼室福信に尋ねます。鬼室福信は豊璋と顔を見合わせ、百済軍1万にたいして新羅・唐軍合わせて5万余、と過少に答えます(前号では、新羅軍5万と唐軍13万だったと使者は報告しています)。すると大海人皇子は、偽りを申しているのではないか、本当は10万以上いたのではないか、と鬼室福信を問い詰めます。
ここで中大兄皇子が口を挟み、鬼室福信殿の言葉が信用できないとは情けない、そもそもお前は百済の窮状を見て救ってやりたいとは思わないのか、と大海人皇子に問いかけます。正確な情報がないと判断できないと申しているのだ、と大海人皇子が答えると、中大兄皇子は激昂し、黙れ薄情者、危うきを扶け、絶を継ぐこと、と幼き頃から教えられてきた、自分は何があっても戦うぞ、と力強く宣言します。この様子を群臣たちが困惑した様子で見守り、斉明帝は兄弟の対立に頭を抱えて悩み、裁断を下せない、というこの作品の予定調和的な描写が見られます。
その夜(か否か、明確な描写はないのですが)、中大兄皇子は名前の不明な官人2人に、大至急、軍船と武器の製造に取りかかり、不足分は瀬戸内・九州(この時代には現在の九州を九州とは呼んでいなかったようですが)の豪族から召し上げよ、兵員もかき集め、並より大きければ子供でも老人でもよい、と指示します。官人2人は勝手にそんなことを進めてよいのだろうか、と懸念しますが、中大兄皇子は意に介しません。大君(帝)である母の斉明帝の決断を待っていたら、戦が終わってしまう、というわけです。
このやり取りを、天井裏から鵲が盗み聞きしており、大海人皇子に報告します。大海人皇子は密かに母の斉明帝を訪ね、新羅に行くことを伝えると、斉明帝は驚きます。大海人皇子は、現地の状況を確かめ、武烈王(金春秋)と会い、百済残党軍との和解の方策はないか、探ってくるつもりだ、と斉明帝に真意を打ち明けます。そうなれば一番よいのだが、と言う斉明帝に、自分が戻るまで派兵の決定をしないよう、大海人皇子は要請します。しかし、中大兄皇子の強引さに抵抗する自信はない、と苦悩した表情を浮かべて斉明帝は打ち明けます。年が明けないうちに戻るので、しばしの辛抱だ、のらりくらりと決定を引き延ばせばよいのだ、と大海人皇子は斉明帝を説得します。
鬼室福信が帰国する船に忍び込んで新羅に行くという大海人皇子に、中大兄皇子に知られたらどうするのだ、と鵲は案じます。すると大海人皇子は、自分が不在の間は影武者を務めてくれ、と鵲に言い、鵲は大いに慌てます。大海人皇子は斉明帝を尋ねた後、鵲と共に仏師を訪ねます。すると仏像は完成したばかりでした。仏師は、ついに自分の手を離れる時が来たようです、と大海人皇子に言います。この仏像が、現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像ということになりそうです。救世観音像が今後どのような経緯で法隆寺夢殿に安置されることになるのか、ということも注目点の一つです。
大海人は洞窟内で一人になり、仏像を見て涙を流します。少年時も成人してからも(額田王のことです)、愛するものを手に入れては失うばかりと思っていたが、そうではなく、父がここに永遠の命を持っているのだ、と感じた大海人皇子は、跪いて仏像に手を合わせます。仏師は洞窟の入り口にて、早く掘れ・もっと早く造るのだ、と仏像の声がするのだ、と疲れ切った表情で言い、鵲は気味悪そうな表情を浮かべて仏師の方を見ます。
鬼室福信が帰還する日、斉明帝・中大兄皇子・大海人皇子・豊璋も港まで見送りに来ていました。この港がどこなのか明示されていませんが、難波でしょうか?鬼室福信は武器・食糧の援助に感謝し、援軍派遣の件も一刻も早く決定して頂きたい、と要請します。軍備が整ったらできるだけ早く豊璋を帰そう、と答える斉明帝の側から、ご安心を、その方向で動いています、と中大兄皇子が自信に満ちた表情で言い、鬼室福信は中大兄皇子に念押しします。
この時、大海人皇子はわざとらしく咳をして風邪を引いたふりをして密かに離れ、鵲と仏師の用意していた長持ちに入り、鵲と仏師は上手く船内に運び込みます。仏像の管理も頼む、と鵲と仏師に頼んだ大海人皇子は、帰国したら立派な厨を作って安置するつもりだと告げます。鵲は、相変わらず大海人皇子が不在の間影武者を務めることに不安なようです。鬼室福信一行の船を見送りながら、斉明帝は大海人皇子の身を案じ、豊璋は唐に連行された父のことを想い、中大兄皇子は戦が始まるぞ、と決意を固めたようです。
風が冷たくなってきたから帰ろう、と斉明帝が促すと、中大兄皇子は大海人皇子がいないことに気づきます。大海人皇子がわざとらしく咳をしていた時から不審に思っていた中大兄皇子は大海人皇子の邸を訪れ、大海人皇子がいるか問い質します。大海人皇子の使用人たち?は慌てて、大海人皇子は臥せっていると言いますが、中大兄皇子は強引で、いいから開けろ、と強く命じます。そんな緊迫した状況のなか、鵲が大海人皇子の寝室で布団をかぶって慌てている、というところで今回は終了です。
大海人皇子の動向が文献に見えるのは、中大兄皇子が孝徳帝を難波に置き去りにして飛鳥に戻ったさいに、大海人皇子が中大兄皇子と行動を共にした、という記事を除けば白村江の戦いの後のことで、白村江の戦い以前の大海人皇子については創作の余地が大きいとは言えるでしょうが、それにしても、供もなしに単身新羅に向かうのは、あまりにも無謀です。まあ、漫画としては面白くなる可能性もあるので、次回以降の展開に期待したいところではあります。
前回言及だけされていた鬼室福信は今回が初登場となりますが、いかにも豪傑といった感じで、個性が強そうです。鬼室福信は後に豊璋と対立して殺害され、そうした足並みの乱れも、白村江の戦いでの日本・百済連合軍の大敗の一因となっているのでしょうが、豊璋と鬼室福信との対立を今後どのように描くのか、大いに楽しみです。白村江の戦いはこの作品第一の山場となりそうで、なかなか丁寧に情勢の推移が描かれており、「巡り物語」以上に長くなりそうです。
今回、斉明帝がこれまでよりも老けて描かれていました。中大兄皇子が今回の時点で30代半ばであり、中大兄皇子には異父兄がいますから(漢皇子)、斉明帝は60代でも不思議はなく、若くとも50代後半にはなっているでしょう。これまで、斉明帝は結構な年齢のはずなのにいつまでも若々しいなあ、と思っていたのですが、斉明帝も作中では間もなく崩御することになりそうなので(今回の時点で660年10月であり、年明けの1月には筑紫へと向かい、同年7月に筑紫で崩御します)、この描写の変更はよかったと思います。
次回は、鵲がどう危機を脱するのか、あるいは中大兄皇子に大海人皇子の不在を知られてしまうのか、ということが見どころとなりそうですが、この時点で妊娠中の大田皇女か、その妹の鸕野讚良皇女(持統天皇)が機転を利かせて中大兄皇子を追い帰すのではないか、と予想しています。大田皇女・鸕野讚良皇女の母方祖父の蘇我石川麻呂(中大兄皇子にとっては舅)を自殺に追い込み、その娘で大田皇女・鸕野讚良皇女の母の遠智媛を発狂させて死に追いやった、という負い目のある中大兄皇子が、娘二人(のどちらか)にきつい態度で追い返されそうな気がします。第1回からずっと読んできて、中大兄皇子は時に身内に甘いことがあるので、大田皇女・鸕野讚良皇女という娘二人には、負い目もあってあまり強気になれないのではないか、と予想しているのですが、どうなるでしょうか。
最後に、今回の話とは直接の関係がないのですが、ふと思いついたことがあるので、述べておきます。それは、作中では、豊璋の息子である真人(定恵)と粟田真人は同一人物という設定ではないのか、ということです。作中では現時点で定恵は遣唐使の一員として唐に渡っており、この後、665年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算)に唐からの使者である劉徳高の船で帰国し(『日本書紀』)、その年の12月23日に定恵の才能を妬んだ百済の士人により毒殺されました(『藤氏家伝』)。
『藤氏家伝』でも定恵の才能が高く評価されていますが、作中でも定恵は聡明な少年として描かれていました。作中での定恵の容貌も、賢く温厚な感じでした。これは、唐からその学識と人柄を高く評価された粟田真人(『旧唐書』)の人物像と通ずるものがあります。また二人には、出家して同じ遣唐使の一員として唐に渡った、という共通点もあります。今後の展開を予想すると、孝徳帝の実子の可能性のある定恵(あくまでも作中の設定ですが)を、猜疑心の強い中大兄皇子が殺そうとし、大海人皇子が定恵を庇って、中大兄皇子には殺害したと報告したうえで定恵を匿い、後に粟田氏の養子とし、取り立てた、という展開になるかもしれません。大海人皇子は、定恵を庇うことにより、中大兄皇子と豊璋とを離間させようとしている、というわけです。
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