岩明均『ヒストリエ』第8巻発売(講談社)
これは8月26日分の記事として掲載しておきます。待望の第8巻が刊行されました。実に1年9ヶ月振りの新刊となります。第3巻までの内容は以下の記事にて、
https://sicambre.seesaa.net/article/200707article_28.html
第4巻の内容は以下の記事にて、
https://sicambre.seesaa.net/article/200708article_18.html
第5巻の内容は以下の記事にて、
https://sicambre.seesaa.net/article/200904article_10.html
第6巻の内容は以下の記事にて、
https://sicambre.seesaa.net/article/201005article_25.html
第7巻の内容は以下の記事にて述べています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201111article_29.html
第7巻は、マケドニアが同盟都市カルディアを足掛かりとして、マケドニアによるギリシア統一を阻止しようとする、アテネ側の重要拠点であるペリントスとビザンティオン攻め入ったものの、両都市の守りは固く、なかなか攻略できない、というところで終了しました。第8巻は、そのビザンティオン攻略の場面から始まります。マケドニアの将軍たちは、フィリッポス2世の御前で対策を協議します。ビザンティオンを攻め落とせないのは、敵将カレスの采配のためではなく、城壁の高さ・堅固さと立地のためだろう、とマケドニアの将軍たちは冷静に現状を分析します。この協議にて、ビザンティオン・アテネの背後にペルシア帝国がいるだろう、という話も出てきます。
一方、ほぼ同時にマケドニアが攻め込んだペリントスの方でも、堅固な都市構造のためにマケドニア軍は苦戦していました。配下の将軍たちに自由に意見を述べさせているフィリッポス2世ですが、それはマケドニアが民主制国家だということを意味するのではなく、フィリッポス2世が自分の考えを整理するためでもあることを、エウメネスは見抜いていました。フィリッポス2世は、ビザンティオンへの東西の坑道のうち東の方が進んでいることを配下から確認すると、西の方の坑道を掘り進めるのを止め、人員を東の坑道に回すよう命じます。
そこへ伝令が現れ、ペリントスを包囲していたマケドニア艦隊が来襲したアテネ艦隊に打ち破られたことを報告します。そのアテネ艦隊の指揮官はフォーキオンでした。フォーキオンは、マケドニア方だった3都市をすべて開城させ、ペリントスの救援に向かったというわけです。ペリントスを包囲するマケドニア陸軍の方はまったく崩れていないとの報告を受けたフィリッポス2世は、陸軍は引き続きペリントスを包囲するよう指示します。フォーキオンは、優れた弁論家・穏健派の政治家として知られています。その頃アテネの実質的な主導物だった、対マケドニア強硬派のデモステネスとは対照的に、平和主義的でした。
さらにフォーキオンは、人格者としても尊敬されており、若い頃には傭兵軍の副官として地中海各地を転戦しており、軍歴も豊富でした。マケドニアにとってはカレスよりもはるかに強敵となります。マケドニア海軍を破ってペリントス入城したフォーキオンですが、包囲するマケドニア陸軍の指揮官がパルメニオンだと知ると、守備に徹するようペリントスの守備軍に進言し、自身はビザンティオンへと向かいます。制海権を奪って兵士も物資も補充可能になったということで、やがてマケドニア軍は撤退するだろう、とフォーキオンは言います。
ビザンティオンで自軍の軍船を眺めていたエウメネスは、思い立ったことがあり馬でフィリッポス2世の幕営へと急ぎ、自軍の全艦の帆と帆柱を外すよう進言します。フィリッポス2世もエウメネスの進言を受け入れて直ちにそうするよう命じますが、その直後にアテネ艦隊来襲の報告が届き、もう間に合わないと悟ったフィリッポス2世は、命令を取り消して戦闘準備を命じます。ビザンティオンに来襲したアテネ艦隊には帆も帆柱もありませんでした。これにより機動力で上回り小回りのきくアテネ艦隊は、船首の衝角でマケドニア艦隊に打撃を与え、白兵戦に持ち込まずに勝負をつけようとします。市民兵のアテネ軍は職業兵のマケドニア軍に白兵戦では不利だからだろう、とエウメネスは冷静に指摘します。
マケドニア艦隊はアテネ艦隊に惨敗し、アジア側の対岸にはペルシア軍のギリシア人傭兵部隊が進出してきて、陣を構えていました。慎重派のフォーキオンが、ペルシア軍の力を借りたとあからさまに見せたくないと考えたのだろう、とフィリッポス2世は推測し、エウメネスも納得します。ただの傭兵部隊とは思えないきれいな陣形だ、とエウメネスが指摘し、フィリッポス2世には対岸の傭兵部隊の指揮官が誰なのか、見当がついているようです。その傭兵部隊を率いているのは、第1巻の冒頭と第4巻に登場したメムノンで、そこに同じく第1巻の冒頭と第4巻に登場したバルシネが久々に登場します。メムノンとバルシネとの会話から、傭兵部隊は対岸に渡るようにとの要請は受けていないことが判明します。
ビザンティオン沖での海戦の結果、マルマラ海の制海権はアテネ艦隊が掌握し、マケドニア艦隊は黒海にまで追いやられていました。フォーキオンはビザンティオンに入城し、カレスと合流します。意気揚がるビザンティオン側ですが、フォーキオンは冷静で、包囲しているマケドニア軍は間もなく退却するだろう、と迷いなく言います。フィリッポス2世は、虚報や和睦交渉など知略を尽くして残存するマケドニア艦隊を脱出させることに成功した後、ビザンティオンとペリントスからの退却を命じました。マケドニアにとっては完敗となったビザンティオン・ペリントス攻略戦でした。
ビザンティオンとペリントスから退却したマケドニア軍は、首都のペラではなく、北方のスキタイの勢力範囲へと向かいました。スキタイ勢力の西部を支配する高齢のアタイアス王が、隣国のイストリアとの戦いを有利に進めるために、王位をフィリッポス2世に譲ることを条件にマケドニアに援軍を要請したのでした。しかし、マケドニア軍がイストリアに着く前にイストリアの王が急死し、イストリアは一気に衰退しました。するとアタイアスは、マケドニアの援軍は不要と考え、王位を実子に継がせようと考え直しました。フィリッポス2世は、王位を継げないのならば援軍の経費をだすように、とアタイアスに交渉しますが、自国は貧しくフィリッポス2世を満足させるようなものはない、我々スキタイの宝は頑健な身体・死をも恐れぬ勇気・良質の馬のみだと言い、これらが欲しければ戦場にて見せよう、とアタイアスはフィリッポス2世を挑発します。
紀元前339年、マケドニア軍はスキタイへと攻め込み、当初はスキタイ騎兵にやや苦戦しましたが、長槍部隊と弓兵の活躍でスキタイを圧倒し、アタイアスは討ち取られ、良血馬2万頭を捕獲し、2万人が捕虜となり奴隷として売られることになります。この戦いでもエウメネスは優れた洞察力をフィリッポス2世に見せます。スキタイ人が捕虜として連行されているのを見ていたエウメネスに、心が痛むか、とメナンドロスが尋ねます。多少は、と答えたエウメネスに、同じスキタイとしてか、とメナンドロスが問いかけると、そういうことではない、とエウメネスは答えます。スキタイとはいっても、アタイアス王国の人々は騎乗のさいに鐙を用いておらず、自分の生母の故郷ではなさそうだ、と推測したエウメネスは、文化が違う、と呟きます。
アタイアス王国からの帰途、マケドニア軍は3万という兵力と完全武装していることから、驕りと油断がありました。マケドニア軍はスキタイから財宝を多く奪ったはずだ、と誤解していたトリロバイ人たちは、自地域を進むマケドニア軍を奇襲します。エウメネスは、居候先のアッタロス将軍と呑気に話しており、アッタロスは王の信用の厚いエウメネスと姪のエウリュディケを結婚させようと考えているようです。アッタロスがその話を進めようとしたところに、トリロバイ人たちが奇襲してきました。アッタロスはトリロバイ人たちの投石により気絶し、フィリッポス2世は太腿を槍で貫かれて重傷を負います。
エウメネスは急いで小峰に登って戦況を把握し、トリロバイ人たちの陣地がどこにあるのか、推測します。エウメネスは騎乗してマケドニア軍の前方に急ぎ、アッタロス将軍の命と偽って、トリロバイ人たちの陣地と推測した場所を牽制できるような高台へと向かうよう、各指揮官に指示します。するとトリロバイ人たちは、側面を突かれることを恐れて退却していきます。アッタロスは意識を取り戻しましたが、この混乱の中でマケドニアが捕虜としていたスキタイ人はほとんどが逃げ去りました。
マケドニア軍は首都のペラに帰還しましたが、マケドニア軍の敗退・フィリッポス2世の重傷に勢いづいたアテネでは、対マケドニア強硬派のデモステネスの演説に市民が熱狂していました。しかし、フォーキオンはその熱狂に冷ややかな様子です。重傷を負って療養中のフィリッポス2世はアンティパトロスを呼んで今後の策について話し合い、アンティパトロスに一任します。ペラに帰還したエウメネスをエウリュディケが迎えて、二人が口づけを交わすというところで第8巻は終了です。
第8巻で描かれたのはほとんどが戦闘場面で、エウメネスの戦場での洞察力が強烈に印象づけられました。有名なデモステネスも登場しましたが、この作品ではフォーキオンの方が重要な役割を担うことになりそうな気がします。メムノンとバルシネも久々に登場し、やはり今後重要な役割を担うことになりそうだと予感させます。エウメネスとエウリュディケの仲は、第7巻までの描写からも不自然ではありませんでしたが、サテュラの時と同じく悲恋に終わりそうですし、何よりもエウリュディケの今後の運命が悲惨なので、今から物悲しいところがあります。もっとも、この作品ではどのような描写になるのか、まだ分かりませんが。
第8巻も構成・心理描写が素晴らしく、たいへん面白かったのですが、第7巻から第8巻まで2年近く空きましたから、この感じで進んでいくと、とても完結しそうにないな、と不安になります。もっとも、作者がどの時点を最終回と考えているのか、現時点ではさっぱり分かりませんが、やはりディアドコイ戦争でエウメネスが死ぬところまでは描いてもらいたいな、と思います。フィリッポス2世とアンティゴノス1世が作中では同一人物だという私の予想(妄想)
https://sicambre.seesaa.net/article/201112article_2.html
が的中するとしたら、なおのこと、エウメネスの最期が気になります。ともかく、今から第9巻の刊行が楽しみです。
https://sicambre.seesaa.net/article/200707article_28.html
第4巻の内容は以下の記事にて、
https://sicambre.seesaa.net/article/200708article_18.html
第5巻の内容は以下の記事にて、
https://sicambre.seesaa.net/article/200904article_10.html
第6巻の内容は以下の記事にて、
https://sicambre.seesaa.net/article/201005article_25.html
第7巻の内容は以下の記事にて述べています。
https://sicambre.seesaa.net/article/201111article_29.html
第7巻は、マケドニアが同盟都市カルディアを足掛かりとして、マケドニアによるギリシア統一を阻止しようとする、アテネ側の重要拠点であるペリントスとビザンティオン攻め入ったものの、両都市の守りは固く、なかなか攻略できない、というところで終了しました。第8巻は、そのビザンティオン攻略の場面から始まります。マケドニアの将軍たちは、フィリッポス2世の御前で対策を協議します。ビザンティオンを攻め落とせないのは、敵将カレスの采配のためではなく、城壁の高さ・堅固さと立地のためだろう、とマケドニアの将軍たちは冷静に現状を分析します。この協議にて、ビザンティオン・アテネの背後にペルシア帝国がいるだろう、という話も出てきます。
一方、ほぼ同時にマケドニアが攻め込んだペリントスの方でも、堅固な都市構造のためにマケドニア軍は苦戦していました。配下の将軍たちに自由に意見を述べさせているフィリッポス2世ですが、それはマケドニアが民主制国家だということを意味するのではなく、フィリッポス2世が自分の考えを整理するためでもあることを、エウメネスは見抜いていました。フィリッポス2世は、ビザンティオンへの東西の坑道のうち東の方が進んでいることを配下から確認すると、西の方の坑道を掘り進めるのを止め、人員を東の坑道に回すよう命じます。
そこへ伝令が現れ、ペリントスを包囲していたマケドニア艦隊が来襲したアテネ艦隊に打ち破られたことを報告します。そのアテネ艦隊の指揮官はフォーキオンでした。フォーキオンは、マケドニア方だった3都市をすべて開城させ、ペリントスの救援に向かったというわけです。ペリントスを包囲するマケドニア陸軍の方はまったく崩れていないとの報告を受けたフィリッポス2世は、陸軍は引き続きペリントスを包囲するよう指示します。フォーキオンは、優れた弁論家・穏健派の政治家として知られています。その頃アテネの実質的な主導物だった、対マケドニア強硬派のデモステネスとは対照的に、平和主義的でした。
さらにフォーキオンは、人格者としても尊敬されており、若い頃には傭兵軍の副官として地中海各地を転戦しており、軍歴も豊富でした。マケドニアにとってはカレスよりもはるかに強敵となります。マケドニア海軍を破ってペリントス入城したフォーキオンですが、包囲するマケドニア陸軍の指揮官がパルメニオンだと知ると、守備に徹するようペリントスの守備軍に進言し、自身はビザンティオンへと向かいます。制海権を奪って兵士も物資も補充可能になったということで、やがてマケドニア軍は撤退するだろう、とフォーキオンは言います。
ビザンティオンで自軍の軍船を眺めていたエウメネスは、思い立ったことがあり馬でフィリッポス2世の幕営へと急ぎ、自軍の全艦の帆と帆柱を外すよう進言します。フィリッポス2世もエウメネスの進言を受け入れて直ちにそうするよう命じますが、その直後にアテネ艦隊来襲の報告が届き、もう間に合わないと悟ったフィリッポス2世は、命令を取り消して戦闘準備を命じます。ビザンティオンに来襲したアテネ艦隊には帆も帆柱もありませんでした。これにより機動力で上回り小回りのきくアテネ艦隊は、船首の衝角でマケドニア艦隊に打撃を与え、白兵戦に持ち込まずに勝負をつけようとします。市民兵のアテネ軍は職業兵のマケドニア軍に白兵戦では不利だからだろう、とエウメネスは冷静に指摘します。
マケドニア艦隊はアテネ艦隊に惨敗し、アジア側の対岸にはペルシア軍のギリシア人傭兵部隊が進出してきて、陣を構えていました。慎重派のフォーキオンが、ペルシア軍の力を借りたとあからさまに見せたくないと考えたのだろう、とフィリッポス2世は推測し、エウメネスも納得します。ただの傭兵部隊とは思えないきれいな陣形だ、とエウメネスが指摘し、フィリッポス2世には対岸の傭兵部隊の指揮官が誰なのか、見当がついているようです。その傭兵部隊を率いているのは、第1巻の冒頭と第4巻に登場したメムノンで、そこに同じく第1巻の冒頭と第4巻に登場したバルシネが久々に登場します。メムノンとバルシネとの会話から、傭兵部隊は対岸に渡るようにとの要請は受けていないことが判明します。
ビザンティオン沖での海戦の結果、マルマラ海の制海権はアテネ艦隊が掌握し、マケドニア艦隊は黒海にまで追いやられていました。フォーキオンはビザンティオンに入城し、カレスと合流します。意気揚がるビザンティオン側ですが、フォーキオンは冷静で、包囲しているマケドニア軍は間もなく退却するだろう、と迷いなく言います。フィリッポス2世は、虚報や和睦交渉など知略を尽くして残存するマケドニア艦隊を脱出させることに成功した後、ビザンティオンとペリントスからの退却を命じました。マケドニアにとっては完敗となったビザンティオン・ペリントス攻略戦でした。
ビザンティオンとペリントスから退却したマケドニア軍は、首都のペラではなく、北方のスキタイの勢力範囲へと向かいました。スキタイ勢力の西部を支配する高齢のアタイアス王が、隣国のイストリアとの戦いを有利に進めるために、王位をフィリッポス2世に譲ることを条件にマケドニアに援軍を要請したのでした。しかし、マケドニア軍がイストリアに着く前にイストリアの王が急死し、イストリアは一気に衰退しました。するとアタイアスは、マケドニアの援軍は不要と考え、王位を実子に継がせようと考え直しました。フィリッポス2世は、王位を継げないのならば援軍の経費をだすように、とアタイアスに交渉しますが、自国は貧しくフィリッポス2世を満足させるようなものはない、我々スキタイの宝は頑健な身体・死をも恐れぬ勇気・良質の馬のみだと言い、これらが欲しければ戦場にて見せよう、とアタイアスはフィリッポス2世を挑発します。
紀元前339年、マケドニア軍はスキタイへと攻め込み、当初はスキタイ騎兵にやや苦戦しましたが、長槍部隊と弓兵の活躍でスキタイを圧倒し、アタイアスは討ち取られ、良血馬2万頭を捕獲し、2万人が捕虜となり奴隷として売られることになります。この戦いでもエウメネスは優れた洞察力をフィリッポス2世に見せます。スキタイ人が捕虜として連行されているのを見ていたエウメネスに、心が痛むか、とメナンドロスが尋ねます。多少は、と答えたエウメネスに、同じスキタイとしてか、とメナンドロスが問いかけると、そういうことではない、とエウメネスは答えます。スキタイとはいっても、アタイアス王国の人々は騎乗のさいに鐙を用いておらず、自分の生母の故郷ではなさそうだ、と推測したエウメネスは、文化が違う、と呟きます。
アタイアス王国からの帰途、マケドニア軍は3万という兵力と完全武装していることから、驕りと油断がありました。マケドニア軍はスキタイから財宝を多く奪ったはずだ、と誤解していたトリロバイ人たちは、自地域を進むマケドニア軍を奇襲します。エウメネスは、居候先のアッタロス将軍と呑気に話しており、アッタロスは王の信用の厚いエウメネスと姪のエウリュディケを結婚させようと考えているようです。アッタロスがその話を進めようとしたところに、トリロバイ人たちが奇襲してきました。アッタロスはトリロバイ人たちの投石により気絶し、フィリッポス2世は太腿を槍で貫かれて重傷を負います。
エウメネスは急いで小峰に登って戦況を把握し、トリロバイ人たちの陣地がどこにあるのか、推測します。エウメネスは騎乗してマケドニア軍の前方に急ぎ、アッタロス将軍の命と偽って、トリロバイ人たちの陣地と推測した場所を牽制できるような高台へと向かうよう、各指揮官に指示します。するとトリロバイ人たちは、側面を突かれることを恐れて退却していきます。アッタロスは意識を取り戻しましたが、この混乱の中でマケドニアが捕虜としていたスキタイ人はほとんどが逃げ去りました。
マケドニア軍は首都のペラに帰還しましたが、マケドニア軍の敗退・フィリッポス2世の重傷に勢いづいたアテネでは、対マケドニア強硬派のデモステネスの演説に市民が熱狂していました。しかし、フォーキオンはその熱狂に冷ややかな様子です。重傷を負って療養中のフィリッポス2世はアンティパトロスを呼んで今後の策について話し合い、アンティパトロスに一任します。ペラに帰還したエウメネスをエウリュディケが迎えて、二人が口づけを交わすというところで第8巻は終了です。
第8巻で描かれたのはほとんどが戦闘場面で、エウメネスの戦場での洞察力が強烈に印象づけられました。有名なデモステネスも登場しましたが、この作品ではフォーキオンの方が重要な役割を担うことになりそうな気がします。メムノンとバルシネも久々に登場し、やはり今後重要な役割を担うことになりそうだと予感させます。エウメネスとエウリュディケの仲は、第7巻までの描写からも不自然ではありませんでしたが、サテュラの時と同じく悲恋に終わりそうですし、何よりもエウリュディケの今後の運命が悲惨なので、今から物悲しいところがあります。もっとも、この作品ではどのような描写になるのか、まだ分かりませんが。
第8巻も構成・心理描写が素晴らしく、たいへん面白かったのですが、第7巻から第8巻まで2年近く空きましたから、この感じで進んでいくと、とても完結しそうにないな、と不安になります。もっとも、作者がどの時点を最終回と考えているのか、現時点ではさっぱり分かりませんが、やはりディアドコイ戦争でエウメネスが死ぬところまでは描いてもらいたいな、と思います。フィリッポス2世とアンティゴノス1世が作中では同一人物だという私の予想(妄想)
https://sicambre.seesaa.net/article/201112article_2.html
が的中するとしたら、なおのこと、エウメネスの最期が気になります。ともかく、今から第9巻の刊行が楽しみです。
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