『週刊新発見!日本の歴史』第9号「古墳時代2 ヤマト王権誕生の実態」
この第9号は4世紀から6世紀後半までを対象としており、ヤマト王権が成立して拡大していく時期となります。日本列島のこの時代、とくに4世紀は、(準)同時代の文字記録がほとんどないため、昔から謎の4世紀とも言われています。5世紀になると、鉄剣銘文や『宋書』もあるのですが、それでも文字記録の少ない時代であることは否定できません。そのため、この第9号も考古学の研究成果にかなり依拠した構成になっています。また、朝鮮半島と現在の中華人民共和国領の当時の情勢の中で、日本列島の動向を位置づけていく、という近年ではすっかりした視点で全体の構成が貫かれています。
戦後の日本社会では、この時期について、王朝交替があったのか否か、という関心が高いように思うのですが、この第9号では、王統の移動はあったにしても、王朝交替のような政治的不連続はなかっただろう、と主張されています。こうした見解の前提として、5世紀の時点では王族が一系化されておらず、複数の血縁集団から構成されていたのではないか、との認識があります。有名な好太王碑文についての考察も掲載されており、日本に最初に好太王碑の拓本を持ち帰った酒匂景信について、碑文を改竄したのではないか、との疑惑が改めて否定されています。この改竄説は、一時は日本社会でもかなりの影響力を持っていたようなので、現在の研究水準では否定されている、ということを一般向けの記事で改めて指摘することは重要だろう、と思います。
戦後の日本社会では、この時期について、王朝交替があったのか否か、という関心が高いように思うのですが、この第9号では、王統の移動はあったにしても、王朝交替のような政治的不連続はなかっただろう、と主張されています。こうした見解の前提として、5世紀の時点では王族が一系化されておらず、複数の血縁集団から構成されていたのではないか、との認識があります。有名な好太王碑文についての考察も掲載されており、日本に最初に好太王碑の拓本を持ち帰った酒匂景信について、碑文を改竄したのではないか、との疑惑が改めて否定されています。この改竄説は、一時は日本社会でもかなりの影響力を持っていたようなので、現在の研究水準では否定されている、ということを一般向けの記事で改めて指摘することは重要だろう、と思います。
この記事へのコメント