パット=シップマン著、河合信和訳『アニマル・コネクション 人間を進化させたもの』
まだ日付は変わっていないのですが、8月11日分の記事として掲載しておきます。同成社より2013年6月に刊行されました。原書の刊行は2011年です。人類(実質的にはホモ属)の進化を、動物と人類(人類も動物の一種なのですが、ここでは人間と動物とを区別します)との関係という視点から見直した本です。人類にとって家畜化した動物は生きた道具であり、石器などの人類にとっての古くからの道具と同じく、身体外適応なのだ、との見解がさまざまな研究成果に基づいて提示されています。著者も認めるように推論になっているところもありますが、それが結果的に妥当か否かはともかくとして、現時点での研究成果からは大きく外れたものにはなっていないように思います。
本書では、人類と動物との関係について、二つの画期があったと主張されています。一つは、石器製作の始まった260万年前頃です。人類は石器の製作により肉食(人類にとって、肉だけではなく骨髄も主要な食資源だったと考えられています)が可能になり(石器製作の始まる前より、人類は肉を食べていたでしょうが、その頻度が高くなったことでしょう)、これが脳の巨大化を容易にしたと思われますが(もちろん、肉を食べたからといって必ず脳が大きくなるわけではなく、遺伝子の変異が大前提としてあるわけですが)、肉食は人類にとって動物との関わりが増えることを意味し、危険な競合者である大型肉食獣への対応など、動物への観察力がじゅうらいよりも高水準で要求されるようになり、これが人類にとって淘汰圧になったのではないか、と本書では主張されています。
もう一つの画期はかなり時代が下り、人類が動物を家畜化するようになった頃です。本書では、人類にとって最古の家畜は犬であり、それは現時点の研究成果では32000年前頃までさかのぼる、と主張されています。本書では、最初の頃の家畜化の意義は肉の利用にはなく、乳や毛や移動・運搬手段にあり、家畜からの病気の感染という不利益もあったものの、人類は動物の家畜化により多大な利益を得てきたことと、動物の家畜化が可能だったのは、人類が石器製作を始めてより動物とのかかわりが増え、動物を観察して理解する高い能力を要求されるような淘汰圧を受けてきたからだ、ということが指摘されています。また本書では、有名な新石器革命論で想定されていたような、動物の家畜化と植物の栽培化(農耕)とを単一の概念で把握するような認識は根本的に間違っており、家畜化と栽培化は異なる認知能力に依拠している、とも指摘されています。現代における人類と動物との関係についての提言も含めて、教えられるところの多い良書だと思います。
本書では、人類と動物との関係について、二つの画期があったと主張されています。一つは、石器製作の始まった260万年前頃です。人類は石器の製作により肉食(人類にとって、肉だけではなく骨髄も主要な食資源だったと考えられています)が可能になり(石器製作の始まる前より、人類は肉を食べていたでしょうが、その頻度が高くなったことでしょう)、これが脳の巨大化を容易にしたと思われますが(もちろん、肉を食べたからといって必ず脳が大きくなるわけではなく、遺伝子の変異が大前提としてあるわけですが)、肉食は人類にとって動物との関わりが増えることを意味し、危険な競合者である大型肉食獣への対応など、動物への観察力がじゅうらいよりも高水準で要求されるようになり、これが人類にとって淘汰圧になったのではないか、と本書では主張されています。
もう一つの画期はかなり時代が下り、人類が動物を家畜化するようになった頃です。本書では、人類にとって最古の家畜は犬であり、それは現時点の研究成果では32000年前頃までさかのぼる、と主張されています。本書では、最初の頃の家畜化の意義は肉の利用にはなく、乳や毛や移動・運搬手段にあり、家畜からの病気の感染という不利益もあったものの、人類は動物の家畜化により多大な利益を得てきたことと、動物の家畜化が可能だったのは、人類が石器製作を始めてより動物とのかかわりが増え、動物を観察して理解する高い能力を要求されるような淘汰圧を受けてきたからだ、ということが指摘されています。また本書では、有名な新石器革命論で想定されていたような、動物の家畜化と植物の栽培化(農耕)とを単一の概念で把握するような認識は根本的に間違っており、家畜化と栽培化は異なる認知能力に依拠している、とも指摘されています。現代における人類と動物との関係についての提言も含めて、教えられるところの多い良書だと思います。
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