『天智と天武~新説・日本書紀~』第23話「豊璋の父王」

 これは7月27日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年8月10日号掲載分の感想です。前回は、新羅の金春秋(武烈王)と金庾信が大海人皇子に会いに来て、金春秋が「煮えたぎる私怨」を抱いていることが明かされました。前号の予告を読むと、今回はその理由が豊璋から明かされることになりそうなので、注目していました。前回、その理由は、百済が新羅を攻めて領地を奪った時に金春秋の娘も殺害したからではないか、と推測したのですが、この予想は当たっており、今回はその詳しい経緯が明かされました。なお、今回は巻中カラーとなっています。

 豊璋は、父である百済の義慈王について打ち明けます。義慈王の即位は641年のことで、642年に自ら軍を率いて、新羅領の旧加耶(伽耶、加羅)地域を攻め、642年7月には40余城を陥落させ、翌月には将軍の允忠に1万ほどの兵を預けて大耶城を攻めさせます。大耶城主の品釈は臣下の反対を押し切って降伏を決意し、允忠に命を保証させたうえで開城します。しかし義慈王は、命を保証したわけではない、と言って品釈を殺害します。品釈の妻で金春秋の娘である古陀炤は義慈王に抗議し、小刀を取り出しますが、兵たちに一斉に矢を射られて死亡し、品釈と古陀炤の息子も義慈王に殺されます。これも情けだ、親のない苦労をするより一緒に逝ったほうが幸せだろう、と義慈王は言い、品釈とその妻子たちの首は百済へと運び、獄舎の地下にでも埋めてしまえ、と命じます。

 豊璋は、この件が、金春秋の「時」を待つ原動力となっているのであり、その「時」とは、もちろん義慈王と百済の滅亡だ、と説明します。あまりにも酷い、と額田王は言い、大海人皇子は、降伏した王族は殺さないという国同士の決まりをこれほどまでに無視するとは、と言います。豊璋は、たとえ見せしめとしてもやり過ぎで、父の失策だと思う、と言った後、金春秋について語ります。豊璋は金春秋の行動力・外交術を恐れています。金春秋は盛んに唐に接近してじっくりと関係を築こうとしており、新羅が唐と手を組めば、百済は高句麗と手を組めたとしても安心できない、というのが豊璋の考えです。

 だからその前に、と言った豊璋に、倭国(日本)の力が必要というわけだな、唐や新羅ではなく、百済に肩入れしてくれる有力者である中大兄皇子を見つけたわけだ、と大海人皇子は指摘します。豊璋は動揺することもなく認め、大事を為す人物と未婚だからこそお慕いしたのだ、と冷静に言います。しかし、その前は軽皇子(孝徳帝)と親しかったではないか、と中大兄皇子が突っ込むと、残念ながら軽皇子は対抗できる器ではなかった、と豊璋は答えます。すると、金春秋にか、確かにな、と言って笑う中大兄皇子にたいして、蘇我入鹿にです、と豊璋は答えます。

 豊璋にとって、入鹿の世界を捉える眼・国造りの理念などすべてが邪魔でしたが、何よりも、金春秋と入鹿はどこか似ており、二人が会えば必ず惹かれ合うに違いないので、百済の滅亡につながりかねないその出会いは絶対に阻止しなければならない、と豊璋は決心しました。その決心が、中大兄皇子の奥底にある得体の知れない炎が全てを飲み込み凌駕する様を自分に見せたのだろう、と豊璋は告白します。中大兄皇子は、面白い、これで全てつながった、川の流れと同じく、物事は全て途切れることなく巡りゆくということだ、と言って笑います。中大兄皇子が、最後に残った額田王に話すよう促すところで、今回は終了です。

 今回は、百済の義慈王と新羅の金春秋との因縁が詳しく描かれるとともに、豊璋がなぜ入鹿を危険視していたのか、はっきりと説明されました。ただ、豊璋は息子の真人(定恵)については語っておらず、心の奥を全て語ったというわけでもなさそうです。義慈王は今回が初登場となりますが、豊璋と同じく冷酷な人物で、中大兄皇子・豊璋と同じく、「怪物」的な人物として設定されているようです。義慈王は登場場面が多かったので、百済滅亡の様相も詳しく描かれそうであり、その際に金春秋と義慈王との間でどのようなやり取りが交わされるのか、楽しみです。

 長く続いた「巡り物語」も終わりに近づいたようで、次回もしくは次々回まで続くかもしれない額田王の告白で物語は一区切りつくようです。ややご都合主義的な設定ではありましたが、ここまでは、主要人物の心情を明かして空白を埋めるという役割を担っており、なかなか面白くなっています。予告は、「日本古代史上、最も有名な美女が語る話は・・・次号!!」となっています。額田王の告白内容を推測すると、中大兄皇子への配慮から、娘の十市皇女が大海人皇子との間の子であることを公にできず、大海人皇子にも伝えられなかった、ということでしょうか。ともかく、次号もたいへん楽しみです。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック