2つのエンディングストーリー
まだ日付は変わっていないのですが、7月25日分の記事として掲載しておきます。1999年に日本語訳が刊行された『別冊日経サイエンス 最後のネアンデルタール』(原書の刊行は1995年)のプロローグには、「2つのエンディングストーリー」と題する、最後のネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)についての2つの仮説が提示されています。両方の仮説とも、年代は明示されていません。仮説(1)の舞台は不明で、40歳を超えたネアンデルタール人の女性が主人公です。文中では明示されていませんが、現生人類(ホモ=サピエンス)と思われる集団に姉とともに嫁いだ女性は、姉の死後、同族がおらず孤独でした。彼女の武骨な顔立ちにたいする、現生人類の家族の冷やかしも長く続きました。彼女には孫もいましたが、ネアンデルタール人的な特徴は薄れていました。しかし、彼女の息子はネアンデルタール人の強靭な身体を母から継承し、優れた狩猟者に成長していました。息子が新鮮な肉を大量に携えて戻ってくるのを見た女性は、自分のこれまでの生活はネアンデルタール人として受け継いできた能力に支えられてきたのだ、ということに気づきます。
仮説(2)の舞台はイベリア半島のようで、主人公は男性です。イベリア半島は、ネアンデルタール人終焉の地の有力候補です。イベリア半島に奇妙な姿の異邦人(文中では明示されていませんが、現生人類集団でしょう)が進出してきて、男性は近隣のネアンデルタール人を見かけることもなくなりました。男とその仲間たちは、異邦人に包囲されて襲撃され、抵抗したものの、次第に劣勢になります。男は脱出を図りますが、異邦人たちに見つかり追跡されます。しかし、その近辺の地理を知り尽くしている男は、長い時間をかけて何とか異邦人たちを振り切りました。男はぼんやりと、もう安全かもしれないと思ったものの、その安息がいつまで続くのかは分かりません。
このプロローグの注にて、仮説(1)と(2)は両極端な仮説だが、仮説(2)の方が仮説(1)よりも真実に近いと確信している、と著者は述べています。原書の刊行は1995年で、その2年後にネアンデルタール人のミトコンドリアDNA解析が公表され、この頃から10年ほどが、ネアンデルタール人と現生人類との違いがもっとも強調され、現生人類アフリカ単一起源説のなかでも、現生人類とユーラシアの他の先住人類との交雑を否定する全面置換説がもっとも支持された時期なのではないか、と私は考えていますが、本書のプロローグにもそうした傾向が認められるように思います。
2010年以降は、ネアンデルタール人と現生人類との間に交雑があったとの見解が有力になっていますから、仮説(1)も的外れというわけではなかったのでしょうが、その舞台はヨーロッパではなく、レヴァントかその近辺だった可能性が高そうです。ネアンデルタール人と現生人類との交雑説が有力になったとはいっても、仮説(2)が否定されるのかというとそうでもなく、イベリア半島やバルカン半島やシベリア南部あたりでは、「最後のネアンデルタール人」だったか否かはさておき、仮説(2)のようなことが起きた可能性もきょくたんに低いというわけではなさそうです。人口密度の低かったであろう更新世において、ネアンデルタール人と現生人類が遭遇した頻度はかなり低いでしょうが、それでもレヴァントやヨーロッパではそれなりに長い間共存していたでしょうから、両者の遭遇はまず間違いなく起きていたでしょう。
参考文献:
Tattersall I.著(1999)、高山博訳『別冊日経サイエンス 最後のネアンデルタール』(日経サイエンス社、1999年、原書の刊行は1995年)
仮説(2)の舞台はイベリア半島のようで、主人公は男性です。イベリア半島は、ネアンデルタール人終焉の地の有力候補です。イベリア半島に奇妙な姿の異邦人(文中では明示されていませんが、現生人類集団でしょう)が進出してきて、男性は近隣のネアンデルタール人を見かけることもなくなりました。男とその仲間たちは、異邦人に包囲されて襲撃され、抵抗したものの、次第に劣勢になります。男は脱出を図りますが、異邦人たちに見つかり追跡されます。しかし、その近辺の地理を知り尽くしている男は、長い時間をかけて何とか異邦人たちを振り切りました。男はぼんやりと、もう安全かもしれないと思ったものの、その安息がいつまで続くのかは分かりません。
このプロローグの注にて、仮説(1)と(2)は両極端な仮説だが、仮説(2)の方が仮説(1)よりも真実に近いと確信している、と著者は述べています。原書の刊行は1995年で、その2年後にネアンデルタール人のミトコンドリアDNA解析が公表され、この頃から10年ほどが、ネアンデルタール人と現生人類との違いがもっとも強調され、現生人類アフリカ単一起源説のなかでも、現生人類とユーラシアの他の先住人類との交雑を否定する全面置換説がもっとも支持された時期なのではないか、と私は考えていますが、本書のプロローグにもそうした傾向が認められるように思います。
2010年以降は、ネアンデルタール人と現生人類との間に交雑があったとの見解が有力になっていますから、仮説(1)も的外れというわけではなかったのでしょうが、その舞台はヨーロッパではなく、レヴァントかその近辺だった可能性が高そうです。ネアンデルタール人と現生人類との交雑説が有力になったとはいっても、仮説(2)が否定されるのかというとそうでもなく、イベリア半島やバルカン半島やシベリア南部あたりでは、「最後のネアンデルタール人」だったか否かはさておき、仮説(2)のようなことが起きた可能性もきょくたんに低いというわけではなさそうです。人口密度の低かったであろう更新世において、ネアンデルタール人と現生人類が遭遇した頻度はかなり低いでしょうが、それでもレヴァントやヨーロッパではそれなりに長い間共存していたでしょうから、両者の遭遇はまず間違いなく起きていたでしょう。
参考文献:
Tattersall I.著(1999)、高山博訳『別冊日経サイエンス 最後のネアンデルタール』(日経サイエンス社、1999年、原書の刊行は1995年)
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