『天智と天武~新説・日本書紀~』第22話「大海人が会った男」

 これは7月14日分の記事として掲載します。『ビッグコミック』2013年7月25日号掲載分の感想です。前回は、乙巳の変後、大海人皇子(天武天皇)が祖父の毛人の造った隠れ里で訓練に明け暮れて2年ほど経過した頃に、ある人物が自分を訪ねてきた、と大海人皇子が告白するところで終了しました。その人物が誰なのか、大いに気になっていたのですが、今回はタイトルがずばりそのものの「大海人が会った男」でした。大海人皇子と会った人物はよほど蘇我本宗家と通じているようだな、と中大兄皇子(天智天皇)が言うと、その人物の持つ情報網は並ではないので、兄上たちも気をつけられよ、と大海人皇子は言い、11年前(647年)の出来事を回想します。

 隠れ里の統領に連れられてきた大海人皇子が会ったのは、二人の男でした。一人は身分が高そうで柔和な眼差しの軽装の人物で、もう一人はその供のようでした。統領はやはり大海人皇子の正体を知っていたようで、大海人皇子を入鹿の遺児の月皇子だと紹介すると、月皇子という名は捨てた、と大海人皇子は言います。すると統領は、大海人皇子は隠れ里に来た当初は甘ったれだったので、「オオアマ」と呼ばれているのだ、とその二人の男に説明します。「大海人」の由来は大海人皇子を養育した氏族の凡海(大海)氏だというのが通説でしょうが、この作品では意外な設定になっていました。

 身分の高そうな男は、お近づきの印に、といって孔雀の羽根を大海人皇子に贈ります。それを聞いて中大兄皇子と豊璋は即座に、その二人が新羅の金春秋(武烈王)と将軍として名高い金庾信だと察します。孝徳帝治世下の647年、新羅の王族である金春秋(新羅王となるのは654年)は難波長柄豊碕宮を訪れ、鸚鵡と孔雀を献上し、孝徳帝も群臣も驚くと共に心を奪われます。これは『日本書紀』の記述に基づいた場面で、『日本書紀』には金春秋の容貌が美しいとの記述が見えます。なお、『日本書紀』では鸚鵡も孔雀も「一隻」と表記されています。

 中大兄皇子と豊璋は、金春秋の来朝への対応策を協議します。新羅が金春秋たちを派遣してきた理由は、表向きは友好親善ではあるものの、乙巳の変以降の我が国の外交路線がどう変わるか、探りに来たのだろう、と中大兄皇子は推測します。豊璋は、非常にゆゆしき事態だと考えていました。孝徳帝は親唐・親新羅という入鹿の外交路線(入鹿が親唐という評価は当たっているかもしれませんが、入鹿は高句麗・百済・新羅の争いには中立の立場をとろうとしていたようですから、これは百済の王族である豊璋の、被害者意識の強い主観だろうと思います)に傾いているので、社交術に長けた金春秋に乗せられて、ますます親新羅に傾くのではないか、というわけです。そうはさせまいと考えている中大兄皇子が、金春秋には相当な数の見張りを付けており、妙な動きがあれば切り捨てるが、なければ・・・と言うと、豊璋は、作ればよいのですか、と中大兄皇子に応じます。

 客人が金春秋と金庾信かどうかは、話の流れでおのずと分かるでしょう、と大海人皇子はもったいぶった言い方をしますが、読み進めていくと、とくにひねりはなく、やはり二人は金春秋と金庾信でした。大海人皇子は回想を続けます。大海人皇子の父である蘇我入鹿の名声は、金春秋にも届いていました。入鹿が乙巳の変で殺害されたことを知った金春秋は落胆したものの、忘れ形見が生きているかもしれないと考えて探し回っており、倭に来た一番の目的は大海人皇子(月皇子)だったと言っても過言ではない、と言って笑います。

 しかし大海人皇子は冷静で、新羅が百済との戦いで大変な状況にあることを指摘し、自分に会いに来ただけではないはずだ、と言います。大海人皇子を見つめた金春秋は、いい目をしている、燃え盛る炎を抱えた目だ、と指摘します。それは復讐の炎か?爆発寸前に見えるが、と金春秋に問われた大海人皇子は、だったらどうだと言うのです?と反問します。すると金春秋は、復讐に目がくらむと自分の二の舞になりかねない、と大海人皇子に忠告します。金春秋は、自分も大海人皇子と同じく煮えたぎる私怨を抱えていて、それを晴らすために敵の策にはまって捕虜となり、金庾信のおかげで助かったことがある、と告白します。

 いかに体を鍛えても、今の大海人皇子には自分の部下のような片腕もおらず、権力もない、真に事を成したければ、充分な時間をかけて相手を研究し、緻密な計画を立てたうえで待つのだ、さすればその「時」は必ず訪れる、と自分も信じて、長期的な計画のもと倭に来たのだ、と金春秋は大海人皇子に忠告します。金春秋は大海人皇子に、倭の情勢を逐次新羅に知らせてくれれば、自分はいざという「時」に手を貸そう、大海人皇子の敵は自分の敵でもあるはずだ(豊璋と、その祖国の百済ということでしょうか)、力を合わそうではないか、と持ちかけます。

 大海人皇子は、ありがたいお言葉ですが、と言ってその提案を断ります。その理由は、敵は憎くてたまらないが、自国を売るようなまねだけはしたくない、というものでした。大海人皇子が金春秋に、自分一人で頑張ってみます、それに今、軽々しく動くな、と言われたばかりではないか、と答えると、一本取られた、と言って金春秋は金庾信と共に笑います。金春秋と金庾信が立ち去ろうとすると鵲がやって来て、隠れ里の近辺が不穏であることを伝えます。隠れ里の統領は、宿泊していくよう金春秋に言いますが、倭の影の支配者(豊璋と中大兄皇子のことでしょうか)は油断ならず、早く戻らないと隠れ里にも害が及ぶだろうから、と言って金春秋はその申し出を断り、「害虫」を一掃してくれれば隠れ里に来たことを知る者はいなくなる、訓練の成果を見せてはくれないか、と大海人皇子に言います。

 大海人皇子と鵲は金春秋と金庾信の後を追いかけ、中大兄皇子と豊璋が差し向けた討手を全滅させます。いざとなれば手助けしようと思っていましたが、と言う金庾信に、借りができたな、と金春秋は笑って言います。末恐ろしくもある、という金庾信に、敵には回したくないものだ、と金春秋は言い、二人は去っていきます。討手が全滅したとの報告を受けた中大兄皇子は激怒します。金春秋にかけてもらった言葉を今も胸に刻み、じっくり「時」を待っている、と大海人皇子が言い、金春秋がなぜそこまでして「時」を待っているのか、次は自分が話さねばなるまい、と豊璋が言うところで今回は終了です。

 大海人皇子が隠れ里で会った男は金春秋と金庾信でした。第1巻にて、新羅から倭(日本)に人質として来ている王子が描かれており、倭を訪れたことのある金春秋もそのうち描かれるのだろうか、と思ったことがありましたが、金春秋が倭を訪れた正確な年代を忘れていたので、乙巳の変から2年後にある人物と会った、と前回にて大海人皇子が告白した時も、金春秋はその候補としてまったく思い浮かびませんでした。孔雀と鸚鵡を献上したという記録に基づいて話を作っていくところなど、古代史ものの漫画としてなかなか上手いな、と思います。

 おそらく、日本(倭)と新羅との関係がもっとも良好だったのは、おそらく天武朝の頃だと思うのですが、これは、天智・天武異非兄弟説で言われるような、天武が新羅系だからという理由ではなく、百済と高句麗が滅亡した後、天智朝~天武朝の頃にかけて唐と新羅が対立し、新羅が日本との友好関係を望んでいた、という政治情勢が要因だろう、とは思います。もっとも、その後の新羅と唐との関係修復にともない、新羅は日本との友好関係の維持を優先する必要が亡くなり、日本と新羅との関係は悪化していきますが。この作品では、大海人皇子は隠れ里にいる十代半ばの時点で後の新羅王と知り合った、という設定になっており、天武朝での新羅との友好関係に大きく影響を及ぼすような気がします。さらに予想すると、この作品では豊璋=藤原鎌足ですから、鎌足の息子の不比等が、天武天皇崩御後、持統朝・文武朝・元明朝にて権力を掌握していくことが、日本と、豊璋の祖国である百済を唐と共に滅ぼした新羅との関係悪化に影響を及ぼすことになるのかもしれません。

 「巡り物語」は中大兄皇子と大海人皇子の番が終わり、次は豊璋の番となりますが、正直なところ、大海人皇子の告白の意図は、現時点ではどうもよく分かりません。中大兄皇子も豊璋も、毛人の造った隠れ里のことも、大海人皇子が金春秋・金庾信と会ったことがあることも知らなかったでしょうが、そうした重要な情報をなぜこの時点で大海人皇子が中大兄皇子に打ち明けたのか、理由がなかなか思い浮かびません。すでに中大兄皇子にも豊璋にも大海人皇子の正体は知られているので、今更復讐の機会をうかがっていることを隠す必要はないということでしょうか。大海人皇子は、真人(定恵)を助けた理由については触れていませんから、真に重要な情報はまだ隠している、ということなのかもしれません。あるいは、何度かこのブログでも述べたように、物語の展開の必要上、主要人物の過去と心情を明かすための舞台を設けた、ということなのでしょうか。

 予告は、「次号、豊璋が語るは父王について!!」となっており、金春秋の抱える「煮えたぎる私怨」が明かされるのでしょうが、それはおそらく、百済が新羅を攻めて領地を奪った時に、金春秋の娘も殺害されたことを指しているのでしょう。金春秋が私怨を晴らすために敵の策にはまって捕虜となったというのは、おそらく百済に対抗するために高句麗を訪れて囚われたことなのでしょうが、金春秋はこの時の経験があって、今回描かれた倭での冷静な対応と、その翌年(648年)の唐に赴いての唐との同盟締結が可能になった、という設定なのかもしれません。百済が新羅領に攻め入って金春秋の娘が死んだ時の百済の王は義慈王で、豊璋の父ですから、金春秋の娘が殺された経緯も詳しく描かれるのでしょうが、「煮えたぎる私怨」とのことですから、単に百済軍が金春秋の娘を殺したということではなく、もっと悲惨な話になりそうな気もします。また、豊璋が息子の真人についての想いを告白するのか、という点にも注目しています。

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