『天智と天武~新説・日本書紀~』第19話「有間始末」
これは5月27日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2013年6月10日号掲載分の感想です。前回 は、紀伊の牟婁の湯に使者が到着し、有間皇子が謀反人として捕えられたことを報告して、斉明帝と大海人皇子が驚愕した表情を浮かべ、中大兄皇子がほくそ笑む、という場面で終了しました。今回はその場面の続きから始まります。斉明帝は、有間皇子の謀反とは何かの間違いだ、と狼狽しますが、蘇我赤兄を使って有間皇子を罠に嵌めた中大兄皇子は冷静で、真実を明らかにしましょう、と言います。大海人皇子は、有間皇子が罠に嵌められたのだと斉明帝に訴え、そう思いたいが、と斉明帝も言うものの、中大兄皇子は力強く、謀反人を裁きにかけるのでここ負け連行しろ、と命じます。
鵲は大海人皇子に謝り、この事態に大海人皇子もさすがに動揺しているようで、馬に乗って出かけようとします。その様子を見た額田王は、大海人皇子は有間皇子と同じ立場だと言い、大海人皇子の身を案じますが、分かっている、と大海人皇子は言って出かけます。この様子を中大兄皇子が見ていました。額田王と大海人皇子との間にはしっかりと愛情・信頼関係が築かれているようで、中大兄皇子がどのように額田王を「略奪」するのか(この作品でそうなると確定したわけではありませんが)、すでに婚姻関係にある、大海人皇子と大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)との関係はどのように描かれるのか、ということが今後注目されます。
飛鳥の後岡本宮では、有間皇子が縄にかけられて連行されていました。その様子を見ていた人々は、圧政を敷く朝廷への不満から、本来ならば大君(天皇)になっていてもおかしくない方なのに、と有間皇子に同情的です。連行される有間皇子を見ている人々の中に、気まずそうな表情を浮かべている赤兄がいました。赤兄に気づいた有間皇子は、怒りと恨みを抱いたような視線を赤兄に向け、赤兄は視線をそらします。赤兄は複雑そうな表情を浮かべますが、中大兄皇子の命により有間皇子を罠に嵌めたとはいえ、有間皇子にたいして友情も抱いていたのでしょう。
有間皇子を連行している兵士たちは休憩をとり、意気揚々としていますが、対照的に有間皇子はすっかり意気消沈しています。そこへ騎乗した大海人皇子が駆けつけ、有間皇子はまだ罪人と決まったわけではない、早く縄を解け、と有間皇子を連行する兵士たちの責任者らしき男性を一喝します。大海人皇子は、まだ大君の御前での申し開きの機会がある、と有間皇子を励まし、力をつけるために握り飯を食べるよう勧めますが、絶望した有間皇子は食べようとしません。いつまで逃げるのだ、と有間皇子に言った大海人皇子は、ここで終われば、有間皇子の人生は、中大兄皇子にもてあそばれ、中大兄皇子に怯えて生きていただということになる、一度も向き合って闘うことなく、誇りすらなくして、それでよいのか?と大海人皇子は有間皇子に問いかけます。すると有間皇子は、松の木の下で涙を流しながら握り飯を食べます。
ここで、「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」という『万葉集』の歌が引用されます。兵士たちが休憩を終え、有間皇子を手荒く連行しようとすると、大海人皇子はそれを咎めますが、このほうが戦闘意欲が湧く、と有間皇子は大海人皇子に言います。有間皇子が覚悟を決めた様子で松の木を振り返る場面では、「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまたかへり見む」という『万葉集』の歌が引用されます。『万葉集』に採録されたこの二つの歌が、有間皇子自身の作なのか、後世の人が有間皇子の心情を忖度して詠んだものなのか、分かりませんが、『万葉集』を活かした上手い構成になっている、と思います。
有間皇子が紀伊の牟婁の湯に連行されると、斉明帝・中大兄皇子・大海人皇子・額田王もいるなか、裁きが始まります。謀反など間違いだろう、と斉明帝に問いかけられても、有間皇子は沈黙しています。せっかくの機会なのに弁明しないのか、皆に聞かれているから弁明できないのか、お得意の弱気の虫がぶり返したとかはどうだ、と中大兄皇子は有間皇子を愚弄し挑発しますが、有間皇子は必死に耐えています。すると、大海人皇子が助け舟を出し、どうせ悪酔いしただけで本気ではないだろうから、大君には寛大な処分を頼みます、と笑いながら言います。大海人皇子は明るい雰囲気を作り、深刻な雰囲気を壊そうとしているようです。
中大兄皇子は、命乞いなら本人から聞こうと言い、命が惜しかろう、と有間皇子に尋ねます。罪を認めるならば、まだ若いし命だけは助けてやってもよい、と中大兄皇子は愚弄した感じで有間皇子に言います。認めるのだな、と中大兄皇子は有間皇子に迫りますが、有間皇子は、私は何も知らない、全てを知るのは天と赤兄のみだ、と覚悟を決めた様子で答えます。すると、中大兄皇子は激昂し、道端で構わないから処刑しろ、と命じます。大海人皇子は処刑を止めるよう斉明帝に強く迫りますが、斉明帝は、気分が優れないと言って奥に退きます。この作品の斉明帝は、息子の中大兄皇子に怯える、弱気で優柔不断な人物として描かれています。
泣いて命乞いでもすれば生かしてやったかもしれないのに、と中大兄皇子が言うと、その予想が外れて兄上は狼狽えていましたね、きっと今頃、有間皇子は笑っているでしょう、胸を張り、静かに威厳さえたたえて、と大海人皇子は言い、中大兄皇子は驚きと怒りの表情を浮かべます。658年11月11日、有間皇子が覚悟を決めた表情で縊死刑に処せられたところで、今回は終了です。今回は、基本的には通説に従いつつ、『万葉集』を上手く使って話を作っており、歴史漫画として面白くなっていました。今後も大いに期待できそうです。
有間皇子は言動・外見ともにいかにも雑魚キャラといった感じだったのですが、有間皇子をめぐる話は意外と長くなりました。中大兄皇子の冷酷で「怪物」的なところを強調するという意図があったのかもしれません。有間皇子の父の孝徳帝も、凡庸でありながら即位後は覚悟を決めたところを見せ、同じく凡庸な息子の有間皇子も、最後には単なる惨めな敗北者ではなく、威厳さえ見せて死んでいきました。蘇我石川麻呂もそうでしたが、凡庸そうな人物にも見せ場が用意されているのが、この作品の見どころ・魅力になっているように思います。
中大兄皇子が有間皇子をどのように処分しようと考えていたのか、やや解釈に悩むところで、単純に考えると、有間皇子が中大兄皇子の尋問にどう答えようとも、愚弄して最後には殺すつもりだった、ということになりそうです。ただ、命乞いすれば命だけは助ける、というのも中大兄皇子の本音だったかもしれず、有間皇子を屈服させ、庶民に身分を落とすなどして皇位継承者争いから脱落させつつ、謀反を企てたにも関わらず命を助けてやることで、中大兄皇子の寛大なところを人々に見せつける、という意図もあったのかな、とも思います。
大海人皇子は、このところ「怪物化」した中大兄皇子に翻弄されることが多く、有間皇子のことも、孝徳帝に守るよう頼まれながら結局約束を果たせず、やはり翻弄されてしまいました。しかし、中大兄皇子が有間皇子の覚悟を決めた様子に狼狽して激昂したところを、大海人皇子はしっかりと観察しており、中大兄皇子に翻弄されるばかりではない、というところも見せました。この兄弟の心理的駆け引きが、今後もこの作品の軸となるのでしょう。この後は、額田王をめぐる兄弟の心理戦が描かれるのではないか、と予想しています。
今回で有間皇子が処刑され、次の大きな出来事は白村江の戦いなのでしょうが、その間に藤原不比等が生まれ、斉明帝が崩御し、大海人皇子と大田皇女・鸕野讚良皇女との間に子供が生まれることになりそうです。不比等について誕生時点で触れられるのか分かりませんが、作中では重要人物という扱いのようですから、壬申の乱の前の不比等の様子も描かれるのではないか、と思います。しばらくは、中大兄皇子・大海人皇子という兄弟の心理戦と絡めた、白村江の戦いへといたる歴史の流れを軸に、この兄弟の周囲の人物の関係を描いていく、という話になりそうです。大田皇女はすでにある程度人物像が明かされていますが、一度言及されただけの鸕野讚良皇女がどのような人物として描かれるのか、気になるところです。
鵲は大海人皇子に謝り、この事態に大海人皇子もさすがに動揺しているようで、馬に乗って出かけようとします。その様子を見た額田王は、大海人皇子は有間皇子と同じ立場だと言い、大海人皇子の身を案じますが、分かっている、と大海人皇子は言って出かけます。この様子を中大兄皇子が見ていました。額田王と大海人皇子との間にはしっかりと愛情・信頼関係が築かれているようで、中大兄皇子がどのように額田王を「略奪」するのか(この作品でそうなると確定したわけではありませんが)、すでに婚姻関係にある、大海人皇子と大田皇女・鸕野讚良皇女(持統天皇)との関係はどのように描かれるのか、ということが今後注目されます。
飛鳥の後岡本宮では、有間皇子が縄にかけられて連行されていました。その様子を見ていた人々は、圧政を敷く朝廷への不満から、本来ならば大君(天皇)になっていてもおかしくない方なのに、と有間皇子に同情的です。連行される有間皇子を見ている人々の中に、気まずそうな表情を浮かべている赤兄がいました。赤兄に気づいた有間皇子は、怒りと恨みを抱いたような視線を赤兄に向け、赤兄は視線をそらします。赤兄は複雑そうな表情を浮かべますが、中大兄皇子の命により有間皇子を罠に嵌めたとはいえ、有間皇子にたいして友情も抱いていたのでしょう。
有間皇子を連行している兵士たちは休憩をとり、意気揚々としていますが、対照的に有間皇子はすっかり意気消沈しています。そこへ騎乗した大海人皇子が駆けつけ、有間皇子はまだ罪人と決まったわけではない、早く縄を解け、と有間皇子を連行する兵士たちの責任者らしき男性を一喝します。大海人皇子は、まだ大君の御前での申し開きの機会がある、と有間皇子を励まし、力をつけるために握り飯を食べるよう勧めますが、絶望した有間皇子は食べようとしません。いつまで逃げるのだ、と有間皇子に言った大海人皇子は、ここで終われば、有間皇子の人生は、中大兄皇子にもてあそばれ、中大兄皇子に怯えて生きていただということになる、一度も向き合って闘うことなく、誇りすらなくして、それでよいのか?と大海人皇子は有間皇子に問いかけます。すると有間皇子は、松の木の下で涙を流しながら握り飯を食べます。
ここで、「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」という『万葉集』の歌が引用されます。兵士たちが休憩を終え、有間皇子を手荒く連行しようとすると、大海人皇子はそれを咎めますが、このほうが戦闘意欲が湧く、と有間皇子は大海人皇子に言います。有間皇子が覚悟を決めた様子で松の木を振り返る場面では、「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまたかへり見む」という『万葉集』の歌が引用されます。『万葉集』に採録されたこの二つの歌が、有間皇子自身の作なのか、後世の人が有間皇子の心情を忖度して詠んだものなのか、分かりませんが、『万葉集』を活かした上手い構成になっている、と思います。
有間皇子が紀伊の牟婁の湯に連行されると、斉明帝・中大兄皇子・大海人皇子・額田王もいるなか、裁きが始まります。謀反など間違いだろう、と斉明帝に問いかけられても、有間皇子は沈黙しています。せっかくの機会なのに弁明しないのか、皆に聞かれているから弁明できないのか、お得意の弱気の虫がぶり返したとかはどうだ、と中大兄皇子は有間皇子を愚弄し挑発しますが、有間皇子は必死に耐えています。すると、大海人皇子が助け舟を出し、どうせ悪酔いしただけで本気ではないだろうから、大君には寛大な処分を頼みます、と笑いながら言います。大海人皇子は明るい雰囲気を作り、深刻な雰囲気を壊そうとしているようです。
中大兄皇子は、命乞いなら本人から聞こうと言い、命が惜しかろう、と有間皇子に尋ねます。罪を認めるならば、まだ若いし命だけは助けてやってもよい、と中大兄皇子は愚弄した感じで有間皇子に言います。認めるのだな、と中大兄皇子は有間皇子に迫りますが、有間皇子は、私は何も知らない、全てを知るのは天と赤兄のみだ、と覚悟を決めた様子で答えます。すると、中大兄皇子は激昂し、道端で構わないから処刑しろ、と命じます。大海人皇子は処刑を止めるよう斉明帝に強く迫りますが、斉明帝は、気分が優れないと言って奥に退きます。この作品の斉明帝は、息子の中大兄皇子に怯える、弱気で優柔不断な人物として描かれています。
泣いて命乞いでもすれば生かしてやったかもしれないのに、と中大兄皇子が言うと、その予想が外れて兄上は狼狽えていましたね、きっと今頃、有間皇子は笑っているでしょう、胸を張り、静かに威厳さえたたえて、と大海人皇子は言い、中大兄皇子は驚きと怒りの表情を浮かべます。658年11月11日、有間皇子が覚悟を決めた表情で縊死刑に処せられたところで、今回は終了です。今回は、基本的には通説に従いつつ、『万葉集』を上手く使って話を作っており、歴史漫画として面白くなっていました。今後も大いに期待できそうです。
有間皇子は言動・外見ともにいかにも雑魚キャラといった感じだったのですが、有間皇子をめぐる話は意外と長くなりました。中大兄皇子の冷酷で「怪物」的なところを強調するという意図があったのかもしれません。有間皇子の父の孝徳帝も、凡庸でありながら即位後は覚悟を決めたところを見せ、同じく凡庸な息子の有間皇子も、最後には単なる惨めな敗北者ではなく、威厳さえ見せて死んでいきました。蘇我石川麻呂もそうでしたが、凡庸そうな人物にも見せ場が用意されているのが、この作品の見どころ・魅力になっているように思います。
中大兄皇子が有間皇子をどのように処分しようと考えていたのか、やや解釈に悩むところで、単純に考えると、有間皇子が中大兄皇子の尋問にどう答えようとも、愚弄して最後には殺すつもりだった、ということになりそうです。ただ、命乞いすれば命だけは助ける、というのも中大兄皇子の本音だったかもしれず、有間皇子を屈服させ、庶民に身分を落とすなどして皇位継承者争いから脱落させつつ、謀反を企てたにも関わらず命を助けてやることで、中大兄皇子の寛大なところを人々に見せつける、という意図もあったのかな、とも思います。
大海人皇子は、このところ「怪物化」した中大兄皇子に翻弄されることが多く、有間皇子のことも、孝徳帝に守るよう頼まれながら結局約束を果たせず、やはり翻弄されてしまいました。しかし、中大兄皇子が有間皇子の覚悟を決めた様子に狼狽して激昂したところを、大海人皇子はしっかりと観察しており、中大兄皇子に翻弄されるばかりではない、というところも見せました。この兄弟の心理的駆け引きが、今後もこの作品の軸となるのでしょう。この後は、額田王をめぐる兄弟の心理戦が描かれるのではないか、と予想しています。
今回で有間皇子が処刑され、次の大きな出来事は白村江の戦いなのでしょうが、その間に藤原不比等が生まれ、斉明帝が崩御し、大海人皇子と大田皇女・鸕野讚良皇女との間に子供が生まれることになりそうです。不比等について誕生時点で触れられるのか分かりませんが、作中では重要人物という扱いのようですから、壬申の乱の前の不比等の様子も描かれるのではないか、と思います。しばらくは、中大兄皇子・大海人皇子という兄弟の心理戦と絡めた、白村江の戦いへといたる歴史の流れを軸に、この兄弟の周囲の人物の関係を描いていく、という話になりそうです。大田皇女はすでにある程度人物像が明かされていますが、一度言及されただけの鸕野讚良皇女がどのような人物として描かれるのか、気になるところです。
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