現生人類の起源についての13年前の私見

 まだ日付は変わっていないのですが、5月15日分の記事として掲載しておきます。13年前の西暦2000年は20世紀最後の年で、私が古人類学に関心を持ち始めてから数年の頃だったと記憶しています。当時、「文明」の起源について、現生人類(ホモ=サピエンス)の起源と絡めて雑感を述べたのですが、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/005.htm
現生人類の起源についての記述では、まだ猿人・原人・旧人・新人という区分を受け入れていたことが分かります。すでに現生人類アフリカ単一起源説が優勢になっていたということもあってか、さほど的外れなことは言っていないと思うのですが、今になって振り返ってみると、当時は本当に勉強不足でした(まあ今でも、程度こそ異なるものの、勉強不足に変わりはありませんが)。当時は、日本古代史・中世初期・中世~近世移行期のへの関心が強く、古人類学の優先順位が2004年後半以降ほど高くなかった、という事情もありました。以下、現生人類の起源についての箇所を引用します(注は省略し、段落を空けました)。


現代人の起源を巡って

 現代人の起源を巡っても、古くから一元論と多元論の対立があり、現在でも決着はついていない。とはいえ、現在では人類の起源をアフリカに求めることに異論はほとんどなく、従って現代人の起源は大元を遡ればアフリカにあるということになる。問題は、どの段階で現代人の直系祖先がアフリカを出たか、即ち、現在世界各地に存在する人類の分岐がいつかということである。現代人の起源を巡る論争は、一元論と多元論の対立というより、分岐年代を巡る論争と言う方が適切かもしれない。一元論に相当するのが単一起源説で、多元論に相当するのが多地域進化説なのだが、ハーヴァード大学人類学者のウィリアム=ハウエルズ氏は、前者を「ノアの方舟」説、後者を「枝付き燭台」説と命名された。

 前者では、現代人の直系祖先=後の新人は約20万年前にアフリカの一角で誕生し、約10万年前頃より世界各地に拡散し始め、各地の先住民である原人や旧人に代わって定着し、原人や旧人はその過程で滅びたとする。後者では、遺伝的交流はあったものの、アフリカから世界各地に拡散した原人がその地で旧人から新人へと移行し、多発的に現代人への移行が起きたとする。この問題を考えるにあたって難しいのは、当然のことだが、遺物や人骨が後世と比較して極端に少ないということである。これが、人類の系譜作成を困難にしている。

 原人・旧人・新人の典型的形質は明確で、相互に大きく異なると言える。だが、出土した人骨の全てが明確にいずれかに分類されるかというとそうではなく、実際にはばらつきがある。そうすると、原人はさて措き、旧人と新人の相違は環境への適応に拠るところが多分にあり、例えばネアンデルタール人とクロマニヨン人の相違を強調するのは妥当性を欠き、両者には直接的繋がりがあるのかもしれない。実際、現代人は各環境へ適応した結果、例えばアフリカ熱帯地域の長身足長の集団と胴長短足のイヌイットとのように、大きく異なる外見を示していて多様性に富んでいる。では、多地域進化説に妥当性があるのかというと、遺伝学的成果からはそうとは言えないのである。

 1980年代半ば以降、遺伝学的見地からの現代人の起源探求が盛んに発表されるようになった。それらは、現代人のミトコンドリアDNAの比較から、現代人の起源と分岐年代を推定しようという試みであった。その結果、遺伝的相違はアフリカにおいて他の地域よりも大きいことが判明し、現代人アフリカ起源説を強く示唆したが、多地域進化説論者にとってこれは受け入れられないものではなかった。問題は、遺伝研究において分子時計という手法が用いられ、アフリカ人と東アジア人との分岐が約116000前、アフリカ人と欧州・西南アジア人との分岐が約113000年前とする研究者も出てきたことで、これでは多地域進化説は到底成立しない。ミシガン大学の古人類学者ミルフォード=ウォルポフ氏のように、こうした結果を導き出した分子時計に疑問を抱く研究者も少なからずいるし、私も疑問はなくもないが、この見解を否定するような強力な見解は現在まで出されておらず、どうも現代人の分岐は約10万年前の前後に求められそうである。また近年、ある研究グループがネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの一部を採取することに成功し、現代人のそれと比較したところ、現代人間の相違よりも、現代人とネアンデルタール人との相違の方が遥かに大きかったという。現代人の分岐が約10万年前だから、ネアンデルタール人と現代人とはそれよりも遥か前に共通の祖先から分岐したのだろう。

 そうすると、現代人の起源に関してはノアの方舟説に分がありそうで、現代人は人類史上においてはかなり近年まで遺伝的一体性を保持しており、外見上は環境への適応により大きく異なることとなったが、知能も含めてその資質には根本的に大きな差はないと言えよう。こう考えれば、相互に有効な交流のほとんどなかった段階のユーラシア大陸とアメリカ大陸においてよく似た発展現象がしばしば認められるのも全く不思議ではない。生物の中には、地理的環境の変動により次第に別種へと移行する例もあるが、現代人は、別種へと分化する前に交通手段を大いに発達させて相互の交流が盛んとなったため、同一種たり得続けた。現在交通は大いに発達し、今後も更なる発達が望めそうだから、現代人はその一体性を維持し続けるように思う。ただ、今後の遺伝子研究とその応用の方向性によっては、或いは現代人の決定的な分化が始まるかもしれない。

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