倉本一宏『藤原道長の日常生活』
これは5月13日分の記事として掲載しておきます。講談社現代新書の一冊として、講談社より2013年3月に刊行されました。本書は、藤原道長の日記『御堂関白記』・藤原実資の日記『小右記』・藤原行成の日記『権記』を丁寧に読み解き、道長の日常生活・言動・公的立場・個性・世界観を明らかにしています。もちろん本書は、道長だけではなく、当時の朝廷の政務・儀式の在り様や、朝廷上層部の人々の公的および私的活動・世界観にも言及しており、摂関政治最盛期の朝廷の様相を詳しく描き出しています。当時の朝廷を非専門家が知るうえでたいへん有益ですが、経済的な側面は基本的に省略されています。
本書でたびたび強調されているのは、道長の複雑な個性です。道長は、小心と大胆、繊細と磊落、親切と冷淡、寛容と残忍、協調と独断をあわせ持つ人物でした。もちろん、これはほとんどすべての人にあてはまることではあり、道長は一般的な基準で言えば有能な人物なのでしょうが、歴史上の有名人物といえども、徒に英雄・成人視することも、悪人視することもなく、資料に基づいて冷静に評価することの大切さを改めて思い知らされます。本書を読んでとくに興味深かったのは、平安貴族の穢れへの対応で、現代日本社会(の一部?)では、平安貴族が穢れをたいへん恐れてそれに囚われていた、ということが強調されるように思うのですが、本書を読むと、平安貴族が穢れにたいして柔軟というか都合よく対処していたことが窺え、分かりやすく単純明快な図式的説明の危険性を改めて痛感したものです。
本書でたびたび強調されているのは、道長の複雑な個性です。道長は、小心と大胆、繊細と磊落、親切と冷淡、寛容と残忍、協調と独断をあわせ持つ人物でした。もちろん、これはほとんどすべての人にあてはまることではあり、道長は一般的な基準で言えば有能な人物なのでしょうが、歴史上の有名人物といえども、徒に英雄・成人視することも、悪人視することもなく、資料に基づいて冷静に評価することの大切さを改めて思い知らされます。本書を読んでとくに興味深かったのは、平安貴族の穢れへの対応で、現代日本社会(の一部?)では、平安貴族が穢れをたいへん恐れてそれに囚われていた、ということが強調されるように思うのですが、本書を読むと、平安貴族が穢れにたいして柔軟というか都合よく対処していたことが窺え、分かりやすく単純明快な図式的説明の危険性を改めて痛感したものです。
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